狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
雑用の朝は洗濯物から始まる。
そも、一体なんでこんな大量の洗濯物が出るのか。いや、それだけ狭間の旅館が繁盛してるってことなんだろうけどさ、本当にどこからこんな客が来ているのやら。
「……こりゃ服か」
布団のシーツだと思って洗っていたけれど、よくよく形を見れば、旅館で提供される浴衣だった。なんて大きさだ。これだけあると、龍さんの体格でも余るんじゃないだろうか。
まあ、どれだけ大きかろうと洗濯物は洗濯物だ。目立った汚れを探してゴシゴシ洗えば変わらない。いや、変わるな。大きい洗濯物って洗いずらいんだよなぁ……。
「そこ! なんかサボろうとした気配を感じたわよ!」
「げっ……よく見ろララ! 真面目に働いてるだろ真面目に!」
「ほんとにぃ? ……ふんっ、まあいいわ」
とまあ、俺のことを疑わしげに睨むララを追い返して、ちょっと一息。
「また怒られてんねぇ、ナオ」
ただし、面倒くさい奴に見つかってしまったようだ。
見つかったというか、そもそもこいつは俺のすぐ横で同じように洗濯をしているのだから、見つかるも何もないけれど。ともあれ、その男は面白いものを見つけたとでもいうように、ほくそ笑んでいた。
「辞めろ、
「それは言わないお約束ってことで、ここ一つ」
「じゃあ人のことを煽るな」
まったくもって騒がしい奴だと思う。
本当、
「あにい、しっかり働かないとだめ」
「ごめんってミィ~……! ダメな兄貴でごめんよ~」
「ん、許す」
「許された!」
そう言えば、まだ紹介していなかったか。
こいつはユウ。ミィの兄貴で、先日ララの魔法によって復活した。
長身痩躯。けれど瘦せぎすってよりも余計な脂肪がついていない感じの体つきで、丸く大きな瞳と真っ赤な髪、それに何より頭から生えた二本角から、ミィとの血の繋がりを強く感じさせる。
しかし、ミィのから聞いていた話じゃ、もっとしっかりした奴だと思っていたが……。
「ってことでこれからも迷惑かけるからよろしく頼むぜぇ、ナオ~」
「迷惑を掛けないように努力しろ」
なんだか、聞いていたイメージと随分と違うな。
復活の後遺症か? いやまあ、ペルチーナさんの話じゃ、長期的に飲まず食わずで栄養不足以外に不調は見られないって話だったらしいが……まさか、魔法的な影響で知能が……!?
「あにい、ナオを困らせちゃメッ」
けれど、どこか嬉しそうな顔をしたミィの表情を見れば、そんなことはないのだろう。
「ちょっとあんたら、口より手を動かしなさい!」
ともあれ、ララに怒られた俺たちは、みんな揃って説教をされてしまった。
「はぁ」
なんだか日常に戻った感じがした。
まだユウの奴の怪我が戻ってから、数日しか経ってないってのに。
なんとなく俺は、その時のことを思い出した――
◆
魔法と言う力は、本当に驚くべきものだった。
それは再生とも言い難い再生。肉体を元に戻すという意味では同じなのかもしれないけれど、傷を癒すだとか、治癒能力を高めるだとか、そんな俺の理解できる範囲を超えた再生劇は、まるで傷などなかったかのようにユウの肉体を元通りにしてしまった。
けれど、最初からこうしていればと言う言葉は無粋だろう。
魔法を使い、再生を終わらせた後にララは、まるで怪物に怯える子供のように表情を引きつらせて恐怖していたのだから。
「大丈夫だ」
俺の言葉にどれだけの意味があるのか。それでも俺は、怯えるララに向けてそう言った。
ともすれば、その言葉は隣で事の成り行きを見守るミィに対するものかもしれなかった。
体が再生したユウは、けれどすぐに動き出さない。眠るように沈黙したまま、横たわっている。成功か失敗か。その結論はまだ出ていない。
血が本体。異世界のファンタジーな生き物に対して、別世界の魔法治療がどこまで通用するかは未知数だ。だからこそ、この場に居る誰もが固唾をのんで見守る中……その時は訪れた。
「……ここは?」
ユウが目を覚ましたのだ。
体を起こせば、どことも知れない和室の中で、知らない人間に囲まれていた。彼にとって状況は混乱の極みだろう。けれど、誰よりも先にその名を呼び、ユウへと駆け寄る存在が居た。
「あにぃ……!!」
「ミィ! その恰好は……」
「よかった……生きてて……戻ってきて……本当に……」
前に見た時よりも顔を涙でぐしゃぐしゃにしたミィは、起き上がったばかりのユウの胸に飛び込んだ。俺はそれを見た後、ちらりとペルチーナさんの方へと顔を向ける。
「安心していいよ。精密検査は必要だが、見たところすぐにどうにかなるようには見えない」
「ありがとうございます」
だから俺たちは、兄妹の再会を邪魔しないように気配を消した。ただし、ふらふらと倒れるように飛行高度を下げていくララを見かけたのだ、ちょいと気を聞かせて、手を差し出した。
へなへなと俺の出した手に着陸した彼女は、疲れと安堵を灰色になるまで混ぜ合わせたような顔色をしていた。
それから、ゆっくりと俺の方を見た後、朧気な声で言うのだ
「……助かったわ。ありがとう」
俺は固まった。
驚いた、と言うには俺の中を占めている感情に起伏がありすぎる。なにせ心臓は喜んでいるように高鳴っているのに、その表面には滝のような汗をかいているのだ。しかも頭はどこか恥ずかしくてたまらないし、背中がむずがゆくて仕方がない。
だから俺は冗談も言えずに、ただ一言。
「こっちこそ。ありがとう」
と、言うしかなかった。
手で受け止めたことに対する、憎まれ口を聞くとばかり思っていたのに。
◆
ユウの治療から数日。精密検査で目立った問題が見つからなかったユウは、狭間の旅館の従業員として迎え入れられた。しかもララの下で働くことになったようだ。
流石に新人三人の教育係はきついんじゃないか? と思ったし、実際本人に確かめてみたけれど。
『生言ってんじゃないわよ。これでも私は旅館のベテランなのよ。三人ぐらいちょちょいのちょいで張り倒せるに決まってるでしょ』
『張り倒してどうするんだよ……』
ああ、思い出す記憶こっちじゃなかった。
『ま、いざとなったらあんたに任せるわよ。信じてるわよ、ナオ』
その時俺は、都合のいい労働力扱いかよ、と文句は言ったけれど。
まあ、頼られるのも吝かではないのはその通りか。
ともあれ、そう言うわけでユウは俺とミィと一緒に雑用として働くことになった。めでたしめでたし。
なんて、終わらせるには語らなければいけないことが多すぎる。
例えば、ユウが働き始めて数日経った時のことだ――
◆
洗濯を終えれば日の出の時間。それまでに次の職場に行きがてら、食堂に寄って朝食を貰う日課がある。ただ、その道中で腹ペコのララとミィが先行したタイミングで、俺の肩を引っ張る存在がいた。
「ちょっと話していいか、ナオ」
「いいぞ」
そう言って、俺は遠くに見えるララたちの背中を見送りながら、ゆっくりとペースを変える。
「いやー、しっかりと感謝を伝えてなかったと思ってさ」
「というと?」
「俺を助けるの。それと、ミィの面倒も含めて随分と頑張ってくれたらしいじゃねぇかよ、この色男」
俺とユウが並んで廊下を歩く。
窓の外から見える景色はまだ暗く、太陽が遅刻している様だった。いや、俺たちが早すぎたのか。勇み足に急ぎ足で生き急いでるもんだから、分針を追い越してしまったみたいだ。
「ならそろそろミィのことを引き取ってくれ。まだ俺の部屋に居候してんだぞ、あいつ」
「いやぁ、俺としてはあんまり口出ししたくなくてな。だってあのミィが、自分で俺から離れてるんだぜ。今でもちょっと涙が……」
「シスコン……」
まあ、ミィがユウに頼りきりだった話は聞いている。だから今のミィには、兄として来るものがあるのだろう。それはそうと俺の服で涙拭こうとするのやめてくれない? 兄弟そろって人の服を何だと思ってんだよこいつら。
「ナオは俺たちの恩人だ」
「何言ってんだ。ここに来たばっかりのミィの面倒を見てたのは蓮歌で、進むと決めたのはミィ自身。お前をここまで保たせてたのは龍さんやペルチーナさんだし、実際に治したのはララの奴だぜ」
「やばっ、ミィの言った通りのこと言ってる……」
「はぁ?」
どうやら俺の今の返答は、事前にミィが予言していたらしい。
「俺、そんなにわかりやすかったか?」
「ミィ曰く、自分の仕事を過小評価する傾向在りだってさ」
「なんでいっちょ前にそんな分析ができるようになってんだあいつ……」
ミィの成長は目覚ましい。
そんなことはいいんだそんなことは。
「別に俺は自分の仕事を過小評価なんてしてないぞ。ただ、空回りが多いのも事実だと、そう思ってるだけだ。ミィの時も、ララの時も、お前の時も。さて、俺の行動が思い通りに行った時と、どっちが多いことだろうか」
ミィは俺の心配を撥ね退けて成長したし。
ララの説得は、成功したように見せかけて失敗だ。成功したってんなら、全身にやけどを負って医務室送りになるようなことになってない。
それにユウの治療も、俺はただペルチーナさんの手伝いをしていただけで、何かを先導できたわけじゃない。それだって、結局失敗したわけだしな。
過小評価はしないけれど、過大評価もしなければ。
俺が何かをしただなんて、胸を張って言えるような内容じゃないわけだ。
結局、蓮歌の秘密すら、俺は知ることができないまま――
「昔の話を聞いてくれるか?」
「……んだよ、急に」
「聞いてくれよ~」
「仕方ねぇなぁ……」
猫撫で声ですり寄ってくるユウ。それが気味悪いもんだから、半歩距離を開けてから、俺は話を聞いた。
「俺とミィはオーガの里で生まれた。俺たちのいた世界は……いろんな種族が居たんだぜ。出会っただけでも五十。本によれば数百。亜人って呼ばれる奴らでごった返していた」
半トーン下がったユウの声は、まじめな音で空気を変えた。
だから俺も、黙って話を聞く。
「水棲の奴、羽の生えた奴、夜に生きる奴、昼に生きる奴。種族間の差が激しいもんだから、相容れなくて争いが絶えなかった。そう言う世界だ」
どこの世界も変わらないんだな、と思う。
「これは聞いたか? 俺たちの親は父親の方がヴァンパイアで、母親の方がオーガだってのは」
「初耳だな」
少なくとも、ミィからは聞いたことがなかったはずだ。
「どうして両親がくっついたのかは知らねぇが、ミィが生まれた後に、父親の方はヴァンパイアの里に帰ったんだ。んで、そっからは女手一つで育ててくれた。ハーフなんて扱いにくいだけなのにな」
種族ごとの生態が大きく違うというのは、ヴァンパイアの生態を知ればよくわかる。血が本体だなんてファンタジー、早々いてたまるかと思う。
「だから、母親が死んでから、俺たちはオーガの里を追い出されたわけだ」
「種族の違いか?」
「オーガは寿命が短いからな。40年生きたら死にかけの老人だぜ。そうなったら、子供の姿のままの俺たちなんて、気味が悪くて追い出されたって仕方ない」
ヴァンパイアの寿命がどれだけかは知らないけれど、世代を超えて子供やってる奴なんて、不気味に映って当然だな。
「俺たちは旅に出た。目的地はヴァンパイアの里。ただなぁ……それがいけなかったわけだ」
「何か、あったのか?」
「ヴァンパイア共に目を付けられた。どうやらヴァンパイアにとって、混血ってのはタブーらしくてさ。……いや、もしかしたらそれはヴァンパイアだけの話じゃなかったかも。ともあれ、俺たちの世界には、そう言う信仰があったわけだ」
何も言えなかった。肯定することも、否定することも。
相槌でさえ、余計な言葉のように感じられて。
「父さんに……父親に匿ってもらおうとしたんだよな。ただ……俺たちが見つけたのは、父親の生首だった」
「はあ?」
けれどそこで、俺は思わず聞き返してしまった。
ただ、ユウはなんてことないように言うのだ。
「終わった話だし、正直これは俺たちが悪い話だったんだ。わかるか? 混血が絶対に許されない教義の信仰があったらさ、それを生み出した奴だって罪に問われるのさ。ヴァンパイアの里に向かう道中、俺たちを狙って来たヴァンパイアのことを知ってるんだから、それぐらい気づくべきなのにさ」
「……だが、会いたかったんだろ?」
「その通り」
父親に会いたい。
ヴァンパイアとしてまだ子供のうちに母親を亡くしたんだから、親に縋るのは当然だろう。ただ、それがいけなかったとユウは言う。
「混血を生み出した罪で、父親は体を49分割されてさらし首にされていた。生きてたよ。それで、俺たちを見ていったんだ」
――なんで、出て来たんだ。
「――それで悟った。俺たちが旅に出て、ヴァンパイアに見つからなければ、父さんがあんなふうになることはなかったんだってよ」
その言葉は後悔に満ちていて、痛ましい。
だから続きを、話の続きに移ってでも、話を変えようとした。
「その後は?」
「さらし首があったのは、ヴァンパイアの里のおひざ元だったからな。高位の強い奴らに追い回されて、命からがらってところだ。あとは、そっちの知っての通り」
「だから、あの重傷だったわけか」
得心がいった。
ユウがあんな大けがを負っていた理由に。
ただ、どうにも俺には、まだユウの傷が残っている様だったから。
余計なお世話かもしれないけれど。
一言、言わずにはいられなかった。
「ミィが狭間に落ちてきたのは、家族全員に愛されてたからってわけだな」
「……今の話、本当に聞いてたか?」
「聞いてたって」
怪訝そうな顔になるユウ。
だから俺は言っておく。
「お前だって、別に自分の子供が嫌いで、その父親がユウたちのことを突き放したわけじゃないって気づいてんだろ」
「そりゃ……まあね」
ユウの父親は言ったわけだ。
――『なんで、出て来たんだ』
ユウたちの言葉を信じれば、混血の存在さえなければ、その男がさらし首にされることなんてなかったのだろう。
ただ、それなら混血の子供なんて作らないし、作ったとしても端から殺してしまっている。だからこれは、俺の予想でしかないけれど。
「お前らに生きててほしかったんだろう、父親も」
ユウは何も言わなかった。
さて、オーガの里から追い出されたことが父親の誤算だったのか、それとも何か、他に隠す手立てを母親の方に託していたのかは知らないけれど。
「いなくなった奴のことを決めるのは、残っちまった奴の勝手だからな。残されたからには、目一杯こっちに都合のいい解釈をしなきゃやってられん。ま、それができたら苦労しないが」
なんとなく。
一カ月前の――或いは三年前の自分のことを思い出しながら、俺は言った。
「だから、俺が言ってやる。お前ら兄妹は、生きて欲しいと願われた。だからここに落ちて来たんだ。自由に生きていられる、この狭間に」
勝手なお世話。俺の言葉はそういうものに分類されるに違いない。
ただ、そうやって無理やりにでも前を向かなきゃ生きてられないことを、味わっちまったからにはな。
「あはははは!!」
すると、馬鹿みたいにユウが笑い出した。確かにありがた迷惑かもしれないが、そこまで笑われるほどかぁ?
「いや、悪い。あんまりにもミィの言う通りだったから」
「はぁん? んで、そいつは俺のことなんて言ってたんだよ」
どうやらあまりにも、ミィの俺への評価がシンクロしていたらしい。ので、詰問してみれば、ユウは言う。
「朝日みたいな奴」
「……」
きっと俺は、笑われるほどに怪訝そうな顔をしていたのだろう。それを見て、ユウの笑い声がまた一段と大きいものになった。
「笑うのがいいが、なんでそれが俺にぴったりなんだよ」
「ああそうだ。それを言わないからにはなぞなぞみたいだな」
それはまったくの偶然なんだろうが、ちょうど窓の向こうの空が白んでいた。朝が来ている。夜明けが。光が。
「この狭間に来る前の俺たちは、夜もまともに眠れない生活をしてた。夜はヴァンパイアの時間だからな。動くなら昼間しかない。でも、気を抜いて眠ってれば死んでしまう。火もまともに付けられず、寒い時間が過ぎて言った」
似たような話を見た覚えがある。
その時は体以上に、心が、寒かった。
「でも、朝日はやってくるんだよ。眠たいって、歩きたくないって思ってもな。無慈悲に冷酷に、夜をぶん殴って現れる。でも、朝日が来てくれるから、俺たちはまだ生きてるって、思えるんだ」
「……」
「だったら進むしかないだろ。どんなに暗い場所だって、朝日に照らされたら、進先が見えちまうんだからな」
「……そうだな」
ユウの言っていることはなんだか壮大で、とても俺には似合いそうにない表現だけど。
「それで、ナオ」
「なんだよ」
「俺は今、進んでる。ミィもだ。朝日に照らされたらから、道が見えたから進んでる。だけどよ。それって朝日が何か特別なことをしたからか?」
「勝手に顔を出しただけじゃねぇか」
「そういうことだ」
ユウは人差し指で、俺の心臓を指さして言った。
「お前みたいなやつが隣にいるとな。前に進まなきゃって気分になるんだよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだぜ」
白んだ空から太陽が現れた。
暗闇を拓き、狭間の下町が眼下に広がる。
「これからよろしくな、ナオ」
「こちらこそ」
すると、廊下の向こうからこちらにやってくるミィとララの姿が見えた。どうやら来るのが遅い俺たちを迎えに来たようだ。いや、怒り来たのか? さて、どう言い訳をしたものか。大切な話をしていたのは事実だけれど、それは仕事をさぼっていい理由にはならない。
だってそれは、いつだってできる話で。
今日の夜でも、明日にでも。もちろん、次の休日にでもできる話なんだから。
「遅いわよあんたら!」
ああ、これは怒られる奴だな。
そんな風に考えながら、俺はこれから来る嵐に身構えた。
◆
更にそれから数日後。
またもや、俺は主の執務室に呼び出された。