ああ、これは、何という罰なのでしょう。
俺の指は、雷槍の引き金にかかったまま、石のように凍りついてしまいました。
目の前の光景を、俺の頭は、頑なに、これは現実ではない、何かの間違いだと、叫び続けています。
うなじから現れた、あの黒髪の女は、まさしく、あの食堂で、ただ一人、俺の糸引き豆を美味いと言ってくれた、あのピークだった。
あの、気だるげな目が、今はただ、ひどく残酷な真実を映す鏡のように、俺を見つめています。
「やあ」
彼女の声は、あの露店で交わしたのと、寸分も変わらぬ穏やかさでした。
それが、かえって俺の心を、無数の刃で切り刻む。
そうか。そういうことだったのか。彼女が壁外の危険を知っていたのも、あの時、俺の出征を、声を潛めて止めようとしたのも。
全部、そういうことだったのだ。
俺の胸の内で、何かが、音を立てて崩れ去っていくのが分かります。
怒りよりも先に、悲しみよりも先に、ただ、圧倒的な虚無が、俺の全てを覆い尽くそうとしていました。
こんな時に、本当に、俺は情けない。頭が真っ白になった俺の脳裏に浮かんだのは、こんな、戦場とは何の関わりもない、小さな、小さな思い出ばかりなのです。
ああ、これが、その答えだというのか。
ピークは、エレンと同じように巨人へと。
その背中は、あの露店で別れた時と、同じくらい小さく見えた。
彼女は、俺が撃てないと、そう読んだのだ。俺の、このどうしようもない甘さと、彼女への友情が、俺の引き金を引く指を止めると、最初から知っていたのです。
利用されたのだ。あの共感も、あの忠告も、全ては、この瞬間のための。
「ごめんね」
遠ざかる彼女の声が、風に乗って、そう聞こえた気がした。
「正直に言えば、あなたには正体は知られたくなかったよ」
俺は、ただ立ち尽くすしかなかった。
敵だった。
それでも、俺にとっては、あの、暗い食堂でたった一人、俺の隣で笑ってくれた、大切な、大切な思い出をくれた人だったのです。
巨人は、憎むべき敵だと分かっている。敵ならば、倒さないといけない。
けれど、そんな君から貰ったのは、俺にとっては、あまりにも大切過ぎる思い出だったんだよ。
戦場の土煙が、すべてを灰色に染め上げていきます。
俺は、この日、人間を信じるということが、どういうことなのかを、骨の髄まで思い知らされたのでした。
それは、地獄への片道切符を、自ら喜んで受け取るような、愚かで、そして、どうしようもなく美しい行為なのだと。
ああ、ピーク。君は、ずるい。君はいつだってそうだ。俺が一番、言ってほしくない言葉を、一番、優しい声で告げる。君は、俺が君を撃てないと、そう確信していたのだろう。この、どうしようもない俺の甘さを、君への友情を、利用したのだ。それは、卑怯だと、そう叫ぶこともできた。けれども、それをさせたのは、他ならぬ俺自身だ。戦場で、敵に情けをかけた、この俺の弱さが、全ての元凶なのだ。
俺たちは、あの食堂で、ただの一度、同じ食べ物を美味いと笑い合った。たったそれだけのことが、今の俺には、この世の何よりも重い。敵ならば、倒さなければならない。憎むべき巨人の本体だ。頭では、そう理解している。それでも、彼女から貰ったあの思い出は、俺にとっては、あまりにも大切で、あまりにも馬鹿げた、かけがえのない真実だったのだ。
土煙が、すべてを灰色に染め上げていく。戦場の喧騒が、遠くで谺している。俺はようやく、雷槍を下ろした。この手で、彼女を討つことは、やはり、俺にはできなかった。俺は、人間失格だ。兵士として、失格だ。それでも、これが、俺という人間の、偽らざる全てなのだ。
ただ、一さいは過ぎて行きます。この戦いも、この痛みも、そして、このどうしようもない後悔も。俺は、この日、人を信じるということが、地獄への片道切符だと知った。しかし、それと同時に、その切符を自ら手放せなかった愚かさこそが、俺の、人間としての最後の証なのかもしれないとも、そう思ったのです。