マーレに来てからというもの、俺は街だけではなく、その外側にも目を向けるようになっていた。
華やかな市場や、整備された石畳の道。
その陰に隠れるようにして、粗末なテントが立ち並ぶ区画がある。
そこには、マーレとの戦争に敗れた国々の民が住まわされていた。
敗戦国から連れて来られた者たち。
故郷を奪われ、言葉も通じぬ土地で、日々の糧を得るために働く者たち。
彼らの目には、生気がなく、ただ、与えられた僅かな居場所で、身を寄せ合うようにして生きている。
(これが、壁の外の現実か)
俺は、テントの群れを見渡しながら、ゆっくりと歩いていた。
頭の中では、理解が、静かに進んでいく。
マーレ人は、エルディア人を差別する。
それは、俺たちが「悪魔の末裔」だからだ。
だが、差別は、それだけじゃない。
マーレは、他の国も、武力でねじ伏せ、その民を、こうして、使い捨てにしている。
(敵は、エルディア人だけじゃない。マーレは、世界そのものを、食い物にしているんだ)
俺は、足を止め、遠くに見える、巨大な収容区の壁を見上げた。
あの中に、エルディア人が押し込められている。
ピークも、元は、ああいう場所で生まれ育ったのだろうか。
名誉マーレ人として、戦士とならなければ、人間として扱われない世界。
彼女は、そこで、何を思い、何を犠牲にして、戦場に立ったのだろう。
俺は、拳を握り締めた。
怒りが、湧かないわけじゃない。
だが、それ以上に、深い悲しみが、胸の奥を覆っていた。
憎しみが、憎しみを生む。
差別が、新たな差別を生む。
この連鎖を断ち切らなければ、俺たちは、永遠に、殺し合いを続けることになる。
アルミンの言う「戦わない道」は、きっと、この、どうしようもない理不尽の、ずっと先にあるんだろうな。
俺は、冷たい風に吹かれながら、静かに、前を見据えた。
やるべきことは、山ほどある。
そのために、俺は、ここに来たのだから。
「どう思う? 壁の外の景色を」
不意に背後から声をかけられ俺は肩をびくりと震わせた。
振り返るとそこにはエレンが立っていた。
彼は相変わらずの無表情でただじっと俺を見つめている。
その瞳の奥には海辺で話した時と同じ昏い光が揺らめいていた。
「…どうって」
「素直な感想でいいんだ。お前が今見ているものをどう思うか」
エレンは促すようにそう言った。
俺は視線を再びマーレの街へと戻す。
石造りの建物を走る鉄の箱。
市場に並ぶ見たこともない食材。
華やかな服を着て笑う人々。
「正直に言うと…大して変わらないな」
俺はそう口にした。
エレンが少しだけ眉を動かす。
「技術も文明も違う。確かにすごいとは思う。でも結局やってることは一緒だ。朝起きて飯を食って仕事をして夜寝る。ただそれだけだ」
俺は歩道の向こうで果物を売る店主と客のやり取りを眺める。
値切り交渉をする客と困り顔の店主。
それは壁の中の市場と何ら変わりがない。
「人間の中身は何も変わっちゃいない。だからこそ憎み合うんだろ。生きる場所が違うだけで俺たちは殺し合う」
俺の言葉にエレンは短く鼻で笑った。
それは自嘲のようにも聞こえた。
「そうだな。結局は同じだ。壁の中も外も人間は人間だ。それが答えか」
「答えじゃないだろ」
俺は即座に否定した。
「同じ人間だからこそ分かり合えるはずだ。技術が違うだけで根本が同じなら話は通じるはずだ」
「通じるか? お前のその大事な人間とは?」
エレンの鋭い指摘に俺は一瞬言葉に詰まった。
ピークの顔が脳裏をよぎる。
彼女は俺と同じものを食い同じ言葉を話した。
それでも彼女は敵だった。
「…分からない。でも諦めたわけじゃない」
「そうか」
エレンはそれ以上何も言わなかった。
ただ遠くを見つめたまま微かに口元を歪める。
その表情はあまりにも遠くて俺にはもう何も言えなかった。
俺たちはただ並んで壁の外の街並みを黙って見つめ続けることしかできなかったのである。