縄が食い込む手首が焼けるように痛い。
俺は路地の暗がりで、ただもがいていた。
ピークが去っていく背中を見送ることしかできなかった自分が、ひどく情けなかったからだ。
(動け。動けよ、俺)
彼女は「そのままにいて」と言った。
俺の選択を尊重するように。
俺が仲間を裏切らない人間だと信じているからこそ。
だが、それでいいのか?
彼女は今、一人で全てを背負おうとしているんじゃないのか?
地鳴らしを止めるために、命がけでこの島に潛入してきたのに。
「バカか、俺は!」
俺は拳を地面に叩きつけた。
鈍い痛みが走るが、そんなものは心の痛みに比べれば何でもない。
彼女を止めることも、守ることも、まだ何一つできていないじゃないか。
誰が決めたんだ、「動くな」なんて。
俺はお前に生きててほしいんだよ、ピーク!
そのためなら、俺は「そのまま」なんてしているわけにはいかないのだ。
その時だった。
カツン。
硬い靴音が、路地の入り口から響いたのは。
俺は顔を上げる。
逆光の中に、一人の人物が立っていた。
短い黒髪。鋭い眼光。
見間違えるはずがない。
「リコ……さん?」
駐屯兵団のリコ・ブレツェンスカだ。
彼女は俺の惨めな姿を見下ろし、呆れたようにため息をついた。
「なんで縛られてるのよ、調査兵団が」
彼女は歩み寄ると、腰のブレードを抜き放った。
銀閃が走る。
俺の手首を縛っていた縄が、音もなく両断されたのだ。
「ありがとうございます……」
俺は解放された手首をさすりながら、よろよろと立ち上がった。
リコはブレードを納めると、俺の顔を真っ直ぐに見据えた。
その表情は、ひどく硬い。
「礼はいいわ。それより状況よ」
彼女の声は低く、緊迫していた。
「マーレ軍が攻め込んできたの。それだけじゃない」
俺は息を呑んだ。
マーレ軍。やはり来たか。
ピークの言っていた通りだ。
「それより深刻な問題よ……」
リコは言葉を切り、恐怖を押し殺すように続けた。
「ジークの叫びがあったのよ」
その言葉に、俺の心臓が跳ね上がった。
ジークの叫び。
それは、地鳴らしの引き金となるもの。
そして、もう一つ。
「ジークの脊髄液が入ったワインを飲んだ兵団が……巨人になったわ」
世界が、音を立てて崩れ去るような感覚だった。
味方が巨人になる。
そんな馬鹿な。
だが、リコの目は嘘をついていなかった。
「嘘……でしょう?」
「嘘じゃないのよ! 私の目の前で、同僚たちが次々と巨人化していったの! 今、内部も外部も地獄よ!」
俺は震える手で顔を覆った。
ピークの言葉が蘇る。
『地鳴らしが起これば、この島の状況はより悪化する』
彼女は知っていたんだ。
だから、止めたかったんだ。
そして俺は……。
「行かなきゃ」
俺は呟いた。
「ジョー?」
リコが心配そうに俺を見る。
俺は顔を上げ、路地の出口を見据えた。
「行かなきゃいけない。今度こそ、動かなきゃ」
ピーク。
君が一人で背負う必要はない。
俺も戦う。
この地獄を止めるために。
そして、君に生き残ってほしいから。
俺は駆け出した。
足は震えていたが、もう迷わなかった。