「さあ、働くわよ!」
と、ララが俺たちの頭の上をくるりと一回転。
「何からするんだ? 我ながら、あんまり愛想良く働ける自信はないぞ」
ようやく始まった仕事だけれど、旅館の仕事と言われて俺が思い浮かべたのは給仕だろうか。或いは三味線でも弾いて、宴会芸でもすればいいのか?
「何を想像してんのよ豚。あんたらみたいなのをお客さんの前に出せるわけがないでしょ? 考えればわかるでしょうふつー」
いらっ。
と、危ない危ない。思わず羽虫と罵るところだった。
「豚と呼ぶのも憚られる知能ね。そろそろ虫にでも改名した方がいいんじゃないかしら」
かっちーん。
「ああも我慢できねぇ! んだと羽虫! テメェの方がぶんぶん飛んで虫みたいじゃねぇかよぉ!」
「なっ……は、羽虫ですってぇ!?」
……あ。
やっべ思わず本音が……。
「もういい氷漬けになっちゃいなさい!!」
「氷漬けって……うぎゃぁああああ!?」
激昂するララが手を振れば、キラキラと光る何かが俺の周りをくるりと一回転。するとどうだろうか。一瞬にして俺の体が氷漬けになった。
「……」
喋れない動けないひたすらに冷たい。マジで拷問だよこれ。
なんで生きてるのか不思議なぐらい。
「わ、私に向かってこいつぅ……このっ! このっ!」
氷漬けになった俺をポコポコと叩くララ。ついでにミィの奴も、何か気になったのか俺の体をつんつんつん。
それから一言。
「ララ、これじゃあ仕事できないよ」
「いいのよ、私のことを羽虫なんて呼ぶ馬鹿はこのままで! こんな奴ほっといて行くわよ、ミィ!」
「んー……」
さっさとどこかに飛び去ってしまうララ。
性格が悪いというか、子供っぽいというか……伝承に聞く妖精らしいと言えばらしいけれど、された側はたまったもんじゃない。いや、まったくのじごうじとくなのかもしれないけれど。くそっ、ここからどうすれば――
「えいっ」
氷漬けからの脱出方法に俺が頭を悩ませたところで、飛んでいったララの背中を見ていたミィが、おもむろに握った拳を、氷漬けになった俺の体に叩きつけて来た。するとどうだろうか。鋭い衝撃が全身に走り、俺の体を覆っていた氷が粉々に砕け散ったのだ。
おかげで解放された俺は、ぺたりと力なく地面に尻もちをついてしまったわけだけれど。
「立てる?」
ミィのその言葉に正気を取り戻し、なんとか立ち上がった。
ララのせいで辟易としていたけれど、どうやら一緒に働く同僚はいいやつそうで一安心だ。
ひとまずお礼を言わないとな。
「悪い、助かった」
「新人仲間。それにララは口も性格も悪い」
「まあ、俺にも責任があるから」
そんなことを言うミィは、やはりどこか淡々としていて表情に変化がない。元からそう言う少女なんだろうと思う反面、こうも変化に乏しい顔をされると、こちらもどんなテンションで応じていいのかがわからなくて少し困る。
ともあれ、助けてくれたからには感謝はするし、仕事仲間としては仲良くしておきたいところ。
「いろいろ迷惑かけるかもしれないが、よろしくな」
「うん」
俺の挨拶に応じたミィは、小さく頷いた後――
「よろしく、豚」
「那尾だ、那尾! あいつみたいに俺のことを豚って呼ぶんじゃねぇ!!」
「……そういう趣味?」
「違うっつってんだろ!」
不味い……あの羽虫のせいで変な噂が広まりそうだ……。
ただでさえ、女性寮に侵入しただなんて濡れ衣で処刑されかけたってのに……ああ、どうすればいんだよぉ……!!
◆
「……ふんっ」
さて、ミィが俺を連れてきたところを見たララは、怒りと嫌悪たっぷりの表情を浮かべて鼻を鳴らしてきやがったわけだけれど、俺はそれに何も突っ込まなかった。下手に口答えしたら、もう一度氷漬けにされてしまいそうだから。
「仕方ないから仕事の説明をしてあげるわ。一回しか言わないからよく聞くのね」
とはいえ、新人教育をしっかりとするあたり、龍に対しては忠誠心というか……真面目というか……まあ、おかげで働くことはできそうだ。
旅館での俺のイメージは既にマイナスに振り切っていること間違いなし(主に事故だが)その評価を払拭するためにも、ここは真面目に働かないと。
「あんたたち新人の仕事は雑用よ。まずは温泉の掃除」
「温泉? すごいな、ここは温泉も湧いてるのか」
「そんなことも知らないできたの? 主様のお力に決まってるじゃない」
いちいち偉そうなララだ。
意識してるのかいないのか、わざわざ俺の上を飛んで見下ろすように喋るところも、彼女の偉そうな態度に拍車をかけている。
「龍さんの力ねぇ……」
「様を付けなさいよあんた。不敬よ」
「不敬って言われても、俺にとっては敬うってよりも恐ろしいぐらいなんだよ」
雇い主だとかこの旅館の支配人だとかそういうことは関係なく、俺にとって龍さんは、滝を割って出てきたあの巨大で恐ろしい龍のイメージが強すぎる。もちろん、人の姿のおかげである程度中和されているとはいえ、それでも親しみや尊敬の念を超えて、逆らってはいけないような怪物というのが、今日出会ったばかりの俺が抱く感想だ。
ただし、目の前の妖精は違うようで。
「ま、恐ろしいのは百歩譲って同意するとして、助けられたってのにその言い草はなによ」
「助けられたぁ?」
俺の頭に疑問符が浮かぶ。確かに、俺はサトヤや蓮歌には化け物に襲われているところを助けられた気がするが……そういえば。
「なんか妖精が飛んでた気がする」
「……何の話?」
ぽわぽわぽわぁん(思い出し効果音)
ー『ちょっとあんた! あんたのせいでびしょ濡れになっちゃったの、どうしてくれるのよ! せっかくの休日が台無しじゃない、責任とれるの!?』
「あ!?」
思い出し完了。
そういればこいつ、あの船に居たな。
え、俺こいつにも助けられてんの?
「……何よ、その顔」
「ハッ、お前には俺の憎悪と感謝という相反する感情のせめぎ合いはわからんだろう。下手に扱えば混ざり合った感情が爆発して死ぬぞ。俺が」
「なぁに訳の分からないこと言ってるの……よっ!!」
「痛ぇ!?」
尻を叩かれ思考リセット。
しかし、こいつに助けられたのか。
こいつになぁ……。
自分でもわかるぐらいに不服感がだらだらだ。
まあ、豚とか呼ばれている分で差し引いて感謝は伝えなくていいだろう。こいつも、俺のこと気づいてないみたいだし。
「ララ、ナオ」
そこで下から声が。声の主はもちろんミィ。小さな彼女が、上目遣いで訴えかけて来た。
「仕事」
「「うっ」」
仕事を忘れて話していたことを指摘されてしまった。まったくもって、まじめに仕事をこなすという覚悟はなんだったのか。
「ララ、仕事を教えてくれ」
「そ、そうね……」
がっくりと肩を落としたララの様子を見れば、ミィの無機質な正論が彼女にもばっちりと突き刺さったことが伺える。そして取り繕うようにくるりと宙を舞った彼女は、気を取り直して仕事の説明をし始めた。
客のいなくなった浴場の床を、これでもかと磨くのが、俺たちの初仕事のようだ。
ただ――
「ひっろ……」
バスケコート二つ分はありそうな浴場を見て、眩暈を起こしかけた。
え、俺たち今からこれを掃除すんの?
三人で?
「さ、頑張りなさい」
「あれ、ララは?」
「私? 私は仕事よ。一時間ぐらいしたら戻ってくるから、サボらずにやっておくこと」
一応、掃除のやり方は一通り教えてくれたからいいとして……え、二人で掃除しなきゃいけないの?
「ん、頑張る」
「……やってやろうじゃねぇかよぉ!!」
むっと両手を胸の前で握ってやる気を見せるミィに続き、俺も袖をまくって気合を入れるように声に力を籠める。しかし――
「うるさいっ!」
「痛ってぇ!?」
せっかく入れた気合も、尻を叩かれてしまえばどこへやら。とはいえやるしかない以上はしっかりとこなさねばと、俺はさっそく仕事にとりかかった。
と言ってもやることは簡単だ。ひたすら磨く。桶に入ったお湯を流して、洗剤と一緒に磨く磨く。モップを使ってゴシゴシゴシゴシ。水を抜いた浴槽から、浴場の床までゴシゴシゴシ。慣れない作業に体の疲労が大きいけれど、無心で何かを磨くという作業は以外にも楽しく、自分にもこんな一面があったのかと驚かされるぐらいだった。
それに……大きな浴場というのは、それだけで存外に楽しい。
屋内浴場とはいえ、木造の壁には巨大な絵が一枚。雷神と風神(と思しきなにか)が両端を飛び、山頂から見下ろしたかのような景色に広がるのは、どこまでも続く川と広大な草原。奥の太陽はどこか古風なオレンジ色に染まっているけれど、それが逆に味を出していて、レトロな世界を広げている。
その絵を見るたびに、この旅館の持つ魅力の虜になっているような気分だ。更に言えば、これほどの絵がなくとも、ただ広い浴場というだけで、テーマパークに来たような気分になってしまう。
それにしても……
「これ、シャワーはどこだ?」
洗い場らしき空間はあるものの、シャワーや蛇口らしきものは一切見当たらない。唯一それっぽいのと言えば、流れ出るお湯を受け止める大きな壺ぐらいなものだけれど。
「知らないの?」
と、そこでぴょこんと、視界の下から黒い角が飛び出てきた。
ミィだ。
「あの壺。あと桶。あそこでお湯汲んで、かける。終わり」
「はー、そう言えばここ、そこまで近代的ってわけじゃないもんな」
「あと、あっちから時間になったら水が落ちてくる」
「打たせ湯みたいなもんか?」
和風だとかレトロだとか思っていたけれど、ここは俺の元居た世界みたいな風情を守る旅館というわけではない。シャワーと言えば、それこそお湯のシャワーなんて戦後からなんだっけ?
それなら確かに、ないのもうなずけるというものだ。
まあ、それにしては照明だったりラーメンだったり、どこか技術がちぐはぐなような気もするけれど。
「それより、ナオ」
「ん? なんかあったか」
ゴシゴシとモップで床板を削るように磨きながら、話しかけてきたミィに受け答えする。ミィはミィで、別のところのモップ掛けをやっているはずだけれど、果たして何かあったのか――
「壊れた」
「あん、モップ壊したのか?」
「ううん、違う」
確かに、よく見ればミィの手にはモップが一本。そもそもこのモップ、随分と頑丈に作られているのか、俺がどんなに力を入れても曲がりすらしない代物だ。俺の胸元に届くかどうかって身長の子供に、折れるわけが――
「床、壊れた」
「はい?」
ミィが指さす方を見れば、浴場の床石にクレーターが出来ていた。
クレーターが。
クレーター?
え、なにあの凹んでる場所、怖……。
「って、なにがあったんだこれ!?」
「だから、壊れた」
「なにが!?」
「床が」
「だからどうして壊れたんだよ!?」
慌てる俺を、事態についていけない脳内の俺が冷たい目をして見下ろしている。
えぇ、ではここから脳内の那尾が、混乱の果てにある俺を実況しましょう。さて、那尾の眼前にあるのは床板に深々と刻まれたクレーター。辺り一帯には罅が入っています。これには流石の那尾もかえって冷静になって何も言わなくなってしまいました。さて、見たところくっそ高そうな床材です。クレーターの出来た場所には、そんな床材にまんべんなく罅が! この状況、どう見たところで弁償は免れない。おーっと、ここでミィが口を開いた、一体何を言うつもりだァァァ!?!?
「壊れちゃったんだから、仕方ない」
ここで那尾、渾身の「なに言ってんだお前」の表情だァ!! いやぁ、素晴らしい目の開き具合ですね。それにしてもミィの他人事っぷりがとんでもない! いったい何をしたらこんなクレーターが出来上がるのか――
「何やってんのよ」
「ぎゃぁあ!?」
――と、ようやく理解が状況に追いついたところで、後ろから今一番聞きたくない声が聞こえて来た。
錆びついたロボットのように首を後ろに回せば、そこにはララが。
もう一時間たってしまったのかと、俺はクレーターの前で立ち尽くす。
改めてクレーターを見たが、この状況、何を言った所で悪手だろう。ああ本当に、弁償するとしたらいくらになる? え、俺、働き始めて一日目なんですけど?
「なぁにやってんのよ」
俺の悲鳴が気になったのか、くるりと回って様子を見ようと動くララ。しかし、このクレーターを見られたら一巻の終わり……いや、まて。やったのはミィだ。俺は悪くない。俺は、俺は……あー! 連帯責任とか言われたらどうしようもねぇぇぇ!!
「せいや!」
「ちょ、なにすんのよ!?」
動くララをとりあえず鷲掴み。
「ふっざっけんな! は、な、せぇえええ!!!」
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って! 本当に! 本当に待ってくれ!」
「待てって何よ、そっちこそ離しなさいよ変態! ちょ、本当にどこ触ってんのよ!」
「痛ぃ!?」
バシンバシンと尻どころか全身を叩かれるけれど、この手を離したら俺が死ぬ!(財産的に) こ、この間にどうにかして誤魔化す方法を――
「死ねぇ!!」
「うわぁああああ!?!?!?」
まるでアッパーカットのような強烈な一撃がみぞおちに炸裂。その衝撃に俺は後方へと吹き飛ばされてしまう。五メートルは後ろに飛んで転がる視界。その中で、ようやく俺の手から解放されたララは、パッパッと体を手で払いながら、ごみ見るような目で俺を見下ろす。
「信ッじられない! 変態! 不潔! やっぱりあんたは猿よ猿! 浴場だからって欲情していいと思ってんの!?」
「ララ」
そうしてあらん限りの暴言を小さな口から洪水のように吐き出していたところ、ララの言葉にミィが割り込む。
「壊れた」
「あ? なによ、ミィ。いま、この男をどうやって殺すか考えて……って、なによこれ」
そんなことをするものだから、ミィの方を向くのと一緒に、例のクレーターまで見られてしまった。ああ、終わりだ。やったのはミィだけれど、果たして俺は無関係でいられるか。一生タダ働きなんてことになったら――
「まぁた、あんた派手にやったわねぇ」
「む、仕方ない」
「少しは加減を覚えなさいって言ってるでしょ? ちょっと待ちなさい――」
……あれ? と俺は地面から起き上がりながら首をかしげる。思ったよりも怒ってないというか、慌てていないというか、なんだか冷静な対応だ。それからしばらく観察していると、徐にララがクレーターの周りを回る。するときらきらとした光が粉雪のように、床石に降り注ぎ――気が付けば、ひび割れていた石は元通りに。クレーターがあった跡なんてわからないぐらいきれいさっぱり消えてしまった。
これが魔法か、とあんぐりと口を開けて驚く俺に、ララは言う。
「なに間抜けな面してるのよ。あと、あんたもミィのことちゃんと見張っててよね」
「み、見張るって……なにがだよ」
「ミィはまだ力の制御が上手くできてないのよ。だからどうにも周りのモノを壊しちゃって……」
「はぁ? 力の制御ができてないって……」
試しに俺は、バンバンとその場で力強く叩いてみる。けれど、頑丈な床石はビクともせず、罅一つはいらない。
「力であんなことになるわけないだろ」
山のような大男がここに居たって、あんなクレーターを足や腕で作ることなんてできないというのが、俺の常識だったけれど、それが的外れであるようにララは言う。
「それができるのよ、ミィには」
そう言って彼女は、ミィの頭の上、二本生えた黒角の間に腰を掛けて言った。
「この子は鬼の末裔。知ってる? 鬼」
「そりゃまあ、知識ぐらいは……」
鬼、と言えばあれだろ。
トラのパンツに鉄の金棒。なによりも大の力持ち――って、それが?
確かに角は、鬼なのかもしれないけれども。
「その上、ヴァンパイアのハーフと来た。こと怪力に関しちゃ、この旅館の種族の中でもトップクラスよ」
「ちょっと待て。理解が追いつかないんだけど」
「ですって、ミィ。貴方の口からもう一度言ってあげなさい」
ララに言われてミィが言う。
「
「だから、ちょっとしたミスであのクレーターか……」
まだ納得がいっていないけれど、しょうがない。事実として、あのクレーターは作られたわけで、ミィの頭には角が生えている。そしてよくよくその口元を見て見れば、鋭い犬歯までもが確かにあるのだ。
感情を無視すれば、理解はできる。
だとしても、だ。
「見張っててどうにかなる奴じゃないだろ!?」
「ま、そこは新人同士助け合いってことで頑張ることね、豚」
ちょ、ほんとに、本当にヤバい奴と組まされたな俺!?
と、俺が慌てているところで、ミィの頭の上から離れた彼女が、ふわりと飛んで俺の目と鼻の先に。その表情は、見たこともないような優しい笑顔をしていた。ただ、俺にはわかる。その笑顔を浮かべる瞳に浮かんだ怒りが。
「さて、ミィのやったことの後始末は終わったとして……さあ、始めましょうか」
「は、始めるって何を?」
俺はとぼける様に訊ねたけれど、結局そんな僅かな抵抗も焼け石に水。
「私を辱めた罰を受けるのよ、豚!」
「いやぁぁぁ!!!」
仕事そっちのけで、俺に対する罰は始まったのだった。
それはもう、本当にひどい仕打ちだった。
溶岩に焼かれるようで、吹雪に吹かれるようで、それは本当に、もう。
二度と変なことをしようとは思えないほどのものだった。