狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
狐の鼻歌。木漏れ日のヴェール。そよ風が静かに木々を揺らし、揺れる光が穏やかな森に降り注ぐ。
遠くから聞こえて来た同胞の楽しげな声を聞いて、ララの目は覚めた。
「ちょっと寝すぎたかも……」
木の洞から顔を出して、外の様子を確かめれば、朝になってしばらく経ってしまっていることがわかる。いつもなら朝露で喉を潤すところだけれど、遠くに見える太陽が山から遠く離れてしまっているのを見ると、露はすべて地面に落ち、森の中の葉から消えてしまっているだろうと予想できた。
今から探しに行く?
いや、そんな手間のかかることはしたくない。
だからララは、うんざりとした様子で木の洞の家から外に出て、聞こえて来た声の方に向かった。
陽だまりの花畑には、ララと同じような妖精たちが、木々のざわめきに乗ってワルツを踊るように踊っていた。けれど、ララが来ると皆がくすくすと笑い始める。
「あら、寝坊助さんの登場よ」
「寝坊助ララ。寝坊助のララだわ」
「いったい何しに来たのかしら」
幼稚で、自由で、なによりも我儘。
妖精とはそういうものだ。
「あら、私じゃなくて太陽が悪いのよ。あんなに高くに居るのに、連絡もなしに顔を出すんだから」
もちろんそれはララにも言えること。自分じゃなくてあいつが悪い。我儘な妖精は、なんてことはないようにそう返す。
「確かにそうだわ。朝が来るなら教えてくれればいいのに」
「そうよそうよ。私だってずっと眠っていたかったのに」
「そう言われると眠くなって来たわ……」
妖精の一人が大きなあくびをすれば、つられて何匹もの妖精もあくびをしてしまう。ついさっき、ララの寝坊を馬鹿にしたことも忘れてうとうとし始めた何匹かが、ふわりと近くの広い葉の草の上に軟着陸したかと思えば、そのまま眠り始めてしまった。
もちろんすべての妖精がそういうわけではない。例えばあの樹上の一群は、葉の上で眠り始めた妖精を指さして言う。
「あんなところで眠って危ないわ」
「すぐに狼に食べられちゃう」
「まあ、狼が近づいてきているの?」
「私たちは安心よ。狼が来てたって、最初に食べられちゃうのはあそこで眠ってるおまぬけさんたちなんだから」
その身を案じているのか、それとも馬鹿にしているのか。くすくすと笑う樹上の妖精たちは、狼の登場を心待ちにしているかのように、眠る妖精たちを見守っている。
さて、そこから視線を動かせば、地面に近いところで踊っている妖精たちがいる。彼女らは、眠る妖精の上を通過しながら歌っていた。
「踊っていた方が楽しいわよ~♪」
「眠るよりも踊って~♪」
「まるで石だわ、お寝坊さんたち~♪」
てんでばらばらの音階が、目覚まし時計のように眠る妖精たちを刺激する。
「あーもううるさい!」
「あらら~、起こしちゃったかしら~♪」
その時、眉を顰めて起きた妖精が、魔法を使って火を放った。その火は踊る妖精たちの一匹の羽に命中し、瞬く間に全身に燃え移っていった。火だるまの妖精が、力尽きて地面に落ちる。思わずその場にいた全員が、燃え尽きて黒焦げになった妖精を見た。
「あら、あんなものも避けられなかったの?」
けれど、誰一人として動かなくなった妖精を見て、悲しむ者は居なかった。ともに踊っていた妖精も、まるで馬鹿にするような声色で言うのだ。
「あの子のステップはなめくじのようだったから♪」
「きっと風に髪を引っ張られていたのよ♪」
「あらあら、間抜けで可哀そう♪」
気が付けば黒焦げになった妖精の姿はなく、焦げ付いた羽だけが、木の葉のように地面に落ちているばかりだ。そうなればもう、誰もかれもが興味を失ったように散り散りになり、踊る妖精たちは踊り出し、見守る妖精たちは樹上に戻り、眠たい妖精たちは夢の中に入ってしまった。
「……」
何一つ変わらぬ妖精の日常風景を見ながら、ララはくるりと回って近くの小枝に腰を掛けた。そこはちょうど、燃え尽きた妖精の真上に当たる場所。生い茂る草と草の間に見える焦げ付いた羽を見下ろして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「お馬鹿さん。死んだら何も残らないのに」
そうしてララが小枝から飛び立てば、燃え尽きた妖精のことを覚えている者は誰一人といなくなった。
それが妖精で。
だから妖精なのだ。
「みんな、大変!」
さて、その時、花畑に一匹の妖精が、大慌てで飛び込んできた。一体何事か。興味津々といった様子で妖精たちは注目する。
慌てた妖精は言った。
「森が燃やされてる!」
妖精たちは、急いで樹上の更に上に飛び上がった。見渡す限りの森林は、彼女たちの住処だけれど、その一角に火の手が見える。
「人間だ!」
「人間たちだ!」
「また、人間たちがやってきたぞ!」
あの火をつけた犯人はわかっていた。それもそのはず、森に火をつけられるのは、今日だけのことではなかった。
「追い返せ!」
「私たちの森を守るんだ!」
人間は森に火を点け、妖精の住処を奪っていく。
だから妖精は、人間を見つけては魔法を使って追い出そうとする。
「まるで戦争ね」
妖精は目の前の人間を追い出すことに夢中で、ララが呟いた言葉は誰一人として聞いていなかった。
◆
「何人死んだ?」
「わからん。だが……随分と燃やしたぞ」
こちらは人間。
妖精の森を燃やした人々。
十何人もの人間は、鎧を着込み、槍を持って、灰になった森を見ていた。
「あの妖精ども……一体何匹殺せば、居なくなるってんだ……」
顔に浮かべるのは苦渋の表情。怒りと憎しみに、ひとさじの憔悴を湛えたものだ。なにせ彼らはもう長いこと、森に火をつけて回っている。1年、5年、10年――すべては妖精を駆逐するために。
「まだ、俺の息子は起きねぇんだ! あいつらを何匹殺しても……この程度じゃ、全然足りねぇんだ!」
その男は、息子を失っていた。いや、彼の息子は生きているが……妖精の魔法によって、二度と起きることのない夢の中に捕らわれてしまっている。きっと眠りたい妖精たちに近づいてしまったからだろう。
「そうだ! こんなところで諦めてやるかよ! あいつらを、家族と同じ目に合わせてやる!」
その男は、家ごと家族を燃やされた。きっと暗がりをうざったいと思った妖精たちでも居たのだろう。
確かに妖精は人の子供のような姿をしている。けれど根本からして、人間とは相いれないのだ。
例え森を燃やし、その恵みを灰と化そうとも。
妖精をすべて燃やし尽くす。
その火種は確かに、人間たちの心の中で揺らめいていた。
「これも、知ってるわ」
その様子を、ララは燃え残った森の中から見ていた。
他の妖精たちは、灰になった森を捨てて、奥の方へと隠れてしまった。だからララは一匹で、見つかれば殺される危険も覚悟で、人間たちの様子を見つめていたのだ。
「復讐。醜いものね」
ララのつぶやきは小さく、怒りを露わにする人間たちには聞こえない。だから観察するだけならば、誰にも気づかれることもない。
「もうすぐ、領主さまが援軍を連れてきてくれる!」
「ようやく、ようやくなんだな! これで妖精たちを駆逐できる!」
どうやら人間たちは、更なる援軍をもってして、本格的に妖精の森を焼き払おうと計画しているようだ。さて、それが上手くいくだろうか。ララはぼんやりと考えた。
森の中には無数の妖精たちがいる。ララも実際にどれだけの数の妖精が居るのか把握していない。対して、森の外には無数の人間がいる。こちらもララの知識では、具体的な数字を出せない話だ。
妖精は強力な魔法を使って、人間たちを追い払うことができる。けれど、人間は妖精にはない道具を使い、森を焼いて身を守る。
そんなものだから、考えても考えても結論が出なくて、結局「わからないわ」、とつぶやいてどこかへと飛んでいく。ただし、彼女の頭には、人間たちの増援のことを仲間たちに伝えてあげようなんて気持ちは、ちっともなかった。
◆
時間が経てば、空にあった太陽は森の中に沈み、星空が覆う夜が訪れる。今日は月が昇っていて、とても明るい日だ。だから村のある草原から、一人森へと近づく男の姿は、松明がなくともよく見えた。
金色の髪に、希望に満ちた瞳。年若い顔つき。何よりもその足取りは、戦いに向かう兵士のようにも、表彰台に上る少年のようにも見える。
びゅうと吹いた夜風が、寒々と彼のマントを煽った。
「おっと、危ない危ない」
腰につけていた袋が風に飛ばされないようにと、男は軽く押さえ、風に耐える。強い風だ。思わず自分の体も飛ばされてしまいそうになる。
妖精の仕業だろうか。
間違いない、妖精の仕業だ。
だから男は、夜にもかかわらず大声で呼んだ。
「ララ~!! 風を止めてくれー!」
すると嘘みたいに風が止む。その結果に胸を撫で下ろした男は、僅かに口元に笑みを作りながら、月明かりの中で森へと近づいた。
そしてようやく、森の境界線にたどり着いたところで、その一線を踏み越えないように気を付けながらその場に座り、もう一度、彼女の名前を呼ぶのだ。
「来たよ、ララ」
今度は気さくに。
すると、森の闇の中から一匹の妖精が姿を現した。
「うるさいのよ、アレク」
キンキンとする耳鳴りに頭を抱えながら現れたララもまた、森と草原の間にある、見えない一線を越えないように、一本の小枝に腰を掛けた。
そして二人が向かい合えば、口元だけに浮かべられていたアレクの笑顔が、顔全体に広がっていった。そしてまたもや、耳鳴りがするほどの大声で彼は言う。
「また会えて嬉しいよララ! ほら、お土産も持ってきたんだよ、見て見て!」
「だーかーらっ、うるっさいって言ってるでしょ! 喋る時ぐらい静かにしてよ!」
月光の夜。
妖精と人間の会合が開かれる。
「さあ、今日も話そうかララ」
「ええ、そうね。もちろん、考えてきているのよね、作戦」
「当り前さ!」
しかも、この会合はただの話し合いの場ではない。
「それじゃあ夜が明けるまで話しましょう。どうしたら、人間が森に火を点けなくなるのか」
「朝になるまで話そうか。どうやったら、妖精は悪戯をやめてくれるのか」
二人はそれぞれの代表だ。
選ばれたわけではない。自ずと立ち上がった、秘密の代表。
だからこれは、妖精と人間の戦争を止めるために立ち上がった、この世界の未来を決める会合なのだ。