「あーめんどくさ、なんだってこんな山奥に来て、掃除しなくちゃいけないんだ」
夏休み中盤、
山の最奥にある祠を掃除を任されたからである。
その祠は代々、成男の家が管理しており、成男の祖母が手入れをしていたのだが、足腰がそろそろ限界に近くなった祖母には辛いということで成男に番が回った。
成男は山にいきたくなかったが、断れる空気ではなく不承不承に引き受けるしかなかった。
「はぁ……にしても薄気味悪いところだな、早く済ませて下りよう」
成男の入った山は、地元でも一握りの人間にしか入ることの許されない禁足地である。幼い頃より入るなと厳しく躾をされてきた成男は子供の頃は理解できなかったが、今日初めて山に入ってその理由が分かった。
山の入り口である鳥居をくぐった瞬間に、言葉にできない奇妙な気持ち悪さを感じ取り、本能が危険を示す警告を発した。
成男の心は山を下りて家に帰りたい気持ちでいっぱいだ。
しばらく山道を歩いて、ついに終点にたどり着く。
鬱蒼とした森の中にポッカリと開けた場所、その中央には石が積み上げてその頂上に狐を象った粗末な石像を乗っけた祠がある。
「さっさと掃除するか」
成男は早く山を下りたくて、参拝作法もそこそこに掃除に取り掛かった。
祠の近くの落ち葉を持ち込んだ箒で取り除き、祠の石に生えてきた苔を取り去る。
「で、最後に石像を水で清めるんだっけか」
頂上に座す狐の石像。
体高およそ三十センチほどのそれに成男は手を伸ばした。
その時である、足元の苔で成男は足を滑らせた。
バランスを崩した成男は積み上げられた祠の石に凭れるような格好になり、石は簡単に崩れた。そして、頂上にあった狐の石像が地面に転がる岩に叩きつけられ、首のところで折れてしまった。
その直後、前触れなく強い風が吹き、木々を激しく揺らす。
成男の顔から血の気が引いていき、身体を震わせた。
得体のしれない恐怖を感じていた。
「やばい、やばいやばい……! どうしようどうしようどうしよう……!」
半ばパニックになりながら、成男は山道を引き返す。
家に帰って、祖母に相談──いや、このことを言ってしまったらもっと恐ろしいことになる。
成男は必死に言い訳を考えながら山道を歩いていった。やがて、山の出入り口である鳥居が見えて、少し安堵した。
「おや、君……あの祠、壊したんだね」
鳥居をくぐった直後、不意にそんな言葉を浴びせられて、成男は心臓を掴まれたような気持ちになった。
猫のように横を向くと、鳥居の近くにある岩に中年の男が座っている。
糸目で無精髭、紺色の着流し姿で手には煙管──なんとも胡散臭い。
成男は無視して通り過ぎようとした。
ところが男の次の言葉に足を止めざるおえなくなる。
「君の体、狐の呪力が入り込んでるからそのままだと死ぬよ」
死ぬ。
唐突に宣告された、最悪の未来。
普段の成男なら鼻で笑って真に受けなかっただろうが、今回ばかりは不思議と腑に落ちた。
「ど、どうすれば……いいんですか?」
泣きそうな声で成男は男に縋った。
男は煙管を吸って、紫煙を吐いた。
「ついてきなさい」
男はそう言うと、岩から立ち上がって、歩き出した。
成男は不安げにその後を追う。
やがて、男と成男は林のなかに隠すように建てられた掘っ立て小屋に着いた。
こんな所に小屋なんてあったのかと、今まで気づかなかった成男は首を傾げた。
「入りなさい」
男に言われるがまま、成男は掘っ立て小屋に入った。
小屋のなかには何もない。
成男は男に床に座るように指示された。
指示通りに座ると、男は言った。
「今から一時間、手を合わせてひたすら狐様に謝罪をするんだ。そうすれば狐様は怒りを鎮めて呪力を抜いてくれるだろう」
そう言って、男は小屋の戸を閉めていく。
閉まり切る直前に「いいかい、必ず謝り通すんだよ」と念押しするように言った。
成男は手を合わせて、祠を壊したことへの謝罪を念じた。
目を閉じて、何度も何度も謝罪を繰り返す。
そうしていると、だんだんと眠気がやってきて、成男は船を漕ぎはじめた。
寝てはいけないと、本能が警告する。
けれども、成男はとうとう意識を手放してしまった。
目を覚ました時、ちょうど男が小屋に戻ってきた。
戸を開けて成男を見た男は、自分の額に手のひらを当ててため息を吐く。
「残念ながら失敗だ。君の体に狐様の呪力が定着してしまった」
成男はその言葉に完全に目が覚める。はっきりとしたの脳が体の異常を知覚する。
服を押し上げる豊かな乳房、柔らかな細い腰、丸みを帯びた臀部、男性器の喪失。そして、頭から生えた狐耳と腰の後ろのふさふさの尻尾。
「なんで、こんな……う、ああ……っ!」
明らかに人間の身体ではなくなってしまったことを自覚して、成男は泣き出してしまった。後悔と絶望が心のなかで渦巻く。
そんな成男に男は希望の言葉を言った。
「大丈夫、まだ方法はある」
その言葉に顔を上げる成男。
ここから挽回できる可能性がある。成男にはもはや男に縋る以外の選択肢はなかった。
「お願いします……助けて……」
男は頷くと、小屋に入って戸を閉める。
「服をすべて脱ぎなさい。定着した呪力を吐き出させるから」
そう言って、男は懐からざらざらとした革手袋を取り出して両手に嵌めた。
成男は男の指示に迷うことなく従う。
変化したとはいえ、自分の体。
見ず知らずの男に裸を見せることへの羞恥心はあったが、四の五の言っている暇はない。
裸になった成男は男の指示で床に横になる。
これからされることに不安がないわけではなかったが、今は傍らに座り込んだ男を信じるしかなかった。
数時間後、成男は自分の体から出た体液の水たまりの中で痙攣していた。顔は朝と涙と涎でぐちゃぐちゃで、呼吸は荒く、心臓はうるさいくらい鼓動している。
その傍ら、男は小さく首を振った。
「ダメだな、呪力がかなり深く根付いている。それに、呪力が抜けきる前に君の男の精が抜けてしまった。これでは元に戻せない」
「そん、な……」
それは成男を絶望の谷底に突き落とす言葉だった。
光のない瞳から涙が溢れ、嗚咽する。
絶望する成男に男は言った。
「まだだ。失った男の精を他から補填すれば、元に戻れる」
「ほてん……?」
「そうだ。他の男から精を取り込むんだ」
男の言葉は成男の希望に思えた。
まだ元に戻るための手は残されている。
「どうすれは……?」
「それを今から教えよう。ただ、僕はもう歳をとっていて枯れかけだ。できても一回ぐらいだろう。でも君の体は一回では足りないだろう。だから、次からは若い男から貰いなさい」
そう言った後、男は腰の帯を解き始めた。
数年後、青ざめた顔で山を駆け下りる少年がいた。
少年は大人達の言うことを聞かずに入ってはいけない山に入って遊んでいた。そして、意味ありげに積まれた石を崩してしまい、得体の恐怖を感じて逃げ出した。
山の出入り口である鳥居をくぐり抜けようとした時、女の声が少年の耳に入る。
「君、呪われちゃってるね。そのままだと死んじゃうよ」
足を止めて少年が声のした方を見ると、岩に腰掛ける女がいた。
白い着物を着た金髪の女。
整った顔立ち、着物越しでも分かる肉欲を煽る身体、何より少年の目を引いたのは、ピンと立つ一対の獣耳と髪と同じ金色の尻尾だった。
明らかに人間ではない。しかし、その女の言葉に少年は猜疑心を持てなかった。
「た、助けて、おねえさん!」
縋るように少年は女に駆け寄る。女はくすりと笑みを浮かべて、岩から立ち上がった。
「いいよ、ついてきて」
女は少年に手を差し出した。白く細い、きれいな手。少年は迷うことなくその手を握り、女と山の中へと入っていく。その先には掘っ立て小屋があって、それから何をしたのか少年の記憶から消えていた。
少年はいつごろからか、鳥居の近くで倒れており、ひどく衰弱していたが命に別条はなかった。
ただし、少年は子供を作る機能を失っていたという。
私もこの山に入りたい……。