狭間の旅館の暮らし方~異世界の旅館で働き始めましたが、どうやら訳あり住民ばかりのようでした~ 作:日野球磨
「お父さーん、これで全部ー?」
「おうよ」
「じゃあ、行ってきまーす!」
狭間には、旅館だけではなく、様々な施設がある。その一つが定食屋だ。ラーメン、丼もの、肉料理、野菜料理、果てには誰も知らないような異世界料理を作っている店まで様々。
その中でも指折りの名店こそが、定食屋オチハという店だ。祖父の代から数えて創業60周年を迎える定食屋オチハ。その三代目となるイワナは、配達に出かけていた。
「ちょっと、注文多すぎじゃないかなぁ……!」
店の裏口から出て、大通りを走るイワナ。おかもちの重さに辟易としながらも、長いウェーブの白い髪を後ろで縛り、着物でも慣れた様子で走る。
「まいど、定食屋オチハの配達でーす。ご注文ありがとうございましたー!」
「お、やっと来たか」
「えーっと……お蕎麦と、てんぷらお蕎麦と、おうどんでーす」
「ありがとよ!」
配達先は建築現場。イワナの登場を待ちわびていた大工たちが、出された料理を出迎えた。ただ、一つ届けたからといってゆっくりしている時間はない。料理を渡し、お金を受け取って次の配達先へ。
「急げ急げ~」
昼時ということもあって、注文は山のよう。定食屋オチハが、狭間の住人達に好かれているようでうれしいイワナだけれど、それはそれとして、おかもちを持って狭間の下町を駆け回らないといけないのは、ちょっと疲れるイワナだった。
次は花屋、その次は二丁目の家で、その隣の家からも注文が入っていて、そしたら次は三丁目。まだまだたくさんある注文を、頭の中に出来上がった地図を頼りに巡っていく。
ようやく最後の注文だ。近い所から順番良く回っていくと、どうしても最後の配達先が遠い場所になってしまうけれど、これで帰れると思えば足取りも軽い。
「お、来たか」
「まいど、定食屋オチハの配達でーす。ご注文ありがとうございましたー! っと、サトヤさんでしたよね」
「おうよ」
行先は船着き場。渡し船の集まる場所で待っていたのは、灰色の髪のサトヤだ。そしてその横には――
「イワナじゃん。お疲れ」
「あ、ナオ君」
ちょっと知っている顔が居た。
知っていると言っても、何度か話したことがあるお店の常連さん。イワナからしてみれば仲がいいと思っているけれど、こういう出先で慣れ慣れしく話しかけれるほどじゃない。そんな関係だ。
「聞いちゃいたが、あの定食屋は配達もやってんだな」
「まあね。これぐらいしなきゃ、今の狭間で生き残れないっておじいちゃんが言ってたから」
「頼もしい爺さんだな……」
おかもちから蕎麦を出しつつ、話をする。
「ありがとよ~、イワナちゃん。お父さんにもお礼言っといてくれ。いつも美味い蕎麦をありがとよって」
「ありがとうございます!」
蕎麦を受け取ったサトヤの腹は、待ってましたとばかりに音を上げた。そんなものだから、箸を受け取るや否や、汁もなしに食べ始める。
「おい、サトヤ。味するのか?」
「おうよ。美味いぜ、これ」
完全につけつゆを渡すタイミングを逃したイワナであったけれど、そっとサトヤの傍につゆを置いて、ナオの分の蕎麦を出した。
「なんか、すごい人だね、サトヤさん」
「変な奴だよ」
船着き場の灰色の奇人。噂には聞いていたけれど、心底変な人間だと思ったイワナであった。
「ああ、イワナ。俺はつゆが必要だからな」
「わかってるって。はい、どうぞ」
さて、そうしてナオも蕎麦を食べ始める。ずるずる、ずるずる。なんとなく、イワナはちょこんとおかもちの横に座って、ナオが食べているところを見ていた。
「おう、美味いぜ蕎麦。俺の分も、親父さんに伝えておいてくれよ」
「よかった♪」
お店の蕎麦は、イワナの自慢だ。客の美味しいの一言が、へとへとになった体に力をくれる。
「それじゃあ、定食屋オチハをよろしくね」
「おう、また蓮歌でも連れていくよ」
おかもちをもちあげ、立ち上がる。
気分がいい。帰りはスキップでもして帰ろうかな。そんな風に思えば、おかもちも軽い気がした。
◆
「ただいまー」
「おう、お疲れ。早速だが、客対応頼むぞ」
「もちろん」
裏口から戻ったイワナは、続けて制服のエプロンを身に着け客対応へ。お昼時は過ぎてしまったけれど、昼過ぎだからこそのお客さんは現れる。店内では、まだまだお客さんがたくさんいた。それに今来たお客さんも。
「あ、レンガちゃん。こんちゃ」
「こんちゃー! 来たよ~、イワナ君」
お決まりの挨拶を交わすのは、今度こそ胸を張って仲がいいと言える友達のレンガだった。ただし、お客さんは彼女の一人ではない。
「こんちゃ」
「なによ、その挨拶」
レンガの後ろには赤髪の小鬼が。更にその頭の上には、小さな妖精が座っていた。イワナはララとミィのことも知っている。たまにレンガとナオの二人と一緒にお店に来るからだ。
「三人でいいかな? 席に案内するね」
「よろしく!」
空いているテーブルに三人を案内すれば、さっそく注文が入った。
「今日はお蕎麦の気分。ってことで天ぷらかけ蕎麦三人前で!」
「りょうかーい」
と、適当に注文を受けたものの、ふと気づく。
「あれ、三人前はいいけど、ララさんって一人前食べれたっけ?」
妖精のララは体が小さい。それこそ、ミィの頭の上に乗れる人形サイズだ。それで一人前の蕎麦が食べられるか疑問だったけれど――
「む、私が二人前」
「あー、なるほど」
そう言えば、ミィがかなり食べることを忘れていた。では、ララの分がどうなるのかといえば、
「ミィのを分けてもらうつもりよ。流石に人間一人前は入らないわ」
「ですよね」
当然と言えば当然だ。そんな杞憂を恥ずかしがってそそくさと退散したイワナ。それから、厨房にひょっこりと顔を出してオーダーを伝える。
「お父さん、天ぷらのかけ蕎麦三人前」
「あいよ」
すると、揚げたての天ぷらのいい香りがイワナのお腹を刺激した。くるると、可愛らしい音が鳴ってしまう。
「まかないなら自分で作れよ」
「わかってるって」
ちらりと店内の方に目を向けて、客足を確認。ちょうどお客さんのいなくなった席を、イワナの母親が片付けているところだった。注文待ちのお客はレンガたちだけ。他の客も、すぐに出ていく様子もないものだから、この隙にお昼を済ませてしまおうとイワナは考えた。
ただその前に。
「そういや、お父さん。船着き場のサトヤさんが、美味しいお蕎麦ありがとうだって」
「サトヤって言うと、灰色のか。そりゃ、名誉なことだな」
「あと僕の友……知り合いも」
「そりゃよかった」
お父さんが嬉しいとイワナも嬉しい。だからイワナはにっこりと笑顔を作って、昼食を作り始めた。
◆
夜になればもう一度ラッシュの時間が訪れる。ただ、そこまで夜遅くまで店を開いているわけではなく、9時の鐘が鳴るよりも早く閉店した。ただ、閉店後もイワナとお父さんは厨房に立っている。
「よし、じゃあイワナ。やってみろ」
「はい」
腕をまくり、木鉢に向かうイワナ。そば粉とつなぎ、水を混ぜ、生地を作り、練り、蕎麦を打つ。広げた生地を畳んだ後、慣れた手つきで包丁を入れる。そうしてできた麺を茹でて出来上がった蕎麦だけれど、口にしたお父さんは言う。
「ダメだな。こしが足りん」
「うへぇ……」
店が閉まれば、そこからがイワナの戦場だ。イワナにとって、祖父が始め、父が継いだ蕎麦打ちは憧れそのもの。だからこそ、定食屋オチハ、その三代目として店を継ぐことこそが、イワナの目標である。
「お、お父さん、もう一回!」
「ダメだ。一日一回。それが約束だろう?」
「そうだけどー……!」
両手を胸の前で握って、じたばたと足踏みをしてしまう。けれど、これから明日の仕込みもある以上、お父さんを付き合わせるわけにもいかないのもまた事実。仕方がないと、悔しさを顔に出したまま、イワナは仕込みの手伝いをした。
仕込みをする。
蕎麦つゆを作り、野菜の下処理をする。悔しくて悔しくてたまらないことがあったとしても、手を抜いてやるようなことはしない。
それは店に来てくれる人たちを裏切る行為であるし、何よりもお父さんを裏切ることになるからだ。
だから一つ一つ、丁寧に。
「イワナ」
「なに、お父さん」
「一日一回。期待してるぞ」
「……っうん!」
仕込みを終えれば仕事が終わる。
仕事が終われば夜が来る。
夜が、朝が、明日が待っている。
一つ一つ、丁寧に。
定食屋の看板を継ぐその日まで。
◆
大通りを走るイワナ。おかもちの重さに辟易としながらも、長いウェーブの白い髪を後ろで縛り、着物でも慣れた様子で走る。
「あ」
「お」
すると、偶然にも知り合いと遭遇した。
「あ、ナオ君。こんちゃ」
「こんちゃ。話してていいのか?」
「うん。配達の帰りだし、今日はもう遅いしね」
腕時計を見れば、昼過ぎのラッシュも終わるころ。今日は配達に時間かかり過ぎちゃったなと反省しつつ、なんとなくナオと話したい気分になったイワナであった。
「しかし、大変そうだな。どれくらい回って来たんだ?」
イワナの仕事に興味があるのだろう、ナオがおかもちを眺めながら訊ねてきた。
「今日は……27件だね」
「2……そりゃ大変だな。一人で大丈夫なのか?」
「ん-、まあ大変かな」
大通りの通行の邪魔にならない軒先に移動しながら、話す二人。ナオが適当な壁に背中を預ければ、イワナがおかもちを地面に置いた。
「そういや、お前の店って家族でやってるんだったか。他に兄妹とかいないのか?」
「うん、僕は一人っ子だからね」
「従業員とか、雇わないのかよ」
「ん-、難しいかも」
そう言って、イワナはおかもちを軽く持ち上げて言う。
「これ、おじいちゃんが狭間の主様から頂いた魔法のおかもちでさ。見た目よりもたくさん料理が入って、しかも冷めないんだよ」
「マジ?」
「マジマジ。これ、一つしかないんだよ」
そう言って蓋を少し開けてみる。開けたところでおかもちはおかもちだけれど、不思議なことに開けるときに思った料理がおかもちに入っていれば、ちゃんと出てくるのだ。
「それに、ある意味、おかもちもって走る僕がお店のトレードマークになっちゃってるしね」
「確かに、オチハといえばイワナのイメージだ」
十歳の頃からお店の手伝いをするようになって、もう六年。配達を始めて三年だ。今や走るおかもちイワナは、下町を彩る風景の一つと言えた。
「よっ、看板娘」
「からかうのはよしてよ~」
てれてれと頬を染めるイワナ。イワナの指が、ふわふわの白髪を、照れくさそうにくるくるとし始める。
「そういうナオ君も、聞いてるよ。最近、旅館で頑張ってるってさ」
「誰情報だ?」
「レンガちゃん」
「そりゃ嬉しいな」
あっけらかんとしているナオだけれど、意外と素直に感情を口にすることを知っている。
それはきっと、イワナの友達のおかげだろう。
『ナオはねー、結構ひねくれた奴だけど、意外と素直なんだよ。あれで。気に入らない時は気に入らないし、好きなものは好きって言うし』
そういう友達は、どこか顔を赤くしていたのをよく覚えている。そういう事情について、イワナはよく知らないけれど。意外とお似合いなんじゃないかとは思った。
「一つ一つ丁寧に」
ふと、イワナはそう口にした。
脈絡のない言葉には、ナオも不思議そうな顔をしてしまう。だからイワナは続けて言った。
「おじいちゃんに教えてもらった言葉でさ。どんなに難しい道のりも、一日を、一つを、ゆっくりでもいいから丁寧に歩いて行けば、きっといつかはたどり着けるって」
「なるほどな」
イワナの話を聞いて、納得したようにナオは言う。
「確かにイワナは、丁寧だな」
「そうかな?」
「そうだよ。少なくとも、配達する時も、店で配膳する時も、丁寧に出してくれる。おかげで気持ちよく出されたものが食べれる」
どきりとした。
いつもはお父さんのお蕎麦の味を褒められるから。だから、自分のことを褒められることはあんまりなくて、少しだけいつもと違う嬉しさが溢れて来た。
「もうっ、大げさだなぁ。それに、僕が言いたいのはナオ君のことだよ」
「というと?」
「一つ一つ、丁寧に。頑張ってるんでしょ? だったらきっと、頑張った分だけ、目標には近づけるはずだよって」
「……俺、そんなに苦労してる顔してたか?」
「まあ、目の隈はすごいかな」
イワナは知っている。
ナオが頑張っている理由を。
なにせ友達が、ナオに思いを寄せていることを知っているのだから。答え合わせは簡単だった。
まあ、二人の間にどんな障害があるのかは知らないけれど。
陰ながら応援したい気持ちなことには間違いない。
「あ」
「ん?」
「ご、ごめん。ちょっとおかもち見ててくれない?」
「いいが……ああ、公衆トイレならあそこにあるぞ」
「ありがとっ!」
間が悪い。そう思いつつも、トイレに駆けていくイワナ。ここまで配達で走り回っていたこともあって、たくさん水を飲んだせいだろう。ともかく、そうしてトイレに
「ん?」
ナオは見た。
そして目をこすり、改めて公衆トイレの性別表記を二度見した。それから深く瞑目し、「働き過ぎか……」とつぶやく。
「ごめんごめん」
「深くは聞くまい」
「??」
ふわふわとした白髪を翻し、トイレから戻って来た。可愛らしいハンカチを使っている。ただ、ナオは何も言わなかった。
「どうやら俺は疲れているみたいだ。旅館に戻る」
「あ、うん」
そして何事か、目頭を押さえながら立ち去った。ただ、去り際に彼は言った。
「またな、イワナ」
「うん、またね!」
ナオと別れ、イワナも店に戻る。
「おう、遅かったな」
裏口から入れば、休憩中のお父さんと遭遇した。イワナの遅い帰りが心配だったのだろうか、おかもちとイワナの顔を交互に見ていた。だからイワナは、お父さんに言う。
「帰りに友達と話してただけだよ」
「そうか。ま、ほどほどにな」
「もちろん。あ、でも配達の仕事もほどほどにしてよ! そろそろ届けに回り切れなくなっちゃうから!」
「それは客に言ってくれよ。人気なんだぞ、出前」
「僕は一人しかいないんですー!」
そう言ってぷんぷんと怒りながら、店に戻って来たイワナは、ふと厨房の前でさっきの会話を思い出した。
「一つ一つ、丁寧に」
仕込みも蕎麦打ちも修行も。
「うん、がんばろう」
ぐっと胸の前で拳を握って、イワナは今日の蕎麦打ちこそはと気合を入れた。
イワナが悔し顔で仕込み手伝いをするまで、あと五時間――
そんな話。