糸引く記憶と雷槍の先   作:ボルメテウスさん

29 / 29
迫る地鳴り

飛行船の床板が、不規則に震えている。

エンジン音は低く唸りを上げ、船体を揺らす風の音が壁の向こうで遠吠えのように響いていた。

俺は通路の隅に背を預け、冷えた壁にもたれかかり、ただぼんやりと天井を見つめている。

 

さっきまで子供たちと話していた。

ガビ、ファルコ。まだ幼さの残る顔で、それでもはっきりと敵意と誇りと、そして恐怖を、その目に宿していた。

あの子供たちを、これからどうするのか。尋問か、拘束か。

いや、そもそも――これから、俺たちは、何をしでかすつもりなのだ。

 

頭の中で、あの言葉が繰り返し木霊する。

「地鳴らし」。

 

壁の中の巨人を解き放ち、壁の外のすべてを、踏み潰す。

それは、エレンが掲げた「自由」の、あまりにも巨大で、あまりにも残酷な代償だった。

レベリオでの襲撃は、その始まりに過ぎない。

エレンはもう、止まれないところまで行ってしまった。

そして、俺たちもまた、その流れに、飲み込まれようとしている。

 

「……俺は、何を守りたいんだ」

 

声に出してみても、答えはない。

ただ震える船体の響きだけが、まるで俺の心臓のように、不気味に脈打っている。

 

マーレの街で見た、家族の笑顔。市場に並ぶ色鮮やかな果物。

壁の中と、何も変わらない、ただの人間の暮らし。

それを、あの巨人たちが踏み潰すのか。

俺たちが、それを命令し、援護し、あるいはただ黙って、見ているのか。

 

ピークの顔が、脳裏をかすめる。

あの、眠そうな目をした女。

俺の好物を、「美味しい」と笑ってくれた。

敵だと分かっていても、引き金を引けなかった。

彼女もまた、あの子供たちも、俺たちが今から殺そうとしている「壁の外の人間」だ。

 

「……守れるのか、こんなことをして」

 

膝の上に置いた拳を、じわりと汗が濡らす。

戦場で敵を撃つことと、これは、違う。

これは、戦争ではない。

これは――もはや、絶滅ではないのか。

 

「ジョー、お前、まだ起きてたのか」

 

声がして、顔を上げる。

ジャンが、疲れ切った顔で、水筒を差し出していた。

俺は小さく首を振り、壁に頭を預ける。

今はまだ、誰とも、話せる気がしなかった。これから起きることを思うと、自分の心の整理すらつかない。ただ、暗い空を進むこの船の振動だけが、現実の重みを、骨の髄まで伝えてきていた。

 

飛行船の窓から、ただ広大な雲海を見つめることしかできなかった。

あの壁が動き出せば、全てが終わる。

マーレも、その向こうの国々も、何もかもが巨大な足の下で跡形もなく消し飛ぶのだ。

それは、かつて俺たちが恐れた巨人の恐怖そのものだ。ただ、その規模が桁違いなだけ。

俺は窓枠を握りしめた。指先が白くなるほどに。

「…地鳴らし」

その言葉が、呪いのように頭の中で反響している。

エレンはやる気だ。あの地下室で見せた昏い瞳のまま、世界中を敵に回してでも、自分の望む自由を手に入れるつもりなのだ。

だけど、それはあんまりだ。

さっき、船倉の隅で縛られていたガビとファルコの顔を思い出す。

ガビは俺を睨みつけていた。「悪魔」だと叫んで。

ファルコはただ悲しそうな目で、この船が向かう先を見つめていた。

彼らは、マーレに生まれ、マーレで育った。あの収容区のテントで、不自由な暮らしを強いられながらも、必死に生きていたのだ。

その場所が、あの二人が帰るべき場所が、踏み潰されて消える。

俺が好きだと言った、あの糸引き豆の匂いが染み付いた食堂も。

ピークと出会ったあの寂れた店先も。

全てが、瓦礫の山となり、二度と戻らない。

 

「ピーク…」

俺の口から、無意識にその名が漏れた。

彼女は何を思うだろうか。

自分が命を懸けて守ろうとした国が、仲間が、全て無になるのを。

彼女はあの時、車力の巨人の背で俺に言った。

『私たちは、戦う意味がないと無駄になる』と。

ならば、今俺たちが向かっている先にあるのは、意味のない破壊なのか。

俺は、それを黙って見ているだけなのか。

拳を強く握る。

嫌だ。

俺は、ただ生き残りたかっただけじゃない。

生き残ったからこそ、出来ることがあるんだ。

それは、敵を殺すことだけじゃないはずだ。

守ること。

そして、止めること。

 

「おい、ジョー」

背後から、ジャンの声がした。

振り返ると、彼もまた疲れた顔で立っていた。

「サシャの怪我、致命傷じゃなくてよかったな」

「ああ…」

俺は短く答える。

「でも、次はねぇぞ。あのガキ、本気で殺しに来てた」

「…分かってる」

ジャンは、俺の横に立ち、同じように窓の外を見た。

「俺たち、どうするんだ? このままエレンのところへ行けば、地鳴らしを止めることになる。そうなれば、エレンと…戦うことになるぞ」

その言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

世界一悪い子と監視役(作者:クリ坊)(原作:進撃の巨人)

ウォールシーナ内の北側、レイス卿が所有する牧場。そこには、世界から存在を拒絶された一人の少女がいた。▼十歳の少年アルフレッドに与えられた仕事は、その少女――ヒストリアの行動を逐一ノートに書き留め、報告すること。▼「監視役」と「監視対象」。▼それが、二人の歪な関係の始まりだった。▼石を投げられ、誰からも望まれず、ただ空想の物語に逃避するだけの少女。▼そんな彼女…


総合評価:937/評価:9.03/連載:25話/更新日時:2026年05月25日(月) 20:17 小説情報

シューターのヒーローアカデミア(作者:なかりょた)(原作:僕のヒーローアカデミア)

ハイスぺの体と個性『射手』で転生した主人公がおくる物語。なお全方位にさわやかスマイルを振りまいて、脳破壊をしていく模様。


総合評価:750/評価:6.11/連載:26話/更新日時:2026年06月08日(月) 14:43 小説情報

影なき刃(作者:洟魔)(原作:進撃の巨人)

地下街――そこは陽の光が届かず、腐臭と暴力と飢えに支配された世界。▼そこで生き抜いてきた少年ルカにとって、「生きる」とはただ盗み、ただ奪い、ただ生き残ることだけを意味していた。▼ある日、立体機動装置を偶然手に入れたルカは、独学でその操縦を身につけ、地下街の憲兵をも欺く「影」となる。▼だが、彼を追い詰めたのはただ一人――人類最強の兵士、リヴァイ。▼同じ「匂い」…


総合評価:1051/評価:8.32/連載:24話/更新日時:2026年07月09日(木) 10:00 小説情報

名前のない距離の隣で(作者:レゾリューション)(原作:ソードアート・オンライン)

GGOで銃集めにハマっている主人公とシノンの話▼


総合評価:2937/評価:8.55/完結:45話/更新日時:2026年08月07日(金) 17:24 小説情報

(作者:よく)(原作:進撃の巨人)

原作知識のある主人公がシガンシナ区に転移して、104期訓練兵になって、ライナーともだもだしたり、周囲とゆるっと関わったり、関わらなかったり、曇ったり、曇らせたり、傍観したり、殺し合ったりする話です。▼(憎悪と復讐の)森に分け入ったり、ライナーと一緒に海に行ったりします。▼※主人公がめんどくさいやつです。▼※この作品は個人サイト、ピクシブにも掲載しています。


総合評価:689/評価:9.09/連載:16話/更新日時:2026年06月14日(日) 16:10 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>