レベリオの街は硝煙と悲鳴に包まれていた。
俺は瓦礫の陰から飛び出し瓦礫の上を滑るように走る。
視界の端でマーレ兵が銃を構えるのが見えた。
俺は一瞬で狙いを定め引き金を引く。
銃弾は彼らの眉間ではなく銃そのものを砕きまたあるいは膝を撃ち抜いて戦意を喪失させる。
殺さない。
それが俺たちが誓ったことだ。
無駄な血は流さない。
「おい何してる! 敵だろ!」
近くの兵士が倒れたマーレ兵にとどめを刺そうと剣を振り上げる。
俺は無意識に地面を蹴りその兵士の腹に強烈な蹴りを入れた。
「ぐはっ…!」
兵士は呻き声を上げて数メートル吹き飛ぶ。
俺は倒れた兵士の上に馬乗りになり冷ややかに見下ろした。
「動くな。そいつはもう戦えない」
「離せ! こいつらは悪魔だぞ!」
「悪魔はお前だ。民間人も同然の敵を殺して何が楽しい」
俺は短く言い放つと立ち上がり再び銃を構えた。
街のあちこちで爆発が起き火の手が上がっている。
エレンはもう始めてしまったのだ。
多くの命を奪いながら。
俺は唇を噛み締め次の標的を探す。
その時だった。
瓦礫の向こうから異様な気配が漂ってきたのは。
四足歩行の巨体が土煙を上げて現れる。
車力の巨人。
俺は息を呑んだ。
あの独特なシルエットは忘れようもない。
シガンシナ区で俺の雷槍を受け止めそして俺の心を引き裂いていった相手。
ピーク。
彼女はまたしても俺の前に立ちはだかった。
俺は無意識のうちに銃口を彼女へと向けていた。
だが指は引き金にかかったまま凍りついたように動かない。
殺せない。
そう分かっていても彼女の姿を見るだけで胸が軋む。
「…来るのか」
俺は静かに問いかけた。
巨人は答えない。
ただその巨大な瞳が俺をじっと見下ろしているだけだ。
その瞳の奥にあの眠たげな光が見えた気がした。
俺たちは敵同士だ。
それでも俺は彼女を撃てない。
この矛盾した感情だけが戦場の喧騒の中であまりにも残酷に響いていた。
車力の巨人がゆっくりとその巨体を起こした。
土煙の向こうから現れたその姿は、シガンシナ区で見たあの日と何も変わっていない。
四足歩行の異形。
だがその瞳だけは、あの時と同じく妙に人間的な、落ち着いた光を湛えていた。
「久しぶりだね、ジョー」
ピークの声は、巨人の口を通してもなお、あの気だるげで柔らかな響きを保っていた。
俺は銃口を下ろさず、ただその瞳を見つめ返した。
「ああ、久しぶりだ。ピ…車力」
言いかけて俺は口を閉ざした。
彼女の名前を呼ぶのは、敵地で、剣を交えるこの場所ではあまりに場違いだったからだ。
ピークは、そんな俺の動揺を楽しんでいるかのように、ふわりと瞳を細めた。
「相変わらずだね。兵士は撃つのに、民間人は殺さない。そこ、変わってないのが分かってちょっと安心したよ」
彼女の言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。
彼女は見ていたのだ。
俺がマーレ兵の武器を撃ち抜き、戦意を喪失させていることを。
そして、仲間が市民に手を出そうとした時、それを無理やり止めたことを。
「…勘違いするな。これは俺たちの誓いだ。無駄な血は流さない。それだけだ」
俺は銃を構え直し、狙いを定めたまま答えた。
ピークは、小さく鼻で笑ったようだった。
「誓いか。兵士にあるまじき甘さだね。でも、それが君らしいや」
「君らしいって、どういう意味だ」
「あの食堂で、君が糸引き豆を好きだと言った時と同じ目をしてる。自分の信じる味を、誰にも曲げさせない。そんな目」
その言葉に、俺の心臓がドクリと跳ねた。
彼女はまだ覚えていたのだ。
あの薄暗い店先で、他愛もない話をしたことを。
「…君こそ、変わらないな。こんな時まで軽口を叩けるなんて」
「軽口じゃないよ。事実を言っただけ。それに、死ぬ前に笑えるならその方がいいでしょ」
ピークの言葉は、いつだって理屈っぽくて、それでいてどこか温かかった。
だが、俺たちは敵だ。
彼女の足元からは蒸気が立ち上り、いつでも飛びかかれる体勢がとられている。
俺の指も、引き金にかけられたままだ。
いつでも撃てる。
いつでも避けられる。
その緊張感が、二人の間に見えない糸のように張り詰めていた。
「…君は、俺を殺しに来たのか」
俺が問うと、ピークは困ったように首を傾げた。
「任務だからね。でも、できればやりたくないな。君の豆、私もまだ好きだし」
「なら、退けてくれ。俺は君を撃ちたくない。でも、仲間を守るためなら撃つ」
「分かってる。だからこそ、こうして向き合ってるんだよ」
俺たちは静かに笑った。
まるでまたあの食堂で、黒パンをちぎり合っているかのような、不思議な静けさだった。
だが、その静けさは、嵐の前の凪いだよりも同然だった。
次の瞬間、どちらが動くか。
その時が来るまで、俺たちはただ、互いの瞳を見つめ合い続けることしかできなかったのである。