もう終わりだよこの国 作:呉風摂
今は昔、
孤塁賈は気性が激しく短気であるが、同時に仲間を常に想う義侠心に溢れた青年である。その性分から、仲間の姿を放っておくことができず──近づいた彼の視界に留まったその男の傍にあるものを見て、目を開き驚愕した。
仲間が傍に置いていたものは、遠く離れた神山に置かれている筈の
孤塁賈は激怒し、詰め寄った。
「貴様、なぜ堰を外した!?」
「外れていたんだ.....俺が外した訳じゃない」
「そのような無稽を、誰が信じるというのだ?あの堰は我らの御先祖様が大
「同輩、そのようなことを俺が知らぬと思うか?我が封魔の一族はこの任を過去五百年に渡り守り続けてきた。俺が見た時には既に堰は開けられていて.......」
「なっ.......」
孤塁賈は激怒し、そして唖然とした。
元より天の雨風のように激しい彼の気性を表すかのようにコロコロと表情を変えていく。赤くなったかと思えば青くなり、やがて土のような色へ。それを見た仲間は、目元を押さえてがっくりと項垂れる。
「同輩、俺も同じ気持ちだ。かつて
「で、では.......先の大陸大乱が再び起こると?」
男は首を縦に振ることはしなかったが、同時に否定することもしなかった。誰が堰を外したのか、何の目的で魔星を解き放ったのか、何一つ分からないまま時間だけが過ぎていく。孤塁賈が老いて朽ち果てるその時もそれは変わらず。一時は世間を震わせたその報せも、やがて時間が経てば人々の記憶から薄れゆく。
そして、更に五百年の時が流れたある日の夜空。
天に瞬く星々が、雨粒のように空を流れる姿が大禀の人々の目に映った。誰が呼んだか「流星群」と呼ばれたこの現象は、その後三日続いて空に光を灯した。ある人は吉兆と呼び、ある人は凶兆と呼ぶ。しかし既に伝説の存在となった百八の星々が地に降り立った瞬間とは、誰も想像すらしなかったのだろう。流星の最後の夜、ある高貴な婦女の
名を
この世のあらゆる黄金に愛されたその星が人に姿を変え、世に生まれ落ちようとしていた。
目を、パチリと覚ます。
十一月の中頃、冬の寒さが肌に染みる頃合いだ。
いつも口煩く、こんな季節に無理に俺を起こそうとする側使えもいないようだし、と。
「適当に起きればいいか......」
おやすみ。
藍色の髪を束ねた青年が、羊毛でできたふわふわとした布を被ってもう一眠りしようとしたその瞬間、ごん!と頭を誰かに蹴飛ばされる感覚がふいに青年の後頭部を襲った。
「ぐべえぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「いい訳ないでしょうが、この馬鹿子孫!!!男児たるもの厳冬に瀕しても常に鍛錬すべしよ!いい?万が一
「な、だ、誰だ!?誰に向かってこんな狼藉を働いてる!?ふざけるな、俺は周家の公子だぞ!絶対ぶち殺して......あ」
「へえ、いい度胸じゃん?ま、ぶち殺されるのはあたしじゃなくてアンタだけどね」
「すみません嘘です二度と逆らいません。
青年は五体投地して頭を垂れる。
それを見たババ.....もとい、幼女の姿をした彼の祖先の霊、
「ふふん。分かればいいのよ、愚孫。あたしがあんたぐらいの時は山にこもって熊殺して喰ってやったわ。いい?あんたもその気概でやりなさい。どれ、久々に稽古でも付けてあげましょうか」
「い、いやあ?麗春様は棒術の名手じゃないですか。遠慮しますよ。俺はほら、槍術と飛刀以外はからきしですし......い、いや。そもそも周家は文官の家なんだから武芸なんて最低限で.......」
「は?このカス、なっさけない事言ってんじゃないわよ。そんな調子で他家の精鋭に負けたらどうするって訳?いくらあんたが周家では並ぶことのない実力だからって、世界にはまだまだ上がいるの。油断してたらすぐ足元掬われるんだからっ」
麗春の甲高い声が響く。
生前、この世のものとは思えないほどの美しさを持つ大陸一の美姫と称された彼女も死後
かれこれ千年ほどだろうか?
もはや彼女の生きし時を覚えているのは古びた書簡の一部のみ。何代もの子孫が生まれ滅びる中、入廟して神霊と成ることもせず傍若無人に子孫と戯れていた。
「い、いつもそう言って気絶するまで殴るじゃないですかぁ!」
「愚孫、アンタが点鋼槍と飛刀の名手として都に名を馳せたのは誰のおかげ?あたしが何年もつきっきりになって稽古してあげたからでしょ?あの、憎ったらしい
「........は、はい」
冗談じゃない、と。
周家の公子
確かに、藍錦とてそこらの雑輩に遅れをとるつもりはない。多少腕に自信のある程度の者ならかすり傷一つ負わずに倒せる。倒せるが、それでも絶対に敵わないと思う相手は何人もいた。
目の前の祖霊麗春は言うに及ばず。先程挙げた司馬家の「双子の剣士」や馮家の「女仙」に、自分が勝てる図がまるで思い浮かばない。いや、そもそもの話。同門の年の離れた庶子兄にすらまるで及ぶべくもない。だいたい、この祖霊は自分の実力を過大評価しすぎなのだ。なんだかんだ藍錦を可愛がる彼女は実力以上のものを自分に見出す。
かつて庶子兄に刻まれかけた記憶が蘇る。
藍錦は思わず身震いした。唯一の兄は父が妾との間に作った子供で、文官気質な周家では異質なことに、あらゆる武芸に秀でていた。中でも特に優れていたのは直刀の扱いで、巷では「剣聖」に数えられるかどうかという瀬戸際まで来ていたらしい。彼は文芸にも優れていたから、もし正室の息子であれば間違いなく嫡子の座は兄に奪われていただろう。
あの無機質な虫を見るような目を合わせるだけで恐ろしい。道場で手合わせをする際は、刀よりもまずあの目に怯えていたものだ。
幸いなことに、彼は数年前にとある名家の令嬢と駆け落ちして周家とは半ば絶縁状態になったので、今は顔を合わせる心配をする必要はないが。
問題があるとすれば、むしろ過去より未来にある。
五家盟武祭。
周家、司馬家、
藍錦も過去一度だけ出たことはある。
その時、王家の公子を下した際は家の者から大いに喜ばれたものだ。もっともその後、双子剣士の片割れにこれでもかというほど刻まれたゆえに、彼に良い思い出は残らなかったが。
「次回は
「ひぃぃぃ...,.....」
こうして、藍錦の平穏な一日は破壊され、その日はひたすら
.......中庭に倒れ、顔が腫れ上がった藍錦が運ばれていくのも、またいつものことだった。