港のあちこちで火の手が上がり黒煙が空を覆い尽くしていく。
イェーガー派の兵士たちの数は増える一方だった。
怒号と銃声が混ざり合いまるで地獄の釜が開いたかのような惨状が広がっている。
「船を確保しろ! エレンの邪魔をする奴らを殺せ!」
フロックの号令が響くたび新たな兵士が波のように押し寄せてくる。
俺は必死に応戦していたが一人で抱えきれる限界を超えつつあった。
それでもここで退けばアルミンたちが船を奪取する道が断たれる。
俺は瓦礫の陰に身を潛め息を整え次の標的を見定めた。
「ジョー! 左から回り込まれるぞ!」
遠くからジャンの声が届く。
だが俺には確認する暇もない。
目の前の敵を撃ち次の敵を撃ちまた次を撃つ。
その繰り返しだ。
だが彼らは止まない。
同胞の血に濡れた俺の手をまるで嘲笑うかのように次々と迫ってくるのだ。
その時だった。
空から異様な風圧が降り注いできたのは。
それは鳥のようないやもっとおぞましき何かの羽ばたきだった。
バサリという乾いた音と共に一人のイェーガー派兵士が悲鳴を上げて宙に浮き上げられた。
いや違う。
何者かに掴み上げられたのだ。
俺は思わず上空を見上げた。
そこにいたのは鳥を思わせる異形の巨人だった。
鉤爪状の指羽毛に似た体毛そして何よりもあの嘴のような硬質の顎。
ファルコだ。
あの戦士候補生の少年が巨人化した姿だ。
だがその目は理性の光を失い瞳孔が開ききっている。
完全に暴走している。
ファルコは兵士を掴んだまま空中で大きく旋回するとその兵士を無造作に放り投げた。
兵士は悲鳴を上げながら遠くの海へと消えていく。
ファルコはそれに構わず次の獲物を求めて再び急降下を始めた。
その嘴がまるで死神の鎌のように鋭く光っていた。
「何だあれは! 鳥か!?」
ジャンの驚愕した声が聞こえた。
「ファルコだ! 巨人化したんだ!」
俺は叫び返した。
「あの子が!? でもあの姿は」
「暴走してる! 止めなきゃならない!」
俺は立体機動装置のアンカーを放ち建物の屋上へと飛び移った。
ファルコが再び急降下してくる。
今度はアルミンたちが向かっている船の方角だ。
「ファルコ! 頼む聞こえてくれ!」
俺は叫んだ。
だがその声は風にかき消され巨人の耳には届かない。
俺はアンカーを打ち替えファルコの進路へと飛び込んだ。
雷槍はもう残っていない。
あるのは銃とこの命だけだ。
ファルコの嘴が振り下ろされる。
俺は紙一重でそれをかわした。
風圧だけで頬が裂けそうだ。
これまでの戦いは巨人を殺すためのものだった。
うなじを削ぎ足を砕き進路を塞ぐ。
だが今の相手はファルコだ。
あの優しかった少年だ。
彼を殺すわけにはいかない。
だがこのままでは港にいる全員があの嘴の餌食になる。
「ジョー! 何をするつもりだ!」
背後からハンジさんの声が飛んでくる。
「止めます! 殺さずに止めます!」
俺は叫び返した。
「無茶だよ! あの子は空を飛んでるんだよ!」
「だから建物の中に誘い込むんです!」
俺はアンカーを放ち近くの建物の壁へと飛び移った。
空中で体を捻りファルコの進路を読む。
彼は空から地上の人間を見下ろしている。
ならば視界を奪えばいい。
俺は建物の窓へと飛び込んだ。
薄暗い屋内には腐った木材の匂いが充満している。
ファルコが追いかけてくる気配はないかと思った瞬間壁が砕け散った。
粉塵と共にあの嘴が屋内へと侵入してくる。
やはり追ってきたのだ。
「来たか」
俺は呟き狭い廊下を駆け抜けた。
ここならあの巨大な翼は役に立たない。
俺は振り返り迫り来るファルコの顔面へと銃弾を三発叩き込んだ。
目潰しだ。
ファルコが苦悶の声を上げたその隙に俺はさらに奥へと逃げ込む。
「ファルコ! 僕の声が聞こえるか!」
俺は叫んだ。
だが返事はない。
ただ咆哮だけが壁を震わせる。
やはり理性はないのか。
だが諦めるわけにはいかない。
広いホールのような場所に出た。
ここなら少しは動ける。
ファルコが壁を破壊しながら追いかかってくる。
その動きは空を飛んでいた時よりはるかに鈍い。
だがそれでも巨体による暴力は圧倒的だ。
俺は立体機動装置のブレードを抜き放った。
狙うはうなじではない。
彼の四肢の筋だ。
まずは動きを封じる。
ファルコが鉤爪を振り下ろす。
俺はそれを紙一重でかわしワイヤーを彼の足首へと巻き付けた。
ガス噴射。
俺の体は強烈な遠心力と共に宙を舞う。
ブレードが閃く。
ズリッという嫌な感触と共にファルコのアキレス腱が断ち切られた。
巨体が崩れ落ちる。
「まだだ!」
俺は叫び次の標的へと向かった。
暴れるファルコの腕。
その筋肉を斬り裂くために俺は再び飛んだ。
血飛沫が舞いファルコの咆哮が響く。
痛みだろうかそれとも怒りか。
だが止まるわけにはいかない。
「ファルコ! お前はこんな姿になるため巨人になったんじゃないだろ!」
俺は叫びながら右腕の筋を斬り裂いた。
「ガビを守りたかったんだろ! なら戻ってこい!」
その時だった。
ファルコの咆哮が変わったのは。
ただの獣の叫びから何か別のものへ。
苦しみかそれとも呼びかけか。
俺には分からない。
だがその声を聞いた瞬間俺の確信は揺らがなかった。
彼はまだそこにいる。
右腕左腕そして左足。
四つの自由を奪うために俺はブレードを振るい続けた。
やがてファルコは床に這いつくばったままピクリとも動かなくなった。
ただ荒い息遣いだけが響いている。
俺はゆっくりとファルコの背中へと降り立った。
蒸気が立ち上るそのうなじへと近づく。
ブレードを構え深呼吸を一つ。
「ファルコ今助けるからな」
俺はそう囁きブレードを振るった。
肉を裂き彼のもとへと辿り着く。
「ファルコ!」
俺は血と粘液にまみれた少年をそっと抱き上げた。
彼は気絶しているようだったがその胸は確かに上下していた。
生きている。
「よかった」
俺の口から安堵の声が漏れた。
その瞬間膝の力が抜けそうになったが俺は必死で踏みとどまった。
彼を抱えたまま崩れかけた窓から外へと飛び出した。
冷たい風が頬を撫でる。
「ジョー! ファルコは!」
下からピークの声が届く。
「無事だ! 生きてる!」
俺は叫び返した。
「本当!?」
ガビの声も聞こえた。
泣きそうな震える声だった。
あの勝ち気な少女が初めて聞かせる名状しがたい不安の色。
「本当だ! 呼吸もしっかりしてる! だから泣くなガビ!」
俺は地上へと降り立ちながら叫んだ。
ガビは唇を噛み締め俯いている。
だがその目に浮かんだ涙の光を俺は確かに見たのである。
ピークが俺のそばへと近づいてきた。
車力の巨人のうなじから這い出した彼女の細い腕がファルコの額にそっと触れる。
「ありがとうジョー。彼を助けてくれて」
その声はひどく穏やかでそしてひどく疲れていた。
「礼には及ばないよ。彼は俺の仲間だ」
俺はそう答えファルコをピークの腕へと預けた。
空にはまだ黒煙が立ち上っていたがその向こうに微かな青が見えた気がした。
俺はただ無事だったことを神に感謝しながら深く息を吐いたのである。