# 01 一際大きな甍の下
オシュトルは武家道を歩いていた。塀は行くほどに高くなり、人通りが減って都の朝の音が遠のいていく。代わりに、塀の内から乾いた音が響いてきた。木刀を打ち合わせる音だ。
道の先に、その門はあった。
太い柱に瓦屋根を載せた、見上げるほどの門構えだった。塀の向こうで、道々仰いできた甍が朝日を照り返している。宮廷を別にすれば、都に入ってから目にしたどの屋敷よりも大きい。
まさか、この門を弟子としてくぐる日が来るとは。
「うわ、おっきい」
シューニャが首を反らした。少し後ろで対の黒衣も足を止める。誰に断るでもなく、シューニャの斜め後ろが二人の居場所と決まったらしい。
「ね、オシュトル。あの仮面のおじちゃんて、そんなにすごいヒトなの?」
「仮面のおじちゃんてな……凄いなんてもんじゃないぞ」
あれは
「真に選ばれし武人だけに与えられる、ヤマトの力の象徴だ。それを頂くのがヤマト八柱将筆頭、
「しちこう?」
「あまりに凄まじい太刀筋が、大気をも切り裂いて七色に輝くからだ。と、言われている」
「じゃあ、八柱将って?」
「ヤマトを支える八本の柱だ。聖上にお仕えして、ヤマトの中核をなす方々のことをそう呼ぶ」
郷の童でも知っている話だった。それでも語る声は弾んだ。
「筆頭のディコトマ様は文武両道、公明正大。民から広く慕われ、聖上が最も信を置く御方だ。武人とは、あの方を示す言葉と言っても過言じゃない。ディコトマ様に憧れぬヤマト男児はいないさ」
「ふ~ん」
シューニャはしばらく宙を見て、それからしたり顔で頷いた。
「判るよ。だって、あの髪型強そうだもん」
「それだけは本人の前で言うなよ」
「なんで? 褒めてるのに」
「いいから、だ」
門前まで来たところで、怒声が弾けた。
「何度も言わせるな! ディコトマ様に取り次ぎ願いたい!」
門の脇で、金の髪を逆立てた男が声を張り上げていた。向き合っているのは取次らしき男だ。困り果てた顔で、それでも一歩も引かない。
「しかし、何度おっしゃられようと、これは規則ですので……」
「それを承知で、こうして頭を下げている」
「ミカヅチ様と申されましたか。失礼ながら、将家の若様とお見受け致します。何かしらの伝手を使い、手順を踏んでさえいただければ——」
「それが出来れば、そうしているわ!」
取次の男がぽかんと口を開けた。
「ぬぐっ。貴様では埒が明かん! ええい、誰か話のわかる奴を出せ!」
「揉めてるね」
「弟子入りの談判らしいな」
そのとき、取次の男がこちらに気づいた。困り果てていた顔が見る間にほどける。
「あっ、オシュトル様ですね。お待ちしておりました。弟子入りの件、御館様より伺っております。御案内いたしますので、ささ、どうぞこちらへ」
「待てぇぇい!」
地鳴りのような声が門前を貫いた。
「弟子……と言ったか」
金の髪の男がゆっくりとこちらへ向き直る。値踏みの目が上から下へ走った。
「そんな甘っちょろそうな奴が、ディコトマ様に弟子入りだと?」
隣でシューニャが頬をふくらませる。双子はシューニャの後ろで、そろって小首を傾げただけだった。
「納得出来ぬわ! そいつを認めて、何故、俺を認めぬ!」
「ですから、何度も申し上げましたように——」
取次の男の言葉はもう届いていなかった。男の指がまっすぐこちらへ突きつけられる。
「そこの貴様! とても相応しいとは思えん。まさか本気で、ディコトマ様に弟子入りする気ではあるまいな?」
真っ向から売られた喧嘩だった。
値踏みの目を正面から受け止めた。
# 02 死合いから喧嘩へ
「誰かは知らんが、黙って聞いていれば随分な言い草だな」
オシュトルは一歩前へ出て、ミカヅチと正面から向き合った。
「確かに俺は、ディコトマ様の指南を受けるような器ではない。自分がどれだけ弱いか、どれだけ至らないか、身に染みてよくわかっている」
値踏みの目は逸れない。オシュトルも逸らさなかった。
「だからこそ俺は、あの方の元で強くならなくてはならない! 分不相応となじられようと、どれほど試練が厳しかろうと、弟子入りを取り下げるつもりはない!」
ミカヅチの目が細くなった。
「……ふん。ならば、俺と死合え」
「何?」
「貴様と俺、どちらがディコトマ様の
安い挑発だと判っている。受け流せば済む話だった。それでも、拳が固くなる。
「オシュトル」
袖を引かれた。
「心配するな、シューニャ」
振り向いて、言葉が止まった。朱塗りの槍はとうに肩から下りている。石突きが地を打ち、据わった目がミカヅチを射抜いていた。斬るなら手伝う、の目だ。
「うん。それで、いつやるの?」
心配の欠片もなかった。
「なっ、こ、困ります。ここで、そのような」
取次の男が二人の間で右往左往する。そのとき、門の内から低い笑い声が転がり出た。
「クックククク……いいねぇ、いいじゃねぇか」
「御館様!」
声の主が悠然と門をくぐって現れた。八柱将筆頭、その人だった。
「若えなァ。だが、若いモンはそうでなくちゃな」
ディコトマの目がミカヅチへ流れる。
「俺の
「なんと! ま、
ミカヅチが目を見開いた。ディコトマはにやりと笑い、顎でこちらを指す。
「嘘は言わねぇ。だが——そこの
「ディコトマ様?」
「オシュトル坊主よぉ。オメエ、ちっと頭はきれるが——そのせいで小賢しく考えすぎなのさ。餓鬼があれこれ悩んでどうする」
太い指がこつんと額を小突いた。
「壁にぶち当たったら、何も考えずに突き進み、全力でソイツをぶち破る。そいつが若さの特権ってモンよ。——楽しめ、オシュトル」
「楽しむ……?」
「思い出してみな、テメエの親父を。奴はやべぇ時ほど、不貞不貞しく笑ってたぞ。さぁ、浮世を楽しめ! 戦を楽しめ! そんな仏頂面じゃ、親父に追いつくなんぞ夢のまた夢よ」
思い当たる顔はいくつもあった。
「強制はしねえ。受けるか受けないかは、テメエで決めな」
肩の力が抜けていた。答えは考えるより先に出ていた。
「ああ、いいぜ。その喧嘩、受けて立つ」
「おお、やっちゃおう、やっちゃおう!」
シューニャが跳ねて、槍を握り直した。当たり前のように隣へ並ぼうとする。
「おい、小娘。小娘を痛めつける趣味は無い。隅で大人しくしていろ」
「わたし?」
「何故そこで首を傾げる」
「シューニャ。これは俺の喧嘩だ。見ていてくれ」
むう、と頬がふくらんだ。それでも槍は下ろさぬまま、対の黒衣の元へ下がっていく。
「負けちゃだめだよ」
「ああ」
「ふん、少しは骨があるようだな」
ミカヅチが首を鳴らした。
「ならば、表に出ろ!」
# 03 明け方の拳
「得物はいらん。拳で来い」
「言われるまでもない」
オシュトルは太刀を鞘ごと帯から抜き、シューニャに預けた。槍と太刀を両腕に抱えて、シューニャは妙に嬉しそうだった。
通りの真ん中で向き合った。間合いは自然と定まった。昼下がりの日が二人の影を短く落としている。
先に動いたのはミカヅチだった。
踏み込みが速い。首をわずかに振って躱し、返しの右を胴へ入れる。固い。岩を打ったような手応えと引き換えに、脇腹へ膝が来た。呼吸が詰まる。離れて、構え直す。
拳は重く、そのくせ速い。口の端が勝手に上がった。
「ほう?」
ミカヅチも笑っていた。
今度はこちらから踏み込んだ。左を囮に、右。読まれた。額で受け止められ、そのまま組みつかれる。投げられて転がり、すぐ立つ。口の中で土が鳴った。向かいのミカヅチは鼻血を垂らして笑っていた。
拳よりも先に、腹の底が熱くなった。
「何だ何だあ?」
「喧嘩みてぇだな」
それからいくらも経たぬうちに、野次馬が垣を作りはじめた。人垣の向こうで聞き覚えのある声が張り上がる。
「そうれ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、どちらが勝つかはお立ち会い! 張った張ったァ!」
師になるはずの御方が堂々の胴元だった。
「俺は青いのに三枚!」
「とんがり頭のあんちゃんに全部だ!」
シューニャは対の黒衣と並んで、塀際に陣取っている。
「オシュトルー、やっちゃえー! 顔面、顔面!」
両の拳を構えて、空を殴っている。顔面、と叫ぶたびに小さな突きが繰り出された。応援というより、もう一人で戦っていた。
「おい小娘、外から指図をするな!」
「じゃあ、ミカヅチも。あごー!」
「……貴様、どっちの味方だ」
「つよいほうー!」
「なら、俺だ!」
声が重なった。野次馬がどっと沸く。
再開して一発目、拳は言われた通りに顎へ来た。慌てて仰け反る。塀際で、してやったりの顔が拳を突き上げていた。
日が傾いた。気の利いた店が提灯を提げ、どこからか湯気の立つ茶が野次馬に回る。喧嘩がひとつの祭りになっていた。勝ち馬を乗り換える者が相次いで、賭け札の山が二度崩れた。
何合打ち合ったか、途中から数えるのをやめた。誰かが篝を持ち出し、賭けの札が何度も積み替えられた。
息が上がる。向かいも肩で息をしている。血の味のする口で、言ってやった。
「
ミカヅチの肩が震えた。
「クク……クハハハ! そうだよなァ!」
拳を握り直して、名乗った。
「パシュパクルが長子、オシュトルだ」
「
どちらからともなく吼えて、また拳を交えた。名乗ってからの一合はどれよりも重かった。名を知った相手の拳はなぜだか躱しにくい。向こうも同じ顔をしていた。
宵の口、邸から女官が握り飯を運んできた。誰が決めるでもなく休戦と決まり、道端に並んで頬張った。塩が沁みた。シューニャは当然の顔で輪に加わり、二人より多く食った。食いながらも指図は続いた。右だの顎だのと忙しない。食い終わると、どちらからともなく立ち上がる。野次馬が待ってましたと手を叩いた。
夜半には野次馬もあらかた消えた。最後まで残った酔客が勝敗の預かりを確かめて、千鳥足で帰っていく。胴元もいつの間にか賭場を畳み、縁側に腰を下ろしてこちらを眺めていた。声はもう掛からなかった。ただ、目だけが離れなかった。
「オシュトルー、やっちゃえ——」
塀際の声援が途中から欠伸に変わった。シューニャは対の黒衣に左右から挟まれたまま、こてんと眠りこけた。
それからは静かな喧嘩になった。
篝が燃え尽き、月が沈んだ。罵り合う息も惜しくなり、言葉が消えた。拳は石のように重くなり、足がもつれる。一発を出し、一発をもらう。それだけの繰り返しになった。相手はまだ折れず、こちらも折れない。確かめ合うのはそれだけになった。
月が落ちてからは互いの姿もろくに見えなかった。息の音を頼りに拳を出し、息の音で躱された。時折、縁側から湯を啜る音だけが聞こえた。
それでも止まらなかった。止め方はどちらも知らなかった。
東の空が藍を薄め、どこかで一番鶏が鳴いた。空の端が白みはじめる。
吐く息が白い。野次馬はもう一人もいない。見届け人は縁側の御方だけだった。拳の皮はとうに破れ、互いの顔は互いの拳の形に腫れていた。それでも、まだ笑っていた。
最後の右を渾身で振り抜いた。同時に、顎へ固い衝撃が来た。
世界がゆっくり傾ぐ。
土の匂い。隣で同じように倒れる音がした。
かすれた笑いがひとつ、土の上を這ってくる。つられて、こちらも笑った。
白みゆく空がやけに遠い。
まぶたが落ちた。