# 03 余人を交えず
朝の謁見の間だった。
大扉は閉ざされ、衛士は外へ下げてある。列柱のあいだに人影はない。ひとつも埋まっていない長い床に、五つの影だけが短く落ちていた。
台の上に帝。その脇に白い装束のホノカ。台の下にウォシス、ムラサメ、ライコウが、間を空けて立っている。
「ホノカよ。彼の地へ遣った件、聞かせよ」
「はい」
ホノカが胸の前で手を重ねた。声は昼の謁見のときと同じ高さだった。「以前の報告にありました通り、外郭での環境はさらに厳しさを増していると思われます。作付けの叶う土地が減り、人が中央へ移っていると」
「うむ」
「加えて——聖宮が、
誰も口を挟まなかった。台の下の三人はいずれも面を伏せたままでいる。
「パシュパクルさんには手当てをいたしました。杖をついて歩ける程度までは」
「良い」
帝が短く遮った。「それで良い」
ホノカは頭を垂れた。
「また、仰せのありました人形の件でございます」
「申せ」
「彼の地の門で父娘を逃がしたのは、その人形でした。逃がす際に姿を変えたと申します。膝丈の、抱えれば運べるほどのものが、白い巨躯に。総身が鎧のような殻に覆われていたと」
帝が目を閉じた。閉じたまま、しばらく開かなかった。
「得物は持っておりません。拳と躰だけで双刀を弾き、兵を二人まとめて壁際まで飛ばしたと。騎獣の突進も腕の一振りで。あれなら殿を任せられる、とパシュパクルさんは申しておりました」
「ふぅむ」
帝は先を促さなかった。ホノカは半拍だけ待って、自分から続けた。
「兵が十、術者が二、騎獣が一頭。そこへ仮面の者がひとり。それを独りで引き受けて、二人を門へ通したそうにございます。勝敗は判りません。パシュパクルさんはその最中に門をくぐっております。戦っている姿が、見た最後だと」
帝は答えなかった。ホノカは袖の中で指を組み直す。
「渡ったのち、パシュパクルさんは身を隠して門を見ておりました。追っ手が四名、続けて渡ってきたと。それきり、光が絶えたそうです。以後、一度も灯らなかったと申します。彼の地の側の門が、壊れたものと」
「そうか」
短い言葉だった。高窓から落ちる光が、台の縁を白く細く切っている。
「渡った四名のうち三名は、ヌエキッカの難所でオシュトルさんたちが討ち果たしております。骸はモエラの関へ」
「残るひとりは」
「行方は判りません。ただ、彼の地の者がこの地で永らえぬことは、聖上が最もよくご存じかと」
「であろうな」
ホノカは口を閉じた。帝の目が台の下へ移る。
「ウォシスよ、どう思う」
「はい」
ウォシスが顔を上げた。「これまでには無かった動きだと思います。彼の地は長く閉じたまま、変わらぬものでした」
そこで一拍置いた。
「あの地が再び動き始めた、と考えるのが妥当かと存じます」
「再び、か」
帝が繰り返した。灯を映した目がしばらく動かない。
「
誰も答えなかった。高窓から差す光が、五つの影を石の床に落としている。
「その禁を、あちらから破りに来るとはな」
「畏れながら、聖上」
ムラサメが面を下げた。「防人は万全ではありません」
「ほう」
「イヅモは、一度、内から破られております」
石の間から音が消えた。ウォシスの目がわずかに動き、ムラサメの上で止まる。
「掟を破った者がひとり。彼の地の者に情を移し、知り得たことを渡しました。
「
「いえ。取り逃がしました。咎は、全て小生に」
ムラサメは面を上げない。
「外の者を入れぬ仕組みはあります。ですが、内から出る者を止める仕組みは、イヅモにはありません。今また彼の地が動くのであれば、盾の内が保つとは限りません」
「相判った」
帝は咎めなかった。咎めるかどうか迷った気配もなかった。
「聖上」
ライコウが一歩、前へ出た。
「ライコウよ」
「謹んで申し上げます。彼の地の探索に本腰を入れられるのであれば、こちらにも抜けぬ札が要ると愚考します。防人の盾はイヅモに置いたまま、都の側で立てる備えが」
帝の目が細くなった。ライコウは面を伏せたまま、微動もしない。
「もしや、
「はい。御許可を頂きたく」
「
「御心、有り難く存じます。しかし、あれはヤマトの臣にとって、この上なき誉れ」
沈黙がひとつ落ちた。ホノカもムラサメも、面を伏せたまま動かない。
「良かろう。ならば、何も言うまい」
「ハッ」
ライコウが頭を下げた。「祖國の、『アシワラの至宝』を見事
言い終えても、頭は上げなかった。
沙汰は下りた。三人が退がる支度をする。ムラサメが思い出したように面を上げた。
「聖上。娘をディコトマ殿の元へ預けております」
「うむ、聞いておる」
声に驚きはなかった。
「同じ門下に、パシュパクル殿のご子息が」
帝は答えなかった。肘掛けに置いた手も動かない。
ムラサメは深く頭を下げ、それきり何も言わなかった。三人の足音が廊の奥へ遠ざかっていく。
「我が君」
ホノカが問うた。「あの者たちには」
「暫くは、な」
ホノカは頭を垂れた。問いは重ねなかった。
肘掛けの上で、帝の指がもう一度だけ縁を叩いた。高窓の光が、その手だけを白く照らしている。
# 04 足りぬもの
二対二で組め、とディコトマが言った。
庭の土を四人で分ける。木刀が二本、朱塗りの槍が一本、それに先の円い杖が一本。シューニャの槍は真物で、穂先に布が幾重にも巻いてある。ムネチカの杖も稽古用ではないらしかった。
「オシュトルとシューニャ。ミカヅチとムネチカだ。始めな」
縁側から声が飛んだ。
初手で崩れた。
ミカヅチが真っ直ぐ前へ出る。ムネチカは動かない。二人のあいだが開き、そこへシューニャが躊躇なく突っ込んだ。布を巻いた穂先がミカヅチの脇腹を叩く。
「おい、ムネチカ。何故来ん」
ミカヅチが振り向いた。
「間合いが空きすぎですわ。前へ出れば、後ろが空きます」
「空いた後ろを誰が突く。俺が先に潰す」
「潰しそこねたときの話をしておりますの。——貴公は前しか見ておらぬ。眼前の敵侮るなかれと申し上げている」
声の作りが途中から落ちていた。
「━━ハッ」
ムネチカは口元を押さえ、咳払いをひとつ落とした。「……し、失礼いたしましたわ」
「今のほうが判りやすいぞ」
ミカヅチが喉の奥で鼻を鳴らした。
「組を替えな」
縁側から声が飛んだ。
オシュトルとミカヅチ。ムネチカとシューニャ。
今度は前が重すぎた。ミカヅチが真っ先に出る。合わせて出ようとして半歩遅れ、遅れたぶんだけ二人のあいだが空いた。
シューニャが槍を右手一本に持ち替えた。左が空く。呪を呼ぶ形だ。
持ち替えるその一拍だけ、槍が止まる。槍でも呪でもない拍がある。
ミカヅチはそこを見ていた。肩の上から木刀が落ちてくる。
「危ない!」
届かない。届く位置にいたのはムネチカだった。踏み込まずに一歩だけ横へ出て、杖の胴で受ける。乾いた音が庭に落ち、シューニャの手の中で呼びかけの火が行き場を失った。
「……ありがと」
「お気になさらず」
もう一度組を替えた。結果は同じだった。三度目で、ミカヅチの一撃が空を切る。外した拍で、この男は必ず止まる。そこを突けたはずだった。
だが、躰は味方に合わせる構えのままで、打ちに出る形へ切り替わらなかった。
「そこまで」
四人が庭の真ん中で息を整える。ディコトマは湯呑みを置いて立ち上がった。
「昨日会ったばかりの四人が噛み合ったら、そりゃあ薄気味悪ぃってモンだ。組めねぇのは当たり前よ」
四人とも返事をしなかった。
「だから今日は、組めなかった理由を言ってやる。ひとつずつだ」
ディコトマは四人の顔をひとわたり見た。
「ムネチカ」
「はい」
「テメエの護りは、この四人でいちばん堅い。俺が見た中でも上等の部類だ」
ムネチカの背がわずかに伸びた。
「だが、受けて終いじゃ勝てん。守り切ったあと、誰が倒すんだって話よ」
ムネチカが口を開きかけて、閉じた。
「そいつを決めてから受けろ。受けながら決めるな」
ムネチカは深く頭を下げた。
「シューニャ」
「はい!」
「槍と呪の切り替えに隙がある。持ち替える一拍、テメエは槍でも呪でもねぇ」
言われた側は返事をしなかった。シューニャは槍を構え直し、その場で突いては持ち替え、持ち替えては突いている。切り替わる拍で、どうしても手が止まった。
「ミカヅチ」
「はい」
「一発で決めるな」
「……は?」
「テメエの打ち込みは重い。当たりゃあ終いだ。だが外したとき、テメエは必ず止まる。今日は三度とも止まった」
ミカヅチが木刀の先を土へ落とした。
「二の太刀、三の太刀まで繋げられるようになりな。重さは捨てなくていい」
ミカヅチは短く息を吐き、木刀を握り直した。
「オシュトル坊主」
「はい」
「テメエは三人に合わせにいってる。それ自体は悪かねぇ。だが、合わせにいってる限りは誰にも追いつけん」
「では、どうすれば」
「俺の太刀筋を覚えな」
ディコトマは湯呑みを取り上げて、それきり茶を啜った。「見て盗め。それ以上は教えねぇ」
「師匠」
ミカヅチが木刀を担いで進み出た。「一対一なら、俺は噛み合います」
「クックックッ。……好きにしな」
向かい合う。朝の稽古とは目の色が違った。
一合目で腕が痺れた。二合目、三合目。外した拍でもう次が来る——たった今言われたばかりのことを、この男はもう試している。繋がる。速い。
四合目を弾いた。五合目を横へ流す。六合目で切り返し、木刀の先が二の腕を掠めた。それでも止まらない。七合、八合。返しが思ったより速く、脇腹へ一本もらった。息が止まる。
「ククッ、どうした! そんなものか!」
九つ目、十。足が半歩下がる。楽しい、と思った。こんな時に思うことではない。
「——上等だ」
下がった足で、そのまま前へ出た。合わせにいくな。流して、内へ、一息で。
木刀の先がミカヅチの鎖骨の上で鈍い音を立てた。同時に、こめかみの上を何かが走った。
「——っ」
「クク、いいじゃねぇか」
ミカヅチの左の袖が肘まで裂け、二の腕に赤い筋が走っている。肩を押さえた指のあいだからも血が滲んでいた。それでも笑っている。
視界の右半分が赤かった。眉の上から流れたものが、目に入っている。
「お二人とも!」
ムネチカが駆け寄ってきた。声から飾りが落ちている。「それは、かすり傷とは申しません」
「じっとしてて」
シューニャが槍を放り出して割り込んだ。小さな手が額に触れる。
青い光がひとつ、瞬いた。
熱が引く。指で拭っても、何も付いてこない。裂けたはずの皮も、滲んでいたはずのものも、無かった。
「ミカヅチも」
「いや、俺は——」
「じっとして」
同じ光が今度は肘の下で瞬いた。血の筋が消える。裂けた袖が縫い目ごと戻り、朝に着てきたときの形になった。
庭の隅で、何かが動いた。
対の黒衣が同じ拍で顔を上げている。稽古のあいだ一度も動かなかった二人が揃ってこちらを見ていた。
それだけだった。次に目をやったときには、もう元の立ち姿に戻っている。
「服まで治るのか」
ディコトマが湯呑みの縁越しに言った。誰に向けた声でもなかった。「そいつは見たことがねぇな」
それきり、その話は続かなかった。
縁側を降りながら、師は背中で言った。「言われたことを、ひとつずつ持ってきな」
井戸端でムネチカが桶を汲み、ミカヅチが先に頭から被った。シューニャは横で槍を突いては火を呼び、槍が下りるかどうかを確かめている。ムネチカがそれを見て、自分の手を握ったり開いたりしていた。
ひとつずつ持ってきな、と師は言った。何を持っていけばよいのか、まだ思いつかなかった。