狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
大きな疑念がララの中に生まれていた。
昨日現れた、ララを誘拐しようとした男たち。
更に言えば、以前から妖精が行方不明になっていた。もちろん、妖精が突然いなくなることはそこまで不思議ではない。何せ妖精は、死んでしまえば羽を残して消えてしまう。羽も無色透明で、落ち葉に紛れればすぐに見えなくなってしまう。
誰かが死んでもわからないし、そもそも気まぐれな面もある。だから妖精は、誰かが居なくなったことを深く気にすることはないのだけれど。
今回ばかりは違った。
明確に、人間が目的を持って妖精を襲っていたのだから。
野盗だろうか。話には聞いたことがある。行きずりの旅人や村を襲う人間の存在は。けれど、彼らはどちらかと言えば金に目が眩んだ小悪党で、妖精の魔法のことも知らないようだった。
だから注目すべきは――
「妖精が、高く売られている……」
そんなわけがないと、考える。
妖精が商品のように扱われるだなんて、そんな話――だから、ララはアレクにこのことを伝えられずにいた。
なによりもアレクは、妖精と人間の争いを好まないから。
「……どうして、私はそう思うのかしらね」
ふと、アレクの意思を尊重している自分に気づき、ララは笑ってしまう。
自分が今抱いている不安は、アレクと会えなくなってしまうかもと不安に思っているからだと、理解したからだ。人間と妖精が争えば、当然人間のアレクと妖精のララは、今のように仲良しのままでいられるかどうか。
だから、言わない。
「私が、確かめる」
アレクに伝えないまま、解決する。
そう、ララは決意した。
◆
夜、ララは森の中に息をひそめる。
先日のように何者かが、妖精の森に忍び込むのを待っているのだ。
ただ、以前の出来事で懲りたのだろうか。数日待ったところで、誰も入ってくる様子はなかった。
そもそも森は広い。魔法を使って、侵入者を検知するのにも限界がある。それに森への入口だってたくさんあるわけで、入ってくる人間を事前に察知することは難しい。だから徒労に終わるかと思われた――
「また、懲りずにやって来たようね」
「ひぃ!!」
ララが夜の森で待ち伏せをするようになってから一週間が経った頃、例の二人組が再び森に入り込んできたのだ。見つけたのは偶然だけれど、ララはこれを幸運だとは思わなかった。
人間が妖精を誘拐しようとしている。その事実を、どうして幸運だと思えようか。
「さあ、吐きなさい! 妖精を捕まえてどうするつもりなの!?」
「ひぃ、つ、冷たいぃ!!」
「やめてくれぇ……!!」
足を凍らせ、動かなくしてから詰問する。
怯えた二人は、涙を流しながら言った。
「売るんだよ!」
「貴族に!」
「高く売れるんだ!」
「そうしたら、俺たちだって、馬小屋で寝なくても済むんだ!」
口々に弁明する二人組の話を聞いて、ララは頭に熱を感じた。それは結局、仲間意識から来るモノなのか、それともアレクの努力を否定されたからなのかは知れないけれど。
「誰が……誰が、そんなことを許してるのよ!」
怒りのままに、ララは魔法を使い、男の体を強く打った。
「痛いっ……!! し、知らねぇよぉ……た、ただ……妖精が、貴族の間で……は、流行ってるって……聞いて……」
「聞けば妖精ってのは、森に棲んでるらしいじゃねぇか! だ、だったら俺たちも……捕まえて売れば、って……」
流行ってる? そんなにたくさんの妖精が、売りに出されているの?
商品みたいに。
「わかった」
そう言って、ララは男たちを縛る氷の足かせを解いた。
「目障りだから、早く私の前から消えなさい」
「あ……」
殺されるとでも思っていたのだろうか、足が自由になっても男たちは、呆けた顔をしてララを見ていた。だからララはもう一度、腹の底に力を込めて言った。
「消えなさいッ!!」
ひぃ!! っと、男たちは以前と同じように、森の中に姿をくらませる。
そうして消えた姿を見送って、ララは呟く。
「……貴族、か」
ふと、思い浮かんだのはシャーリー伯爵の顔。
本で読んだ貴族のイメージ通りの、貴族らしい貴族だった。
ただ、本の中の貴族は、どこか陰険で腹の内を見せず、プライドが高く頭が回るけれど、彼は、献身的に妖精たちが人間に認められるように協力してくれていた。
妖精が市民権を得たのだって、シャーリー伯爵の協力によるところが大きい。妖精の森を焼き払う兵を止め、アレクの言葉を王に伝え、責任者としてアレクと共に名を連ねる。
更には外の世界を見たいという妖精の言葉に答え、その舞台まで用意した。
いったいどうしてそこまでしてくれるのか。
妖精たちに利用価値があると示した。それは結局、兵を退かせるための文言であって、その後の介護まで確約させるようなものではない。
対価と利益。
シャーリー伯爵の過剰な善意には、裏があるような気がしてならなかった。
「確かめなきゃ……」
ちょうどよく、数日後に王都に出張する予定がある。もちろん、アレクについて行くだけの仕事だけれど、妖精の森の報告会には、責任者であるシャーリー伯爵も当然出席する。
都合がいい。
そうララは考えた。
◆
「なんだか暗い表情だけど、体調でも悪いの?」
「……いえ。平気よ。そうね、ちょっと……森を発つ前に、食べ過ぎただけ」
王都に訪れたララは、アレクの目から見ても思い詰めた様子だったらしい。それに気づいてララは、手のひらでパチンと頬を叩くけれど、そうしたところで変わるものではない。
「本当に大丈夫? 無理に報告会についてこなくてもいいんだよ。よかったら、宿で休んでてくれても……」
「私も行くから!」
「……わかった」
アレクの心配を振り払うような言葉に、流石のアレクもびくりと肩を震わせる。ララもララで、そんなに強く否定するつもりもなかったのだろう、口にしてから慌てた様子で、弁明しようとするけれど、そんな意味もないとわかって黙ってしまった。
どこかよそよそしい風が、二人の間に流れる。
まるで透明な壁があるようだった。
妖精と人。
そこに壁があるべきだと、言うように。
「えっと、アレク。今日は、どうするの?」
「そうだね――」
アレクは太陽を見上げて、時間を計った。
「……父様たちを待たせると悪いから、早々に王城の方に行こうか」
「ん、わかった」
ふわりと飛ぶララは、先を歩くアレクの後ろをついてくのだけれど、その間も言い出せない言葉をもどかしく舌の上に転がしながら、タイミングを見計らっていた。
――本当はね。
――今日はどこのお店に行こうか。
――そう、聞きたかったのだけれど。
ただ、そんなことを訊ねるタイミングなんて見つからなくて、だから会話もないままに、二人は歩いた。
◆
王城での報告会は、今日も恙なく終わった。
もちろん、報告会にはシャーリー伯爵も出席しており、ホッと一息つくような、或いはその時が近づいて生きているような、自分の心の天秤が壊れてしまったような、奇妙な心地のララであった。
「……問い詰める」
相手は伯爵。それも国内で有力な貴族の中の貴族。その階級の意味を知らないララではない。けれど、いざとなったら魔法を使うことも辞さないつもりだ。
真実を知るために、手段を選ぶつもりはなかった。
「ふぅ……」
大きく深呼吸をする。今、ララは伯爵に当てられた客室に近づいている。そもそも、ララはアレクを連れ立って歩かなければ、王城内の移動を許されない立場だ。
もし見つかったらどうなるか。
それでもララは、客室に近づいた。
見つからないよう。バレてしまわないよう。
魔法を使えば簡単だ。風で音を誤魔化して、蜃気楼のように姿を消して、衛兵の横を通り過ぎても、誰もララには気づかない。
コンコン。
そうしてララは、伯爵の客室の部屋の前に来た。最低限の礼儀を払うようにノックをすれば、招き入れるように扉が開いた。
「やあ、妖精君」
「伯爵……」
伯爵は、まるでララが訪れることを分かっていたかのような態度をしていた。ひとまずララを客室に招き入れた伯爵は、扉を閉じてララへと訊ねる。
「なぜ来ることがわかっていたか、と言いたげな顔だけれどね。報告会の時から、私のことを睨んでいたのだから当然だろう」
「っ……」
ハッとなった。すぐ近くに鏡があって、ララはすぐにそちらの方を振り向く。確かにそこに映るララの顔は、緊張で強張ったそれだけれど、そんなに睨んでしまっていたかと考えた。けれど、くつくつと堪える様な笑い声が聞こえてきて、もう一度ハッとなった。
「すまない。ただのかまかけだよ。そも、君が私に注目するのは当然だろう?」
「……」
優位を誇るような笑み。初めて見る伯爵の顔に、ララは呆然とした。完全に伯爵のペースだ。ここに来た理由を切り出さないといけないというのに。
「君が何を求めてここに来たのかを当てて見せよう。アニーの行方。或いは……妖精の扱いについて、だろう?」
「え、ええ、そうよ」
図星を突かれたララは、たじろぐ様に後退した。まるでこの部屋から逃げ出してしまいたいとでも言うように。けれど、なんとか羽をとどめて、伯爵へと向き直った。
その通り。私はそれが、聞きたいの。
「君の懸念の通りだ」
ただ、予想外の答えが返ってきた。
「……どういうこと?」
「ああ、安心してほしい。まず、私は味方だ。アニー君は、しっかりと派遣先に届けているし、君の思うような扱いは受けていないよ」
笑みをひっこめた伯爵は、その顔に嘆き悲しむような藍色の表情を浮かべて話す。
「どうやら、妖精の森から誘拐された妖精が、貴族たちの間で出回っているそうだ。その足取りは、私も追っているが……有力な情報は何も得られていない。彼らは狡猾なことに、金に困った浮浪者を使って、足がつかないように立ち回っているのだ」
それは、ララが予想していた答えとは正反対の言葉だった。
「すまないララ君。君が憂慮することは最もだが、下手に動くと大きな争いを招くかもしれないんだ。ここは私に任せて、引いてくれると助かるよ」
「……あ、そ、そう……」
果たして自分は、どうして伯爵のことを疑っていたのだろうか。貴族と言う言葉一つで、貴族である伯爵まで同じくくりに入れてしまっていた?
「で、でも……そうね。できることなら、具体的な対策を、教えてくれると助かるのだけれど」
「王に進言して、まずは妖精の取引を取り締まるための法を作る。ただ、それには時間がかかるだろう。だから、妖精の森に許可なく立ち入れないよう、警備を強化もする。幸い彼女らのねぐらの場所は教えてもらってるからね。そこを中心に守れば、今までのようにはならないはずだ」
心強い言葉だ。理想論じゃない、現実的な提案。根本を解決しなければいけないとはいえ、取り締まりを強化することが無意味なわけがない。
「それじゃあ、わ、私は……」
「そもそも、君は一人行動が許されていないはずだ。さあ、問題になる前に帰るんだ」
「……そうね」
伯爵は味方だった。伯爵の善意は純粋なもので、ララの考え過ぎだった。それが結論だ。それに、長いこと部屋を開けてしまうと、アレクに心配されてしまう。魔法で部屋に身代わりを作ってきたとはいえ、それがいつバレてしまうことやら。
一方的に言いくるめられたままとはいえ、ここは退くのが賢明だった。
「頼んだわよ」
「ああ、任せてくれ」
微笑むような伯爵の顔を最後に、ララは部屋を出た。
けれど、ララの頭の中では、どこかもやもやとした霧のような不安が立ち込めている。まるで蜘蛛の巣に引っかかってしまったように。
何かがおかしい。
何がおかしいかなんてわからないのに、ただその予感だけが尾を引いている。
気味が悪い。目的は果たしたというのに、どこか釈然としない。
何かが恐ろしくて仕方がない。
自分は何に、ここまで恐れているのだろうか?
「疲れたわ……」
肩の荷が下りた気はしないけれど、報告会も相まって蓄積された疲労だけが、ララの羽取りを重くしている。ひとまず今は、ぐっすりと眠りたい。だからララは、アレクの部屋に戻った。
戻ってしまった。
こっそりと廊下を飛び、人が居ないかを確かめる。窓は鍵が掛けられているはずだから、廊下側からの帰還だ。魔法を使って扉を開けて、中に入る。けれど扉はララが魔法を使う前から開け放たれていて、廊下から中の様子が丸見えだ。
「……アレク?」
部屋の中には一人の男が立っていた。
アレクではない。真冬の外に居るような外套を羽織り、口元を布切れで書くした男だ。右手は赤く塗れている。きらりと光るは物が見えたような気がした。
「アレク!」
部屋を間違えた。咄嗟にそう考えたララだったけれど、男の足元に倒れ伏したアレクを見て、真っ白になった。
アレクの部屋に立つ男に向けて、激烈な突風が吹きつけた。魔法だ。それは男の体を吹き飛ばし、壁にたたきつける。苦しげなうめき声をあげた男の体が床に転がった。
「大丈夫、アレク!?」
「ら、ララ、か……?」
急いでララはアレクに近寄る。蹲ったアレクは、ララの存在に気づき、起き上がろうとした。けれど半分まで体を起こしたところで、苦しそうに倒れてしまう。
「何やってるのよ!」
「は、はは……して、やられたよ……」
仰向けに倒れたアレクの腹は血にまみれていた。床を見れば、赤い色をした固まりが零れ落ちている。それが何か、ララは理解したくなかった。
死。
初めてその現場に遭遇するわけではない。けれどかつてないほどに、ララの心は揺れていた。
「血が、いっぱい……」
今すぐ傷をなんとかしなければ、アレクが死んでしまう。
何とか――
「わ、私が、治せば……」
擦り傷じゃない。大きく裂けた腹の傷。
中身が零れ落ちてしまった致命傷を治す。果たして自分にできるのか。疑問符が渦のように連なって、ララの意識を囲みこんだ。
逃げ道はない。
「……やるのよ、私が!」
ララは手に魔法の力を込めた。
万能な魔法にも制限がある。けれど妖精は、魔法そのものと言っても過言ではない生き物だ。
疲労なんて知ったことか。この命に代えてでも、ここで治さなければ意味がない。
「だって、アレクは……私たちのために、頑張ってくれたんだから……!」
一人で妖精の森に入り、愚直に妖精と向き合って、ついには妖精と人間の戦争を止めてしまった。ララはそんなアレクを尊敬している。知らない世界を教えてくれたアレクに感謝している。
妖精として。
隣人として。
仲間として。
遠い記憶の中で、緑の髪が風に揺れた。
「死んじゃ、だめ……!!」
ララの手が光を放った。それは魔法としてこの世界に現れ、一つの結果へと収束する。奇跡の力。予想もできない結果を引き起こす規格外。
だから。
「……ララ、これは……」
「アレク……!」
だから、アレクの致命傷が癒えるのも、当然だった。
「君が、治してくれたのか」
「そうよ! アレクが死んだら、私……私……」
蘇ったと言ってもおかしくない蘇生劇には、当事者であるアレクも唖然としていた。それこそララなんて、ボロボロと涙を流してアレクの蘇生を喜んでいる。
けれど、アレクは慌てたように表情を厳しくして言った。
「早く逃げるんだ、ララ!」
「……え?」
そう言うや否や、彼はララを手で掴み、急いで窓に駆け寄った。窓の鍵を開ける時間すら惜しいのだろう。ガラスで手を切ることも厭わずに、彼は窓ガラスをたたき割って、ララを窓の外に出す。
「な、なにしているのよアレク!」
「君だけでも逃げるんだ! 早く、ここから遠くに……高く空を飛べば、きっと誰も、追いかけられないから……」
「だから、なんで――」
理解が追いつかないララが、問いただそうと言葉を向ける。けれど、その言葉を遮るように、アレクの背後に影が現れる。
きらりと光ったのは薄い刃。それはさっきの、顔を隠していた男が持っていたものだろう。刃が振り上げられ、アレクの背中を刺した。
「アレクッ!」
ララの悲痛の叫びも意に介さず、刃は何度もアレクの背中を刺し、その命に手を掛ける。そのたびにアレクの口から血がにじみ出し、苦痛に喘ぐ声が漏れだすけれど、それを何とか堪え、最後の力を振り絞って、アレクは言った。
「君だけでも、生きて……」
その言葉を最後に、窓の外にララを出した手に力が失われた。咄嗟にララは羽を広げて空を飛ぶと、倒れたアレクの背後に居た人物の顔がよく見えた。
彼は言う。
「まさか、妖精に人を蘇生するほどの力があるとはな」
それは、シャーリー伯爵であった。
彼は口ひげに着いた返り血をハンカチで拭いながら言う。
「暗殺者が排除され、ターゲットを蘇生されはしたが……計画には支障はない」
その言葉は、氷のように冷たかった。
「何が起きているのかわからないと言ったようだな妖精。だが、行動には気を付けるように。君は今、王子殺害の容疑者なのだから」
意味が分からなかった。
ガラス一枚を隔てて見える景色が夢幻のようにしか見えなくて、何もかも理解できない。
「そうだろう、ララ君。君は妖精農場という管理体制に不満があった。もっと金が欲しい。もっと、もっと。妖精は我儘で利己的な種族。だから責任者であるアレク第五王子を殺し、反乱を起こそうとした」
彼はナイフをアレクから引き抜くと同時に、窓の外に居るララに部屋の中がよく見えるように後ろに下がった。
「この現場を見ろ! 不満をあらわにした妖精は、ついには魔法を使い部屋を荒らし、護衛と共に王子を亡き者にしたのだ!」
荒れ果てた部屋は、間違いなくララの魔法によるものだ。
「ああ、そうだ。こいつも殺しておかないとな」
そう言って、床に転がっていた男の首を伯爵は切った。
「この男は私の護衛だ。私は王子と密会をするためにここに来たが、農場の責任者である私たちを亡き者にした妖精に利用された。ああ、哀れな王子。妖精を信じたがために、こんなにも無残に殺されてしまうなんて」
まるで劇を見てるようだった。
幕の向こうで進む悲劇を。
「貴方が、殺したんじゃない」
見たくもない劇に抵抗するように、小さな声でララが訴えた。
けれど、伯爵は言う。
「君が殺したんだ」
「違う」
「いいや、君だ。君が殺した。そう言うことになるんだ」
「そんなわけがない」
「妖精は幼稚で、自由を好み、我儘に生きる種族だ。だから殺した。だから、殺したんだ」
「ふざけるな!!!」
ガラスの窓に向けて、ララが拳を叩きつけた。
ララの全身が熱を持つ。
「お前が、お前が殺したんだ! お前が……だましたな!!」
「いいや、騙されたのは私たちのほうだ」
今すぐ魔法を使って、伯爵を殺したかった。
けれど魔法を使おうにも、アレクの治療の疲労が大きく、思ったように風が起きない。だったら火を使おうと思ったけれど、アレクの亡骸が立ちはだかる。
アレクの、亡骸が。
「なんで……どうして……助けられたと、思ったのに……」
ララの瞳から涙があふれる。
消えてしまった友人に向けた悲しみが零れ落ちる。
けれど、死を悼む時間すら、ララには与えられなかった。
「あ、アレク王子!? なにがあったんですか!」
アレクの部屋の入り口に、見回りの衛兵と思しき人が現れた。彼が急いで部屋の中に入れば、居合わせた伯爵が言うのだ。
「妖精だ! 妖精が襲ってきたのだ! 早く、早くあいつを殺してくれ!」
伯爵の演技は真に迫っていて、殺されてしまったアレクの死を嘆きながらも、今起きた悲劇に惑う被害者のようにしか見えなかった。そして、窓の外に居るララには弁明の余地もなく、衛兵の敵意が向けられる。
「くっ……おい、応援を呼べ! 王子を殺した妖精が外に逃げている!」
その敵意に威圧され、ララは窓から離れた。その間にも、うわごとのようにララは繰り返す。
「違う。違う……私は、私はやってない。私は……」
けれどそれは部屋の中に居る人間には届かない。
怒りを露わにする衛兵。企みを成功させた伯爵。そして、命を失った亡骸。その誰にも、ララの言葉は届かない。
その逆も然り。
「存分に逃げるといい。まあ、どこにも逃げ道などないがな」
窓から離れ、どこかへ逃げるララの姿を見送った伯爵の言葉もまた、ララには届かなかった。
◆
ララの頭の中は、土砂崩れを起こした後のような混乱が広がっていた。記憶と感情がごちゃごちゃになり、床に散らかったそれらを片付けるには時間が必要だ。けれど、王都に妖精の居場所はなく、落ち着ける場所を探して、ララは彷徨った。
気が付けばララは王都から妖精の森へと帰る道をたどっており、あと少しすれば、他の妖精たちが待つ妖精農場に着く。
王城での悲劇からどれだけの時間が経っただろうか。一日か二日では済まない道のりを、ララは孤独に飛んできた。そのせいか、まるで夢でも見ていたような気分がする。
妖精の森に帰れば、また朝日が昇るころに起きて、アニーやソラカと一緒に、植物の世話をする日常に戻れる。そんな予感がしていた。
それが幻想であることなど、わかっているはずなのに。
アレクが死んだ。伯爵が裏切った。
その事実が夢であるようにと、願わずにはいられない。
ただ。
けれど。
しかしながら。
ララが妖精の森にたどり着いた時には、夜になっていた。いや、それどころか何日も立っていて、ぐるぐると回った時計の針が深い夜を示していた。
夜だと言うのに、しかしララの目には明かりが見えた。とても夜には見えないような明かりが、無数に草原の向こうに見える。
赤く、赤く、赤く。
星空の黒を塗りつぶすような赤い色が、ララの帰るべき場所を覆い尽くしていた。
「妖精を殺せ!」
「やっぱり妖精は危険な生き物だったんだ!」
「次は俺たちが殺されるぞ!」
何百人と言う人間たちの怒声が響く中、妖精の森は轟々と音を立てて燃え盛っていた。
それはまるで、夕焼けのように夜の空を照らしていた。