狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~   作:日野球磨

27 / 30
27話 真珠の豚⑥

 

 妖精は見ていた。

 

「……」

 

 瀕死の患者。治療の方法は不明。

 医学的な知識も、患者に対する知識も不足している中で、それでも妖精が見ていた男は、諦めていなかった。

 

 事実を一つずつ確かめ、借りられる手を借り、目の前にある不明の霧を晴らしていく。どれだけ先にあるかすらわからない闇の中のゴールを、手元にあるカンテラ一つの明かりだけを頼りに目指すようなものだ。歩いている道順が正しいのかすらわからない。

 

 だが、例え闇雲であったとしても、歩くことを止める様子はない。ともすれば、その先には昇る朝日はないかもしれないのに。

 

 対価と利益。

 

 覚えている。

 忘れるわけがない。

 

 人間が何かをするには、利益がなければいけない。

 誰かに何かをしてもらうには、対価を用意しなければいけない。

 

 それは世界のルールだ。

 妖精が覚えた。

 

 だから妖精は人間との融和を望んだわけだし。

 だから妖精たちは、利益のために貪られたのだから。

 

 忘れるわけがない。

 

 けれど、どうにも、腑に落ちないことがある。

 

「ねぇ、豚」

 

 妖精は男に訊ねた。

 

「貴方はどうして、そこまでするの?」

 

 妖精は知っている。

 男にとって、その瀕死の患者は他人だ。いや、そもそもの話をすれば、自分ではない人間は、須らく他人であるはずで、その利益の外側に居る。

 

 男が患者を助けたら何を得られる?

 感謝、承認、達成感――そんなもの、利益と呼べるわけがない。

 

 利益とは物質的な充足だ。自分の扱える自由を価値に取り換えたものだ。自分の欲しいものを手にする権利と言い換えてもいい。そもそも、その患者の治療は努力したからどうなるようなものではないはずだ。

 

 なのに、彼は、諦めない。

 

 隣にいる小鬼の影響? いや、男は小鬼を引っ張っているようにも見える。じゃあ何のために、諦めないのか。

 

「決まってんだろ」

 

 男は言う。

 

「助かった方がいいだろ、こういうのは」

 

 なんて腑に落ちない答えだろうか。

 そんな理想論で、人が動くわけがない。

 

 いや。

 

 違う。

 

 そんな理想論で、人が動くと認めたくない。

 

 だってそれが真実なら。

 

 理想論を掲げて生きることが、あまりにも愚かじゃないか。

 

 妖精は知っている。

 かつて、そんな理想論を掲げ、足元を掬われて死んだ男を。

 

 アレク。

 彼は妖精と人間の争いを止め、共存できる理想を掲げた。その通りに生きた。けれど、彼が歩いた道は、欲深い人間の手によって舗装されたものだった。行き付いた先でついに命を失ってしまったアレクは、その過程で何かを得たのだろうか?

 

 対価と利益。

 

 思えば、彼は支払ってばかりだった。

 妖精に認められるためにお菓子を用意し、戦争を止めるために伯爵や王が作ったルールに従った。

 

 ああ、そうだ。

 

 対価と利益。

 

 アレクはその外側に居た。

 それはなぜか?

 

 そんなの決まってる。

 

『人間が妖精と戦争をして、たくさんの死人が出るなんてさ。そんな、悲しいじゃん』

 

 ああ、知っている。

 アレクは最初から、そう言う人間だった。

 だから妖精は、惹かれたんだ。

 

 無理難題を前にしても理想を掲げ、歩み続けることを諦めず、どんな結末が待ち受けていようとも一歩を踏み出す。

 

 そんな人間に、憧れたんだ。

 

 だから、認めたくない。

 

 だってそれは。

 そんなの。

 そんなもの。

 

「……豚と、変わらないじゃない」

 

 妖精はそれを嫌悪した。

 それは自己ではない誰かの胸三寸で生かされている存在である。

 それは目の前にあるもの価値も分からずに口の中に放り込む。

 それは最後まで、自分が支払う対価の価値すらわからない。

 

 それは妖精で。

 それは人間で。

 それは――

 

 認めたくなかった。

 

 妖精の中でアレクと言う男は特別で、憧れで、優れていた。

 

 けれど彼も同じ人間だ。人間なのだ。

 

 違う。人間を、ひとくくりに区切っている自分も同じだ。

 

 アレクの存在を意図的に外しながら、人間を見下している。それはきっと、アレクと言う存在を不可侵のモノにしたいためだ。そうしなければきっと、自分が憧れたものが、自分が見下しているものと同じだと気付いてしまうから。

 

 いや、そもそもだ。

 自分だって醜くて仕方がないじゃないか。人間は欲深い豚であると決めつけている。それは自分たちが豚であると認めたくなかったから。それだけでは説明できない。

 

 違う。

 これは違う。

 結局それは、認めたくないだけだ。

 

 あれもこれも、何もかもが。

 自分の目に映るすべての価値が。

 そのどこかに、愚かな部分があることを。

 

 アレクは現実が見えていなかった。

 

 妖精は何も知らなくて。

 

 人間は欲深い怪物だった。

 

 すべてが愚かで、改められるべき欠陥である。

 それを認めることは、妖精の中にある美しい思い出に泥を塗り、帰りたいと願った故郷を燃やし尽くし、記憶の中にある憎しみすら裏切るようなことなのだ。

 

 けれど、認めなければ見えない景色もある。

 

 対価と利益。

 

 その価値観に埋もれたものが。

 この世界の仕組みが。

 

 ああ、なんて愚かなのか。

 

「ああ、豚だから」

 

 けれど愚かだからこそ。

 

「輝いて、見えるのね」

 

 ひたむきに進むその姿が、宝石のように輝いて見えるのだろう。

 

 妖精は、男を見た。

 もしかしたら妖精が見つめるのは、アレクだったかもしれない。

 

 ともあれ、妖精の目に映る男は愚かで、醜くて、どうあがいても救いようがない存在だ。自分の得られるものも気にせずに、他者に尽くすだなんて正気じゃない。

 

 それでも彼は進んでいる。

 

 暗闇の中を。

 

 光を目指して。

 

「……忘れてたわ」

 

 かつて、妖精は見たはずだ。

 今目の前の男と同じ光を。

 

 自分を救ってくれた光を。

 

 はるか遠い星のように、記憶の中で緑色の髪が揺れた。

 

 妖精はそれを美しいと思ったから、手を貸したはずなんだ。

 

「ナオ(・・)」

 

 その手に光を灯した。

 

「私が治す」

 

 後悔と恐怖と憎悪。

 怒りと悲しみと喪失と諦観。

 その全てを咀嚼して、その全てを呑み込んで、その全てを腹に抱えたまま。

 

「私が、どうにかしてあげる」

 

 ララは、魔法を使う。

 どんな結末が待ち受けていようとも。

 

 そこに向かう姿こそが、美しいのだと気付いたから。

 

 

 ◆

 

 

 予想外。

 

 これまでの俺の人生で、ここまでその言葉がふさわしい状況はなかった。

 

 ミィへの兄貴の輸血治療。どれだけ一日経ってもその成果が見受けられないまま、暗中模索の治療作戦が続くかに思われた状況で現れたララの鶴の一声が響き渡る。

 

「私が治す。私が、どうにかしてあげるわ」

 

 それはもう、本当に思いもよらない言葉だった。

 

 なにせ見物客でしかなかった俺ですら堪えるような過去のトラウマによって、人の治療を拒んでいたララが、自分から治すと言い出したのだ。

 

「いいのかよ」

「別に、よくないわよ」

 

 どっちだよ。

 と、言いかけた言葉は呑み込んだけれども。

 

「期待は……してほしくないの」

 

 辛く苦しそうな彼女の言葉を聞いて、茶化す気にはなれなかった。

 

「そもそも、私の魔法は、私の世界のモノよ。この狭間で使えるからと言って、別世界の生き物に通用するかわからない。その上、ヴァンパイアって普通の生き物とは違うんでしょ? なら、尚更よ」

 

 いくつもの予防線を重ねて言う。

 それは彼女自身の心を落ち着かせるために積み上げている防波堤のようにも見えた。

 

 傷つかないように。壊れてしまわないように。けれど、それでも前に進むために。

 

「魔法は万能。それは間違いないわ。けれど私は、万能じゃないのよ」

 

 聞いた言葉を咀嚼しながら、俺はミィへと訊ねた。

 

「どうする、ミィ?」

「願ってもない」

 

 大物なのか、子供なのか。前からは考えられないほど堂々とした様子でミィはサムズアップ。それを了承と受け取って、ペルチーナさんの許可も得たうえで、俺たちは再びミィの兄貴の前に立った。

 

「ララさん、器具はどうする?」

「一応、傷の断面についてる奴は外してちょうだい。治した部位に飲み込まれて、融合しちゃうかもしれないから」

「……一介の人間としては、中々に理解に困る返答だが……わかった、そうしよう」

 

 ペルチーナさんはララの指示に従って、ミィの兄貴に付けられた機械のチューブを一つ一つ外していく。その間、ララはじっと仰向けに寝かせられたミィの兄貴を見つめていた。

 

「ララ」

「っ……!」

 

 少し悪いとは思ったけれど、それでも俺は声を掛けさせてもらった。その姿が、どこか震えているように思えたから。

 

 実際、呼びかけに帰ってきた返事は、驚きと脅えが混じったような反応だったんだから。

 

「あ、あによ……」

「集中してたなら悪いな。ただ……大丈夫だ」

「なにが、大丈夫なのよ」

「んー……全部?」

「はぁ?」

 

 俺の疑問符混じりな答えに、正気を疑うような顔をされてしまった。まあそれもそうか。はっきり言って、ここは茶化す場面じゃない。しかしこれも、俺は真面目に言っているんだ。

 

「お前の魔法が失敗したら。そう言う話じゃない。お前の魔法が成功しても、の話だ。魔法が成功して、五体満足を取り戻したミィの兄貴に、不幸なことが起きる。そう言うことは万に一つもない。保証してやるよ」

「それ、あんたに保証されても安心できないのだけれど」

「わかってるよ」

 

 それもそうだ。俺は何の力もないただの青二才。妖精の説得もできなければ、怒らせることしかできない大バカ者だ。

 

 それでも、目の前で怯えている奴を勇気づけるぐらいはできるはずだ。

 

「ミィが居る。怪力は旅館でもトップクラス。何が襲ってきても跳ね返せるはずだ。ペルチーナさんが居る。あの人の医学知識はすごいぜ。それに研究意欲も……ちょっと引くぐらいだ。何か後遺症が起きたって、ばっちりきっちり治してくれるはずだ。それに……龍さんが居る。空間を隔離とかヤバいことができる神様だ。そんなもんが味方に付いている以上、運命だって捻じ曲げられる。だから要するに、大丈夫だ」

「……」

 

 うーん……流石に話が長すぎたか?

 いやでも、ララの顔は、引かれてるって感じじゃなくて、呆れられてるって感じの表情だ。なんだろうか?

 

「あんたねぇ……」

 

 大きなため息の後、ララは言った。

 

「それ、私が失敗しないって言ってるみたいじゃない」

 

 なんだそんなことか。

 そう思ったから、俺は言ってやった。

 

「今まで俺が見てきたララは、そういうやつだったはずだぜ」

「……生意気ねぇ」

 

 なんだか腑に落ちない評価だけれど。

 

「ああ、生意気で嫌になっちゃう。生意気生意気……本当に気に入らない」

 

 そんな風に口では言うけれど、まんざらでもない風に口元に笑みを作っていたのが見えたから、そこまで嫌な言葉じゃなかった。

 

「ララ、準備ができた」

 

 すると、一通りの器具を外し終わったペルチーナさんが教えてくれる。

 だからララは、最後とばかりに俺に言った。

 

「見てなさいよ、ナオ」

「ああ、見せてくれよララ」

 

 ララはその手に光を宿し、ふわりとミィの兄貴に近づいた。

 その顔にはやはり不安の陰りがあり、緊張と恐怖がないまぜになったように眉根を歪めているけれど。

 

 前に進むことを恐れているようには、見えなかった。

 

 魔法が。

 

 光が。

 

「【治れ(ヴァーダ・シィ)】」

 

 どこの世界のものとも知れぬ言葉が、進むべき道を教えてくれるように、世界を照らし出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。