狭間の旅館の暮らし方~消えた夕日を追って辿り着いた先は、バッドエンド住人たちの理想郷~   作:日野球磨

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8話 泣いた赤鬼

 

「何やってんのよあんたたち」

 

 昼食時も終わり、俺とミィが仕事を再開したところで、ララが様子を見に来た。ちなみに今やってるのは風呂掃除だ。昼過ぎは大体風呂場の掃除。神様謹製の温泉ということもあって、呆れるほどの浴場がこの旅館にはある。昼終わりから、雑用の仕事は大体風呂掃除だ。

 

 さて、話を戻すけれども。

 

「俺たちの仕事風景に何か疑問でもあるのかよ、ララ」

「あのねぇ、なんで二人羽織みたいなことしてるのよあんたらは」

 

 なるほど、と俺はララが呆れた風に言う理由がわかった。

 というのも現在、ミィの力加減を覚えるための特訓の真っ最中なのだけれど。

 

「ナオ、移動する」

「おう」

 

 そのために俺は、自分の手首とミィの手首をロープでがっちりと固定して掃除をしている。道具を持つのは俺だ。だが、俺の体を動かすのはミィ。蓮歌の頓珍漢な発想から出た特訓ということもあって、やってる姿も頓珍漢なのは認めよう。しかしこれはこれでまじめでやってるんだぞ。

 

「なるほどねぇ、無理に動かしたらナオの体も壊れちゃうってわけ」

「ミィは人相手ならセーフティがかかるって話だ。蓮歌に聞いた」

「へぇ、そう言えばあの子だったわね、ミィを見つけたの」

 

 ミィの操作に合わせて、俺も体を動かす。ミィの背丈に合わせていることもあって、態勢的に少し腰がきついが……ここは高校生パワー! ギックリ腰になんてならないぜ!

 

 と、そんなことはひとまず措いて。

 

「見つけた?」

 

 ふと気になる単語がちらり。

 

「あによ、そんなことを聞いてどうするつもり?」

 

 ただ、追及すれば命はなさそうな雰囲気だ。あれかな。女の子の秘密的な。

 

「そうそう、豚は大人しく飼い主の言うことを聞いてればいいのよ」

「誰が飼い主なんだよそれ」

「私に決まってるでしょ」

「こいつ……」

 

 相変わらずな様子のララには、そろそろ感心さえ覚えてくる。一体こいつは俺に何の恨みがあるのか、そろそろその訳を教えてくれてもいいと思うんだけど。

 

「ナオ」

 

 と、そんなところでミィが俺を呼んだ。

 もちろん、この間にもミィは俺の体を動かし、黙々と作業していたわけだけれど、流石にそろそろ辛くなってきたのだろうか、なんて俺が考えていれば――

 

「トイレ行きたい」

「……あ」

 

 さてここで問題だ。俺とミィの間に起きている問題とは何でしょうか?

 

「トイレどうすんだよこれ!?」

 

 俺はモップを落として嘆くように空を仰いだ。ただし、ミィの両手と俺の両手が紐で繋がっているせいで、そこまでいい感じに空を仰ぐことはできなかったけれど。

 

「トイレ行きたい」

「わかってるよ!」

 

 ひとまず両手を結ぶロープを外すけれど、肝心の魔法で繋がった手錠自体はどうやったところで外れない。手錠の長さは大体50センチぐらいか? 流石に女子トイレの入り口に立って待っていることなんてできない――

 

「あ、女子トイレとお風呂の前に居たら外れるわよそれ」

「え」

「だから、女子トイレとお風呂の前に行ったら、勝手に外れるようになってるから。あと更衣室も。当たり前でしょ、ミィだって女の子なんだからさ」

 

 衝撃の事実に、俺は大きく息を吸い込んで言った。

 

「先に言えぇえええええ!!!!」

 

 急ぎ俺は、ミィを抱えてトイレに駆け込んだ。もちろん中には入るようなことはせず、入り口の近くで立って待っていたけれど。

 

「……これ、まさかとは思ったが、ミィの奴が出てくるまで、俺動けない系か……?」

 

 ふと、ここにはいないはずのララの声が聞こえてきたような気がした。

 

――『まさか、けだものを自由にさせるわけがないでしょ馬鹿ねぇ~』

 

 確かめるように女子トイレの入り口から離れてみようとしたが、一定距離から先に進めない。足が石のようになって動かないのだ。流石は魔法、なんでもありだなクソがぁああああああああ!!!!!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 狭間の旅館は広く、その中には従業員用に開放された広場がいくつか存在する。それは購買横の渡り廊下であったり、食道傍の休憩室であったり。そんな広場の一つには、下町に面する庭も存在する。景観に重きを置いた松の木がまばらに配置され、ちょうど木陰になる位置には、木製ベンチが並んでいる。

 

 ただ、昼間ならばまだしも、月が真上に来るような深い夜の時間には、従業員寮から遠いこの広場に人気はない。

 さて、月明かりに照らされた庭の広場には、偶然にも人影が二つ。

 

「ったく、こんな時間に何の用だよ」

「はぁ? なんであんたみたいなやつのために、私がわざわざ時間を作らなきゃいけないのよ」

 

 サトヤとララの二人だ。

 月明かりの中を舞うように飛ぶララに対して、ため息をつくようにサトヤは言う。

 

「この時間、ここに居るのは俺だけだ。暇だから偶然散歩してきたならともかく、お前はそういう暢気な趣味を持ってる奴じゃないだろ」

「いーじゃないの! 私だって、妖精なんだから草花を愛でるような素敵な感性を持ってるかもしれないでしょ!?」

「その抗議の時点でない。はっきり言える。お前は、そんな性格じゃない」

 

 お互いに刺々しい態度は、ある意味で友好の証ともいえるだろう。もちろん、二人がプライベートを共有するような仲ではないのも、態度を見ればわかることだろうけれど。

 

「んで、もう一回訊くぞ。何の用だ?」

「はぁ、あんたのそういう態度が嫌いなのよ。友達いないでしょ」

「なっ、そ、それは関係ないだろッ!?」

 

 図星を突かれたサトヤは動揺を浮かべ、今度はララの方がため息をついた。

 それから少しの間、小さな沈黙が木の葉のように舞う。それは訪れたことに気づいた頃には、どこかに去っていってしまい、ララの方から話を切り出していた。

 

「あいつ、あんたが連れて来たんだったわね」

「お前、まだあいつのこと名前で呼んでなかったのかよ」

「質問してるのはこっちよ!」

 

 相変わらずのララの人嫌いに呆れるサトヤだ。もう十年の付き合いになるが、一向に治る気配がない。

 ただ、これ以上軽口を叩くのも下手にララの怒りに触れるだけだとわかっているサトヤは、眉を顰めながら答えた。

 

「ああ、そうだよ。俺が連れて来た」

 

 そう言ってから、サトヤは胸ポケットから煙草を出して、火をつけた。

 ぼんやりとした煙が月明かりのスポットライトの中に潜り、空へと昇っていく。それを不快そうにララが見送って、話は続いた。

 

「それって、まさかだけれど()()()()()連れてきたわけではないでしょうね?」

 

 立ち上る紫煙はまるで旅人だ。この世から離れ、あの世へと旅立つ幽霊のように、空の中に消えていく。まるで月光の中に、こことは違う場所に繋がるゲートでもあるようだ。数秒前には確かにそこに在ったはずなのに、どこにいるのかわからない。もう、存在しているのかすら、わからない。

 

「ねぇ、私が訊いてるのよ、サトヤ。海でもなく、山の方でも牧場の方でも竹林ですらなく、隙間から連れてきたわけ? 正気?」

「正気だ。あと俺が吸っている間は話しかけるな。これでも、俺にとっちゃ何よりも大事な時間なんだよ」

「はいはい」

 

 大きく息を吸い込み、そして吐き出す。

 それはサトヤのルーティーン。一日に吸うたばこは一本だけ。毎晩、月が一番高く昇る時に。それが彼にとって何よりも重要なことであるのは、ララも知っている。彼がここに来て十年、一日たりとも欠かしたことはないのだから。

 

「悪いな」

 

 まだ明らかに吸い終えていない煙草を握りつぶして、サトヤは話に戻った。

 

「確かにナオは俺が連れて来た。お前の言う通り、隙間からな」

「どうりで……なんで連れてきたのよ」

「確かに連れてきたのは俺だが、無理に引っ張ってきたわけでも、変な企みをしてるわけじゃない」

 

 サトヤの言葉に、ララは睨むように沈黙で返した。その瞳には、サトヤのことを責めるような意思が見て取れるけれど、いつものようにその口から憎まれ口が飛び出てくるようなことはなかった。代わりに、呆れるような言葉で彼女は言う。

 

「別にあんたのことを疑ってるわけじゃないのよ。ただ……私は乱されたくないの」

「はぁ……ここはお前の城じゃないぞ」

「わかってるわよ。100年居るからって、支配者になったつもりになれるほど、傲慢じゃない」

 

 脱力するように飛行高度を落としたララは、一番近くの松の木の枝に腰を掛けた。

 それはちょうど、サトヤと対面するような位置だ。

 

「けれどね、サトヤ。ここにはここのルールがある。そのルールはこの理想郷を保つうえでいちばん大切なもので、みんなそのことを知っている。それはここに来たら自然と理解できるものよ。あんたも、もちろんあたしも。ド新人のミィですらね」

 

 ララの向けた指がサトヤとララを交互に見た。

 

「でもあいつは違うでしょ」

「同じだよ」

 

 対して、サトヤは手を開いた。そこには今しがた握りつぶした煙草が、米粒のようになっていた。

 

「あいつも同じだ。だから話しかけた。それと、ここで働くって決めたのはあいつだから、俺は本当に橋渡しをしただけだ」

「そう。でも、まだ見習いなんでしょ。ならいいわ。元の世界に帰りたくなるぐらいこき使ってやるんだから!」

 

 そう言ってララは飛び去って行った。月光を受けてキラキラと輝く羽は、暗い夜の中では星よりも良く目立つ。サトヤはその光を目で追いかけた後――隠れて話を聞いていた人物の名を呼んだ。

 

「龍さん。人の世界じゃ、盗み聞きは悪い行いだ」

「すまない、そんなつもりはなかった」

 

 ともすれば、夜の闇の間から這い出てくるようにして、龍の巨体が姿を現した。もちろん、その姿は蛇のように長い龍本来のフォルムではなく、人の女性の姿である。ただ、如何せん人の体でも背が高い。身長に表せは実に217センチだ。そんなものが急に闇から出てくるものだから、流石のサトヤも目を丸くしていた。その表情には「言ってみたはいいが、本当に居るとは思わなかった」なんて感想が読め取れそうだ。

 

「昔、娘にも散々怒られたものだ」

「初耳だな。龍さん、子供がいたんですね」

「今は家出して、どこの時空に居るのかすらわからぬがな」

 

 娘のことに思いを馳せる姿は、神様であっても変わらないものだ――とサトヤは思う。そもそも神様なんて超越存在に、生物学的な子供が存在するのかすら、怪しい所だ。どちらかと言えばアメーバみたいな分裂じゃないか? と、ひとしきり頭を働かせたところで、龍が話を続けたことで、サトヤも思考を打ち切り、会話に興じる。

 

「ララがな、こちらに向かっているのが見えたから少し見張っていたのだ」

「あいつ、クソ真面目だから厳しいのは知ってますが、そこまで気にかけるほどっスかね」

「さてな。ただ――」

 

 と、そこで龍は言葉を濁した。

 その濁し方は言いかけたことが、本当に話していいことなのかわからなくなって、急ブレーキを掛けたようだったから、サトヤは気になった。というよりも、本当に目の前に居るのが神様なのか疑わしくなった。ともすれば、神様の皮を被った人間なんじゃないかと思うぐらい、龍はなんだか人間臭い。サトヤが想像していた神様は、もっと仰々しく、何事にも動じず、自分勝手なものだから。

 

「ただ、凪いだ水面も、その下まで平穏寂静とは限らないだろう?」

「一理ありますね」

「だから時折観察するのだ。ララだけではない。ここに生活している従業員。その中でも、未だ夜に沈んでいる者たちは」

「……それって、もしかしてっスけど、俺も入ってます?」

「当然に決まっている」

 

 サトヤははあとため息をついた。プライベートはどこへやら。そんな風に嘆いて月を見上げるサトヤだけれど、思えば相手は神様だ。人の尺度で生きているはずがない。

 だからだろうか。何か一言でもいいから、反撃をしておきたくなったサトヤは、一つの事実を龍へと突き付ける。

 

「龍さん、そういうの苦手でしょ」

 

 対して龍は、月から目を背けるように下を向いて言う。

 

「バレたか」

 

 その言葉には冗談めかすような笑いが響いてくるような調子だったけれど、その奥底には沈むような重さがあった。

 触れてしまえば、深海まで連れていかれてしまいそうなほどの、重さが。

 

「吾には人の心が読めない。神であるからだ。神は神の道理で動く。だから人の道理がわからない。娘にも、そのせいで愛想をつかされたものだ」

「それにしては、龍さんのことを慕う人間が多いように見えますけどね。事情以上に、人として」

 

 ララも含め、サトヤの知る旅館の古参従業員たちは、強い意思を持って龍に付き従っているように見える。それは忠誠心と呼び変えてもいいものだ。もちろんサトヤも、ここに置いてくれている龍には感謝の念はあるけれど、はっきり言って忠誠を誓うほどの情熱があるわけではない。

 とはいえ、ルールに則っている身としては、聞くに聞けぬ話なのだ。だから知りようがない。だからこの問いも、訊ねたところで返ってくるとは思っていない言葉だったのだけれど。

 

「居たのだよ。昔に、人と人を繋いでくれる人間がな」

「ほう」

 

 思ってもない返事に、今度こそ心の底からサトヤは驚いた。ただ、続く質問を口にはしない。

 それもそうだ。昔いた。そんな言葉を使う以上、今は、もう――

 

「サトヤ」

 

 急に名前を呼ばれたものだから、ハッとなってサトヤは視線を龍に向けた。もちろん、名前を呼ばれたこと自体に特別な意味はないけれど。

 

「お前が連れて来た子供。ナオ、だったな」

「あ、ああはい。ナオがどうかしましたか?」

 

 その呼びかけには、どこか大きな期待が込められたような、明るい調子が含まれていたことに、サトヤは気が付いた。だから彼は動揺するように視線を向けたのだ。龍の方へ。

 

「ナオは何も知らない。ララの言う通りだ」

「龍さんもその話ですか」

「いやいや、吾のこれはララとは違う。何も知らないからこそ、吾は期待しているのだよ」

 

 そう言って、龍はどこか懐かしむような笑顔を浮かべた。

 

「イカロスの話は、サトヤの世界にはあったかな?」

「先史古典は詳しくないっスからねぇ」

「知っていると解釈して続けるが、イカロスはその無知から、蠟の羽を溶かしてしまった。それは確かに愚かな行い何だろうがな。だが、無知でなければ、イカロスは空を飛ぶことすらしなかったのではないかと、吾は思う」

「生憎と俺は頭がいい方じゃありません。結論から言って頂けると、助かります」

 

 そう言われて、龍は少しばかり言葉の間に真を置いてから、続きを話した。

 

「知らないことは、不足ではないのだよ。時としてそれは、この世界を変えてしまう大きな武器になる」

 

 そう言って、龍は初めて月を見上げた。

 

「あいつのように、な」

 

 彼女の言う「あいつ」が誰を指したものなのか、サトヤの知るところではない。古参連中に比べれば、サトヤが新参者だということもあるだろうが……如何せん、この旅館には秘密が多いのだ。

 

 お互いの事情に踏み込まない。

 それがこの旅館に蔓延る、暗黙のルールなのだから。

 

 だが、しかし。

 

「確かにあいつは、そんなこと知ったこっちゃねぇっスからねぇ」

 

 ナオは。

 ナオだけは、例外だ。

 

 サトヤは警告こそすれ、ナオには何も教えていない。

 

 この旅館への道が開く条件(・・・・・・・・・・・・)も、この旅館の暗黙のルールも――

 

――実を言えばまだ、ナオは元の世界に帰れることすら、サトヤは教えていないのだから。

 

「期待しているんスか、あいつに」

「ナオだけではないさ。吾は、この旅館に従事してくれるすべての者に期待している」

 

 月夜の庭で、龍は言う。

 

「誰にも、救われる権利はあるのだから」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夜。

 即ち仕事の終わりを意味する時間帯。

 今日も一日、新人として雑用に次ぐ雑用をしっかりとこなした俺は、ようやくの安息の時間を全身全霊で喜びたいところだけれど。

 

「おーい! ララ! これ、手錠が外れねーんだけど!」

 

 俺とミィを繋ぐ手錠が、どういうわけか外れなかった。

 トイレや更衣室、風呂に入る時は、出入口の近くまで行けば勝手に外れるのだけれど(外れている間、俺はその場から動けないが)、女性寮への渡り廊下前に来たというのに、外れる気配がない。

 

 まったくもってどういうことか。とりあえず女性寮の方に向かってララを呼んでみたけれど、生憎とあいつは現れない。ララを呼んでもらおうと、女性寮に向かう女性に声を掛けるが――どういうわけかそそくさと逃げられてしまう。いや、わかっている。初日のあれが原因だということは。本当にひどい目に遭った。本当に。

 

 ともかく、このままでは眠れない。

 

「眠い」

「我慢しろ。とりあえずララが来るまで待っててくれ」

 

 目をこするミィはとても眠そうだけれど、流石に手錠を外さないまま眠ることはできない。――と、思っていたのだけれども。

 

「もうナオの部屋でいい。寝かせろ」

「はぁ? 俺の部屋でいいって……」

「男性寮に入寮制限ない。女性寮だけ」

「そうなのか」

 

 どうやら、男性寮は異性が入ってもよかったらしい。

 とはいえミィは女の子。流石に男の部屋に招くのは気が引ける。気が引けるけれど……まあ、手錠が外れないのはララのせいで、そもそもミィは子供だ。寝ている間の怪力は気になるが……いや本当に、命にかかわるから気になるけど、それを横に措けばさしたる問題はないだろう。

 

「仕方ない」

 

 そう言って、俺は自分の部屋に向かった。

 

「なにもない」

 

 というのは、俺の部屋に入ったミィの感想だけれど。

 

「仕方ないだろ。こっちに来てまだ数日。それも働き詰めで何かを買う余裕もない。いや、そもそも給料もまだもらってないんだ」

「なるほど」

 

 布団とテーブル。端っこにはこっちに来るときに持ってきた学生カバンがあるだけの部屋は、なにもなくて当然だ。ともかく、歯も磨いたし風呂も入った。あとは寝るだけ。

 

「おやすみ」

「はいはい、おやすみ」

 

 布団はそこまで広くなくて、二人で入ってもはみ出してしまう。ただ今日が暖かい季節だから、布団の方はミィに使わせて、俺は畳の上に寝転んだ。流石に枕はタオルを巻いて代用したが、何も敷いてない畳は少し痛い。それでも、疲れ切った体は睡眠を求めているものだから、眠るには横になるだけで十分だった。

 

 次第に薄れていく意識の中で思う。

 

 はぁ、蓮歌に会いたいなぁ。

 

 たった数日。それでも俺は、思わざるを得なかった。

 

 

 それから時間が経ち、俺の目が覚めた。窓の外はまだ真っ暗だけれど、体内時計が早くもスケジュールに従って、雑用が始まる時間に起こしてくれたようだ。

 

 とにかく、ララにたたき起こされるその前に、俺は起きて朝の支度をしようとしたけれど、ふと俺のすぐ横にミィが居ることに気が付いた。

 

「……あー」

 

 ミィが俺の体に抱き着いている。ひとまず、腕やら肋骨やらがへし折られていないことに安堵した俺は、次にどうしてミィが、布団を這い出て俺の方まで来たのか考えた。

 

 随分と寝相が悪い奴だ。そんな風に思った言葉は、聞こえてきたミィの言葉によってかき消されてしまうのだけれど。

 

「あにぃ……」

 

 それはとてもか細い声だった。けれど確かに、ミィは眠りながらそう呟いた。続けて、こうも言うのだ。

 

「しんじゃだめ……」

 

 それは朝の光にかき消される宵闇のように儚い言葉だったけれど、確かに俺はその言葉を聞いたのだ。そして、見てしまったのだ。ミィの目から零れる涙の筋を。

 

 まだ、夜は明けていない。

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