狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
――綺麗でしょう?
――すぐに壊れてしまうから。
◆
目が覚めた時には、俺は医務室のベッドに寝かされていた。
体は包帯でぐるぐる巻き。ただ、見た目よりもひどくないのか、痛みはあまりないのが救いだ。
さて、ベッドの横の窓から見える太陽の位置から、今が昼であることが分かった。それから今の状況を確かめるためにゆっくりと体を起こせば、窓とは別の方から声が聞こえて来た。
「起きたか」
声の主はペルチーナさんだった。彼女はコーヒーの入ったカップを片手に、パイプ椅子に座っている。俺が起きるのを待っていてくれたのだろうか。愛想は無い人だけれど、少し親しみを感じた。
「ラッキーラッキー。暇つぶしがてらに来てみれば、ちょうど起きた」
前言撤回。暇つぶしに俺の顔を見に来ただけだったようだ。なんだよ暇つぶしって。
「暇つぶしはいいんですが……あー、状況を教えてもらえます?」
ベッドの周りはカーテンで仕切られているけれど、医務室にはペルチーナさんの他に誰もいない様子。だからあれから――俺が意識を失ってからどうなったのか、全く予想がつかなかった。
「君の状態と、旅館の状態。どちらから聞きたい?」
「ララはどうなったんですか?」
起きてすぐに思ったことを、俺はそのまま口にした。
質問を聞いて、ペルチーナさんは一度、コーヒーに口を付ける。それは何ともじれったい仕草だったけれど、おかげでほんの少しだけ、熱を持った頭が冷えた気がした。
「謹慎中だ」
まず一つ、ペルチーナさんは端的にそう告げた。
「それは……魔法を使ったから?」
「いや、どちらかと言えば洗濯物をいくつかダメにしたからだな。新人との口論に関しては、大目に見るのが狭間の方針だ」
それはきっと、狭間にやってくる人間の多くが、問題を抱えているからなのだろう。ただ、俺が欲しかった質問の答えではなかったから、今度はしっかりと、気になっていたことを口にした。
「ええと、ララには、その……怪我とかはなかったんですよね?」
「ふぅん。意外だな」
と、ここでペルチーナさんは目を丸くした。愛想のない彼女だけれど、どこか微笑むように口元を緩めながら、その続きを話してくれた。
「問題はないよ。君が心配するようなことはなにもね。現に周りを見てみなさい。ここに運ばれたのは君だけで、私は今も暇を持て余している」
その言葉に、俺はほっと息を吐く。ただ、その様子を見ていたペルチーナさんは、奇特な人を見るような目つきで訊ねて来た。
「しかし、君は自分の状態よりも先に、君をそんな風にした相手のことを気にするのかい?」
「あー……いや、あれは……6割ぐらい俺が悪いですからね」
「譲歩して6割は、感心した方がいいのだろうか」
6割の言葉を聞いたペルチーナさんは、呆れるようにそう言った。
仕方がないじゃないか。普段のララは、それはもう高圧的で傲慢なんだから。それでもあの時、あの瞬間は、間違いなく俺が悪いんだけど。
「あと、ミィは?」
「彼女は仕事を外れてもらっている。随分と取り乱した様子だったから、今は蓮歌君が一緒に居るはずだよ」
「それは……迷惑をかけたなぁ……」
そしてこっちは十割だ。
言う必要のないことを、最悪のタイミングで口にしたのは俺だし、その動機がララに目にモノを見せてやろうなんて、なんとも幼稚でちっぽけな理由で口にしたとしか思えないからだ。
本当に。
後悔しか、心に残っていないのがわかる。
「あー……」
言葉一つが魂のように体から抜け出ていく。このまますべてを忘れて眠ってしまいたい気分だ。ちょうどここ、ベッドだし。
でも、それだけはできない。
「ペルチーナさん。ララって部屋に居るんですよね」
「謹慎中だ」
「俺を連れて行ってください。ララの部屋に」
これは俺が起こしてしまった問題で。
だからこの問題の後始末は、俺自身で片付けるべきなんだ。
「ふん……ダメだ」
「わかりました。じゃあ俺一人でララの部屋行ってきます」
「……君、自分がケガ人である自覚はあるのかい?」
「馬鹿な奴が馬鹿なことして、痛い目にあっただけですよ」
そう言って、俺はベッドから降りた。
確かに、少し体が痛い。頭を触れば、後ろの方にこぶがあるのが分かった。きっと意識を失ってた原因だろう。
「女子寮は男子禁制だったはずだが?」
「前に一度、忍び込んだってことでとっちめられてるんで今更ですよ」
あの時のことは全くの冤罪だけれど。今度は言い訳はできないかなぁ。
「……」
難しい顔するペルチーナさん。彼女はベッドから降りた俺をしばらく睨みつけるように見つめた後、一口でコーヒーを飲み干して言った。
「わかった。寮長に連絡を入れるから、少し待っていたまえ。それと、主様も同行させる」
「ありがたいですね。同じことが起きた時、しっかりと止めてくださいね」
「……はあ。これは言う必要がないから、言っておく言葉だけれど」
一つ大きな息を吐いたペルチーナさん。ため息よりも大きくて、言葉よりも気の抜けた呼吸の後に、一つ言葉を俺に向けた。それは一方的だけれど、心から言っているのだとわかるぐらいには、まっすぐな言葉だった。
「私は君のことが全く理解できないよ」
「誉め言葉として受け取っておきます」
呆れた風でもなく、かといって偽善者を相手にするように嫌悪に満ちた風でもなく、ただただ純粋に、彼女は疑問を呈しているのだ。
ともあれ俺は、用意してもらった場を台無しにしないように、できるだけ平静になれるように努めた。カッとなって失敗してしまったんだと心に言い聞かせ、同じ轍は二度と踏まないとこぶしを握る。
「俺の目的はなんだ」
決まっている。ミィの兄貴を治療して、ミィを喜ばせることだ。
「だが、人を傷つけてまでやるべきじゃないだろう」
だが、ララのことを蔑ろにしてまで人を助ける理由なんてない。俺はあいつを、めちゃくちゃに傷つけたくて頑張ってきたわけじゃないんだから。
そもそもそれは、俺がミィに言って聞かせた言葉に背くことになる。
人に胸を張れる生き方を。
助けられた側が、素直に喜べる結果を。
「納得のいく終わりを目指すんだ」
それは理想だ。
そうなればいい。
そうなったら嬉しい。
ああ、なんて朧げで、有耶無耶で、確実性も何もない霧のような願いだろうか。
だとしても、それが理想だったとしても、俺は願うんだ。
たとえそれが、どれだけ都合のいいお話でも。
なにせ俺は、この狭間で、そう言う理想にたどり着いたことがあるんだから。
二度と会えないと思っていた幼馴染と再会して、デートまでしたんだ。
二度と会えないと思っていた兄貴が蘇る。ついでにララの問題も解決して万々歳。そんな奇跡があったっていいはずだ。
「ナオ君。主様が来た」
「やあ、ナオ。それじゃあ行こうか、ララの部屋に」
そうして俺は、覚悟を決めた。
◆
移動方法は単純だ。龍さんが医務室とララの部屋を繋げる。これで女子寮の廊下を歩くことなく、直接ララの部屋に行けるとのこと。
流石は神様だ。想像もしていなかった方法で、強引に問題を解決するところはまさに神様で、人智も何もかも及ばないと言わざるを得ない。それでどうして、ミィの兄貴を治せないのかは知らないけれども。
「ここがララの部屋か」
簡素な部屋だ。六畳間の構成は男子寮と全く同じで、俺の部屋と違うところがあるとすれば、来たばかりの俺よりも家具が少ない。というか一つしかない。部屋の真ん中のちゃぶ台だけ。ちゃぶ台の上にはハンカチのようなものが敷かれていて、ララはその上で三角座りをしていた。
「……あによ」
俺が部屋に来たことに気づいたララは、けれど驚いた様子もなく小さく呟いた。チクリと刺すように迸るのは、彼女が俺に向ける敵意だろうか。そして多分に含まれた拒絶。こちらを見ないように窓の外に目を向けているのも、激しい拒絶の表れか。もしも今が昼でなければ、この部屋は陰鬱とした闇の中に落ちていたことだろう。
「……」
俺は息を吸った。
次の言葉を。
次の行動を。
今度こそ、間違えないように。
「悪かった」
膝をつき、手を地面に突け、ちゃぶ台よりも頭を低くして、俺は謝罪した。
例えこの態度をララが見ておらずとも、自己満足でしかなくとも、頭の中を支配する後悔が、鉛のように頭を下げてしまうのだ。そうするべきだと、言うように。
「三つ。三つ、俺は間違いを犯した」
ララは真面目な奴だ。人間嫌いによって俺を見下していようとも、仕事に対する姿勢は誠実で、完璧だ。感情的に見えるその実は、理路整然と働いている。だから俺は、できる限り整然と、自らの過ちを口にした。
「言うべきじゃないことがあった。特にミィの前では、兄貴のことは言うべきじゃなかったんだ」
それが一つ目。
「お前を挑発した。腹が立っていたという言い訳すら立たないぐらい、お前を傷つけてやろうと言葉を振りかざしていた」
愚かな二つ目。
「最後は……」
ほんのわずかに言葉を濁す。
悔しくてたまらなくて仕方がないから。
馬鹿らしくて阿保らしくて、居ても立っても居られないから。
「最後は、お前との関係を、俺は決めつけていた」
「……どういう、意味よ」
最後の最後だけ、俺の意図が伝わらなかったんだろう。
ララの声が、その意図を聞き返して来た。
「そのままの意味だ。俺はお前とは、まったく相容れない存在だと思い続けていた」
「……」
さて、これに気づいたのはいつのことだろうか。
いや、最初から分かっていたはずだ。
だって今まで、ララは悪い奴じゃないと、散々言って来たんだから。
「どんな言葉を使っても、お前は俺の言葉を聞き入れない。そう決めつけていた。……もしかしたら、こちらの意図を汲んでくれるかもしれない。ララの方からどうにもならない事情を教えてくれるかもしれない。そういう、お前からのやさしさを、俺は期待していなかった。それが俺の、三つ目の過ちだ」
だからこれは、俺がその可能性を信じ切れていなかったことが、三つ目にして、最大の過ちだと俺は思っている。
「悪かった」
だからもう一度、俺は頭を下げた。
「だから、教えてくれ」
ただ、頭を下げるだけじゃない。
謝るだけなら、別にここまで来たりしない。
今しかない。今、ここで、あの事件があったからこそ、突っ込むべきだと、踏み出すべきだと思ったから来たんだ。
「治せないわけじゃないんだろう」
俺は自分の手を見た。手だけじゃない。俺の体は、ありとあらゆる場所が包帯でぐるぐる巻きにされている。まるで重症患者のようだけれど、その傷は思ったよりもひどくない。ただ、おかしいのだ。俺はあの時、自分の体が吹き飛ばされるほどの爆発を全身で浴びて、火で焙られるような痛みの中で意識を失ったはずだ。
それにしては、傷が浅い。
浅すぎる。
「治して、くれたんだろう?」
確信はなかった。
俺は医者じゃないし、あの時の意識は朦朧だし、なによりもそれは、ララのキャラじゃない。
だけどもし、もしもだ。あの時、重症だった俺をララが治してくれたんなら、希望がある。
ララは傷を治せるし、ミィの兄貴は助けられる。
だから、あとは――
「教えてくれよ、ララ。俺は、お前のことが知りたい」
後はララが、その気になるだけだ。
だからそれが難しいというのは、最初から分かっていたことだけど。
初めて俺は、龍さんに与えられた頼みごとのスタートラインに立てた気がした。
ララはミィの兄貴を治せる力を持っている。
だけどその力を使うことを拒絶している。
ララと一緒に働いている俺に、説得を頼みたい。
どうかその魔法を使って、死にかけた命を助けてほしいと。
「どう受け取ってくれても構わない。ただ、純粋な事実としてひとつ聞いてほしいことがあるんだ」
一つの事実として。
この狭間の共通の認識として。
「どうやら俺は、この狭間でお前に一番近い人間らしい」
それは龍さんが言っていたことで。
だから俺が説得役を任された根拠で。
「だったら俺は、仲良くなりたいよ。お前のことを知って、一番近い奴から、一番仲のいい奴になりたい。だから、教えてくれ。少しでいい。なんでもいい。お前のことを……」
ララは確かに嫌な上司だ。
高圧的で傲慢で、俺のこといつも豚呼ばわり。何かあればお仕置きと称して魔法を使って尻を叩いて来るし、朝から晩まで終わりのない仕事を突きつけてくる。
ララは確かに嫌な上司かもしれないけど。
仕事はとても効率的で、ミィの面倒もしっかり見ていて、意外と気が回るし、蓮歌の奴の誘いにも乗ってくれる。何よりもこいつも、朝から晩まで旅館のために働いているんだ。
ああ、複雑だ。
複雑すぎてどうしようもない。
俺はララのことが嫌いなのに。
俺はララのことを尊敬してしまっている。
だってこいつは。
「お前のことを、知りたいんだ」
悪い奴じゃ、ないんだから。
「……あんたも」
ぽつりと言葉が落ちて来た。それは晴天の中に先駆けて落ちて来た雨粒のような、これから降り荒ぶ大雨を教えてくれるような調子の言葉だった。
「あんたも、そうやって平気で人の事情に踏み込んでくるから、嫌いなのよ」
俺が顔を上げた時、ちゃぶ台の上からこちらを覗いているララと目が合った。慌てて俺が体を起こせば、ちゃぶ台の縁から足を出して座るララが、呆れた風に言うのだ。
「私の負け。そう、私の負けでいいわ」
「負けって……なにがだ?」
「……意地を張り通せなかった。きっとサトヤあたりに吹き込まれたんでしょう? 私は何か、トラウマを抱えてるって」
開き直ったように語るララは、けれどどこか清々しさすら感じるような態度だ。だからだろうか。思ってもみない方向に話は転がっていった。
「今から私があんたをぶん殴るから、覚悟しなさい」
「は?」
「さあ行くわよ、折れないように歯を食いしばって~」
「ちょ、ちょっと待て、なんでそんな話に――」
嘘みたいな展開の先で、馬鹿みたいな衝撃が俺の頬を強烈に打った。それは俺の意識を刈り取るには十分な威力を持ち、辛うじて意識を失う前に見た、同行してくれた龍さんとペルチーナさんの二人も、流石に唖然とした表情をしていたけれど。
最後の最後で、ララは言うのだ。
「私の過去を見せてあげる。そのためには、あんたに気絶しててもらわないといけないんだけどね」
それならもう少し説明しろよという文句は、暗くなっていく意識の中に消えてしまうのだった。