マーレの軍艦が、空から落ちてきた。いや違う。エレンが、巨人の力で、その巨体を掴み、地上へと引きずり下ろしたのだ。轟音とともに地面が揺れ舞い上がる土煙が視界を覆う。俺は雷槍を構えたままその光景を呆然と見つめていた。戦いはまだ終わっていない。マーレは再びパラディ島へ攻め込んできたのだ。ならば俺の役目は決まっている。敵の戦力を削ぎ仲間を守る。ただそれだけだ。
捕虜となったマーレ兵たちが次々と軍艦から引きずり出されていく。俺はその一人ひとりの顔を無意識に探している自分に気づいた。黒髪の女はいないか。眠たげな目の細身の女はいないか。心臓がうるさいほど脈打っている。会いたくないのか会いたいのかそれすらも分からない。
一通り捕虜の確認が終わった後俺は小さく息を吐いた。彼女はいない。車力の巨人はこの船には乗っていなかったのだ。戦わなくて済んだ。またあの時のように彼女を撃つかどうかで苦しまなくて済む。それに彼女が無事だということも分かった。そう胸の奥でほっとしている自分がいる。
だが同時にもう一人の俺がこんなことを考えていた。会えなかった。彼女は今どこで何をしているのだろうか。あの日シガンシナ区で別れてからもう一年が経つ。海を見た時も水平線の向こうに彼女を想った。今もまだ俺は彼女のことを忘れられずにいる。
「ジョーどうした」
ジャンが怪訝そうな顔で俺を覗き込む。俺は慌てて首を振り「なんでもない」と答えた。胸の棘はまだ抜けちゃいない。それどころかこの再会できなかった事実がその棘をさらに深く突き立てているような気さえした。
戦いはまだこれからだ。エレンは何か恐ろしいことを考えている。俺はその時までに自分の気持ちに決着をつけなければならない。ピーク。俺は君とまた会うことになるのだろうか。その時俺は君を撃たずに済むのだろうか。
潮風が、まだ戦いの熱を帯びた軍艦の残骸を撫でていく。俺は捕虜たちが連行されていくのを、ただ呆然と見つめていた。彼女はいない。それでいいはずなのに、胸の奥の棘は、ちっとも抜けてはくれなかった。
「ジョー」
不意に、静かな声が背後からかかった。振り返ると、アルミンが立っている。彼は、いつものように、何もかもを見透かしたような、優しい目をしていた。そして、その目は、俺が先ほどまで、捕虜の顔を一人ひとり、必死に探していたことも、きっと見抜いているのだろう。
「さっき、マーレの捕虜の中に、知ってる顔がいないか探してたよね」
アルミンは、躊躇いがちに、しかし確信を持ってそう言った。
俺は、観念して頷くしかなかった。この男に隠し事はできない。
「ああ。でも、いなかった」
俺は、自嘲気味に笑う。
「戦わなくて済んだって、安心してる自分がいる。でも、それと同じくらい、会えなかったことに、がっかりしてる自分もいるんだ」
アルミンは、少しだけ黙り込み、それから、まるで独り言のように、言葉を紡ぎ始めた。
「ジョー、君はさ、彼女と戦いたくないんだよね」
「…当たり前だ」
俺は、拳を握り締める。
「でも、それはただの甘えだ。敵なんだ。向こうは俺たちを殺しに来る。それなのに、戦いたくないなんて、兵士として最低だ」
「そうかな」
アルミンの声は、波の音よりも静かで、それでいて、妙に説得力があった。
「僕はね、もしかしたら、彼女と戦わない道もあるかもしれないって、そう思ってるんだ」
俺は、驚いて顔を上げた。アルミンは、真っ直ぐに水平線の彼方を見つめている。
「壁の外には、敵だけじゃない。僕たちを悪魔だと思い込まされて育った、普通の人たちがいる。だから、話し合う余地は、きっとある。時間はかかるかもしれないけど、理解し合うことだって、不可能じゃないはずだ」
「それは…」
俺は、言葉に詰まった。甘い幻想だ、と頭のどこかで叫ぶ声がする。あの日、ピークは俺の動揺を利用して、何のためらいもなく逃げた。彼女は、生き残るためなら、俺の友情さえも利用する。そういう相手なのだ。それなのに。
(それでも、もし、本当に、そんな道があるなら)
俺は、アルミンのその言葉を、どうしようもなく、信じてみたかった。それは、海の向こうの敵地で、たった一人、俺の糸引き豆を美味いと言ってくれた女と、もう一度、笑い合いたいという、ただの未練に過ぎなかったのかもしれない。だが、その未練こそが、今の俺を突き動かしている、唯一の力だったのだ。
「…実現するなら、それに越したことはないな」
俺は、ようやくそれだけを言った。
アルミンは、俺のその言葉に、静かに、しかし確かに、微笑み返してくれた。まだ、何も決まってはいない。道は、どこまでも険しい。それでも、この小さな希望が、胸の棘を、ほんの少しだけ、和らげてくれたような気がした。