狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
妖精の羽が落ちていた。
それは燃え尽きた森の中にあった。
ララが呆然とそれを焦げ付いた地面から拾い上げると、ボロボロと形を失い崩れてしまう。
ここには森があった。妖精が住むとされる森が。
けれどもう、その姿は灰の中に埋もれ、見る影もない。
「……最初からだ」
今も瞼の裏に映る夕焼けのように赤く燃える森の姿。けれど、それは偶然の産物ではないと、ララははっきりと理解していた。
「最初から、だったんだ」
燃え盛る景色の中に居たのは、たった数百人の人間。しかし、妖精の森の問題を解決するために伯爵が率いた軍は五千人。明らかに過剰な戦力だ。
改めて考えればおかしい。
火と油があれば、一人だけでもかなり広い範囲を燃やすことができる。しかも、妖精たちが眠り付いた夜間なら、止める手もなくどこまでも広がっていくことだろう。
森は広い。けれど、有限だ。
なのに、どうして伯爵は五千人もの兵士を妖精の森に移動させていた? そこには何か、別の目的があったに違いない。五千人もの人間を動員しても、利益が出るような、そんな目的が。
気づくべき違和感は、最初からあったんだ。
伯爵は妖精の力を見た。有用性を見た。一匹いればすぐに木を生やすことができ、そうでなくとも蔦に枝に果実を実らせることができる。
なによりも、妖精は魅力的だ。王城の蔵書室に引きこもっていた王子が、城から飛び出して保護に走るぐらいに。希少で、美しく、人目を引く。他にはない価値を持つ。
伯爵は最初から、妖精を狙っていた。
けれど、妖精は人間を嫌っていて、まともに捕獲するのは難しい。しかも、近くに住む村人たちが、今すぐにでも焼き尽くそうとしているのだ。
だからこその、五千人の兵士。
けれど、妖精と協定を組み、その取引の内側に入り込んだ方が、兵士を引き連れて森を襲うよりも、もっとずっと簡単に、妖精を手に入れることができる。
アレクを通じて、外のことを語る妖精を与えればもう意のままだ。
考えれば考えるほどに、気味が悪いくらいにピースが揃っていく。
「私が、愚かだったの?」
いや、違う。
この物語の一番最初は、ララではなかったはずだ。あくまでもララは妖精の代表者。別に人間のことなどどうでもよくて、お菓子の甘さに釣られた一人でしかなかった。
だからつまり。
「アレクの頑張りは無駄だったの……?」
灰になった妖精の森を見て、ララは言う。
きっとここには看板があって、その近くには落とし穴が、妖精の花畑が、妖精農場が――すべては灰のように、消えてしまったのだろうか。
「うっ……おぇっ……」
王都からここに来るまで何も食べていないというのに、気持ち悪さだけが込み上げてくる。空虚な嫌悪に何度も殴りつけられる。何もかもが嫌になる。
うずくまって、嗚咽を漏らして、涙すら枯れ果てたのに、胸を貫くような痛みは止まない。死んでしまいそうなぐらい痛いのに。
「――妖精だ!」
遠くから声が聞こえた。
人間の声だ。男の声だ。
あの男は、これからララのことを殺しに来るだろう。
声のした方を見て、ララはぼんやりと思う。
このまま、殺されてしまおうか。
そうすれば、今にも死んでしまいそうな胸の痛みからも解放される。なによりも、この灰に埋まった世界を見なくて済む――
ああ、しかし。
灰の中に埋もれてしまった過去が言うのだ。
『君だけでも、生きて』
いっそ死んでしまった方が楽だと言うのに。
こんな世界で。こんな灰の中で。まだ、生きろと言うのか。
「……っ」
ララは羽を広げて飛んだ。
追いかけてくる人間から逃げるために。
高く、高く。
自分が何をしているのか、それはララにもわからなかった。
それでも、灰に埋もれないようにと。
◆
夜。
王都からここに来るまでの長い道のり、更には帰る家まで失ったララは、疲れ果てた体を休めるために、平原の草の上で横になっていた。しかし、目を閉じて眠ることはできない。いつ、人間が現れるかわからないから。
寒い。
平原を撫でるように吹きすさぶ風が、ただひたすらに冷たい。
いつもなら、洞の中よりも心地よい風だった。なのに、今は心臓すら止まってしまいそうなほど、体が震えてしまう。
火を点けようか。きっと温かいはずだ。
凍えるような寒さの中じゃ、体を休めようにも休まらない。
「【
ボウと音を立てて暗闇の中に火が現れる。
体を起こし、手をかざせば、その温かさが伝わってくる。
凍り付いた体が溶けていくようだ。
けれど、その心地よさは長く続かなかった。
「――おい、あっちに明かりがついてるぞ!」
「身に行こう!」
声が聞こえた。
人間の声だ。ララは火を消した。遠くを見れば、こちらに近づいて来る火の明かりが見えた。すぐにララは自分の過ちに気づく。
急いで岩陰から逃げようと羽を広げたララだったが、疲労のせいか思うように飛び立てない。逃げられない。急いでララは、岩陰に身を潜めた。できるだけ草が高く生えている、岩と地面の隙間に。
人間たちはすぐにララのいた場所にやってきた。
彼らは松明を高く掲げ、見えた明りの出所を探している。
「燃えた後がどこにもない。やっぱり魔法だ! 今の明かりは妖精のものだ! おい、あたりを探せ! まだこの辺に居るかもしれないぞ!」
人間の声の一つ一つが聞こえるたびに、ぐわんぐわんと頭を強く殴られたような衝撃が響く。気持ちが悪い。息を潜めていないといけないのに、吐き気と恐怖の二重奏がララの体の中で暴れ回る。
火が見えた。
ちらちらと揺れ、自分を探し回る火が。
それはさっき、自分が温まるために使った火と同じだ。
まるで自分の行動が過ちであったかのように、火がララのことを探し回っている。
火が。
◆
気が付けば朝になっていた。
火ではない明かりが見え初めて、ララは隠れていた場所から這い出だした。まともに眠ることはできなかったけれど、空を飛べるぐらいに休憩することはできた。
人間に見つからないように高く飛べば、それだけ広い場所を見渡せる。そうしていると、小さな林が見えた。そこはちょうど、あたりに人間の村もなく、体を休めるにはピッタリの場所だった。だからララは林に降り立ち、枝の上で眠りに付いた。
眠った。そうは言っても、深く眠れたわけではない。
瞼を閉じるたびに、これまでの光景が夢の中に現れるのだ。
刃をかざす男が。力を失うアレクが。夕焼けのように燃え盛る森が。自分を探す火が。その一つ一つを思い出すたびにララは身震いし、目を覚ます。けれど体は眠りを求め、瞼を落とすものだから、何度も何度もララはそれを繰り返す。
果たして何度目覚めを繰り返したことか。とにかく、なんとか動けるまでに体調を取り戻したララは、日が暮れてしまった夜空を見上げて思った。
――そうだ、まだ妖精が居なくなったわけじゃない。
妖精の森は焼け、そこに居たはずの妖精は消えてしまったけれど。
その前に、人間社会に飛び立った妖精たちが居たはずだ。
伯爵のことだ。妖精を商品として扱っていると言っても、すぐに殺してしまうとは思えない。妖精は優れた魔法の使い手だ。無理やり働かせられているかもしれない。人間の貴族に買われ、無理やり働かせられているかも。
それがどんなに儚い希望的観測だったとしても、ララにはもう一度、立ち上がる理由が必要だった。でなければ、この木の枝の上からも、飛び立つことができなくなってしまいそうだったから。
◆
貴族階級の情報を仕入れるのは、普通の人間でも難しい。それでもララは、魔法を使って隠れながら、王城や貴族の屋敷を起点にして、情報を集めた。
最初は、妖精の森があった領地の領主の屋敷に行った。馬小屋に潜み、使用人たちの会話を聞き情報を集めながら、領主の馬車がどこか別の貴族のところに行くまで潜伏した。その時が来れば、馬車の屋根に捕まり別の町へ。子爵も伯爵も関係なく、ララはそうやって貴族の屋敷に潜伏し、妖精の話を聞いた。
だからわかったこともある。
妖精の森が焼けたという一大事は、貴族たちにとっても予想外のことで、取引される妖精の値段が急騰しているのだとか。果たして、それはシャーリー伯爵の狙い通りなのだろうか。同業他社が現れる前に、供給源を立ち、自分の商品の価値を上げる。だとしても、妖精を森の木々が咲かす花から生まれる存在だ。いつか消えてしまう商材に、そんなリスクを冒すだろうか。
いや、反乱の芽をあらかじめ摘んだのかもしれない。ともあれ、そうして高騰した妖精たちは、高位の貴族が買い占めているそうだ。
だからララは、伯爵から更に上。公爵や王族に狙いを定めた。
そうしていると、ある公爵の下に妖精が居るという噂を掴む。名をフラント公爵。そのご令嬢が、少し前に妖精を手に入れたというのだ。
初めて手に入れた妖精の在処の情報に、ララは思わず叫び声をあげた。けれど、長いこと誰とも喋っていない喉からは、風が掠れるような声しか出てこなかった。声の出し方を忘れてしまったのか、ララはしばらくの間、仲間に出会ってもちゃんと会話ができるように発声練習をした後、件のフラント公爵家へと乗り込んだ。
屋敷への侵入は簡単だった。侵入者を阻むために敷かれた警備網も、空を飛ぶ妖精には意味をなさない。壁を越え、屋根を超え、使っていない煙突から家の中に入り、天井裏に隠れて、屋敷の中を這いまわる。
「……ははっ」
ふと、自分が何をやっているのだろうかという気持ちになった。
天井裏の埃に塗れて、いつかの昔に綺麗だと褒められた羽を黒く汚しながら、いったい自分は何をしているのか。
それでも彼女は、妖精を探した。
「あっ……」
屋根裏から降り、姿を隠していくつかの部屋を見て回っていた時、一際豪華な部屋の一角に、見覚えのある鳥かごを見つけた。
ララはすぐに鳥かごに飛びついた。
鳥かごの中には、確かに妖精が居た。羽を持つ小さな人。しかもその妖精は、ララも知っている妖精だった。赤毛の妖精。
「アニー!」
鳥かごの格子を握りしめて、ララは彼女の名を呼んだ。ララの存在に気づいたのだろう。鳥かごの中の妖精が、きょとんとした様子で振り返る。その顔は、間違いなくアニーのモノだった。
「アニー! よかった、生きてた! 私よ! ララ! あなたを助けに来たの!」
妖精の森が燃えた日から、世界に一人ぼっちになってしまったような恐怖だけが、ララの心を暗闇の中に閉じ込めていた。けれどその日々は終わりだと、アニーとの再会を喜ぶように、格子の間の隙間から、ララはその手をアニーに向けて差し出した。
アニーもまた、その手を取って言う。
「貴方は誰?」
相変わらず、アニーはきょとんとした様子だった。
「な、何言ってるのよ、アニー。私よ、ララ。妖精の森で、農場で一緒に働いてたじゃない。こんな時に悪戯とか、冗談にしても容赦しないわよ!」
わけがわからない。だって確かに目の前に居るのはアニーで、その記憶には間違いはない。ない、はず。無いはずなのに。
「初めまして、私はエリザベスよ。私と同じ妖精なんて、初めて見たわ」
おしとやかに喋るアニーは、ララを歓迎するように羽を広げた。それがどうにも、ララには気持ち悪く見えた。
「嘘をつかないで!!」
ざわざわと心の内側でうごめいた何かが、大波のような声となってララの口から飛び出した。
「貴方はアニーでしょ!? なんで、なんでそんなこというのよ!」
怒りのままに格子を握り、鳥かごを揺らす。けれどガシャンガシャンときしむ音は、ララの中からも聞こえてきているような気がした。
「ほら!」
魔法を使い、鳥かごの格子を切断する。
ここらから助け出してしまおうと使った魔法は、現実逃避の一種だろうか。ともあれ、鳥かごの格子を何本か風で切り落とし、外に出られるようになった。
「森に帰りましょう!」
そしてララは手を伸ばす。
そうすれば、またあの日に戻れると信じて。
けれど、アニーは手を取らなかった。
「何を、仰っているのかわからないのですが……外に出てしまっては、ご主人様が悲しまれてしまいます」
「なにを、言ってるのよ!」
もう引っ張り出すしかないと思ったのか、今度はララの方から鳥かごの中に入り、アニーの手を取った。けれど、アニーは抵抗する。
「や、やめてください! どうして外に出なくてはいけないのですか!」
「決まってるじゃない! あなたたちは売られたのよ!? 人間が、私たち妖精を、物みたいに扱って! 周りを見て見なさい!」
鳥かごの中は森と比べるまでもなく窮屈極まりない。木の洞のように安心できる場所はなく、ハンカチのような敷物が端にあるだけ。何よりも飛べばすぐに天井にぶつかってしまって、風を感じることもできやしない。
妖精はもっと自由で、我儘で、幼稚で――
「誰なのよあんたは!!」
目の前の赤毛の妖精は、とてもじゃないが妖精には見えなかった。
「わ、私はエリザベス、です。妖精のエリザベス」
「違うわ! 妖精は飛ぶことが好きなの! 葉の上で眠ることが、気に入らない奴を悪戯するのが大好きなのよ! あんたみたいに……そんな、そんな畏まった奴、妖精じゃないわ!」
「……」
いつの間にか、ララの瞳から涙がこぼれていた。
だからだろうか。ララの剣幕に怯え、声を震わせていたエリザベスは、けれど慈しむように掴まれていない方を手をララの頬に当て、その涙をぬぐった。
「ララ、貴方も一緒に暮らしませんか?」
「……な、なんで、よ……」
「外で何があったのかは知りませんが、随分と疲れ切った様子です。ここは暖かく、汚れる必要もありません。食事で困ることも、何かに襲われることもありません」
優しく、非情なまでに優しく手が差し伸べられるのだ。
「外に出る必要なんてないじゃないですか。このかごの中に居れば、なにも困ることなんてないのですから」
ララの腹の奥底でぐつぐつと煮え立つ何かが冷めていくのを感じる。叫び声を上げた声に痛みを感じた。
だから、ララは訊ねた。
お別れの言葉を言うように。
「じゃあ、貴方は……このかごの中で、何をして生きているの?」
エリザベスは言う。
迎え入れるに。
「なにも」
ララは掴んでいたエリザベスの手を放した。それに合わせて、エリザベスもララの頬に伸ばしていた手をひっこめた。
ただ、エリザベスは、ぼんやりと立つララの体を抱きしめて言う。
「ここは安全ですから。そうしたらほら、泣くこともありませんよ」
その時、かごの外から声が聞こえた。
「あー! 妖精かごが壊されてる!」
「あら」
どうやらこの屋敷のご令嬢が部屋に来てしまったらしい。
「エリザベス、どうしてかごを壊したの!」
「あ、すいませんご主人様。ですが、かごを壊したのは私ではなくて、こちらの妖精が……」
そう言って、エリザベスは新たな妖精を主人に紹介しようとしてけれど。
「人のせいにしちゃだめだよエリザベス! 他の妖精なんて、どこにもいないじゃない!」
「え、さっきまでここに居たのに……」
かごの中には、エリザベスが一匹だけだった。
◆
ララは夜の空の中を飛んでいた。
月明かりはなく、遠くにある星は大地を照らせるほどの輝きも持たない。だから、夜の空を浮かぶララの姿は、誰にも見つけられない。
さて、ララは空を飛んでいる。
ただ、飛んでいるだけだ。
どこに向かうでもなく、何を目指すわけでもなく。
ここがどこなのかすら理解しないまま、まるで黒い海の上を漂うように、ララは空を飛んでいた。
ふと、黒い世界の中に昔の記憶が映る。
妖精として自由気ままに生きていた時が。アレクと出会い、彼が持ち込んだ甘味に舌鼓を打つ日々が。妖精たちが花畑でお茶会をし、その対価に農場で働いた時間が。
ララは、アレクと共に懸命に人間社会で妖精が共存できるように努力してきた。もちろん、それはララが人間社会との融和を強く望んでいたからではない。
ただ、失いたくなかっただけなのだ。
今となっては遠い記憶の中で揺れる緑の髪のように、自分が感じている喜びを、暖かさを、感動を、そのすべてを失いたくなかったから、頑張って来た。
けれど。
本当に。
それは。
正しいことだったの?
――『豚は最後、人の食べ物になるんだ』
生きる権利を与えられ、場所を用意され、その中でやるべきことを設定される。
ただ、最後は枝からリンゴをもぎ取る様に収穫される。
同じではないか。
まったくもって。
「……違う」
同じ。
「違う」
自分が生きる理由すらわからず、大きな力に簡単に殺されることがわかっていながら、そんなことにも気づかづに生きている。
「違う!」
豚と妖精、そこに何の違いがあるのだろうか?
「豚はお前らの方だ!」
声を上げた。
夜の中。絶望の中。
涙と一緒に枯れ果てようとしているにもかかわらず、それでもなお懸命にララは声を上げた。
「目に見えるモノの価値も分からずに燃やして、味も分からないくせに咀嚼する……美しい? 何が……見たことないくせに……見たことないくせに!!」
風に揺れる緑の髪が。
陽の光をきらめかせる羽が。
陽気な踊りが。
静かな微睡が。
ちょっとした悪戯が。
死も知らぬ純真が。
妖精なんじゃないのか。
「うわぁあああああああああああ!!!!」
もう、そんなものはどこにもない。
すべては大きな口の中に入り、欲望のままに咀嚼されたあと。
妖精は消え、幻想だけが糞として出て来た。
それが結末。
「……ああ、もう」
それが終わり。
「疲れた……」
ララの体がゆっくりと落ちる。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
どこまでも、どこまでも。
暗い海の中へと。
誰にも認識されないまま。
狭間の底へ――