亡国の黒将と世界樹の迷宮   作:清海深々

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第五刀 休息日の地図

海都来訪九日目。

 

黒蘭一行は、迷宮へ潜らなかった。

 

到達したのは、まだ第一階層の第1階相当。

 

ただし、海都の者が「一階」と呼ぶには広すぎる森だった。

 

黒蘭達は六日をかけて、入口から深部手前までを測り、休息地、水場、湿地、魔物の縄張りを記録した。

 

だが、まだ次の階へは降りていない。

 

黒蘭はそう決めていた。

 

「急げば階段は見つかったかもしれませんね」

 

黒華椿が地図を見ながら言う。

 

黒蘭は頷く。

 

「だろうな」

 

黒薔薇が不満そうに椀を置いた。

 

「じゃあ、行けばよかっただろ」

 

黒蘭は短く返す。

 

「行く理由がなかった」

 

「階段を見つけるのは理由にならないのか?」

 

「ならない」

 

黒薔薇は肩をすくめた。

 

「本当に面倒だな、お前は」

 

黒牡丹が茶を注ぎながら微笑む。

 

「ですが、帰る理由はありました」

 

「食糧、水、体力、装備、地図整理」

 

黒百合が窓際から言う。

 

「未知の大型個体も」

 

椿は地図の奥に、赤い線を引いた。

 

大型個体の縄張り推定域。

 

まだ姿は見ていない。

 

ただ、足跡と爪痕、魔物の移動、森の沈黙から、その存在を推定しただけだ。

 

黒蘭はその赤い線を見た。

 

「次はここを確認する」

 

薔薇が少し笑う。

 

「ようやく戦うのか?」

 

「確認する」

 

「同じだろ」

 

「違う」

 

薔薇は笑った。

 

「はいはい」

 

---

 

休息日。

 

それは、何もしない日ではない。

 

黒華五人にとって、休息とは次の戦いの準備だった。

 

薔薇は籠手と刀の手入れ。

 

百合は街中の人の流れとギルド周辺の確認。

 

牡丹は薬と食糧の補充。

 

椿は地図整理。

 

黒蘭は報告書と、次の探索計画。

 

宿の主人は、部屋を覗いて困惑した。

 

「休まないんですか?」

 

黒蘭は顔を上げる。

 

「休んでいる」

 

主人は机の上を見る。

 

地図。

 

刃物。

 

薬草。

 

報告書。

 

どう見ても仕事だった。

 

「それが……?」

 

黒薔薇が笑った。

 

「うちでは休みなんだ、これが」

 

主人は困ったように去っていった。

 

---

 

午前。

 

黒蘭と椿はギルドへ向かった。

 

提出した地図の写しを受け取るためだ。

 

掲示板の前には、いつもより人が集まっていた。

 

黒蘭一行の札の下に、落書きが増えている。

 

---

 

Fランク 黒蘭一行

初回探索日数 六日

第一階層第1階広域地図提出

大型個体縄張り推定域 報告あり

第二階未到達

 

---

 

「六日も一階にいたのか?」

 

「慎重すぎるだろ」

 

「でも地図見たか?」

 

「大地の記録者が褒めてたぞ」

 

「討伐数は少ないらしい」

 

「戦わずに何してたんだ?」

 

「地図描いてたんだろ」

 

黒蘭はそれを一瞥しただけで、奥へ進んだ。

 

椿が横で言う。

 

「評価が割れていますね」

 

「当然だ」

 

「はい」

 

「見ているものが違う」

 

討伐数を見る者。

 

到達階層を見る者。

 

地図を見る者。

 

帰還日数を見る者。

 

同じ探索でも、受け取り方は違う。

 

黒蘭はその違いも情報として見ていた。

 

---

 

ギルド奥の部屋では、レオンと大地の記録者のリーダー、ガルドが地図を広げていた。

 

ガルドは腕を組み、唸っていた。

 

「悔しいな」

 

レオンが笑う。

 

「お前がそう言うとは珍しい」

 

「悔しいさ」

 

ガルドは地図を指で叩いた。

 

「一階の地図なんて、俺達は何度も描いてる」

 

「だが、こいつらの地図は見方が違う」

 

「どこがだ」

 

「退路が太い」

 

レオンが目を細める。

 

ガルドは続けた。

 

「普通の冒険者は、進んだ道を描く」

 

「採取屋は、採れる場所を描く」

 

「討伐屋は、敵の出る場所を描く」

 

「だがこれは違う」

 

「戻る道を中心に作られてる」

 

椿は黙って聞いていた。

 

黒蘭も何も言わない。

 

ガルドは二人を見る。

 

「強い奴ほど、帰り道を軽く見る」

 

「行けるからな」

 

「だがあんたらは、帰ることを前提に進んでる」

 

黒蘭は頷いた。

 

「帰れなければ進んだことにならない」

 

ガルドは少し笑った。

 

「その考え方は好きだ」

 

レオンが黒蘭を見る。

 

「だが、討伐数が少なすぎるという声もある」

 

「必要なかった」

 

「だろうな」

 

レオンは地図の赤い線を見る。

 

「この大型個体は?」

 

「姿は見ていない」

 

「見ていないのに危険域指定か」

 

「ああ」

 

「理由は」

 

黒蘭は答えた。

 

「他の魔物が避けている」

 

「小型の移動が偏っている」

 

「木の爪痕が高すぎる」

 

「餌場が分かれている」

 

「こちらを見ていた気配がある」

 

レオンは黙る。

 

ガルドも黙る。

 

姿を見ず、足跡と森の変化だけで危険域を作る。

 

それは臆病ではない。

 

むしろ、迷宮をよく見ている者の判断だった。

 

レオンは言った。

 

「討伐依頼にはしない」

 

「今は調査依頼に留める」

 

黒蘭は頷く。

 

「それがいい」

 

「お前達にも行ってもらう」

 

「受ける」

 

「ただし、今回はロイヤルガードにも声をかける」

 

椿がわずかに視線を上げる。

 

黒蘭は表情を変えない。

 

「理由は」

 

「海都側の安全確認」

 

レオンは隠さず言った。

 

「そして、お前達の監視だ」

 

部屋の空気がわずかに硬くなった。

 

椿は黙っている。

 

黒蘭はすぐに答えた。

 

「妥当だ」

 

レオンの片眉が上がる。

 

「怒らないのか」

 

「怒る理由がない」

 

黒蘭は淡々と言う。

 

「俺達は海都では新参」

 

「武装している」

 

「目的も全ては話していない」

 

「なら監視は必要だ」

 

ガルドが苦笑する。

 

「自分でそれを言うか」

 

黒蘭は答えない。

 

レオンは少しだけ笑った。

 

「三日後だ」

 

「第一階層第1階深部、危険域外周調査」

 

「ロイヤルガードは同行だが、討伐はまだしない」

 

黒蘭は頷いた。

 

「分かった」

 

椿が予定を書き込む。

 

海都来訪十二日目。

 

第一階層第1階深部再調査。

 

ロイヤルガード同行。

 

大型個体、未確認。

 

討伐不可。

 

調査優先。

 

まだ、ロイヤルガードの実戦は見ていない。

 

彼らが迷宮でどう戦うのか。

 

盾をどう使うのか。

 

後衛をどう守るのか。

 

黒蘭達は知らない。

 

だからこそ、次は見る価値がある。

 

---

 

昼。

 

ギルドを出ると、リッド達がいた。

 

リッド。

 

ファラ。

 

そして新しい仲間。

 

青い髪の小柄な少女。

 

大きな帽子をかぶり、無表情に立っている。

 

黒蘭はその少女を一度見た。

 

「増えたな」

 

リッドは笑った。

 

「分かるのか!」

 

ファラが呆れる。

 

「見れば分かるでしょ」

 

少女は黒蘭をじっと見ていた。

 

まばたきが少ない。

 

黒蘭も見る。

 

数秒の沈黙。

 

先に口を開いたのは黒蘭だった。

 

「術師か」

 

少女は小さく頷く。

 

「セレネ」

 

名前だけ言って黙る。

 

ファラが補足する。

 

「ゾディアックです。今日から一緒に潜ることになりました」

 

黒蘭は頷いた。

 

「良い判断だ」

 

リッドの顔が明るくなる。

 

「お、今の褒めたか!?」

 

黒蘭はリッドを見る。

 

「生存率が上がった」

 

「褒め方が硬い!」

 

黒薔薇がいれば笑っただろう。

 

椿は三人を見る。

 

「今日はどこまで?」

 

ファラが答える。

 

「入口周辺です」

 

リッドが口を開きかける。

 

ファラが睨む。

 

リッドは言い直した。

 

「入口周辺です」

 

セレネが淡々と言う。

 

「無理なら帰る」

 

黒蘭はセレネを見る。

 

「いい」

 

リッドはまた顔を明るくした。

 

「今のは褒めたよな?」

 

セレネが言う。

 

「あなたではない」

 

「俺じゃないの!?」

 

椿が少しだけ微笑んだ。

 

「仲間が増えた時ほど、引き返す判断は早くしてください」

 

リッドは首を傾げる。

 

「強くなったのに?」

 

「はい」

 

椿はまっすぐ答えた。

 

「誰かの疲れ」

 

「誰かの怪我」

 

「誰かの魔力切れ」

 

「誰かの焦り」

 

「それらを全て抱えて戻るのが、パーティです」

 

ファラは真剣に頷いた。

 

セレネも黙って聞いていた。

 

リッドは少し考え、頷く。

 

「分かった」

 

ファラが小声で言う。

 

「本当に?」

 

「本当だって」

 

セレネが言う。

 

「観察する」

 

「信用ないな!」

 

黒蘭は歩き出す前に一言だけ残した。

 

「生きて戻れ」

 

リッドは笑った。

 

「ああ!」

 

---

 

午後。

 

黒蘭達はそれぞれ分かれて、休息日の仕事に入った。

 

薔薇は鍛冶屋で籠手の調整。

 

百合は海都内の情報収集。

 

牡丹はネイピア商会で補給品の選定。

 

黒蘭と椿は宿で報告書の整理。

 

椿は地図の写しを並べながら言った。

 

「次の探索では、ロイヤルガードの動きを見ることになりますね」

 

黒蘭は頷く。

 

「ああ」

 

「模擬戦で見たのは個人」

 

「次は部隊としての動き」

 

「はい」

 

「評価はその後だ」

 

椿は少しだけ笑った。

 

「珍しく、判断を保留されるのですね」

 

「知らないものは判断しない」

 

「黒蘭様らしいです」

 

黒蘭は地図から目を離さない。

 

「海都の戦い方には、海都の理由がある」

 

「はい」

 

「それを見ずに決めれば、見誤る」

 

この時点で、黒蘭達はまだロイヤルガードの実戦を知らない。

 

盾を構え、後衛を守り、迷宮の大型魔物と向き合う戦い方。

 

それがどれほど有効なのか。

 

あるいは、どこに弱点があるのか。

 

それはまだ、次の探索で見るべきものだった。

 

---

 

夕方。

 

リッド達三人は、予定通り早めに戻ってきた。

 

小さな傷はある。

 

だが全員歩ける。

 

リッドは少し誇らしげだった。

 

「今日はちゃんと帰ったぞ」

 

ファラが言う。

 

「当たり前」

 

セレネが言う。

 

「予定通り」

 

リッドは不満そうにする。

 

「もうちょっと褒めてもよくない?」

 

ファラは少し笑った。

 

「まあ、今日は良かった」

 

セレネも頷く。

 

「微量より上」

 

「どのくらい?」

 

「少量」

 

「少量かよ!」

 

三人は笑いながらギルドへ入った。

 

その姿を、入口近くにいた大地の記録者のガルドが見ていた。

 

「若いな」

 

近くの冒険者が言う。

 

「危なっかしいですね」

 

「だが、戻った」

 

ガルドは言った。

 

「今日はそれで十分だ」

 

---

 

夜。

 

宿。

 

黒蘭達は再び食卓を囲んでいた。

 

牡丹の作った温かい汁物。

 

薔薇は籠手を外し、満足げに椀を持つ。

 

「やっぱり休息日は飯がうまいな」

 

牡丹が微笑む。

 

「身体が休みを求めていたのでしょう」

 

「私はまだ行けたぞ」

 

「行けることと、行くべきことは違います」

 

薔薇は黒蘭を見る。

 

「お前の言い方が移ってるぞ」

 

黒蘭は答えない。

 

百合が戻ってきた。

 

「海都内に、こちらを探る動きがあります」

 

椿が顔を上げる。

 

「元老院ですか」

 

「おそらく」

 

黒蘭は頷く。

 

「当然だ」

 

薔薇が言う。

 

「また当然か」

 

「新参の武装集団が六日潜って地図を出した」

 

「探らない方がおかしい」

 

百合は少し不満そうにする。

 

「処理しますか」

 

「しない」

 

「なぜ」

 

「見せる情報を選ぶ」

 

百合は黙った。

 

処理するのではなく、利用する。

 

黒蘭の判断だった。

 

椿は地図を畳む。

 

「三日後の探索で、さらに注目されますね」

 

「ああ」

 

「ロイヤルガード同行」

 

「大型個体未確認」

 

「危険域調査」

 

黒蘭は椀を置いた。

 

「次は、海都に見せる探索になる」

 

薔薇が笑う。

 

「見世物か?」

 

「違う」

 

「では?」

 

「相互確認だ」

 

黒蘭は窓の外を見る。

 

海都の灯りが揺れている。

 

「彼らが俺達を見る」

 

「俺達も彼らを見る」

 

「迷宮も、両方を見る」

 

その言葉に、誰も返さなかった。

 

世界樹の迷宮は、まだ第一階層の第1階相当。

 

彼らはまだ入口を歩いているにすぎない。

 

だが、その入口でさえ、海都の者と黒華の者の違いを浮かび上がらせていた。

 

三日後。

 

黒華の五人は初めて、海都の盾が迷宮でどう戦うのかを見る。

 

そして海都もまた、黒華の黒が何を見て、何を選ぶのかを知ることになる。

 

第五話 了

 

 

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