旅館の一員として龍さんに迎え入れられた俺は、早速とばかりに迎え入れられたその日から働くことになった。
ひとまず作務衣のような落ち着いた赤色の従業員服に着替えた後、更衣室の前で待っていたララへと支度が済んだことを伝える。
「遅いっ!」
「うぎゃっ!?」
しかし、伝えて早々にまたもや魔法で尻を叩かれた。マジでどうなってんだ魔法って本当に。こういうのは普通、詠唱とかして唱えるから、時間がかかるもんじゃないのか。
「ちょっと、紐の結び方が適当よ。ほら、ちゃんと直しなさい」
「えぇ? こんなの、結べてりゃいいんじゃ――痛っ!?」
「生言ってんじゃないわよ! 身だしなみの乱れは心の乱れよ! そもそも狭間の旅館は客商売、来てくれた人にだらしない格好できるわけないでしょ! それとも、豚小屋に住んでたらこんなことにも気を使えなくなるの!?」
「うぐっ……た、確かに……」
言い方はきついが正論だ。
だがな、豚小屋はないだろ豚小屋は! それに俺のどこが豚だ、適正体重だぞこちとら!!
「ほらさっさと直す!」
「ぶひぃ!?」
尻を叩かれ声を上げる。
ああもう、いつか絶対復讐してやる。
とりあえず、言われたとおりに紐を結び直して――これでいいだろ。
「もっとしっかり結ぶ!」
「痛ってぇ!!」
クソこの羽虫がァ……!!
「……まあいいわね。豚にも衣装だわ」
「馬子にも衣裳と言え」
「あら、馬子だなんて……自分のことを高く見積もった物ね、豚」
ぶひぃ。
なんだこいつ。
「さあ、仕事仕事……っと、そうだわ」
「あん?」
宙を飛ぶララは、その場でくるりと一回転。どこかに向かうその足(足を使って移動しているわけじゃないけど)の方向を変えた。
「もう一人、居るの忘れてた」
そうしてふわふわと飛んでいくララだけれど。
「ほら、ついて来る!」
「だから痛いんだってそれ!!」
彼女がどこかに飛んでいこうとするのを見送ろうとしたところで、再び尻に魔法が襲い掛かってきた。
そろそろ俺の尻が月面みたいになりそうなんだが……そんな訴えかけをしたところで、どうせ聞いてはくれないだろう。だから大人しく、ふわふわと飛んでいくララを追いかけた。
パタパタと旅館の中を歩く。道中でいろんな人と――本当に、時折人間か怪しくなるような人物も含めていろんな人とすれ違いつつ移動する。すれ違った人たちは皆、俺と同じような従業員服を着ているあたり、今歩いているところは旅館の裏側に当たる場所なのだろう。
そんなところを進んでいくと、ぴたりとララが止まった。
「そう言えば……豚。あんたはここで待ってなさい」
「はぁ? ついて来いって言ったり待ってろって言ったり何がしたいんだ」
「言葉が生意気」
「あ痛っ!?」
もう慣れて来たぞおい!
痛いのは痛いけどな!
「付いてきたいなら付いてきてもいいわ。でもあなた、男でしょ? この先は女性寮だから、入ったらただじゃすまないわよ」
そう言われて周りを見れば、小さな看板のようなものが。そこには『この先、女性寮。男入るな』との文字が。急ぎ俺はその場から飛び退いた。
「いい子ね、豚。その調子で今後も私の命令は守るように」
しかし、それがまるでララの言いつけを守ってしまったようで少しイライラ。
まぁじでどうしようかなぁ。とりあえず、女性寮に行ったララの背中を見送りながら、近くの壁に背中を預けて、ララへの復讐を頭の中で想像しながら待ちの姿勢。
うーん、カエルに近づけたら食べられそうだなあいつ。羽虫だし。
本当に、この溜まりに溜まった鬱憤をどうやって発散してやろうものか……。
なんてことを考えていると――
「あれぇ!? ナオ、なんでここに居るの!?」
と、随分と聞き覚えのある声が俺の耳を打った。
果たして誰の声か。そんなことを確かめる必要もないまま、俺は声の主の名前を呼んだ。
「よぉ、蓮歌。奇遇だな」
視線を向ければ、そこには再会した時よりも一段と大きく驚いた風に目を丸くした幼馴染が居た。もちろん彼女も従業員服姿。こういう姿も悪くないものだ。
「奇遇って……それにその恰好、まさか……」
「ここで働くことになった新人の一宮那尾だ。よろしくな」
「まじぃ?」
本当に驚いた風な蓮歌は、体を傾けてまで全身で驚いていた。
「えー、那尾もなの? いやでも那尾の家はそこまで……」
「なにかあったか?」
「あ、いやいやなんでもないない!」
なんだか気になることを口ずさむ蓮歌だ。少なくとも、俺の家にはそんな言われるようなことはないし、ここに居ることとも関係はない。まあ、もう二度と戻れないともなると、心残りはあるけれど。
「……」
どういうわけかおろおろとしている蓮歌。
果たして俺がここに居ることに何の問題があるのかは知らないけれど
……俺は一歩前に出て、蓮歌へと近づいた。
「うぇっ」
ぎょっとする蓮歌。ほんのりと朱色に染まった頬に手を当てながら、丸く見開いた目で俺を見る。ついでに俺が詰めた距離の分だけ後退るものだから、負けじとこちらも距離を詰めた。
「ひえぇええ」
弱弱しい悲鳴が蓮歌から上がった。そして更に後ろに下がるけれど、その分だけ俺はがっつり距離を詰める。
「ちょ、近い近い近い!」
ついには壁際に追い詰められた蓮歌が、両手を使って俺の胸を押し返す。そこで俺も止まるけれど、その代わりとばかりに、壁に手を突いて俺は言う――
「なあ、蓮歌」
これから俺は新人として、従業員のいろはを叩きこまれることになるのだろうけれど、そうなると次に蓮歌と会えるのはいつになることか。ここに来るまでにすれ違った人の数を見れば、ここの従業員がとんでもなく多いことはすぐにわかる。
仕事だって様々だろう。今、蓮歌が何をしているのかは知らないし、これから俺が何をするのかもわからない。だからこそ、俺はいま伝えたかった。
今しかないと思った。
「お前に会いたくて来たんだ。もう少し喜んでくれよ」
「カヒュッ……」
顔を背ける蓮歌。ただ、俺は話を聞いてほしくて詰め寄ったのだ。
この三年間、何度も何度も頭の中で繰り返して来た疑問の答えを確かめるために。
例え顔を背けられても、聞かなければならないことがある。
「どうしてあっちの世界から居なくなっちまったんだよ」
「っ……」
その時、蓮歌が歯を食いしばるように唇を強く震わせたことに気づいた。
それから、今度こそ突き放すように、胸に置かれた手が強く俺を押し出した。
「ごめん。それは……言いたくない」
「そうか。でも、理由があるんだな」
さっきとは打って変わって、蓮歌の顔は陰がかかったように青くなった。それが拒絶の表情であることは、流石の俺にも理解できる。炎のように触れ難く、針のように近寄り難い。こんなにも、蓮歌が遠くに感じられたことはない。
そんなものだから、俺は思わず言ってしまった。
「俺の、せいなのか?」
三年分の不安が、俺の口から出てきた。
言った後に後悔する。言うべきではなかった。何とも遅い、後悔だ。
更に言えば、もしもこの疑問に、肯定されてしまったら――
「それは違う!」
けれど、俺の不安を振り払うように、力強い蓮歌の言葉が否定してくれた。
「ち、違うから。むしろ私は……えと……」
「あー……違うならいい。ありがとう」
「ん」
俺はホッと、胸を撫で下ろした。
尻すぼみな返答だけれど、蓮歌の言葉は太陽のように力強くて、おかげで俺を取り囲むような闇が一瞬にして払われて、今まで背負い込んいた、重い重い荷物の一つがなくなったような、そんな気分になった。
嬉しかった。ただそれだけのことなのに。俺はもう、嬉しくてたまらなかった。
ああ、でも。
これ以上踏み込むのは、流石の俺も場違いだとわかる。
蓮歌が話したくないと言ったのだ。なら、俺はこれ以上踏み込むべきではない。いつか……そう、いつか、彼女の方から言い出してくれるのを待とう。時間ならたっぷりあるんだから――
「あー!!」
と、そこで後ろから大声が。
「あん?」
周りを見てみる。蓮歌を追い詰めていたせいだろう、ララを待っていた場所から随分と移動してしまったみたいだけど――あ。
「侵入者よー! 男が女性寮の敷地に!」
「あ」
男子禁制を謳う看板が、遥か後方にあるのが見えた。
まあ、つまりだ。
「「「「捕まえろ!!!」」」」
俺は女性寮に入り込んでしまったらしい。
「い、いやこれは意図したわけじゃなく……って言うかここ入り口だろ!? なあ、そうだよな蓮歌! 俺はやましいことなんて何もしてないよな!?」
「あ、じゃあ私はこれで」
「なぜ逃げる!?」
女性寮の奥へと逃げて行った蓮歌。その背中を見送りながら、俺は思う。
――ああ、この状況どうしよう。
色とりどりの魑魅魍魎が、侵入者に襲い掛かる五秒前。
ここから入れる保険はありますか? あ、在庫切れですか。そうですか。
「に、逃げ――」
「逃がすかボケェ!!」
「血祭りじゃコラァ!!」
「女の子に迫ってた、そいつ女の子に迫ってた!」
「しゃぁおらウィッカーマンの刑じゃ!! 生きてること後悔させてくれるわぁ!!」
旅館生活一日目。
俺の評判は地に落ちた。
◆
さて、那尾が女性寮侵入の罪で処刑祭りにあっている頃。
「うわ、うわ、うわぁぁぁ……」
小走りに女性寮の廊下を走りながら、顔を真っ赤にしたレンガは自分の部屋に飛び込んだ。
押し入れのある和室六畳間。それがこの旅館の従業員寮の間取りだ。その中でレンガの部屋は、ふわふわとしたカーペットで畳を隠し、壁紙を使って質素な部屋を紫色に調子を整えて、女の子らしい色合いに改造されている。布団の周りにはぬいぐるみ。近くの机の上には化粧品がたくさん並んでいて、近くには洗濯を待つ衣服が放り出されているのを見ると、彼女の落ち着きのない性格がよく表れているようにも見えるだろう。
そんな足場の少ない世界を器用に歩き、布団の中に飛び込んで顔をうずめるレンガ。
果たして彼女に何があったのかと言えば――
「あーもう……こんな顔、誰かに見せられない……」
といのが、大方の理由らしい。
それもそのはず、リンゴのように紅潮した顔の彼女は、どこかにへらと無意識の笑みを浮かべていて、どうにかそれを抑え込もうとして、枕に顔を突っ込んでいるところなのだから。
それもすべてナオのせいだ。
「あれはずるい」
久しぶりに会ったナオは、三年前とは見違えるほどに成長していた。
中学生から高校生に。三年という月日がここまで見た目に影響するのかというのを、レンガは強く実感したところだ。とくに、背丈。すぐそこまで近づいて初めて分かった。三年前はさほど違いはなかったはずなのに、いつの間にか10センチ以上は上にあった視線にびっくりした。
しかも急に迫ってくるものだから、レンガの心臓はドギマギ。
「うぅ……」
負けた気分だった。むしゃくしゃする。あの時、迫られた時、心臓が大きな音を立てて踊るものだから、自分がちゃんと喋れていたかすら定かじゃない。
しかも最後の質問。ナオが理由で、あの世界から離れたわけじゃないという言葉を聞いたナオが、露骨に安心したような顔をしたとき、とても嬉しい気持ちが溢れて来た。
だってそれは、その姿は、何年も自分のことを想っていてくれたように見えたから。
嬉しくてたまらなく、悔しくてたまらない。
もう、わけがわからない。
あの世界から離れて、この旅館のお世話になると決めた時、ナオのことが頭に過らないわけじゃなかった。それでもレンガは、この世界に居ることを選んだ。それは自分の大切なものを失うことに等しいというのに、それでも彼女は旅館に居ることを選ぶしかなかった。
でも会えた。再会できた。
一日目、船の上での再開は、舞い上がるほどに嬉しかった。会えないと思っていたからこそ、尚更に。
夢のような時間だった。だからこそ、制限時間の最後の最後まで楽しんで、もう悔いはないと別れたはずなのに。
それなのに、今度は彼の方から自分のいる場所に飛び込んできた。
レンガが知る限り、ナオがこちらにとどまる理由なんてないはずなのに。あっちの世界に大切なものを残してまで、こちらに来た。それがどうにも、悔しかった。
もしかしたら、なんて想いが溢れて止まらない。
だってレンガは。
なぜならレンガも。
「……本当はさ、私も好きなんだよ」
レンガもナオが好きだった。
「本当は。本当はあの時の言葉にも、私は……」
寝転がって天井を見る。すると天井がスクリーンのように見えてきて、頭の中の思い出がそこに投影されるように感じられた。
中学生の時。それは平然と続く日常の中の出来事だ。
――『蓮歌』
――『俺、お前のことが好きだ』
――『付き合って……くれないか?』
何気ない始まりだった。
手を取って、確かめるような、恐る恐る、怯えるような言葉だった。
それでも確かに、ナオは言った。
言ってくれた。
けれど、レンガは答えられなかった。
それが、後悔になるとわかっていても、レンガにはその告白を断るしかなかったのだ。
自分も好きだと、言えなかった。
「まだ、好きでいてくれてるのかな」
ナオが見せた安堵が、ただの罪悪感の可能性だってある。
ナオは言ってくれた。お前に会うために来たと。でも、レンガにはそうは思えない。
自分に会うためだけに、元の世界にあった一切を捨ててくるだなんて信じられない。
きっと他に、この世界に来る理由があったんだろう。
自分はこれだけ好きなのに。
三年も、相手が好きで居続けてくれるなんて都合のいいことを、想えない。
それでもと、都合のいいことばかり考えてしまう。そうであってほしいという願いばかりが溢れてとまらない。
ああ、答えが欲しい。ナオが自分のために旅館に来てくれたのか、今もナオは自分のことを想ってくれているのか。
その答えを出す方法は簡単だ。けれど、それはとても恐ろしい。
訊ねて、けれど自分の想像と違ったら? 自分のことをなんて別に好きでもなんでもないとしたら?
三年前、自分はナオのことを振ってしまったのだ。振られて終わったものを、三年も抱え続けてくれるだなんてあるわけない。だから怖くて、たまらない。
あの時、答えられなかったことが悔しくてたまらない。
嬉しいのに。
苦しくて。
悔しいのに。
舞い上がってしまいそうで。
「ほんと、ずるい……」
どうしたらいいのかなんて、レンガには何もわからなかった。
◆
「なにやってんのよ豚」
「た、助けて……」
処刑祭りも佳境を迎え、ボロボロになった体を貼り付けにされたところで、俺の罪は許された。
ああ、本当に恐ろしかった。見ろよこれ、せっかく来た従業員服は裂かれて千切れてボロボロだし、髪も無茶苦茶に斬られて短髪になっちまった。挙句の果てには磔にされて……俺そこまで悪いことしたかなぁ?
「女性寮に入ろうとでもしたの? まったく、自業自得よ。命があるだけありがたく思うことね」
流石のララも、俺の有り様を気の毒に思ったのだろう。俺を縛り付ける拘束を一つ一つ外してくれる。しかしながら、そこで一言。
「これじゃ、豚じゃなくて猿ね」
やっぱこいつが一番ひどいんじゃないか?
「どっちがいい? 豚と猿」
「どっちも嫌に決まってんだろ」
「そう。まあいいわ豚。さっさと仕事に取り掛かるわよ」
まったくもって俺の名前を呼ぶ気がないララ(そもそも聞く気がない)には、ため息をつくことしかできなかった。ここで下手なことを言って、尻を叩かれるよりも黙っていた方がいいと思ってしまうのは、俺が調教されてしまった証拠だろうか。
ああ、まったくもって憂鬱だ。
「あん?」
と、そこでララの他にもう一人いることに気づく。
「ああ、そうだったわ。こっちはミィだから。同じ新人同士、問題は起こさないでね」
そう言えば、俺の他にもう一人新人がいるんだったか。さっきまでの流れで完全に忘れていたけれど……どうやら、今俺の目の前に立っている少女が、そのもう一人の新人らしい。
小さな少女だ。ララに比べれば断然大きいけれど、下手したら身長は140センチもないんじゃないだろうかという女の子。特徴的なのは赤い髪と、同じように赤い瞳。それに頭頂から生える鋭利な黒角が二本。彼女の名前がミィであることは、ララの説明のおかげでわかっているけれど――
「ん、よろ」
一切の顔色が抜け落ちたような無表情を誇るミィは、ただ一言そう告げるだけで自己紹介を終わらせてしまった。
そこにはどうにも、仲良くだとか一緒にだとか、そんな友好的な気配はみじんも感じ取れない。ララとはまた違うベクトルの無関心だろうか。いや、本当に、俺はこんな職場でうまくやっていけるのか……?
「あー……っと、一応名乗っておくが、一宮那尾だ」
「ん」
「それで――」
「二人とも、喋ってる暇があったら付いてきなさい! 仕事は貴方たちを待ってはくれないわよ!!」
ああまったく、自己紹介すらまともにさせてくれないのかよ!
なんて文句も呑み込んで、俺はララの後をついて行った。