狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
事の顛末を話せば、妖精の市民権は無事認められた。
妖精の森を中心とした土地は妖精自治区と言う扱いになり、シャーリー伯爵の後ろ盾の元、運営されることになった。
もちろん、全てがすんなりと受け入れられたわけではない。特に妖精の森周囲の住人や領主からは、妖精の悪戯に関する危惧が後を絶たなかったが……すべての責任をシャーリー伯爵と第五王子が受け持つという話が広まってからは、強く不安を訴える声は少なくなっていった。
妖精たちからも、不満の声が出ないわけではなかったけれど、そこはアレクの采配により、しっかりと
「冷たくて美味しいわねぇ、これ。はぁ……まだまだ世界には美味しいものがたくさんだわ」
うっとりとした様子でアイスクリームを食べるララは、くるりと回って周囲を見渡した。
彼女の視線の先には――あくせくと働く妖精たちの姿がある。
「それにしても、妖精たちがここまで素直に働くとは思わなかったわ」
「ララも妖精でしょ」
「それとこれは別よ」
妖精たちは現在、妖精の森の農場で働いている。もちろん魔法を使い、土を耕し雨を降らせ、木や蔦から実を生らせて収穫する。農場は森の焼け跡を開墾したものなのだが、魔法のおかげで規模に見合わない収穫量を誇っていた。
それもこれも、意外と妖精がてきぱきと働いてくれているおかげだ。人に指図されることは好まない妖精だけれど、暇を持て余しているのもまた妖精の特徴だった。だったら、食べたこともない美味しいもののために、暇を使って働くのも吝かではないというスタンスらしい。
とはいえ働かせすぎては元も子もない。責任者としてこの妖精の森の農場を運営しているアレクは、常に気を張って妖精たちの様子を見張っていた。
まあ、それはそれとして。
◆
「ピザって美味しいのねぇ」
「王都に来てさっそく食い倒れって……なんだかララも染まったね、人間に」
「失礼ねぇ、味見よ味見。帰ったらみんなに自慢するんだから」
アレクは時折ララを連れて、王都に出張に出かけていた。
アレクの肩に乗ったララは、なんとも楽しげな様子。わくわくとした様子で王都の景色を観光しながら、あっちの屋台やこっちの屋台で、小さな体に入り切るとは思えない量の買い食いをしていた。まるで観光気分だけれど、一応この出張にも仕事としての意味がある。
一つは妖精の森の運営報告。当然、自治区とはいえ実体は王族の管理地だ。運営に際して責任を負っているアレクには、王を始めとした中央官僚たちに対する報告の義務があった。
更にはもう一つ――
「あ、小さなお人間さん!」
「あら」
さて、買ったものをぺろりと平らげたララの耳に、自分を指さした声が聞こえて来た。アレクと一緒にそちらを見れば、興味津々と言った様子の女の子が、きらきらとした目でララを見ていた。
「そうよー、妖精よ。何かしら?」
「あ、えっと……ほんとに、魔法使えるの?」
「あら、使えるわよ。見てなさい」
そう言ったララは、アレクの肩から降りてふわりと浮かぶ。二対の羽に魔法の力を使って、まるで踊るように飛ぶララは、女の子の周りをくるくると飛んだあと、今度は自分の指先をくるくると回した。ララの人差し指の指先に光が灯る。それは円運動の中でララの指先から離れ、空へと昇って行った。
女の子がその光を見上げれば、ほどなくしてそれは小さな太陽のように膨れた後、七色に輝きながら破裂し、紙吹雪が舞うような光を地面に落とした。
何でもない光の魔法。
言うなればミニチュアの花火のようなものだけれど、それは間違いなく女の子の目には美しく見え、更には周囲に居た大人たちも目を見張る輝きを放っていた。
「なんだ今のは!」
「妖精の魔法らしいわ」
「妖精? あの噂の? 意外に小さいんだなぁ」
ざわざわと遠巻きに妖精の姿を見物する野次馬たち。その姿を一瞥したララは、アレクに訊ねた。
「やっちゃっていいかしら?」
「派手に頼むよ」
そう言うや否や、ララは両手を挙げ、更なる花火を大量に空へと打ち出した。黄色い光が花のように咲き、赤い光が桜のように散る。緑は空に線を描いて飛び、青が円を描いて広がっていく。青空の元、突如始まった花火パーティーはとても華やかで、活気ある王都の中にあっても誰もが目を向けてしまうほどだった。
もう一つの目的。
それは、妖精の存在の喧伝。
人間の世界に現れた隣人の存在を、民衆に広く知ってもらう。
それがアレクが王都出張にララを連れ歩く目的だった。
「昔の私だったら、こんなこと絶対にしなかったわ」
ひとしきりの魔法の花火を打ち上げたララは、腰に手をやって、にかっと笑った。
ララに対してアレクが言う。
「でも、初めてであった時からララは、僕の話を聞いてくれたじゃないか」
「そうかしら?」
「ああ、そうだとも」
ララの記憶では、確か落とし穴に陥れたところから出会いが始まったような気がするけれど……まあ細かいことは気にしなくていいか、と考える。
「でも、間違いなく違う部分はあるわ」
そう言って、ララは優しくアレクに向けて微笑んだ。
「こんな風に誰かのために魔法を使うだなんて、昔の私じゃ絶対にやらなかったもの」
「それは……いい変化だね」
果たしてアレクと関わったからか、或いは妖精が持つ利己性は種族的なモノではなく、閉鎖的な社会の中に生まれた自己防衛の一種だったのか。ともあれ、人間と触れることによって、妖精は変わりつつあった。
ララのように。
「今度はアニーたちも連れてきましょう。そうすれば、大きな魔法であっと言わせられるわ」
「そうしたら王都で話題間違いなしだね。ただ……憲兵さんたちに怒られるかも」
「いいのよ。その時になったら逃げましょう」
今や妖精は、利己的で我儘な種族とは言えないのかもしれない。
「さ、とりあえず……」
「ええそうね――」
「「――逃げろ!」」
花火パーティーは大盛況に終わったけれど、光と音のパレードは野次馬だけではなく、憲兵たちまで呼び寄せてしまった。彼らに捕まれば、お説教間違いなしだ。だから鎧を着たその姿が人混みの向こうに見えたところで、二人は息を合わせて走り出した。
ともすれば二人の姿は、悪戯を成功させた子供のようだった。
◆
さて、憲兵から逃げた二人は、町はずれに来ていた。
「ふぃー……流石に危なかったかも」
「貴方、足が遅いのよ」
「妖精の森に行くまでは……はぁ、家の書庫に引きこもってたからね……」
町はずれと言っても王都の近く。けれどしんと静まり返った景色は、どこか違う世界に迷い込んでしまったよう。ここまで来たら、憲兵たちも追いかけてこないだろうと、アレクは上がり切った息を整えながら、適当な場所に座り込んだ。
「だらしないわねぇ」
「飛んでる君には言われたくないかな……」
疲れ切ったアレクと正反対に、ちっとも息を切らしていないララである。そりゃあ飛んでいるから当然と言いたいところだけれど、そもそもどういう理屈で飛んでいるのだろうか。やはり魔法か。魔法の力なのか。
「って、ここ擦りむいてるじゃない」
と、ここでアレクの腕を見れば、露出している部分に擦り傷が出来ていた。赤い血が滲んでいてとても痛そうだ。
「これぐらい平気だよ」
「ほっといたら化膿するかもしれないでしょ! ほら、ちょっと見せなさい!」
強がるアレクだけれど、ひどく心配した様子のララはふわりと傷の近くまで飛んだ。そして傷の前に来ると、指先に光を灯して魔法を使う。すると不思議なことに、擦り傷はみるみると治っていった。
「すごいな……これも魔法、なのか?」
「ふふん。あったり前でしょ」
どうやら妖精の魔法は、人の傷も治せてしまうらしい。
「でも、別に疲れないってわけじゃないから、怪我しないように気を付けてよね。まったく、アレクがだらしないと私が苦労するのだけれど」
「迷惑かけるね……ふぅ、ちょっと休憩するから、自由にしててよ」
「はーい」
ひとまずアレクが休んでいる間、ララは暇つぶしがてらに高く飛んで、王都郊外の景色を眺めた。アレクが休んでいるのは、路傍の石塀のすぐ横で、周囲には町はずれらしくまばらに民家があり、それらを繋ぐ様にならされた土が道を作っている。遠くに目をやれば視界いっぱいの平原が見え、その中を緩やかな線を引いて、街道が伸びている。
あの街道は、どこまで続いているのだろうか。そんなことを思った自分に、ララはくすりと笑ってしまった。今までじゃ考えられなかったような興味の味。アレクと出会って感じるようになった心の動き。一つ一つが新鮮で、楽しくて仕方ない。
「ねぇ、アレク。あの道はどこまで続いているの?」
「あっちは確か……隣国を繋ぐ道だったはず。興味があるなら、また今度旅に出てみようか?」
「それもいいわね。それじゃあ、あの小川はどんな魚が取れるのかしら」
「さあ、そこまで詳しくは知らないよ。王都に住んでたことはあるけど、外にはあんまり出てなかったから」
「なんだ、つまらないわねぇ」
目に見える景色の一つ一つをアレクに訊ねる。アレクの答えは、必ずしも答えを教えてくれるわけじゃない。けれど、会話の一つ一つが、ララには楽しくて仕方がなかった。
「あら」
だからこれも、ふと見えた景色の一つだ。
「あの動物は何かしら? 猪に似ているけれど、牙もなければ毛も少ないわ。何よりもなんだか……のろまそう」
ソレは平原の柵で囲われた場所に寝転がっていた。よくよく見れば、近くにも同じ動物が群れており、泥をかぶっているものや、悠々と歩いている姿も見える。
ララと同じ方を見て、アレクは答えた。
「あれは豚だね。君の言う猪は、野生に生きる豚のことだ」
「それじゃあ、野生に生きていない猪は何と言うの?」
「豚だよ。人に飼われた猪。それが豚」
まるまると太った豚が、ふとララの方を見た。いや、ララを見たわけではないのかもしれない。豚は平原の牧場に居て、ララとはかなり距離が離れているからだ。ただ、確かにララと豚は、偶然にも目が合った。
ぼんやりとした瞳には何の感情も見て取れず、目が合っているはずなのに、相手の目の中に自分が居ないような奇妙な感覚に陥ってしまう。豚がララから目を逸らした。けれど、それはララを見ることをやめたのではなく、何か別のことをしようと思って目を逸らしたのだろう。豚はどこかに移動し始めた。ゆったりとした動作は、どこか気だるげで堕落しているよう。重い足取りは、見つめるほどに煩わしく思えてしまう。豚が向かう先を見れば、そこには餌箱があった。或いは生ごみの山か。クズ野菜、人の食い残し、或いはそれに集る虫。とても料理とは思えない盛り付けをされた餌箱の中に、豚は顔を突っ込み、浴びるように飯を食べる。
それを見たララは、腹の底から何か、不気味なものが込み上げてくるような感覚がした。
豚が餌箱から顔を出した。
その顔は、残飯に塗れ、醜くララの目に映った。
「人に、飼われた……」
ふと、ついさっきアレクに聞いた言葉が蘇る。
あれは人に飼われた猪だと。
猪は、妖精の森で見たことがある。威圧感のある牙に、筋肉がそのまま固められたような体をしていて、猪に殺された妖精もいるぐらいだ。
けれど豚には、猪に感じられたような何かが欠けていた。
それが何かはわからないけれど。
ララの頭の中に、何かが引っかかった。それは確かな存在感を放ちながらも、その正体を霧の中に隠して、不安だけをララの中に募らせる。
どうにかしてその不安の正体を払おうと、ララは口を開くけれど。
「……豚は、何をしているのかしら?」
霧を振り払う言葉を見つけられないまま、霧のように曖昧な言葉を口にすることしかできなかった。
「うーん……何をしてるってわけでもないけど……強いて言うなら、生きている、かな?」
「それは何か、対価を支払っているわけ?」
ララは知っている。
人間の世界には、あらゆる対価があることを。今しがた王都の路上で買い食いしてきたものだって、硬貨数枚の対価が求められるのだ。
生きるだけで対価が必要。それが、ララの学んだ人間の常識だけれど。
「いや、生きるだけさ。牧場主が餌をくれるし、病気になれば看病してくれる。屋根のついた小屋で、ぐっすりと眠ることもできる」
そんなわけがないとララは思った。
その答え合わせは、続けられたアレクの言葉から。
「ああでも、対価と言えば支払っているか」
思い出したかのようにアレクは言う。
「豚は最後、人の食べ物になるんだ」
その時、再び牧場の豚の一匹が、ララの方に目を向けた。けれど目が合うことはなかった。
◆
「アニー、今日の仕事は?」
「いちごの収穫。今日もたくさん取って、たくさんお菓子貰うよー!」
王都から妖精の森に戻れば、ララも農場で働く一人の妖精だ。労働を通じて、今まで以上に仲間を意識するようになったララである。特にアニーと言う妖精とは行動を共にすることも増えた。
それに他の妖精とも――
「あら?」
と、ララはあたりを見回した。
いつもならここで、もう一人、会話に加わってくる妖精が居たと思ったけれど。
「アニー。ソラカは?」
名前は確か、ソラカだったか。アニーの燃えるような赤とは正反対に、海のように青い髪をした妖精だ。少し沈んだような声をしていて、話に加わる時はどこかおずおずと引っ込み思案な様子を見せていた。だから今日も、会話に加わるに加われないまま、様子を見ているのだろうと思ったけれど……どこにもいない。
おかしいと思い、アニーに訊ねてみるけれど。
「ララたちが王都に行ってる間だったっけな。あんまり見かけなくなったんだよねー。ま、飽きて森のどっかでお昼寝してるんじゃないかな?」
妖精ならさもありなん。
お菓子の対価があったとしても、何時間と農場で働くことを煩わしく思っている妖精は確かに居て、そういう妖精たちは森の奥深くに引きこもって出てこない。
もしかすれば、ソラカもその一人に加わってしまったのかと思ったけれど。
何とも言えない不安がララの胸中に過った。
「あ、てかさてかさ。ララ、王都に行った時の話、聞かせてよ!」
「いいけど……まあ、気にしていても仕方ないわね」
居なくなった以上、探したところで意味はない。もしも煩わしくて離れたのならば、引き戻すのだって迷惑だろう。そう結論付けたララは、アニーに王都での話をしながら、農作業を始めた。
「いいなぁ、王都。私も行きたいなー!」
「こんどアレクに頼んでみようか?」
「いいの? やったー! 私、王都に行ったらそのピザってやつ食べてみたいな。チーズだって美味しそうだし、アイスクリームってのも気になるし……ああ、楽しみ過ぎてどうにかなっちゃいそう!」
まだ王都行きが決まったわけでもないのにはしゃぐアニーを見て、ララはやれやれと笑った。