狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~   作:日野球磨

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14話 月明かりの夜

 

「ほんっとにすまん!」

「俺たちが悪かった!」

 

 と、渡り廊下の休憩所に戻ってきたところを土下座で出迎えてくれたのは、事故で俺を落としてしまった従業員二人組だった。とても若い男二人で、俺と同い年か、そうでなくとも近いぐらいの年齢だろう。

 

「俺たち、従業員寮に替えの布団運んでて!」

「こいつが一気に運べるって言ったから!」

「いやこいつが煽ってきたんだよ!」

「まさか俺も、本当に煽りを聞く馬鹿だと思わなくて!」

「男なら持てるよなって言って来たこいつがとにかく悪いんだ!」

「んだと!?」

「やってやんぞ!?」

 

 なんだこいつら。

 土下座して謝っているのか、喧嘩してるかわからん奴だな。

 

「「こいつが悪いんです!!」」

「その前に名前を名乗れよお前ら」

 

 そもそも俺は二人の名前を知らないわけで、どちらが悪いとか以前の問題だ。それに――

 

「事故だったんだろ? 今後は気を付けて、一度に布団を運ばないようにしましょうで終わりだ」

「なっ……」

「せ、聖人……!?」

 

 この程度で聖人扱いか。なんだか気分がいいな。ちょっと胸を張ってみようか。

 

「何やってんのよ、アンタら」

「げぇ、妖精!?」

「ら、ララさん!?」

 

 ただし、俺がいい気分になっていたところで、横から話に入ってきたララにすべてを持っていかれてしまった。二人の目はふわりと飛ぶララの方に向いているし、何よりもその瞳に映る驚きと畏怖の色を見れば、彼らが次に起こす行動も予想が付いた。

 

「「ひぃぃいい!!」」

 

 一目散の逃走だ。蓮歌伝手にララは恐れられていると聞いてはいたが、まさかここまでとはな。

 ちらりと俺がララの方を見れば、何とも言えない……少なくとも愉快そうには見えない表情を浮かべたララが、逃げていった男たちの背中を見ていた。

 

「どうした、悩みか?」

「豚には人間の気持ちなんてわからないでしょうね」

「ああそうだな。一生人のことを豚呼ばわりする奴の気持ちなんてわかるわけがない」

 

 相も変らぬ豚呼ばわりに、俺はほとほと呆れ果てるしかない。俺を豚と呼ぶことに、どんな執念を燃やしているんだこいつは。

 

「ふんっ、あんたたちなんて豚で十分なのよ」

「あんたたち?」

 

 ツーンとそっぽを向いたララの言葉に引っかかって、俺は思わず聞き返したけれど、それ以上の話をララはしたくなかったのか、そよそよと流れる風に乗ってどこかに飛んで行ってしまった。小さなララの羽が、渡り廊下の向こうに消えていくのを、俺はなんとなく見送るだけだ。

 

 ふと、渡り廊下から綺麗な夕焼けが見えた。

 いつ見ても不思議なもんだ。ここは狭間で、元居た世界じゃないってのに、こうやって太陽は夕日に変わって、青い空を赤色に塗りつぶしていく。まるで狭間の世界と俺の元居た世界が地続きで存在しているかのように。

 

 それは狭間に来るにあたって、元あった世界を捨てたと言っても過言ではない俺にとって、表しようのない感情を引き起こしてくる。故郷が恋しくないと言えばそうではないし、父さんと母さんに罪悪感がないわけがない。その気持ちが、幽体離脱を起こしたかのように、あの夕日に向かって歩き出してしまいそうな気分だ。ただ、これはきっと、俺だけが感じていることなのかもしれない。

 

 はっきりとじゃない。

 薄々、なんとなく、ぼんやりと。

 そんな副詞で無理やり形作った霧のような感覚で、この狭間全体に広がる常識を感じている。

 

 この狭間に訪れた人々は、何らかの事情を抱えている。

 

 それこそ、元居た世界を離れなければいけないような……或いは、元居た世界に居場所がなかったのか。ミィだってそうだ。どうしてミィの兄貴は、酷いけがを……死んでいてもおかしくないような怪我を負うことになったのか。ミィは確かに力加減を間違えていたが、人に対してだけは違った。だから少なくとも、あの怪我はミィのせいじゃない。つまり、ミィとミィの兄貴は、元居た世界から、この狭間に逃げて来たんだ。

 

 それじゃあ蓮歌はどうだ? 俺はあいつの幼馴染で、唯一無二の親友だと思っていた。だが、思い返してみれば、俺はあいつのことをどれだけ知っている? 蓮歌が俺の告白を断った理由すら知らないのに、あいつのことを知っているだなんて言えるわけがない。この旅館に置(・)い(・)て(・)も(・)ら(・)っ(・)て(・)る(・)理由だって、だからさっぱりわからないのだ。

 

 それはきっと、他の奴らもそうなんだろう。サトヤも、ノウランさんも、ペルチーナさんも。ここに居る事情があって、元の世界に帰らない事情があるに違いない。

 

 それも、ただならぬ事情が。ここに来た日に、サトヤの奴が口にした忠告の意味が、ようやく分かってきた気がした。

 

 この狭間で、その人物に対して何かを訊ねるということは、その事情に踏み込むということなんだろう。

 

 まったくもって、歓迎される気がしない。

 

 ただ、俺はある確信をしている。

 

 ミィの兄貴の一件は、その事情に俺の方から入り込まないといけない、と。

 ミィの時とは違う。事故でトラウマを踏んでしまって、運よく何とかなった――なんて結末にはならない。失敗したらどうなるんだろうな。

 

「流石に気が滅入るな……」

 

 夕方の渡り廊下の休憩所は、仕事終わりの従業員でごった返している。だから俺のつぶやきは力なく消え、この世界の一部となった。

 けれど俺だけは、この喧騒の中にあってもまだ、自分一人だけしかいないような奇妙な浮遊感を感じている。

 

 それはきっと、ミィの流した涙を見てしまったからだろう。あれだけ酷い目に遭ったミィの姿を見て、その姿を今、俺はこの旅館の全員に重ねてしまっている。決してミィが悪いわけではない。ただ、俺はあそこまでの事情を持って、ここに来たとは思えないんだ。

 

 確かに悩みはあった。それをくだらないとは思わない。

 ただ、もう俺の中には、その悩みはきれいさっぱり消えてしまった。

 

 好きだった奴と再会できただけで。

 

 そんな簡単な奴が、人様の事情に踏み込むだって?

 

 ははっ。

 

 ぐらぐら。ぐらぐら。

 

 揺れる視界に疲れを感じた。

 少し休もう。

 

 でも――

 

「さて、どうやって踏み込んでやろうか」

 

 ここで退く気は毛頭なかった。

 人の命がかかってるんだ。ミィと約束したんだ。

 ララがどんな事情を背負っていたとして、俺にはまったく関係ない。

 

 だから俺は、ふらりと人気のない所を求めて彷徨いながら、ララ説得のために秘策を考えた。

 

 

 ◆

 

 

 魔法。豚。妖精。夕日。

 上司。先輩。長命。我儘。

 洋服。畏敬。恐怖。氷漬け。

 

 そんな言葉を十度繰り返して、俺は日が沈み、星々が見え始めた空を見上げながら、旅館の外のベンチに座っていた。

 

 従業員寮に門限はない。ただ、明日の仕事を考えれば、なるべく早く帰るのが賢明だ。しばらく前に9時を報せる鐘の音が鳴った。果たして今は何時だろうか。間違いなく9時ではないし、下手をしたら11時の上り坂を、短針が懸命に走っている頃かもしれない。

 

 けれど寮に帰らずに、闇の中でぼんやりとしている理由は、俺にはあと一日、休みが残っているからに他ならない。だからどれだけ夜更かしをしても、お咎めはないのだ……まあ、本当のところを言えば、普段の生活がきつすぎて、日が変わる前に寝に入ることができないだけだが。しかも太陽が出る前に起きてしまう。まるでマジックを見せられたような気分だ。その内、ぶっ倒れたりしないだろうか心配で仕方がない。

 

「ったく、ララの奴には散々ムリさせられてるな……」

 

 元をたどれば、無茶苦茶に雑用を押し付けてくるララの仕業である。それを思えば、あいつが嫌がることの一つや二つ、罪悪感なく実行できる気分になってくる。

 

 ただ、そんな下手な鉄砲で説得に行ったところで、余計にララの奴の拒絶を頑なにするだけで、むしろ状況を悪化させるだけに違いない。だから一回、せめて二回の説得が望ましいか。なにせもう、俺だけじゃなくて、龍さんやペルチーナさん、或いはまだ俺の知らない誰かが、何度もララの奴に頼み込んでるだろうから。

 

「しかし、どんな気持ちであいつは、ミィの奴の世話をしてんだかねぇ……」

 

 ミィの兄貴が自分の魔法で助かると知っておきながらそれを拒否し、けれど妹の方を旅館で働かせるためにミィの教育係をやっている。なんとなくこの采配は、龍さんが決めたものだと思う。聞けば人の心がないらしいし(誤解を招くような言葉だが)。

 

 だから余計に、俺はどんな言葉で説得すればいいかわからなくなってくる。ぐるぐる。ぐるぐる。まるで漫画の同じページを読んでるように、意味のない思考が時間を蝕む。

 

 そもそもララの事情ってやつがわからないのだ。もう、本人に直接訊ねてやろうかしらん。

 

「おぉん? 誰だァ、こんな時間に外に居やがるのはぁ」

 

 と、自暴自棄の影が頭の中に広がり始めたその時、視界の端に誰かが現れた。そいつは俺のことを見つけたらしく、とろんとした声で存在を確かめてくる。漂ってきたのはアルコールの匂い。随分と寄っているようだ。いったいどんな酒乱が来たのかと身構えてみれば、闇の中から現れたのは、サトヤだった。

 

「酒くせーな、サトヤ」

「おう、ナオか! どうやらしっかりと、休みはもらえたようなだなぁっと」

 

 そう言って、サトヤは片手に持った一升瓶から酒をラッパ飲み。随分と出来上がったサトヤから俺は少し距離を取ったのだけれども、それが返ってサトヤを座らせるために、ベンチにスペースを作ったように見えたのか、すぐさまどしんとサトヤはベンチに入り込んできた。

 

 夥しい酒量を感じさせるアルコール臭が、俺の鼻腔に侵入する。

 

「んで、なぁにやってんだよぉ、ナオ」

 

 下から覗き込むように体を傾け、俺の顔を覗いてくる。酔拳の使い手のような動きだ。映画で見た時のようなかっこよさは微塵もないけれど。

 

「ミィの兄貴の件について考えてるんだよ」

「そうかそうか、頑張ってるみたいだなぁ……」

 

 けらけらと調子よく笑った後、サトヤは懐から煙草を一本取り出した。カチン。ジッポライターの乾いた金属音が、静かに火を灯す。俺はそれを、呆れた目で見ていた。会話をするでもなく、ただ一方的に一服するサトヤの姿は、一種のダメ親父のパブリックイメージそのものだったから。

 

 大きく煙草の煙を吸ったサトヤは、口いっぱいの煙を空に漂う月に向けて吐き出した。昇っていく煙が見えなくなってようやく、サトヤの口は話すために開かれる。

 

「んで、どうだ。順調か?」

「順調なわけないだろ」

 

 果たして何を持って順調不順を定義すればいいのかは知らないが、ララにこの件を話してすらいないいないのは、順調とは呼べないだろう。ただ、それでもサトヤはけらけらと笑う。

 

「だろうなぁ、なにせララだ。あいつは随分と感じが悪い」

 

 人の気も知らないで、他人事だと言うかのように。だから俺は、ふと思ったことを言ってやった。

 

「大体なぁ、前は人の事情に踏み込むな的なことを言ってやがったくせに、今回の頼みはなんだよ。諸にララの事情に踏み込む話じゃねぇか」

「仕方ねぇだろぉ。俺だって藪をつついて鬼を出したいわけじゃない。ただ、人の命がかかってんだぜ。助けられるなら助けたいと思うのが、人間ってやつだろう」

 

 俺が言った文句は、華麗な言葉で躱されてしまった。それもそうだ。人命優先。当然だ。ただ、それでララの大切な何かを踏みにじることはできないから、困っている。そんなところだろう。

 

「人の命がかかってなけりゃなぁ……」

「だとしても、だけどな」

「なに?」

 

 俺がぽつりとつぶやいたそれは、この一件に対する使命感の根底に当たる部分だけれど、どうやらサトヤには、何か違う事情があるらしい。

 

 いや、サトヤというか。

 

「あいつ、感じ悪いだろ」

 

 ララが、か。

 

「人のことを豚って呼ぶとかか?」

「それもだな。ちなみに俺も呼ばれたことある」

「見境ねぇのな」

 

 どうやらララからすれば、人間は全員『豚』に当たるらしい。

 

「あいつが豚って呼んだことがないのはぁ……THE人間ってフォルムから明らかに外れた奴とかだな」

「例えば?」

「龍さんの側近のカサゴさんとか?」

「誰だよ」

 

 マジで知らない人が出て来た。見たことも聞いたこともないけど、本当に誰なんだ。

 

「この狭間で五指に入る古株の一人だよ。リザードマンって種族らしい」

 

 その話を聞いて、俺は二足歩行するコモドドラゴンを思い浮かべる。その頭には、自然と魚のカサゴのような鋭利なトサカが生えてきているのは、名前からのイメージに過ぎないけれども、人間の姿とはかけ離れたというと、この想像もまったく外れてるわけじゃないかもな。

 

「ともかく、だ。あいつは人当たりがきついんだよ。十中八九、昔のトラウマだな。俺は見たことあるぜ。戦地帰りの爺さんが、雨の音に怯えるのとおんなじだ」

 

 いったい何の話をしているかは知らないけれど、俺の手助けをしてくれているのはわかる。ララには何かトラウマがあって、それが原因で人との間に壁を作っている。その壁が、ミィの兄貴の治療を拒否する理由に繋がってるんじゃないかってのが、きっとサトヤの予想なんだろう。

 

 ただし、その壁の向こうとこちらを繋げてくれる扉の在処も、その扉を開いてくれる鍵も俺たちは知らない。

 せめてそのどちらかが見つかれば、勝算の高い説得をできるかもしれないが――

 

「今、あいつに一番近いところに居るのはお前だ、ナオ」

「はあ」

 

 赤ら顔は変わらないけれど、どこか真面目なサトヤは言う。

 

「闇ん中は暗いからな。どこに進むにしても、光を灯してくれる奴が必要なんだよ」

「……そうだな」

 

 サトヤの話に、俺は静かにうなずいた。

 今、この外のベンチの周りだって、街灯や月に照らされて初めて、歩くことができるんだ。その光が何もなくなってしまったら、家に帰ることだってできやしない。

 

 例え照らしてくれるのが夕焼けの赤色でも、それは必要なものなのかもしれない。

 

「っと、そろそろ帰らなきゃな。一応言っておくが、俺が外に出る時にゃ、午前一時の五分前だったぜ」

「うわっ、まじかよ……流石に寮に帰るか」

 

 なんだか頭が冴えてしまって眠れる気がしないけれど、流石に丑三つ時を回るころまで夜更かしをするのは、休みを挟むとは言え明後日の仕事に響きそうだからやめておこう。そう思って俺がベンチに立ち上がると、サトヤもそろってベンチから立ち上がった。

 

 その時、サトヤは火のついた煙草を、拳で握りしめた。まだ一回しか吸ってないのに。俺はそれを見てぞわっとしたものを感じた。そして続いて言うのだ。

 

「それ、熱くないのか?」

 

 俺の言葉に目を丸くした後、握った拳を見下ろしたサトヤは言う。

 

「慣れてるからな」

 

 その時開いた手には、BB弾よりも小さく圧縮された煙草が、月のように手のひらに転がっていた。

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