糸引く記憶と雷槍の先   作:ボルメテウスさん

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獣の攻略戦

砕けた建物の陰、土煙が未だ漂う不気味なる平原を見下ろしつつ、俺はエルヴィン団長の前に立っていた。団長の瞳は、底知れぬ深淵を覗き込むかの如き狂気と冷徹なる知性を宿し、ただ黙して、俺が先の投石を回避したという奇跡的事実に、その全精神を傾注しているのである。

 

地面には、粗末な石を用いて、あの忌まわしき着弾地点が克明に再現されていた。それは地獄の設計図のごとく、冒涜的であって、しかしある法則性を持った破壊の軌跡であった。その近くには、沈黙する新兵たちの姿がある。彼らは自身が囮として死地へ送られるものと、諦念のうちに信じているのかもしれぬ。その蒼白なる顔に刻まれた恐怖の色こそ、まさに名状しがたい戦慄そのものであった。

 

「新兵を犠牲にはしない」

 

エルヴィンは静かに、しかし逆らい得ぬ覇気と共に告げた。彼の立案せる作戦は、常軌を逸していた。無人馬に外套を括り付け、信煙弾の煙幕をもって大部隊の突撃を偽装するのである。そして本命は、俺とリヴァイ兵長ただ二人。俺が馬を操り、あの獣の投石を見切りつつ接近し、兵長を奴の懐へと送り届ける。それは俺たち二人にのみ、測り知れない死の危険が集中する自殺行為にも等しきものであった。

 

俺は恐怖した。背後に座する人類最強の兵士でさえ、その重圧から逃れられぬその作戦に、俺ごとき未熟なる射手が耐え得るのか。それでも、後ろに控える新兵たちを、あの冒涜的なる岩の雨から守り得るのであれば。彼らを死なせずに済むという希望が、恐怖を喰らい潰すほどの狂気的な意志となり、俺の足を前に進ませたのである。

 

俺は震える指で、地面の地図上に引かれた一筋の線を、あたかも神の指紋のごとく丁寧に撫でた。そこにのみ存在する、死の軌道の狹間を抜ける生存の道。

 

「ここを通れば、投石の間を抜けられます」

 

俺は告げた。声音は震えていたかもしれぬ。しかし、その瞳だけは、遠方で岩を集める忌まわしき獣の姿を、決して逸らさなかったのである。

信煙弾が虚空に放たれた其の瞬間、平原は赤と緑の不気味なる煙幕によって覆われ、冒涜的なる幻影の行進が始まったのである。外套を括り付けられし無人馬たちが三方向へと散開し、さも多くの兵士が突撃せんとするかのごとき虚飾の陽動を演じる様は、ある種名状しがたい狂気を孕んでいた。

 

俺は馬の背に跨り、其の後ろには人類最強たる畏怖すべき存在、リヴァイ兵長を乗せていた。背中に感じる其の重みは、単なる肉体の質量などではない。否、それは人類の存亡という測り知れない重圧そのものに他ならないのである。雷槍の金具が擦れ合い、乾いた金属音を立てる度に、俺の震える指先は此が二度目の突撃であり、一度の過ちも許されぬ絶望的な賭けであることを痛感させられた。馬の荒い呼吸だけが、此の凍てついた大気の中で唯一の生なる響きとして耳を打つ。

 

獣の巨人は、其の忌まわしき長腕を振り上げた。狙うは最も濃き煙を上げる方向。虚飾の大部隊へ向けて放たれた冒涜的なる巨岩は、虚空を引き裂き、平原を抉り取りながら無為なる破壊を撒き散らした。

 

だが、俺の眼は其れを見てはいない。ただ一点、あの獣の肘から手首へ至る筋肉の蠢きのみを見据えていたのである。其処に在る予兆。投擲たる予備動作の末端に過ぎぬ微細なる収縮が、俺に次なる死の軌道を告げていた。

 

「来るッ!」

 

俺は叫叫びと共に手綱を強く引き絞った。着弾よりも早く、馬を其の安全たる唯一の軌道へと滑り込ませるためである。背後で土煙が噴き上がり、岩石の破片が頬を掠めるも、俺たちを乗せた馬はまさに死の狹間を縫って疾走したのである。

獣の巨人は気づいたのである。俺があの冒涜的なる岩の雨を、ただ運任せに避けているのではないという忌まわしき真実に。奴の狙いは、もはや現在進行形の俺たちの姿にはない。否、その冷徹なる獣の瞳は、馬の進行先、俺たちが次なる瞬間に辿り着くであろう未来へと向けられていたのである。

 

二度目の岩が掲げられる。その巨腕がしなり、空気が裂ける予兆がした。本能が絶叫する。逃げろ、今すぐ其処から離れろと。だが、其の卑怯なる生存の欲求に従えばこそ、我らは奴の掌の上で踊ることになろう。早く曲がれば、読まれる。ならば、俺が取るべき道はただ一つ。あの忌まわしき獣が予測せる死の軌道へと、あえて身を投じるという狂気のみ。

 

目前へ迫る巨岩は、まるで堕天せる神の怒りのごとく空を覆い隠し、俺たちのあらゆる光を奪い去らんとしていた。其の圧倒的な質量がもたらす風圧が、馬の脚元を苛み、地面を引き裂き、外套を無慈悲に掠めていく。砕けた石片が頬を切り裂くも、俺は決して視線を逸らさなかった。見据えるは岩に非ず。ただ一点、獣の巨人がその腕を振り切る、その絶対的な瞬間のみを。

 

(まだだ……まだ、だ)

 

秒数が永劫のごとく引き伸ばされる戦慄の狭間にて、俺は唇を噛み締め、其の時を待った。そして其の時は来た。

 

「今ですッ!」

 

俺は喉が裂けんばかりに叫び、手綱を強引に引き絞ったのである。馬が悲鳴を上げんばかりに急旋回し、俺たちの体は遠心力によって虚空へと放り出されんとした。其の刹那、先ほどまで俺たちが走っていた空間を、冒涜的なる巨岩が唸りを上げて通り過ぎていく。あとコンマ一秒でも判断が遅れていれば、我らは灰色の肉塊となっていただろう。

 

だが、我らは生き延びたのである。岩と岩との狭間に生じた、名状しがたい幸運と計算による唯一の生路を、血気満々と駆け抜けたのだ。視界の端では、砕かれた無人馬たちが無様に転がり、煙の向こうには忌まわしき巨人の包囲網が其の醜悪なる牙を剥いて待ち受けている。だがもう恐るるに足らない。我らはあの死の雨を貫き、確かに生への道へと辿り着いたのだから。

 

進路を塞ぐ冒涜的なる肉壁の如き巨人の包囲網。其れはまさに、我らが生存を許さぬ絶望の閉塞其のものにて、無数の巨人が醜悪なる腕を伸ばし、俺たちを虚無の深淵へと引きずり込まんと蠢いていたのである。

 

俺は決断した。馬の背より躍り出で、空中にて先頭の巨人の膝裏へと狙いを定める。残された雷槍を、其の忌まわしき関節へと打ち込むのだ。引き金を引く刹那、金属の筒が咆哮し、冒涜的なる質量を持って巨躯を貫く。

 

轟音と共に、巨人の膝が爆炎に包まれ崩壊する。其の巨体が碑のごとく崩れ落ちるや、後続の巨人たちも亦、避ける能わず其の肉壁へと激突し、無様なる連鎖的倒壊を引き起こしたのである。土煙と蒸気が混ざり合う其の混沌たる狹間に、まさに一瞬の、されど永劫のごとき価値を持つ突破口が生まれたのだ。

 

「今です、兵長ッ!」

 

俺は絶叫した。否、其れは人類の希望其のものを叫んだのであった。リヴァイ兵長は、倒れゆく巨人の背へアンカーを打ち込み、俺の傍らより離脱する。人類最強の刃は、其の名状しがたい速度をもって、土煙の奥に峙える獣の巨人の死角へと消え去っていったのである。

 

俺は其の背を見送りながら、己が内なる虚栄を捨て去った。獣を倒したいという我欲を。否、俺の役目は届けることに在る。人類最強の刃を、あの忌まわしき獣の懐へと確かに送り届けること、其れこそが俺という存在の全てなのだと、冷徹なる運命として受容したのである。

 

そして、俺は想う。遙か遠く、壁の陰に残してきた新兵たちのことを。彼らは今も生きている。俺の読みは、俺の判断は、間違っていなかったのだと。其の確信のみが、この冒涜的なる戦場において、俺の心を支える唯一の柱であった。

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