白春の目覚め   作:ライム酒

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第六話 母兄の参観 # 03-04

# 03 余人を交えず

 

 

 朝の謁見の間だった。

 大扉は閉ざされ、衛士は外へ下げてある。列柱のあいだに人影はない。ひとつも埋まっていない長い床に、五つの影だけが短く落ちていた。

 台の上に帝。その脇に白い装束のホノカ。台の下にウォシス、ムラサメ、ライコウが、間を空けて立っている。

 

「ホノカよ。彼の地へ遣った件、聞かせよ」

 

「はい」

 ホノカが胸の前で手を重ねた。声は昼の謁見のときと同じ高さだった。「以前の報告にありました通り、外郭での環境はさらに厳しさを増していると思われます。作付けの叶う土地が減り、人が中央へ移っていると」

 

「うむ」

 

「加えて——聖宮が、(とき)の種より御子(みこ)を生み出そうとしているようです。パシュパクルさんの見聞きした限りでは、既に幾人か」

 誰も口を挟まなかった。台の下の三人はいずれも面を伏せたままでいる。

 

「パシュパクルさんには手当てをいたしました。杖をついて歩ける程度までは」

 

「良い」

 帝が短く遮った。「それで良い」

 ホノカは頭を垂れた。

 

「また、仰せのありました人形の件でございます」

 

「申せ」

 

「彼の地の門で父娘を逃がしたのは、その人形でした。逃がす際に姿を変えたと申します。膝丈の、抱えれば運べるほどのものが、白い巨躯に。総身が鎧のような殻に覆われていたと」

 帝が目を閉じた。閉じたまま、しばらく開かなかった。

 

「得物は持っておりません。拳と躰だけで双刀を弾き、兵を二人まとめて壁際まで飛ばしたと。騎獣の突進も腕の一振りで。あれなら殿を任せられる、とパシュパクルさんは申しておりました」

 

「ふぅむ」

 帝は先を促さなかった。ホノカは半拍だけ待って、自分から続けた。

 

「兵が十、術者が二、騎獣が一頭。そこへ仮面の者がひとり。それを独りで引き受けて、二人を門へ通したそうにございます。勝敗は判りません。パシュパクルさんはその最中に門をくぐっております。戦っている姿が、見た最後だと」

 帝は答えなかった。ホノカは袖の中で指を組み直す。

 

「渡ったのち、パシュパクルさんは身を隠して門を見ておりました。追っ手が四名、続けて渡ってきたと。それきり、光が絶えたそうです。以後、一度も灯らなかったと申します。彼の地の側の門が、壊れたものと」

 

「そうか」

 短い言葉だった。高窓から落ちる光が、台の縁を白く細く切っている。

 

「渡った四名のうち三名は、ヌエキッカの難所でオシュトルさんたちが討ち果たしております。骸はモエラの関へ」

 

「残るひとりは」

 

「行方は判りません。ただ、彼の地の者がこの地で永らえぬことは、聖上が最もよくご存じかと」

 

「であろうな」

 ホノカは口を閉じた。帝の目が台の下へ移る。

 

「ウォシスよ、どう思う」

 

「はい」

 ウォシスが顔を上げた。「これまでには無かった動きだと思います。彼の地は長く閉じたまま、変わらぬものでした」

 そこで一拍置いた。

 

「あの地が再び動き始めた、と考えるのが妥当かと存じます」

 

「再び、か」

 帝が繰り返した。灯を映した目がしばらく動かない。

 

()があの地を閉ざしたのは、二度と同じことを起こさせぬためであった」

 誰も答えなかった。高窓から差す光が、五つの影を石の床に落としている。

 

「その禁を、あちらから破りに来るとはな」

 

「畏れながら、聖上」

 ムラサメが面を下げた。「防人は万全ではありません」

 

「ほう」

 

「イヅモは、一度、内から破られております」

 石の間から音が消えた。ウォシスの目がわずかに動き、ムラサメの上で止まる。

 

「掟を破った者がひとり。彼の地の者に情を移し、知り得たことを渡しました。渡人(わたしびと)の任にあった者にございます」

 

其方(そなた)の裁きか」

 

「いえ。取り逃がしました。咎は、全て小生に」

 ムラサメは面を上げない。

 

「外の者を入れぬ仕組みはあります。ですが、内から出る者を止める仕組みは、イヅモにはありません。今また彼の地が動くのであれば、盾の内が保つとは限りません」

 

「相判った」

 帝は咎めなかった。咎めるかどうか迷った気配もなかった。

 

「聖上」

 ライコウが一歩、前へ出た。

 

「ライコウよ」

 

「謹んで申し上げます。彼の地の探索に本腰を入れられるのであれば、こちらにも抜けぬ札が要ると愚考します。防人の盾はイヅモに置いたまま、都の側で立てる備えが」

 帝の目が細くなった。ライコウは面を伏せたまま、微動もしない。

 

「もしや、其方(そなた)……」

 

「はい。御許可を頂きたく」

 

其方(そなた)にしか扱えぬと思っていたが……しかし、良いのか。あれは……」

 

「御心、有り難く存じます。しかし、あれはヤマトの臣にとって、この上なき誉れ」

 沈黙がひとつ落ちた。ホノカもムラサメも、面を伏せたまま動かない。

 

「良かろう。ならば、何も言うまい」

 

「ハッ」

 ライコウが頭を下げた。「祖國の、『アシワラの至宝』を見事(ぎょ)してご覧にいれましょう」

 言い終えても、頭は上げなかった。

 

 沙汰は下りた。三人が退がる支度をする。ムラサメが思い出したように面を上げた。

 

「聖上。娘をディコトマ殿の元へ預けております」

 

「うむ、聞いておる」

 声に驚きはなかった。

 

「同じ門下に、パシュパクル殿のご子息が」

 

 帝は答えなかった。肘掛けに置いた手も動かない。

 ムラサメは深く頭を下げ、それきり何も言わなかった。三人の足音が廊の奥へ遠ざかっていく。

 

「我が君」

 ホノカが問うた。「あの者たちには」

 

「暫くは、な」

 ホノカは頭を垂れた。問いは重ねなかった。

 

 肘掛けの上で、帝の指がもう一度だけ縁を叩いた。高窓の光が、その手だけを白く照らしている。

 

 

# 04 足りぬもの

 

 

 二対二で組め、とディコトマが言った。

 

 庭の土を四人で分ける。木刀が二本、朱塗りの槍が一本、それに先の円い杖が一本。シューニャの槍は真物で、穂先に布が幾重にも巻いてある。ムネチカの杖も稽古用ではないらしかった。

 

「オシュトルとシューニャ。ミカヅチとムネチカだ。始めな」

 縁側から声が飛んだ。

 

 初手で崩れた。

 ミカヅチが真っ直ぐ前へ出る。ムネチカは動かない。二人のあいだが開き、そこへシューニャが躊躇なく突っ込んだ。布を巻いた穂先がミカヅチの脇腹を叩く。

 

「おい、ムネチカ。何故来ん」

 ミカヅチが振り向いた。

 

「間合いが空きすぎですわ。前へ出れば、後ろが空きます」

 

「空いた後ろを誰が突く。俺が先に潰す」

 

「潰しそこねたときの話をしておりますの。——貴公は前しか見ておらぬ。眼前の敵侮るなかれと申し上げている」

 声の作りが途中から落ちていた。

 

「━━ハッ」

 ムネチカは口元を押さえ、咳払いをひとつ落とした。「……し、失礼いたしましたわ」

 

「今のほうが判りやすいぞ」

 ミカヅチが喉の奥で鼻を鳴らした。

 

「組を替えな」

 縁側から声が飛んだ。

 

 オシュトルとミカヅチ。ムネチカとシューニャ。

 今度は前が重すぎた。ミカヅチが真っ先に出る。合わせて出ようとして半歩遅れ、遅れたぶんだけ二人のあいだが空いた。

 シューニャが槍を右手一本に持ち替えた。左が空く。呪を呼ぶ形だ。

 持ち替えるその一拍だけ、槍が止まる。槍でも呪でもない拍がある。

 ミカヅチはそこを見ていた。肩の上から木刀が落ちてくる。

 

「危ない!」

 届かない。届く位置にいたのはムネチカだった。踏み込まずに一歩だけ横へ出て、杖の胴で受ける。乾いた音が庭に落ち、シューニャの手の中で呼びかけの火が行き場を失った。

 

「……ありがと」

 

「お気になさらず」

 

 もう一度組を替えた。結果は同じだった。三度目で、ミカヅチの一撃が空を切る。外した拍で、この男は必ず止まる。そこを突けたはずだった。

 だが、躰は味方に合わせる構えのままで、打ちに出る形へ切り替わらなかった。

 

「そこまで」

 四人が庭の真ん中で息を整える。ディコトマは湯呑みを置いて立ち上がった。

 

「昨日会ったばかりの四人が噛み合ったら、そりゃあ薄気味悪ぃってモンだ。組めねぇのは当たり前よ」

 四人とも返事をしなかった。

 

「だから今日は、組めなかった理由を言ってやる。ひとつずつだ」

 ディコトマは四人の顔をひとわたり見た。

 

「ムネチカ」

 

「はい」

 

「テメエの護りは、この四人でいちばん堅い。俺が見た中でも上等の部類だ」

 ムネチカの背がわずかに伸びた。

 

「だが、受けて終いじゃ勝てん。守り切ったあと、誰が倒すんだって話よ」

 ムネチカが口を開きかけて、閉じた。

 

「そいつを決めてから受けろ。受けながら決めるな」

 ムネチカは深く頭を下げた。

 

「シューニャ」

 

「はい!」

 

「槍と呪の切り替えに隙がある。持ち替える一拍、テメエは槍でも呪でもねぇ」

 言われた側は返事をしなかった。シューニャは槍を構え直し、その場で突いては持ち替え、持ち替えては突いている。切り替わる拍で、どうしても手が止まった。

 

「ミカヅチ」

 

「はい」

 

「一発で決めるな」

 

「……は?」

 

「テメエの打ち込みは重い。当たりゃあ終いだ。だが外したとき、テメエは必ず止まる。今日は三度とも止まった」

 ミカヅチが木刀の先を土へ落とした。

 

「二の太刀、三の太刀まで繋げられるようになりな。重さは捨てなくていい」

 ミカヅチは短く息を吐き、木刀を握り直した。

 

「オシュトル坊主」

 

「はい」

 

「テメエは三人に合わせにいってる。それ自体は悪かねぇ。だが、合わせにいってる限りは誰にも追いつけん」

 

「では、どうすれば」

 

「俺の太刀筋を覚えな」

 ディコトマは湯呑みを取り上げて、それきり茶を啜った。「見て盗め。それ以上は教えねぇ」

 

「師匠」

 ミカヅチが木刀を担いで進み出た。「一対一なら、俺は噛み合います」

 

「クックックッ。……好きにしな」

 向かい合う。朝の稽古とは目の色が違った。

 一合目で腕が痺れた。二合目、三合目。外した拍でもう次が来る——たった今言われたばかりのことを、この男はもう試している。繋がる。速い。

 四合目を弾いた。五合目を横へ流す。六合目で切り返し、木刀の先が二の腕を掠めた。それでも止まらない。七合、八合。返しが思ったより速く、脇腹へ一本もらった。息が止まる。

 

「ククッ、どうした! そんなものか!」

 九つ目、十。足が半歩下がる。楽しい、と思った。こんな時に思うことではない。

 

「——上等だ」

 下がった足で、そのまま前へ出た。合わせにいくな。流して、内へ、一息で。

 木刀の先がミカヅチの鎖骨の上で鈍い音を立てた。同時に、こめかみの上を何かが走った。

 

「——っ」

 

「クク、いいじゃねぇか」

 ミカヅチの左の袖が肘まで裂け、二の腕に赤い筋が走っている。肩を押さえた指のあいだからも血が滲んでいた。それでも笑っている。

 視界の右半分が赤かった。眉の上から流れたものが、目に入っている。

 

「お二人とも!」

 ムネチカが駆け寄ってきた。声から飾りが落ちている。「それは、かすり傷とは申しません」

 

「じっとしてて」

 シューニャが槍を放り出して割り込んだ。小さな手が額に触れる。

 青い光がひとつ、瞬いた。

 熱が引く。指で拭っても、何も付いてこない。裂けたはずの皮も、滲んでいたはずのものも、無かった。

 

「ミカヅチも」

 

「いや、俺は——」

 

「じっとして」

 同じ光が今度は肘の下で瞬いた。血の筋が消える。裂けた袖が縫い目ごと戻り、朝に着てきたときの形になった。

 

 庭の隅で、何かが動いた。

 対の黒衣が同じ拍で顔を上げている。稽古のあいだ一度も動かなかった二人が揃ってこちらを見ていた。

 それだけだった。次に目をやったときには、もう元の立ち姿に戻っている。

 

「服まで治るのか」

 ディコトマが湯呑みの縁越しに言った。誰に向けた声でもなかった。「そいつは見たことがねぇな」

 それきり、その話は続かなかった。

 

 縁側を降りながら、師は背中で言った。「言われたことを、ひとつずつ持ってきな」

 

 井戸端でムネチカが桶を汲み、ミカヅチが先に頭から被った。シューニャは横で槍を突いては火を呼び、槍が下りるかどうかを確かめている。ムネチカがそれを見て、自分の手を握ったり開いたりしていた。

 

 ひとつずつ持ってきな、と師は言った。何を持っていけばよいのか、まだ思いつかなかった。

 

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