狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
私がララさんと出会ったのは、この旅館に来て三カ月ぐらいの時間が経ってからのことで、
「……せ、先輩! 今の妖精さんは……!?」
まだまだ新人だったころの私が仕事中、廊下をふわりと飛んでいたララさんとすれ違ったのがきっかけだ。
「妖精? あー……ララのことね。確かに妖精だけど、多分想像してるよりも愛らしい存在じゃないと思うよ」
「そうなんですか?」
「あれで
「なるほど……」
その時の私の教育係はリムさんっていう先輩だったけど、彼女もララさんにはあんまりいいイメージが無さそうだった。それもそのはず、ララさんの人間嫌いは旅館の中でも有名な話で、中にはその被害を受けてから険悪な相手もいるそうだ。
「まあ、レンガはあんまり気にしなくてもいいと思うよ」
「えと、それは理由は聞いても?」
「ララの奴が険悪なのは、どっちかって言うと男に対してだからね。理由はさっぱりだけど、関わらなけりゃ、氷漬けにされるようなこともないでしょ」
「こ、氷漬け……!? と、とりあえず気を付けておきます!」
というのがまあ、ララさんを始めて見かけた時の話だけど……とにかくそう言う感じで、第一印象ははっきり言って悪かったよね。ただ、これはリムさんが悪いってわけじゃなくて、実際にララさんはその時、旅館の中でも問題児の筆頭だったんだ。
なにせ妖精なんて小さな身の丈に合わない大きな力を持っていて、気に入らないことがあれば好き勝手に相手を氷漬けにさせられる。そんな相手が、恐怖の対象にならないわけがない。私だって自分が氷漬けにされちゃったときのことを想像した。手の先からつま先まで、彫像みたいにカチンコチンにされちゃった姿を。息を呑むほど、恐ろしいと思ったよ。
確かに私は、そう言うのに目がないかもしれないけどさ。この時ばっかりは、リムさんの忠告に従うつもりだった。
あ、うん。
そう。
つもりだったんだよ。
それから何日後だったかな。とりあえずしばらく経ってからの出来事だったと思うんだけど、私が中庭を歩いていた時にね、水路に何かが流れて来たんだ。中庭に池があるのは知ってる? ほら、あの従業員も使ってる場所。あそこの池に繋がってる水路にさ、ちっちゃなお洋服が流れて来たんだよ。
誰かが人形のクローゼットでもひっくり返したみたいに、何着か流れてきてさ。気になったのは服のデザインで、人形に着せるにしては質素な服ばっかりだったんだ。色違いの無地のワンピース。そういうのが何着も水路の中を漂っていたの。
誰かが誤って水路に落としてしまったのか、或いは誰かが捨てたのか。酷いことをするもんだと私は思って、とりあえず流れてきた服を全部拾った。
よくできた服でさ。ちょっと厚めの生地を、丁寧に縫って作られてあって、人形に着せるにしてもかなり力が入ったものだって、一目見ればわかった。なんだか勿体ない気分になったよ。だから私は、もしこれが誰かの落とし者だった時のことを考えて、乾かそうと思ったんだけど――
「……」
そう思って立ち上がって初めて、私はすぐ横にララさんが居たのに気づいたの。
彼女はふわりとその場に漂いながら、じっと私のことを見つめて来た。私は私で、噂に聞くララさんの悪名のせいで、氷漬けにされるまでもなくカチンコチン。言葉一つも出せないまま、少しの間、私たちは見つめ合うことになった。
「っはぁ……」
緊張が緩んだのは、大きなため息をララさんが吐いたおかげ。それで私の方も、ようやく喋ることができた。
「あ、ら、ララさん、でしたよね?」
「そうだけど……」
ララさんの顔に浮かぶのは怪訝そうな表情。その視線が私の持つ人形の服に向けられていることに、一瞬違和感を感じたけど――さらにその数瞬後に、私はようやく気が付いた。今しがた流れて来た洋服たちが、ララさんのサイズにぴったりだってことに。
「あ、いや、その……これは……」
「はぁ」
私はとにかく取り繕おうとしたの。そりゃ、この洋服がララさんのモノだったとしたら、彼女は今、消えた自分の服を探していた人だけどさ。どうにも私の頭は最悪のパターンばっかり考えちゃって、もしかしたら洋服を盗んだ張本人だと勘違いされて、氷漬けにされちゃうかもなんて想像が頭を埋め尽くしたの。
ただ、大きくため息を吐いたララさんは、呆れた顔になって言った。
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。なに? 私がそんなに怖い奴に見えるの?」
「あ、いえそれは……」
ぶっちゃけめちゃくちゃ怖かった。
だって氷漬けにされちゃうんだよ!? というか普通に雰囲気怖いしさ! トゲトゲしてるって言うの、触っただけで痛そうな感じ!
そんなもんだから、はっきり言って私は怯えることしかできなかったんだけど。ただ、やっぱりララさんは呆れた感じで言うの。
「別に取って食いやしないわよ。それと、その服、私のだから」
「あ、いや、でも、これびしょびしょに濡れてて……」
「いいのよ。どうせ魔法を使えばすぐに乾くわ」
そう言って、彼女が人差し指をくいっと上に向けると、私が抱えていた洋服たちが宙に浮いた。魔法の存在は聞いていたけれど、ここまで明らかなものを使われたことがなくて、唖然と私は宙に浮いたそれを見上げることしかできなかった。
ふわふわ、ふわふわ。
洋服と一緒に宙に浮かんだララさんが、最後に忠告するように私に教えてくれる。
「水辺には気を付けなさいよ。どの世界にだって、陰湿な奴らはいるんだから」
その言葉の意味を、私はすぐに理解することができなかったのだけれど。あとからリムさんにこのことを報告して、ようやくその意味を理解できた。
「犯人が誰かは知らないけどね。きっとララにこっぴどくしてやられた奴らが、隠れて彼女の服を水の中に投げたんだろう」
そんなひどいことが、と思った。
けど。
そんなこともあるかとも思った。
ララさんは威圧的なのに、妖精らしく可愛らしい姿をしている。手で握れば潰れてしまいそうなぐらいか弱く見えるのに、聞けば人を簡単に氷漬けにできるほどの魔法が使える。
怖いし、関わりたくはないけれど。
仕返しか、もしくは容姿への妬みか。私の元の世界でもあったことだ。あまり考えたくはないけれど、この狭間にもそういうことは起きるらしい。
「こういう時ばかりは、違う世界でも同じ人間だと、思わせられるばかりだよ」
「あ、あの……主様がなんとかしたりしないんですか?」
はっきり言えば、私はそう言うのが嫌いだ。被害者になるのも、加害者になるのも、もちろんそれを見過ごすことも。だからどうにかしてやめさせようと思って、主様の名前を出してみたけれど。
「それは諦めた方がいい」
「……それって、主様がこの事態を分かっていて無視してる、ということですか?」
「ああいや、そう言う意味じゃない」
そう言ったリムさんはどこか困ったような顔をして、少し考えてから続きを話した。
「主様は神様だろう? だから人の、その……なんだ。繊細なところがわからないんだ」
「前にもその話は聞きましたけど、えと、どういう意味なんですか、それ?」
「すまない、そこを詳細に切り分けることは難しいんだ。ただ言えることは、ララの服の件みたいないざこざに主様が出ると、間違いなくこじれる」
「……」
「犯人はすぐに特定できるし、その犯人たちに罰則はくだるだろう。だが、主様が出ると、そこで終わりだ。これは私の推測でしかないが、それをやった犯人たちだけが裁かれて終わる。けど、それだけじゃ犯人の憎しみを助長させるだけだということを、君は理解できるな」
「そう、ですね」
リムさんの言う通りかもしれない。
主様の力で無理やり解決したとして、けれどそれは犯人がララさんの服を水路に流した原因を解決できたことにはつながらないのだから。
「できることはないのさ。下手に首を突っ込めば君が巻き込まれる。それに、ああなったのにはララの方にも原因があるはずだよ」
そう言われて、私はハッとなった。
そこでようやく、ララさんに言われた忠告の意味に気づいたからね。
「忠告……」
今にして思えば、私も簡単な奴だなと思うよ。実際ララさんがしてくれたのは、自分を取り巻く環境に私が巻き込まれないよう、忠告してくれただけ。対して話していないのに、どういうわけか、私はララさんのことを、そこまで悪い人だと思えなくなっちゃったんだから。
「リムさん! ララさんって、普段何してるんですか!?」
そう思ったら、居ても立っても居られなくなった。
「私は忠告したよね?」
「別にどうもしませんよ! ただ……」
私がするべきことは一つだ。
「ララさんと仲良くなってくるだけですから!」
「はあ?」
気でも狂ったような人を見る顔をしたリムさんだけれど、まあ仕方のない話だよね。だってさっきも私は、さんざんっぱらララさんのことを怖いだの何だの言ってたのに、急に仲良くしようだなんてさ。
でも、むしろ私は仲良くしなきゃいけないような、そんな使命感を感じたんだ。
だって私は、ララさんのことを何も知らないし。だから手始めに、お店に行ってララさんに似合いそうな洋服を見繕ってから、自分の手でララさんのサイズのモノを縫って、プレゼントするところから始めてみたんだよね。
そりゃ、最初の内は困惑されたよ。けど、作った洋服は受け取ってくれたし、最初の内は一言二言で逃げられちゃったけど、その内に話してくれる時間も増えて言ってさ。今はたまにだけど、ごはんに誘いに乗ってくれるようにもなったんだ。
「まったく、仕方ないわね」
って、ララさんはよく言うけどさ。
実際まんざらでもない感じがしてさ。
やっぱりそうだって思ったんだ。
ララさんは、きっと人に言われるほど悪い人じゃない。
◆
昼間に聞いた蓮歌の話を頭の中で繰り返しながら、俺は夕焼けに染まる街並みを、旅館の渡り廊下の柵に肘を掛けて眺めていた。
噂よりもララは悪い人じゃない。それが蓮歌の結論で、けれどそれだけでララのすべてを語るには、どうにも情報が足りていない。
一応、あの後、俺と蓮歌は近くの古本屋に寄って、妖精に伝承を調べてみたけれど、結局それがララの人格――厳密に言えばミィの兄貴の治療を拒む理由になるわけもなく、ほどほどにして解散した。
我儘で悪戯好き。それが俺の知る、妖精という存在だけれども。
それは子供のようにしか見えないララにはピッタリのようにも、けれど先輩従業員として的外れなようにも思えて仕方がない。
未だに俺は、ララがどんな人間なのか(妖精だけれど)、その全体像どころか、尻尾すらつかめていない。だからもう、意を決して本人から事情を聞いた方がいいだろうと思った。もちろん、それが一番成功率の低い方法であるのは言うまでもないか。己の内を、俺のような人間に明かすはずがない。普段のララの態度を見ればなおさらだ。
「はぁ、どうやって説得すっかなぁ……」
本当に正解があるかもわからない問いに頭を悩ませる俺は、次第に後ろから聞こえてくる喧騒に耳を傾けていた。そんなところに答えがあるはずもないが、藁にも縋る思いというやつだ。
「ちょちょ、おい! そんなに持って大丈夫かよ!」
「だいじょぶだいじょぶ……っっとと!!」
だからすぐに、俺はその事態に気が付いた。渡り廊下。俺のすぐ後ろを移動していたのは大きな荷物を持った従業員。それはきっと何層にも積み重なった布団で、一括で全部運んでしまおうと横着して、抱えきれない量を持ち上げていたことが見て取れた。
だからそれがバランスを崩すのは必然だけれど、そのバランスを崩した先に俺がいたのは、運が悪いと三度繰り返しても足りないぐらいの不幸だろう。
布団の重量が俺の体を押し出して、柵によって遮られていた向こう側へと動いてしまう。空と一体になった様な浮遊感が腹の底から突き抜けて、頭の中で恐怖に変わった。自分が今、落ちている。そう気づくのに一秒も要らない。
渡り廊下の休憩所は、旅館のかなり高い位置にある。何階建ての高さなのか考えるのが億劫になるぐらい。だからみんな、柵の向こうに落ちていく俺を、唖然とした顔で見ていた。
俺も、俺を押し出した布団を抱えていた男のことを、唖然とした目に見つめることしかできなくて――だから誰よりも早く渡り廊下から飛び出した小さな影にも、気づかなかった。
「【
どこかから聞こえて来た声と共に、とてつもない突風が俺の体を動かした。その風は滝に打たれたような重さがあり、横から吹き付けて来たおかげで、壁に叩きつけられるように俺の体は渡り廊下の柱にぶち当たる。
「そこ! 早く掴まりなさい豚!」
掴まれ。その声が誰のモノであろうと関係ない。
俺は声が聞こえてきて反射的に、すぐ近くにあった掴めそうなものを掴んだ。それは柱の装飾で、輪っかのような取っ手のような部分を手で掴んだおかげで、なんとか俺は渡り廊下から下に落ちなかった。
間一髪。そんな言葉が頭に過るけれど。
「何してるのよ、まったく……私が出なかったらどうなってたことか」
それよりも俺は、助けてくれた人物に注目した。
「なによ、豚。私が助けたのがそんなに意外?」
「あ、いや……」
あの時、俺が渡り廊下の外に押し出された時、休憩所に居た全員は事態を呑み込めず(もちろんそれは俺もだが)、誰もが動けなかった場面で、目の前の妖精は誰よりも早く動き、俺を助けてくれたのだ。
「……助かった、ララ。ありがとう」
「あら、素直にお礼が言えるのね。これも日ごろの調教の成果だわ」
今回ばかりは、ララの憎まれ口に文句を言う気分にはなれなかった。