不気味なほど静かな食卓が設けられていた。
ハンジさんたちと合流したその場所には、予期せぬ顔ぶれが揃っていた。
ピークと、その足元に寄り添う二人の戦士候補生、ファルコとガビ。
そして彼らの上官たるマーレ軍の武官、テオ・マガト。
かつては殺し合い、今は地鳴らしという共通の脅威の前に束の間の休戦を結んだ者たちが、冷たい石の床を囲んで座っているのである。
それはまさしく名状しがたい異様な光景であった。
鍋から立ち上る湯気だけが、この凍りついた空気の中で微かに揺らめいている。
誰も箸を付けようとはしなかった。
それぞれが己の銃や剣に手をかけたまま、互いの隙を探るかのように沈黙を保っていた。
やがて、マガトが重い口を開いた。
その声は古い岩盤が軋むような重さを持っていた。
「我々マーレ人は、二千年前の記憶を決して忘れはしない」
彼の言葉が、廃屋の闇に溶け出していく。
「エルディア帝国がこの世界にもたらした冒涜的なる虐殺。血で血を洗う支配の歴史。それが全ての始まりだ」
マガトの瞳には、深く暗い憎しみの色が宿っていた。
それは歴史という名の呪いであり、世代を超えて受け継がれてきた鎖そのものである。
「貴様らの先祖が世界にばら撒いた巨人の力。それによって踏みにじられた数え切れぬ命。その償いを我々は今も求めているのだ」
その言葉に、ジャンが鼻を鳴らした。
「二千年前だと? 寝言は寝て言えよ」
ジャンの声は低く、しかし鋭利な刃のような殺気を含んでいた。
「俺たちが見た地獄は二千年前なんかじゃない。つい数年前のことだ」
ジャンの拳が白くなるほど握りしめられる。
その震えは怒りか、それとも当時の記憶が呼び覚ます恐怖か。
「目の前でエレンの母さんが巨人に食われたんだ。生きたままだ。悲鳴を上げながら!だから、こんな事をしたんだろうがよ!」
ジャンの言葉が、一人一人の心に突き刺さる。
視界に焼き付いた血の赤。
骨を砕く音。
絶望的な無力感。
それは確かにこの島の人々が背負わされた生々しき傷跡である。
「貴様らが『悪魔』と呼ぶ人間は、そんな風にして作られたんだよ。二千年前の歴史のせいじゃない。俺たちの目の前で日常がぶち壊されたことが始まりなんだよ」
マガトとジャンの視線が交錯する。
そこには言葉以上の殺意と、癒えない傷口が曝け出されていた。
互いの痛みをぶつけ合い、互いの憎しみを正当化する。
それは会話という名の殺し合いだった。
(これだ)
俺はその光景を眺めながら、胸の奥で名状しがたい吐き気を感じていた。
(これがこの世界の病だ)
俺は思わず立ち上がっていた。
椅子が倒れ、乾いた音が響く。
全員の視線が俺に集まる。
「俺は剣で英雄にはなれないし、歴史を語る頭もない」
俺の口から言葉が溢れ出す。
「でも、これだけは分かる。憎しみだけしか受け継がないこの状況こそが最悪だ」
俺はマガトを見つめ、次にジャンを見た。
「二千年前の虐殺が憎い。母さんが食われたのが憎い。確かにそうだ。でもそれをぶつけ合って何になる。相手が悪い相手が憎いと言い続けて、結局また次の世代に同じ地獄を押し付けるだけだろ」
ピークがハッとして俺を見上げた。
その瞳に微かな光が宿る。
「俺はただ生き残りたかっただけだ。でも生き残ったからこそ出来ることがあるんだって信じてる。それは殺し合いを続けることじゃない」
俺は震える手で銃を握りしめた。
「俺は巨人を憎むべき敵だと分かってる。でも、敵の中に人間がいることも知ってしまった。だからこそ言いたい。この憎しみの連鎖を断ち切らなきゃ、誰も救われない」
廃屋に再び沈黙が戻った。
だがそれは先ほどの殺伐としたものとは微かに異なっていた。
互いの傷を曝け出した後の、虚ろな静寂。
誰も何も言えず、ただ鍋から立ち上る湯気だけが揺れていた。
俺はゆっくりと席に戻り、深く息を吐いた。
この言葉が届いたのかは分からない。
だが、この惨めな晩餐の席で、俺は言うべきことを言ったのだ。