空気は腐敗した果実のように甘く濁っていた。
地鳴らしの轟音が遠くで響き渡る中俺とピークは影のように路地裏を縫って進んでいた。
警備兵の視線を避け崩れかけた壁の隙間を抜ける。
かつては日常であったはずのこの街並みが今は忌まわしき獣の巣食う場所のように感じられる。
「あそこだね」
ピークが小さな声で囁き顎で前方の古びた倉庫をしゃくった。
俺は無言でうなずき銃の安全装置を外したまま警戒を続ける。
我々が目指すのはかつて調査兵団の長として人類の希望を背負った男エルヴィン・スミスが身を潛める場所である。
重い鉄扉を押し開けるとカビと古紙の匂いが鼻腔を突いた。
薄暗い倉庫の奥積み上げられた木箱の上に一人の男が座っていた。
白金色の髪は薄く右腕は包帯で厳重に巻かれ胸前で固定されている。
そしてその顔にはかつての覇気はなく深い疲労と傷跡が刻まれていた。
エルヴィンさんだ。
彼もまた地獄を生き抜いた傷を負っていた。
「来たか」
エルヴィンさんの声は燃え尽きた灰のように乾いていた。
俺は思わず直立し敬礼しようとしたが彼は左手を軽く上げてそれを制した。
「礼はいい。今は時間が命だ」
俺とピークは彼の前に歩み寄った。
エルヴィンさんは鋭い視線で我々を見据える。
「ジョーそして車力の継承者か。思ったよりも早かったな」
「事情がありました」
俺は短く答え共闘の経緯を説明した。
エルヴィンさんは静かに耳を傾けやがて微かに目を細めた。
「そうか。ならば今は問うまい。重要なのはこれからだ」
彼の言葉に俺は胸の奥を締め付けられるような緊張感を覚えた。
エルヴィンさんは左手で机の上の書類を払い除け地図を広げた。
「奴らの狙いは明白だ。ジークの脊髄液を飲ませこの島内で巨人化させ混乱を招くこと」
その言葉にピークが息を呑む音が聞こえた。
「だが我々はまだその毒に冒されてはいないはずだ」
エルヴィンさんは俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「ジョーお前は飲んでいないな?」
「はい。俺は飲んでいません」
俺は即答した。
「ピークもそうだ。俺たちは戦えます」
「よかった」
エルヴィンさんの顔にほんの僅かだが安堵の色が浮かんだ。
だがそれはすぐに消え去り再び冷徹な指揮官の表情へと戻った。
「だが油断はできない。我々の仲間の中にも知らぬ間に飲まされた者がいるかもしれない。それを確かめなければならない」
エルヴィンさんは立ち上がり痛む右腕を押さえながら言った。
「私はここで指揮を執る。この街の中央にいれば情報も集まりやすい。そして何より調査兵団が活動しやすい環境を作らねばならん」
彼は窓の外地鳴らしの轟音が響く空を見上げた。
その言葉の重さに俺は言葉を失った。
彼は常にそうだ。
自らの命すらも人類の勝利のための駒として使い捨てる覚悟。
それが彼という男なのだ。
「行け。地鳴らしを止めるのだ。それが我々に残された唯一の希望だ」
エルヴィンさんの号令が下る。
俺とピークは深く頭を下げ倉庫を後にした。
外に出ると冷たい風が吹き荒れていた。
世界の終わりを告げる風だ。
だが俺たちの足取りは不思議なほど軽かった。
信じるべき指揮官がまだそこにいる。
だからこそ俺たちは戦えるのだ。