狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
ララとアレクの出会いは、何とも刺激的なモノだった。
「何かしら、これ」
人間が森に火を点け始めてから少しのこと、妖精たちは森の見回りをするようになった。利己的な妖精にしては珍しい行動だけれど、住処を失うことに引き換えれば、呑み込める苦痛だったようだ。
ララもその一人。森に人間が近づかないように、森の中を飛んで巡回する。昨日と違っておかしいところはないか。森の中に人間の罠が仕掛けられてないか。目を光らせて森を巡るララの目に、それは文字通り異常に映った。
『プレゼントです。受け取ってください(罠じゃないよ!)』
森の中に立てられた看板。その看板の上には、何とも甘い香りのする麻袋が引っかけられていた。
「怪しいわねー……」
露骨極まりない仕掛けである。そもそもララは文字が読めない。自然に生きる妖精に文字は必要ないのだ。だからララにとってその看板は、明らかに人間の手によって作られた、訳の分からないものでしかない。
その上、あの麻袋。中身はわからないけれど、何とも食欲をそそられる香りを放っている。ちょっとよだれが垂れてきたララであった。
「うーん……」
くるくるとお腹の音が鳴った。今朝は巡回の仕事を無理やり押し付けられたせいで、何にも食べられなかったな、とララは思う。くるくるくる。
看板の周りを飛ぶララ。怪しい。どう見たって怪しいのに、匂いがララの食欲を引き付けて止まらない。
ちらり。ララは周りを見た。
周囲には他の妖精はいないし、看板以外に怪しい人間の道具もない。
「何が入ってるのかしら」
食欲に負けたララは、看板に引っかかった麻袋の紐を魔法で切り、地面に落ちた麻袋の中身を確かめた。
袋を開けた瞬間に広がる香りの爆弾が、ララの全身を包み込む。中に入っていたのはドライフルーツだ。そのわかった瞬間、我を失ったようにララは目の前のドライフルーツにかぶりつき、瞬く間に袋の中身のすべてを平らげてしまう。
「……美味しかったわ」
お腹を膨らませて満足げなララである。食べ終わって毒が入ってたんじゃないかと心配になってしまうけれど、今のところ何もなくて逆に気分が悪かった。
まるで人間が、自分にプレゼントをしてくれたみたいだ。
そんなはずはない。体重の増加によりのろのろと空を飛ぶララは考える。そもそも妖精が何かをプレゼントする時は、大抵悪戯とセットなのだ。
だから不服で、気に入らない。
何が目的なのかわからないから余計にだ。
◆
「おお、やっぱりドライフルーツは妖精の好物だったか!」
数日後、ララがドライフルーツを食べた看板の下に、人間が訪れた。その人物こそがアレクである。
「これで一歩、進んだな」
牛革カバーのメモ帳を懐から取り出したアレクは、すぐにこの出来事をメモにする。続いて、そこから矢印を伸ばすように、妖精が好きそうなものをメモ帳に次々と書き込んでいった。
ドライフルーツを入れたパンも食べるだろうか。パンも食べるとなれば、プレゼントの幅はかなり広がる。しかし、フルーツ系統が好ましいなら、ここはひとつワインなんてどうだろうか。
夥しい文字列が、呪文のように書き連ねられているけれど。その様子を樹上から隠れて見ていたララの感想は以下のとおりである。
「怖っ」
ドライフルーツ美味しかったな。また看板のところに飛んで行ったら置いてないかな。あそこは森はずれだから、他の妖精もあんまりいかないし、もしかしたらあるかもな。
と、ララがこの場に居るのは、やはり食欲が理由なのだけれど。
肝心のドライフルーツはなく、更には例の看板の前で、ニコニコしながら訳の分からない何かを一心不乱にしている人間が居るのだから、恐怖心以外の感情など浮かんでくるはずがない。
ひとまずララは、引き続き樹上で息を潜めて、アレクのことを観察した。
「酒は万能のコミニケーション! 酔った頭は種族の壁だって超えられるはず! ……問題は妖精の口に合うかだよな。聞けば子供の姿をしてるらしいし、そもそも飲ませていいものか」
うんうんと看板の前で唸っているアレク。その様子は何とも無防備なもので、もしも後ろから魔法を放てば、簡単に追い出せてしまいそうだ。
ただ。
「いい匂い……」
彼のマントの下から、あの時のドライフルーツのような香りが漂って来た。もしかしたら、また何か、看板の場所に置いていってくれるかもしれない。そう思ったララは、すぐに追い出すようなことはせず、せめて何か置いていった後でもいいだろうと思った。
「さて、今日は何を置いて行こうかな……」
マントの下をごそごそと漁るアレク。文字はわからない妖精だけれど、言葉はわかる妖精だ。何かを置いてっててくれる。その期待だけで胸が高鳴るララであった。
「今日はこれでいいか。喜んでくれるといいなぁ」
と言って、マントの下から取り出した麻袋を看板に引っかけて、アレクは立ち去った。
アレクが去ってじっくり数分。人間に見つからないようにと、彼が本当にこの場から立ち去ったのかを確かめてから、ララはぺろりと舌なめずりをした。
もう頭の中には、先日のドライフルーツのことでいっぱいで、今すぐにでも看板の引っかかった麻袋に飛びつきたいぐらいの気持ちだった。でもだめ。人間は何を考えているかわからない。もしかしたら、ララが飛びついた瞬間に踵を返して、自分を捕まえに来るかもしれない。
今度こそ注意深く状況を観察するララだったけれど――妖精の我慢は、そこまで長続きしないものだ。
「食べ物食べ物~」
気が付けば鼻歌まじりに看板に近づくララ。注意深くとは何だったのか、その姿はさっきのアレクよりも油断に溢れたもので、今虫取り網でも持ってこれば、簡単に捕まえられそうな無防備さだ。
ともあれ、幸運にもそんな無粋な人間は現れず、ララはウキウキとした胸の高鳴りを壊されることなく、看板の下へとたどり着けた。
――はてさて麻袋の中身は何だろう。残念ながら、ドライフルーツの時のような香ばしい匂いはしないけれど、きっとおいしいものに違いない。魔法で紐を切って看板から麻袋を落とし、中身を確認する。そうすればきっと、私のことを満足させてくれるに違いない。
べちゃ。あら、なにか落ちた麻袋の音がおかしい気がしたわ。でもそんなの関係ない。はてさて中身は何だろう。
――と、歌でも歌い出してしまいそうなララだけれど、そのテンションは袋を開けた瞬間に奈落に落ちることになる。なにせドライフルーツの時とは違い、ララの全身に襲い掛かってきたのは、むせかえるような刺激臭だったのだから。
「な、なによこれ!?」
嗅いだこともないような強烈なにおいだ。一カ月水浴びができなかった狼でも、ここまで激烈に嗅覚を刺激することはないだろう。
思わず叫び声をあげてしまったララは、急いで鼻に手をやってその場から離れ、でろりとスライムのように姿を現した麻袋の中身に目をやった。
チーズである。
しかも青カビのチーズ。もちろん、ララの知識にはない食べ物である。きっとアレクは、人間固有の加工品を味わってもらいたかったのだろうけれど、必ずしもそれが万人受けするわけじゃない。
「酷い、こんなの裏切りだわ!」
美味しいものを食べられると期待していたララは、火山のように憤慨した。ここにアレクが居れば、きっとこう言っていただろう。「美味しいのになぁ……」と。
◆
「さぁて、妖精さんは喜んでくれたかなぁ!」
さて、翌々日。瞼の裏に妖精の喜ぶ顔を思い浮かべながら、意気揚々と森の中を進むアレク。もう少しで、看板のある場所にたどり着く。果たしてプレゼントは受け取ってもらえただろうか。ドキドキと高まる緊張を胸に、更なる一歩を彼が踏み出したその瞬間――ずぼっと地面が下に沈んだ。
「うわぁ!?」
落とし穴であった。もちろん、仕掛け主はララだ。
「いい気味ね、人間!」
「よ、妖精さん!?」
すかさず落とし穴の真上にララが登場。しかも落とし穴の深さは二メートルを超える。自然とララを見上げる形になった。
「ど、どうしてこんなことをするんだい、妖精さん!」
落とし穴にかかったアレクは、これが妖精の悪戯かと思いながら、いったい自分が何をしたのかと嘆く。その様子を見て、高笑いを決めるララは言う。
「よくもあんなものを寄こしてくれたわね、人間! お返しに私からのプレゼントよ……下を見なさい!」
下を見るアレク。よく見れば、足元には泥のような何かが敷き詰められていた。果たしてこれは何なのか。再び顔を上げたアレクに対して、ララはドヤ顔で言った。
「動物の糞よ!」
「動物の、糞……!?」
ピカーン。ここでアレクの頭脳が閃く。酷い匂い。あんなもの。自分が妖精に上げたもの――そう言えば、遠方の人の中には、青カビチーズを受け入れてくれない人もいたよなー……。
「あ、あああれはれっきとした食べ物だよ!」
「うるさいうるさい! あんなもの食べられるわけないじゃない! なによあの匂い! 失神しかけたわ!」
「そんなに……!?」
ここで小話を一つは挟めば、アレクの好物の一つは青カビのチーズである。青カビのチーズを混ぜ込んだサラミは独特の香りと強い塩味、その中で弾ける辛さが、酒の勢いを加速させる。そうでなくとも、チーズ単体でもむしゃむしゃと食べてしまうぐらいには、アレクは大のチーズ好きだった。
「なんてことだ……!!」
カルチャーショックに膝から崩れ落ちかけるアレクであったが、自分の足元に広がるソレのことを思い出してぐっと耐える。代わりに彼は声を上げた。
「美味しいよ!」
「知らないわよ!」
取り付く島もない。じゃあ、ここからどうするか。落とし穴の中は酷い匂いで、今すぐにでもここから脱出したいけれど、洞窟の壁は垂直で、登れそうな引っ掛かりが見当たらない。きっと魔法で作られた大穴なのだろう。じゃあこの動物の糞も魔法で作られたものなのだろうか? いやいや、この鼻の奥を引っこ抜かれたような匂いは、魔法だろうが何だろうが関係ない。とにかく今は、ここから出たい。
「そうだ!」
ピカーン。ここでさらにアレクは閃く。裏切り。あんなもの。怒り。仕返し。きっと妖精は、期待していた食べ物が出なくて起こっているんだ!
「美味しいもの……ここから出してくれたら、美味しいものあげるよー!」
「信じられるわけないでしょ!」
それもそうだ。ララにとってアレクはチーズの化身である。美味しいものと言って、またあの酷い匂いのモノを送り付けられてはたまらない。ただ、これはアレクも想定していた返答で。
「じゃあ、これを受け取ってみてよ!」
マントの下から出したものを、ララに向かって投げつけた。ララは向かってくるそれを華麗に躱そうとしたけれど、空中を突き進むそれが放つ香りは、ドライフルーツの時を超えて、ララの食欲を刺激した。
気が付けば空を飛ぶそれを、体全体を使って受け止め、ララはかぶりついていた。口の中に広がるのは、サクサクとした口触りに、頭の奥が痺れるような甘さ。
夢中になって食べ続けるララに向かって、アレクは言った。
「僕のとっておき……そう! お昼に食べようと思って持ってきたマカロンさ!」
ビシッと決めポーズをするアレクだけれど。マカロンのサクサクに夢中になったララの耳には届いてなかった。サクサクサクサクサク。沈黙の中、マカロンをひたすらに食べ続けるララの咀嚼音だけがこだまする。そうしてたっぷりと時間をかけてマカロンを味わった後、ふうと一息ついてララは言った。
「もう一つ寄こしなさい!」
「じゃあここから出してくれ!」
利害の一致が、アレクを落とし穴から救ったのだった。
◆
さて、それからララとアレクの奇妙な関係が始まった。
アレクは森のはずれ、妖精が近寄らない場所にお菓子を持っていき、その対価にララはアレクと話をする。
「妖精はさ、どうして悪戯なんてするの?」
「そんなの面白いからに決まってるじゃない。尻尾に火が付いた狐が、どれだけ跳ね回るか知ってる? それとも目を塞いだウサギが、いつまで狼に逃げられると思う?」
残酷な妖精の悪戯は、人間たちにとって悩みの種だ。死人だってでている。だから人は森に火を点け、妖精を根絶やしにしようと企むのだ。
「やめてくれない?」
単刀直入にアレクは言うけれど。
「無理よ」
きっぱりとした言葉でララは言った。
「退屈、退屈退屈なのよ。だからやるの。人に言われてやめられるわけがないでしょう」
「まるで、松明を持った子供だ」
手に持った力を、とにかく振り回したい。それで何ができるのかを確かめたくて仕方がない。いや、実際その通りなのだろう。妖精は確かに、子供の姿をしているのだから。
「その……罪悪感とかはないのかい?」
罪悪感。その話を聞いたところで、ララはきょとんとした顔で言った。
「なによそれ」
「……」
他人を害することに対する罪の意識。
妖精はそれが欠けているのだと、アレクは確信した。でも、いったいどうして? なにせ、人間なら自然と身についていることの多いものだ。それは集団で行動するからだとアレクは考えたけれど、妖精もまた、森の中で集団で生活しているのだから、この予想は違うと思った。
では、いったいなぜ?
その答えは、別の日にした質問によって判明する。
今日の献立はいちごのジャムパン。妖精の一口サイズに切ったパンの上に、人の指先程度のジャムを乗せて完成だ。むしゃむしゃと幸せそうな顔で味わうララに、アレクはふとした疑問をぶつける。
「君たちはどうやって生まれるのかな」
「花から生まれるのよ。森の木の洞から咲いた魔法の花は、たまに妖精を産み落とすのよ。みんな、そうやって生まれたの」
意図を話せば、妖精の生態を読み解く以上の意味のない質問だったけれど。ララの答えに、閃きの多いアレクは意図せず妖精が持つ特性の理由に気が付いた。
妖精には親がいない。
最初から、一人きりで生まれる。
だから妖精は自分のことしか考えなくて、人のことが考えられない。何せ親とは、人間にとって初めて触れ合う他人なんだから。誰しも、親の顔色を伺って生きて来た経験があるに違いない。きっとその経験が、人の気持ちを汲み取るトレーニングになっている。
だけど妖精には、それがない。
つながりがない。
他人しかいない。
罪悪感なんて、抱きようもない。
……本当に?
「ねぇ、ララ」
「あによ」
「君にはさ、よく一緒に居る妖精は居なかったの?」
自分の分のパンを頬張りながらアレクは訊ねた。
甘さと酸味のバランスの取れた、とても美味いジャムパンだった。それはララにとっても、同じことで。
「居たわ」
こくりと彼女は、パンを食べる手を止めて小さく頷いた。
「緑色の髪をした妖精よ。私はよく、強い風の日、草原の中を踊っていたわ」
「その子は、今はどこに?」
「追い出されたわ」
「……妖精が?」
妖精が人間を追い出すという話は聞くけれど、妖精が妖精を? アレクの顔に疑問符が張り付く。それは言葉にも乗って、ララの元に届いたから、ララは続けて言った。
「雨の日に、川に呑まれたのよ」
「それは……」
――死んだんじゃないか?
という言葉をアレクは呑み込んだ。きっとそれは、追い出されるという言葉と変わらないから。
「もう名前も覚えてないけど、でも、髪の色だけは覚えてる。草原に吹く風のような、見ているだけで心地よくなる髪だったから。それにあの子は……私の羽を褒めてくれたのよ」
小さく、小さく呟くように、ララは言う。
「『君の羽は、太陽と共にあるのがよく似合ってる。青い空の中にあって、まるで満天の星のように輝いているから』」
それはきっと、思い出の中の言葉なのだろう。けれどその言葉を繰り返したララの顔には、陰が入っていた。
その表情を、アレクはよく知っている。
「その妖精が追い出されて、君は……どう思った?」
「知らないわよ。妖精が一人、居なくなっただけじゃない」
強がるようにそう言うララだけれど、どうにも声に勢いが欠けていて、虚勢を張っているようにしか見えない。だからアレクは続けて訊ねた。
「もう一度、会いたいとは思わないのかい?」
「……」
訪れた沈黙は、鉛のように重く、水の中に居るように冷たいものだった。
「会いたいに、決まってるじゃない」
水底から浮上するように出てきた声に、アレクは答える。
「それを悲しみ、と人は言うんだよ」
「なによそれ。こんな苦しい思いをするなんて……そんな言葉に名前まで付けて、大切にする必要なんてないじゃない。馬鹿じゃないの」
「でも、大切なことなんだよ」
人間は言う。妖精とは分かり合えないと。
けれどアレクは、そんなわけがないと強く確信した。
だって目の前の女の子は、ジャムの甘さに幸せを感じてくれるし。
人間のように、友を亡くして悲しいと思うのだから。
「聞いてくれるかい、ララ」
「あによ」
「このままじゃ、妖精も人間も、たくさん
既に人間は森を燃やし、妖精は人間を追い出すために魔法を使っている。戦争は始まってしまっている。
「僕はそれを止めたい。悲しいをこれ以上、広めたくない。僕はもっと、悲しいよりもうれしいを広めたい。例えば――」
アレクはジャムの瓶を前に出して言う。
「僕たちみたいに、美味しいものを一緒に食べる。そういう嬉しいを、広げたいんだ」
「……人間が追い出されたら」
たっぷりと間をおいて、ララは続けた。
「もうこうやって、貴方と会うことも、ましてや一緒に何かを食べることも、できなくなるのよね」
ララの脳裏には、あの日に消えた緑色の髪が靡いていた。ふわりと香る甘い香りが、その中に加わるのを感じた。
「どうしたらいいのよ」
だからすべてをすっ飛ばして、ララは聞くのだ。
そうならないためには、何をしたらいい?
「! 作戦を立てるんだ! 妖精の悪戯を止めて、人間が森に火を点けなくてよくなる作戦を!」
ララの肯定にかつてないほどの笑顔を浮かべたアレクは、噛みつかんとばかりにララに顔を近づけていった。あんまりにも近いものだから、うざったい顔でララはその場から飛んで離れてしまうけれど、気にした様子もなくアレクは言う。
「君の協力があれば、僕たち二人なら、きっと止められるさ! そしたら……今度は他の妖精も招待して、甘いお菓子のパーティーをしよう!」
「それはやめておいた方がいいわ。きっと、お菓子の取り合いで酷いことになるから」
目に浮かぶ光景に、面白おかしく笑った後、ララは言う。
「またね、アレク」
「あ、ああ! また、ここで!」
ララとアレクの出会いは、何とも刺激的なモノだった。