狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
一週間ってのは重要だ。なにせすぐに過ぎてくってのに、振り返って初めて長い時間だったっと気付くんだから。つまり何を言いたいのかと言えば、火という手掛かりを見つけたくせに、その次の段階に進む糸口を、一週間かかって見つけられてないってこと。
なんだか酷く時間を無駄にした気がして、焦っている自分を自覚する。この間にも、ミィの兄貴の容体は大丈夫なんだろうかと、考えてしまう。
一応、この一週間の間に二度、蓮歌の奴がララの説得に向かったが、結果はなしのつぶても同然。もちろん火についての話は共有しておいたが、とてもじゃないが説得の役に立つわけもなく、結局何も得ることもないまま、撃沈することになった。
こうなるともう、俺の説得も無理な気がしなくもない。だってララ、絶対俺のことが嫌いだからな。嫌いじゃなくても、煩わしいとかうざったいとか、まあ見るからにマイナスなイメージであることには違いない。秘密兵器張りに出番を取っておいてあるが、塩漬けのまま作戦終了が目に浮かぶようだ。
そんなこともあって、洗濯物の最中でも、ララの方に視線が行ってしまう。
「……ナオ」
「なんだ、ミィ」
「ララ見てるけど、どうしたの?」
この頃になればもう、ララのことをじっくりと観察していることを隠さなくなってきた。あれやこれやと言い訳を重ねて誤魔化せる余裕がなくなってきたと言った方が正しいか。刻一刻と経過する時間が、俺の精神を蝕んでいると言っても過言ではない。
『「あなたには関係ないでしょ!」だってさ。まあ、その通りなんだけどさぁ……』
少し前の記憶から聞こえてきたのは、説得に行って来た蓮歌の報告だ。肩を落とした彼女は、珍しく気落ちした調子を取り戻せずにいた。どうしてそこまで頑ななのか。
「ナオ」
「なんだ、ミィ」
「ララの方見てる」
ちらりと見れば、隣でミィもララのことを見つめていた。真似っこだろうか。可愛い奴め。
「うぬぬ……ちょっと、あんたら!」
と、ここで見つめられていたララが飛び跳ねるようにこちらに飛んで来た。きっと視線に堪え切れなくなったんだろう。
「なんのつもりよ毎回毎回……なに? あんたも私に変なこと頼もうってんじゃないでしょうね!?」
しかもかなりキレ気味だ。いつも俺をいじめている時とは口調も顔も全然違う。どうやら最近の説得ラッシュが相当頭にきている様子。これで俺もその一味だとバレたら(まあ十中八九、バレてるだろうが)、それこそ殻に閉じこもってしまいそうだ。
ここは穏便にやり過ごすか。
「そりゃあ、いつだって仕事の量を減らしてほしいと頼むタイミングは見計らっているがな、別に話聞いてくれないだろ、お前」
「……」
あらかじめ考えておいた言い訳ということもあって、すらすらと口を突いて出てきた言葉だけれども。訝しげな目をしたララは、くるくると何を言い出すでもなく、俺の周りを飛び回る。
「なにかあったか?」
あくまでもしらばっくれる。無関係を装う。ただ、その口の裏では、じりじりと焼き付くような焦燥が俺を取り囲んでいた。まるで火あぶりの刑。苦しくて苦しくて大きく息を吸いたいのに、吸ってしまったら最後、死んでしまう。
まあ、火あぶりと例えたならば、結局口にせずとも、俺に訪れる未来は同じということだ。
「あんた、隠し事してるわよね」
俺の目のすぐ前で止まったララの瞳が、まっすぐ俺を見つめて来た。嘘をついているか、確かめる腹積もりなのだろう。俺は何も言うことなく、後ろめたいことなど何もないとまっすぐ視線を受け止めた。
「やっぱりね」
ただし、その程度の虚勢、ララにはお見通しだったようだ。眉根を歪めて怒りを露わにするララ。しかもその怒りは、魔法としても表に現れた。
「あ痛ぁ!?」
久しぶりにケツをしばかれ、思わず声を上げてしまう。しかもそこから足元を掬うような衝撃が走って俺の体が地面に転がった。
「な、にしやがる!!」
流石の俺も、理不尽極まりないララの魔法に怒りの声を上げた。いや、それはいつものことだったかもしれないが、とにかく声を上げたのだ。
しかし上半身を起こして抗議する俺を、氷のように冷たい怒りの視線が貫いた。そのせいで言葉の続きを俺は話すことができず、だから代わりに、目線を合わせるように降りて来たララが言うのだ。
「豚。あんたにも、関係ないことでしょ」
関係ない。ついには説得してすらいないのに放たれた一方的な言葉に、俺は目を丸くする。確かにこれまでのことを考えれば、俺もこうやって説得を一蹴されるのは目に見えてたけどさ。
俺まだ何も言ってないぜ。
だってのに、勝手に決め付けやがってよ。
あー……。
「じゃあ、一週間前」
「……?」
「一週間前、あのまま俺を見送ればよかっただろ」
俺は立ち上がって言った。立ち上がれば視線は高くなり、座っていた時の俺の視線に合わせていたララが遥か下に見える。さっきまで感じていた威圧はどこにもなくなっていて、だから俺は怒りのままに言うのだ。
「変わらないだろ。俺が落ちて、お前が助けた。下まで落ちたら、俺は確実に死んでただろうな。変わらない。変わらないんだ。お前は助けられるんだろう? じゃあ、なぜ助けないんだよ」
幼稚な言葉だ。俺だって助けられた側なのに、それを理由にララを脅している。ただ、そうでもしないと俺は、この怒りのぶつけどころを見失ってしまって……どうにかなってしまいそうだったんだ。
「はっきりしろよ、ララ」
どういうわけか、ララは僅かに後退るだけで、俺と目線を合わせてこようとしない。後ろめたそうに、逃げ出したそうに。
だから俺は。
俺は。
「ミィの兄貴を助けてやれよ」
俺は、言ってしまった。
「……え?」
俺の隣で、ミィの顔色が変わったのが見えた。それは無表情な彼女からしたら、晴天から大嵐に変わるような変化だった。
「な、ナオ……今、なん、て……?」
取り乱すミィの言葉が、地面に落ちてまばらに散らばる。その様子を見て、俺はようやく自分が口にしてしまった言葉を理解した。
今、この場で、言うべきではなかった。
だが、もう、止まれない。
「せめて理由を話せよララ。俺は俺で、お前に振り回されるのはうんざりなんだよ!」
自分が思っているよりも、口にした言葉には力がこもっていた。きっと今までのララに対する怒りも含まれてしまったのだろう。
おかげで対抗するララの言葉も、とても強い力がこもっていた。
「な、なによ! なんなのよ! みんなで寄ってたかって……私が何をしたって言うのよ!」
「何もしてないから言ってんだよ! 下手な希望を持たせるんじゃねぇ! できないならできないって言えよ!」
「っ……そうよ、私は……私には……」
ふと、ララの目が俺ではなく、ミィの方を見ていたことに気が付いた。だから自然と俺の視線もミィの方に向いてしまう。
ミィは。
「あにぃ……生きてる?」
ミィは、不安そうな顔で俺たちのことを見ていた。
けれど俺たちは、ミィが口にした質問に対する答えを持ち合わせていなかった。だから俺たちは、何も言えず――
「死んでる」
言えないはずだった。
けれどララは違った。
奥歯が砕けてしまいそうなほどに歯を食いしばった彼女は、苦しみを顔に出したままそう言うのだ。お前の兄は、死んだのだと。
「お前……何言ってんだよ!」
「どうも何もないでしょ。事実を伝えてあげるのが優しさってやつじゃないの? そうよ。治せないなら、もう死んだも同然じゃない!」
「この野郎……!」
思わず俺がララの体を掴もうとしたけれど、ひらりと躱されてしまった。魔法でもあれば、宙に浮いていても捕まえられるんだろうけど、俺にはそんなものは使えない。もしも今、ララに届くものがあるとすれば……俺には、言葉しかなかった。
「事実って……隠し事ばかりの奴には、言われたくねぇな!」
「隠し事? 何の話よ!」
「ミィの事情を説明しなかったのは誰だよ! 旅館がどんなところも言わずに隠しやがって、あげくにゃ自分のことも何も喋らない奴に、事実だのやさしさだの言われたくねぇに決まってんだろ!」
それは、この狭間に来てから常々思ってきたことだった。
この旅館は、何もかもが霧の中にあるようだ。
過去も事実も真実も、その霧の中じゃ見えやしない。
例えそれが、隠したいと思うことが当然だったのだとしても。そんなものに囲まれたら、窮屈で仕方がない。
「貴方が知らなかっただけじゃない! 私は……私は隠し事なんて……」
「いいや、してる。お前は、隠し事を、してる」
指をさして、俺は言った。
「火が怖いんだろ」
ララの顔が青ざめた。
「それも蝋燭に灯った程度の火でも見たくないときた。……まあ、これが分かったところで大きな意味にはならないだろうがな。だけどな。お前は……お前は信用できないんだよ!」
「っ……」
息を呑んだララの声を聞いて。
或いは、横に居るミィが俺の裾を掴んだからか。
もしくは、騒ぎを聞きつけた誰かの声が聞こえてきたのかもしれない。
「……くそっ」
怒りに沸騰していた頭が冷めて、内側から全身が捲れていくような後悔がやってきた。心臓が小さくしぼみ、肺が呼吸を忘れ、喉の奥から冷たさが込み上げてくる。言い過ぎたなんて言葉は今更で、やるべきじゃなかったという頃には後の祭り。
飲んだ唾がつららになって、胃を貫いたようだ。
俺がどうにかなりそうだった。
けれど。
「私は……!」
けれど、冷めた頭で浮かべた後悔よりも、事態はもっと深刻だった。
「私は、隠し事なんて……してない!」
声を荒げたララが、俺の前で両手を上げた。
「私は怖くない……! 火なんて、怖くないんだから……!」
空間が歪んだように感じた。まるでざあざあと流れる川のように、何かがララの周りに集まっていくのを感じる。それが魔法の発動の予兆であることを、俺は肌で感じた。
どうして感じ取れたのだろうか。今まで散々、お仕置きと称してララの魔法を食らっていたからだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。空間が歪むほどの魔法。そんなものが発動されたら――
「ララ! 俺が……」
果たして謝ったら、取り出した矛を収めてくれるだろうか。
わからない。わからないし、きっとそんなことにはならない。さっきの俺がそうだったんだ。頭に登った血がぐるぐると渦巻いて、自分が何をしているのかなんて訳が分からなくて、目の前のものを、込み上げてきた怒りを、張り裂けそうな苦しさをどうにかするので精いっぱいで――
「うるさいっ!!」
人の言葉なんて、聞いてなんかいられないんだ。
閃光がはじけた。
それは炎のようだったし、真昼の太陽のようだった。
音はなく、熱もない。ただひたすらに強い衝撃が、すぐ近くに居た俺をどこか遠くに吹き飛ばしたことだけが分かった。
地面に転がった感触はなく、意識が明滅していることすら俺は感じ取ることができない。遅れてやってきた肌を刺すような痛みが、ジンジンと熱を持って全身を焙る。
何が起きたのかはわからない。けれど、何かが起こる直前に、ミィを後ろに突き飛ばすことはできたはずだ。アレを受けたのは、きっと俺だけ――いや、違う。
もう一人居たはずだ。
俺と、もう一人。
あの訳の分からない爆発に巻き込まれた女の子が。
「くっそ……ララッ!!」
消えそうになる意識の中で、それでも腕に力を込めて俺は起き上がり、その名前を呼んだ。俺よりも小さくて、儚くて、吹けば飛んでしまいそうな妖精の名前を。
「おい、大丈夫か……おい!」
今になってようやく、周囲の喧騒が聞こえて来た。爆発が起きたのだ。騒ぎになって当然で、立ち上る土煙の中で何人かの人間が、俺の方に近づいてきていたのが分かった。
その中にはミィの姿もあって、彼女の無事に安堵する。けれどまだ、ララは――
「ララッ!!」
ララは、居た。
砂煙が張れた先、爆心地と思われるところにララは浮いていた。
傷はない。どうやら魔法は、使用者には被害を及ぼさないらしい。
けれど、その様子は尋常ではなかった。
まるで赤子のように地面にうずくまった彼女は、虚ろな声で言うのだ。
「ちがっ……私は……私は、なにもして……違うの、みんな……私は助けたかった……だけなのに……」
宛先の無い声はどこに届くこともないまま、空の中に浮かんでいく。
空は暗く、太陽はない。
それもそうだ。洗濯は朝が来る前の仕事で、終わってから朝焼けを見るのが俺たちの日課なんだから。
だからその声も、道を失った旅人のように消えてしまった。
後に残ったのは事件と喧騒。
そこでようやく、俺の意識は途切れてしまった。
「また、なの……?」
行き場を失った後悔を聞きながら。