狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
妖精農場が運営されてから半年が経ったときのことだ。
「私たちも王都に行きたい!」
と、言うのは妖精農場で働く妖精たちの言葉だけれど、それは日増しに大きくなっていた。なにせこの半年、アレクと一緒に王都にララが出張するたびに、アレを食べたこれを見たと、華やかな王都観光の土産話をぺらぺらと喋るのだから、王都への憧れが強くなるのも仕方のない話だった
隣の芝生は青く見えるとでも言おうか。空前の王都ブームの真っ最中である。それどころか、別に王都じゃなくてもいいから、とりあえず妖精の森とは違うところに出かけたいという声も。それはやはり、人間と触れあい、外の世界の存在を知ってしまったからこその欲求なのだろう。
さて、そうして挙げられた訴えに、なんと応じた人物がいた。
それこそが、アレクと共に妖精農場――ひいては妖精自治区の責任者として名を連ねる、シャーリー伯爵である。
「わかった。では、私が何とかしよう」
数週間後、ある書類と共に妖精の森にやってきたシャーリー伯爵は言う。
「これは妖精自治区外での、活動許可証と、就労認可証。要するに、働く代わりに、妖精自治区外でも活動していいということを証明するための書類だ」
もちろん、書類を見せられたところで妖精からしてみれば何の話か分からない。だからこんな声も上がる。
「なんでそんなものが必要なのさ!」
それは書類を見た妖精の一人の言葉だけれど、シャーリー伯爵はどんな疑問も丁寧に答えた。
「それは、人間の多くが妖精のことを知らないからだ。君たち妖精も、最初は森に入ってきた人間を攻撃したりしていただろう。何も知らないとは、とても恐ろしいことなのだよ。だからこれは、君たちが安全な存在だと示すのに大切なものなのだ。お菓子を食べるどころか、前のように人間と殺し合いをするような、そんな日々には戻りたくないだろう?」
子供に言い聞かせるような言葉だけれど、書類の意味は妖精にはしっかりと伝わった――と思われる。多くの理解が、お菓子をたらふく食べるために必要で、その上妖精の森の外に出るには仕方ないという理解しかしてないけれど、それでも書類の必要性はわかってくれたはずだ。
「それがあれば、妖精の森の外に出られるんだよね!」
ララみたいに! とは誰も言わなかったけれど、彼女に憧れていることは、キラキラと輝く妖精たちの目を見ればすぐにわかることだった。だから伯爵も言う。
「もちろん、しっかりと働いてもらうけれどね」
何かを貰うためには、何かを与えなければいけない。既に対価と利益の相互関係は、妖精たちの思考にもしっかりと根付いていた。
「ありがとうございます、シャーリー伯爵」
「いいんだよ」
妖精たちに変わって伯爵へとアレクは礼を言った。
それから、妖精が妖精自治区を離れるにあたって掛けられる制限について、詳しく訊ねる。
「しかし、自由に、と言うわけにはいかないんですよね?」
「まあな」
仕方がない話だが、と伯爵は続ける。
「基本、妖精専用の労働施設の外には出ることができないし、人間の付き添い無しでは外出もできない」
「やはり、ですか」
人間にとって、妖精は未だ未知の部分が多い存在だ。その上、魔法と言う存在が、驚異的に付き纏う。何もない所から火を熾し、川を氾濫させることも、落とし穴を作ることだって自由自在という話を聞けば、危機感を抱いて当然か。
「だが……仕事先でその有益性を示せれば、評価を覆すことができるだろう。妖精の社会進出。その足掛かりになるやもしれん」
「……本当に、ありがとうございます!」
シャーリー伯爵の働きかけに、二度目となる感謝を伝えたアレク。その言葉は打ち震えるように強いものだった。
「さて、では第一人者を選ばなければならない」
妖精自治区外への移動。その一人目の妖精の選定に、アレクは適任者がいますと胸を張って言った。
「アニーです」
「アニーと言うと……」
「僕が二番目に交流した妖精です。社交性が高く、妖精の中でも話をよく聞くタイプでして、対外の交流にはうってつけでしょう」
「なるほど」
アレクの提案に異論はなく、あれよあれよとアニーの派遣は決定された。
「アニーだけずるい~!!」
「そうよそうよ! 私だって森の外に出たかったのに~!」
と、言うのはアニーを羨ましがる声だけれど、早いうちに次の機会が来るとアレクは何とか説得した。もちろんお菓子を交えて。
そうしてこうして、アニーの旅立ちの日が訪れる。
「おっさきー!」
と、自慢げに言ったアニーは、多くの妖精たちに見送られ――というか、羨ましがられながら、シャーリー伯爵の下に飛ぶ。
「アニー嬢。君が派遣される場所はここから少し遠い。それまでの間、この中で休んでいるといい。もちろん、お菓子もある」
「ありがとう、伯爵のおじさん!」
アニーの言った伯爵のおじさんには、隣に居たアレクは少しヒヤッとしたけれど、肝心のシャーリー伯爵はにこにこと微笑んでいたこともあって、大きな問題にはならなかった。
そうしてアニーは、伯爵の手に持った鳥かごのような妖精用の仮宿の中に入り、妖精の森から旅立っていった。
それをアレクとララは、どこか誇らしげに見送った。
かつては殺し合っていた人間と妖精が、本当の隣人として手を取り合う、最初の一歩だと感じたからだ。
それから、第二第三の妖精たちが、シャーリー伯爵の手によって旅立っていく。
彼女らは、派遣先で元気にやっているだろうか。問題を起こしていないだろうか。ともあれ二人は、確かに輝かしい未来を見ていたのだ。
――その時が、訪れるまでは。
◆
違和感はあった。
対価と利益。
何かを与え、何かを受け取る。
その相互性。
違和感はあった。
最初から。
間違いなく最初から、違和感はあったのだ。
◆
ある日の夜のことだ。
妖精農場の仕事も終わり、皆が木の洞に戻り眠りに付いた頃。
「……やっぱり眠れないわぁ」
ぼんやりと夜空を見上げながら、ララは夜の空を飛んでいた。妖精の多くは日が昇るころに起き、日が沈むころに寝るのだけれど、ララは以前から夜中にアレクと密会の約束をしていたり、王都出張の際に夜遅くまでアレクの仕事に付き添っていたりと、夜更かしをすることが多い不良妖精であった。
なので眠れない夜は、散歩に出かけるのが日課になった。
それは森の中であったり、農場の中であったり――たまには自治区の外に出ることもあった。バレたら怒られるけれど、それをきっちりと守るララではない。
バレなければいいのだと言って、ララは夜の遊覧飛行に出た。
「なんか面白いことないかしら」
ソラカもアニーもいなくなってしまったララは、最近急に暇を感じることが増えて来た。もちろん、他の妖精との交流がないわけではないけれど、なんだか物足りないのだ。
こういう時は、アレクにちょっかいを掛けに行くのも面白い。そうでなくとも、アレクに声を掛けに行きたい気分だったララは、そのままの勢いで、妖精自治区のはずれにあるアレクの住む小屋に移動した。
「――伯爵ッ!」
しかし、小屋に近づいたところで、ただ事ではない声が聞こえて来た。
アレクの声だ。確かに騒がしいアレクだけれど、今まで聞いたこともないほど攻撃的な声だった。しかも、伯爵と彼は言っていた。一体何があったのか。ララは密やかに飛び、窓から小屋の中を覗き込んだ。
中にはアレク一人だけだったけれど、彼の前にある机の上には、なにやら一枚の紙が置かれていた。ララは知っている。それが手紙と呼ばれているものだということを。
「アレク」
窓をこんこんと叩いてから、ララはアレクを呼んだ。するとアレクは、びっくりとしたようにララの方を見て、隠すように机の上の手紙を握りつぶした。
それに気づきながらも、気づいたことを隠すようにララは言う。
「どうしたのよ、そんなに声を荒げて」
「ああ、ちょっとね……」
握りつぶした拳が少し緩む。けれど、紙に何が書かれているかまでは、ララにはわからなかった。
「ララこそどうしたのさ。こんな夜に」
「眠れないのよ。昔っから、こうやって話してたからかしら」
「……そうだね」
懐かしい話だ。
妖精と人間の戦争を食い止めるための作戦会議は、誰にも見つからないように夜に行われていた。それももう、半年以上前の話。ただ、その続きを二人が掘り下げることはなかった。
もうララとアレクの間には何もないはずなのに。
まるで無色透明な壁があるかのように。
「……」
ほんの少しの沈黙があった。
時間にしてみれば、一秒にすら満たないだろう。
「……ララ」
その後、アレクがララの名を呼んだ。
続く言葉はない。
「なによ」
ララが聞き返す。
なにか言いたいことでもあるの?
「……いい夜を」
アレクが本当の言葉を呑み込んだのは、ララでもわかることだった。
けれどララは、その呑み込んだ言葉を深く追求しなかった。
――どうして?
簡単だ。
それを訊ねることが、二人の間にある透明な壁に色を付けてしまうことになりそうだから。
「ええ、そうね。あなたこそ」
心にもない言葉を口にしながら、ララはそっと扉から離れ、夜の空を飛んだ。
新月の夜は暗く、星の下にあっても何も見えない。だから闇の中に消えたララの姿を、アレクはすぐに見失ってしまった。
ララは、一人っきりで飛ぶ。
「……」
小さな後悔があった。
眠れない夜の気紛らわしに向かった先で、触れてはいけないパンドラの箱を見つけてしまったような気分だ。そんなつもりはなかったのに。
ただ事ではない様子だった。
それは今も思っている。けれどそれを追及することが怖かった。
心の底から。
「寝よう」
自分の寝床に戻ろうと、ララは指先に光を灯した。妖精と言えど、闇夜の中では明かりが欲しいのは当然で、蛍が飛ぶように淡い光が、森の中をふわりと舞う。
ララの寝床まであと少し。
そんな、時だった。
「あそこだ!」
「……っ!?」
聞いたこともない声が聞こえ、次の瞬間、ララの体を何かが包み込んだ。
「な、なに!?」
「おい! これ、妖精だよな!」
「おう、そうだ! 喋るし飛ぶし、何よりもちいせぇ! 妖精に違いねぇ!」
男の声だ。知らない声だ。荒々しい声だ。恐ろしい声だ。
誰かが近くにいる――
「くっ……この、【
咄嗟の言葉は魔法の詠唱。本来妖精には必要のない手順だけれど、混乱の中にある時は話が別だ。
風を操る魔法。それは力の通り、強い突風を吹かせ、ララの周りに居た何者かを吹き飛ばした。
「な、なによ……何が起こってるのよ……」
荒々しい声が遠ざかったのを聞いてから、ララは急いで自分を包む何かを取り払った。どうやらそれは麻の袋で、ララはその袋を被されていたのだ。
とにかくその袋から脱出したララは、魔法を使って周囲を照らせるだけの光を灯した。すると、その光に二人の人間の姿が浮かび上がる。
浮浪者のようなボロボロの服を着た二人組の男だ。不健康そうで、粗野で、汚らしい。とてもじゃないが、この森の近くに住む人間のようにも見えなければ、この森に居るような人間でもない。
いったい誰なのか?
「お、おい! 逃げんじゃねぇ!」
「逃げるって何よ、あんたたちなによ!」
彼ら二人が何者なのか、ララの問い詰める声に男たちは言う。
「く、口答えすんじゃねぇ! お前を捕まえてなぁ、売らないといけないんだよ!」
「そうだ! そうしたら俺たちゃ、もっといい暮らしができるに決まってる!」
どこか的を射ない返事に、ララは余計に混乱を深めることになる。
捕まえて、売る? 妖精を?
それにいい暮らしって、まるで私たちを商品みたいに――
――商品?
ぞわり、とララの全身の毛が逆立つような感じがした。最初から何か、決定的で致命的な何かを、取り返しのつかない何かを間違えてしまったような予感。ただそれだけの予感が、沸騰した水から湧き出てくる泡のように、腹の底から不快感を込み上げさせる。
何を間違えた?
私はなにに気づいてしまったの?
その答えも分からないまま、男たち二人が自分に向かってくるのが見えた。それに捕まるララではない。ひらりと飛んで、その襲撃を躱した後、ララは数発、男たちの足元に火の球を落とした。
「ひぃ……!!」
恐れをなした男たちは、すぐにその場から離れ、新月の森の中をしゃにむに逃げていく。それを追いかけることもできたけれど、暗い森の中、何が潜んでいるかわからない。だからララは、今起きた出来事を振り返りながら、男たちが消えていった暗闇をじっと見つめた。
間違いなく、今自分は、人間に攫われようとしていたのだから。