白春の目覚め   作:ライム酒

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第七話 水都の若様 # 01-02

# 01 ルシュプ街道

 

 

 街道は行けども終わらなかった。

 

 帝都の門を出て四日になる。道は北へ向かうと見せて東へ折れ、東へ行くと見せてまた北へ戻った。歩いた分だけ北へ寄っている気がしない。

 

「これ、道が間違ってるんじゃないの」

 シューニャが列の外へ出て、来た方を振り返った。

 

「合っておりますわ」

 ムネチカが荷の紐を締め直す。「地図ではルシュプ街道と申しますけれど、この辺りではトッコロ街道と呼びますのよ。トッコロは蛇の化物(ケモノ)の名ですわ。道の曲がりがその胴に似ておりますので」

 

「道に化物の名前をつけたの」

 シューニャが眉を寄せた。

 

「正直な名の付け方だ」

 オシュトルは道の先へ目をやった。曲がりはまだ続いている。

 

「じゃあ、まっすぐ行けばいいのに」

 

「街道の外は誰も調べておりませんの。逸れた者がどうなったかは、話にしか残っておりませんわ」

 ムネチカは前を向いたまま言った。シューニャは道の縁の草むらを覗き込んで、すぐに列へ戻ってきた。

 

 道は所々で崩れていた。石が抜けて土が剥き出しになっている。轍が二本、崩れを避けて外へ大きく膨らんでいた。長すぎて、誰の持ち場でもなくなった道だ。

 

「兄さん、少しいいかね」

 行商の(かしら)が横へ並んだ。昨日から前後して歩いている一団で、荷車が四輌に駄が十ほど、人は二十人ばかりいる。「この先の三里が一等出る。ここまでが静かすぎたんだ」

 

「化物が、ですか」

 オシュトルが訊くと、頭は顎で荷の中ほどを示した。

 

 女が二人、駄の横を歩いていた。片方は菅笠で顔が見えない。淡い色の外套の裾が長く、腰に太刀を一振り差している。

 もう片方は濃い青の髪を一本に編んで背へ垂らし、首に鉄の輪を嵌めている。肩に担いでいるのは、刀と呼ぶには厚すぎた。鋒が無く、先は角のまま。黒い金属を幾重にも重ねて塊にしたようなものだった。

 

「この道は皆で銭を出し合って用心棒を雇う。うちは荷主が五人で出して、あの二人を頼んでおる」

 

「その二人では足りませんか」

 

「足りるさ。群れが来なけりゃな」

 頭は笑わずに言った。「兄さん方が並んで歩いてくれるなら、頭数はそれだけ増える。銭も少しは出そう」

 

「構いません。同じ道です」

 

「助かる」

 頭は荷の方へ戻っていった。

 

「オシュトル殿」

 ムネチカが声を落とした。「あの御二人、先頭にも後尾(あとお)にもお立ちになりませんわ」

 

「荷の中ほどか」

 

「護るというより、居るだけで足りると思っておられるのですわね」

 

「そういう銭の取り方もあるんだろう」

 

「ねえ、いま動いた」

 シューニャが列の左へ流れていく。斜面の草が、風の向きと違うほうへ倒れていくところだった。

 

「そっちは街道の外だ」

 袖を引くと、シューニャは足を戻した。「……見るだけなのに」

 槍を担ぎ直す音が後ろで鳴った。

 

 ミカヅチは列の先頭にいた。朝からそこにいる。オシュトルは歩を速めて横へ並んだ。

 

「あの二人、どう見る」

 

「……知らん」

 都を出た日はまだ言葉が返ってきた。三日目には短くなり、今日は一言で終わる。道場で寝起きを共にしたひと月、この手の問いには必ず倍の量で返してきた男だ。

 

 化物は昼過ぎに出た。

 

 崩れた石垣の陰で、乾いたものが擦れ合う音がした。殻と殻が触れる音だと判ったのは、土手の上に影が並んだときだった。犬より大きく、牛ほどはない。細い胴を高く立て、鎌のような前脚を胸の前で畳んでいる。

 

「ギギリだ! 荷を囲め、荷を!」

 頭の声が裏返った。干物の匂いを追ってきたのだろう。

 

 列が二つに割れた。雇われの二人は左へ、こちらは右へ回る。オシュトルは太刀を抜いた。数えられたのは七つまでで、あとは数えるのをやめた。

 

 ミカヅチはもう出ている。打ち込みが殻の継ぎ目に落ちて、一匹が横倒しになった。そのまま次へ踏み込む。前へ、前へと出ていく。

 

 空いた脇を、二匹が抜けた。

 

 ムネチカが割って入る。杖の胴で鎌のような前脚を受けた。乾いた音がして、杖はそこで止まった。

 

「ムネチカ、右だ!」

 声は届いた。もう一匹がムネチカの脇を擦り抜けて荷へ向かう。

 

 追いすがったのはシューニャだった。穂先が首の下を叩く。槍を右手へ持ち替え、左が空いた。呪を呼ぶ形だ。その一拍を、別の一匹が斜めから突いた。

 

「シューニャ!」

 三人の位置を数え、空いた線へ躰を入れる。入れた先で、ギギリはもう荷のほうを向いていた。

 

 斬り下ろす。殻が割れ、黒いものが土へ落ちた。返しが遅れる。次の一匹が肩の脇を擦り抜けて過ぎた。踏み込み直し、二度目でようやく背を割った。

 

 顔を上げると、左は静かだった。

 雇われの二人が、荷車を背にして横に並んでいる。菅笠が太刀を振ると、それだけで一匹の脚が揃って落ちた。抜いた腕はもう次を向いている。黒い塊のほうは片手だった。振り下ろすたびに殻ごと土へめり込む。二人とも足の位置を変えていない。声も掛け合っていない。

 

 ミカヅチが吼えた。

 三匹をまとめて薙ぎ払い、そのまま石垣まで押し込んで、上から叩き潰した。土が跳ねる。横から来た一匹を、振り向きもせずに柄頭で殴り落とした。

 

 残りは土手の向こうへ引いていった。

 

 こちらは誰も傷を負っていない。荷の者にも怪我はなかった。右の荷車は(ながえ)が一本折れ、干物の樽が二つ土にまみれている。左は荷も縄もそのままだった。

 

「これで済んだのは運がいい」

 頭が樽を起こしながら言った。「群れが小さかった」

 ムネチカは杖の胴を指でなぞっている。受けた跡が浅く白んでいた。

 

「あの御二人のほうが、よほど噛み合っておりましたわ」

 誰も返さなかった。オシュトルは太刀を鞘へ納めた。納まりが悪い。刃を拭い、もう一度納め直す。

 

「ひとつずつ持ってきな、と師匠は仰いましたわね」

 

「ああ」

 まだ、ひとつも持てていない。

 

 日が傾くころ、道はまた東へ折れた。この折れがあと三つあると頭は言う。

 

「アシワラは、まだ遠いのですか」

 オシュトルが並びかけて訊くと、頭は行く手を指した。「稜線が三つだ。三つ目の向こうが湖でな」

 

 稜線の上にもう一つ稜線が重なり、薄い雲がかかっている。

 ミカヅチはその向こうを見たまま、列の先で足を止めていた。

 

 

# 02 アシワラ入郷

 

 

 三つ目の稜線を越えると、道が下りに変わった。

 

 行商の一団はその手前で東へ折れていった。(かしら)が荷車の上から手を挙げる。オシュトルも挙げ返した。

 

 雇われの二人は列を離れなかった。菅笠が振り向いて、笠の縁を軽く上げる。

 

(それがし)達はここまでだ。よい道行きを」

 

「あら、まだ行くと決まったわけではありませんわ」

 黒い塊を担いだほうが並んだ。「あちらの湖は魚が美味いと聞きましてよ。魚の美味いところは、酒も美味いものですわ」

 

莫迦(ばか)、雇われの身だ」

 

 二人は荷の向こうへ回っていった。二十人ぶんの足音が遠ざかると、道の音が急に薄くなった。

 

「湖は?」

 シューニャが道の先へ首を伸ばした。

 

 道は大きな平石を敷いた石畳だった。右は切り立った岩壁、左は草の斜面で、その先は木が塞いでいる。脇に朱塗りの高灯籠が等間隔に立っていた。赤漆の角柱に黒い笠、火袋は格子。水の匂いはするのに、水は見えない。

 

 突き当たりに門があった。黒い瓦の屋根が街道をまたいで載り、下は白漆喰の壁に横板の窓が並んでいる。両開きの扉は縦板を桟で締めたもので、いまは開いていた。

 

 くぐると、正面が開けた。

 

「ここがアシワラか……」

 オシュトルは足を止めた。

 

 一面が水だった。対岸は白く霞んで、どこで岸になるのか判らない。水の上に島がいくつも浮いていて、その上に町が載っている。砂色の通りが島から島へ続き、両側から水路が食い込んでいた。島と島は橋で繋いである。木の橋がいくつもあって、奥にひとつ、石を積んだ橋が架かっていた。

 

「何と雄大な湖なんだ」

 

「とても風光明媚(ふうこうめいび)な所ですわ」

 ムネチカが横に並んだ。

 

「水の上に町があるよ」

 シューニャが門の外まで駆け出した。「浮いてるみたい」

 

「流石、水の都と呼ばれるだけのことはあるな」

 

 水の向こうに、黒い影が低く伏せている。

 

 ミカヅチだけが足を止めなかった。門を抜けたところで石畳が終わっている。砂に変わって、その足音が消えた。

 

「日が落ちかけると霧が立つと聞きましたけれど」

 ムネチカが目の上に手をかざした。「もう立っておりますわね」

 

 三人も門を出た。

 

「ねえ、帰りは船で帰ろうよ」

 シューニャが水路を覗き込んだ。「大きいのがあるでしょ。ご馳走がいっぱい出てくるやつ」

 

「それは無理ですわ」

 ムネチカが首を振った。「途中に滝があると聞きますもの。落ちたら真っ逆さまですわ」

 

「いい考えだと思ったのに」

 シューニャは覗き込んだまま言った。「でも、お魚はいっぱい獲れそうだよね」

 

「アシワラのお魚はとても美味しいと聞きますものね」

 ムネチカが歩みを緩めた。「折角ですし、何処かで━━」

 

「気持ちは判るが、駄目だ」

 オシュトルは道の先を指した。「まず、アヅマ様に話を通さないとな」

 

「……判りましたわ」

 

 通りは水路に何度も断たれていた。低く平らな木の橋を渡り、また土を歩き、次の橋を渡る。門から見えた一本の道は、近づくと切れ切れだった。

 

「まだ橋があるよ」

 シューニャが欄干に手をかけた。「まっすぐ行けないの、ここ」

 

 ミカヅチは振り返らなかった。

 

「渡るたびに町の顔が変わりますわ」

 ムネチカが橋の上で足を止めた。「先が見通せませんもの」

 

「日のあるうちに屋敷まで行きたい」

 オシュトルは空を見た。日は稜線の高さまで下りている。

 

 水路の縁にも同じ高灯籠が立っていた。石垣も白い壁も色が薄く、その赤だけが遠くからでも判った。

 

「みんな座ってるね」

 シューニャが水際を指した。赤い傘の下に緋色の毛氈を掛けた縁台が並び、人が腰掛けている。

 

 年寄りが二人、湯呑みを置いて話していた。

 

「近ごろ、聞かん唄を唄う者がおるな」

 

「ああ」

 連れが顎を撫でた。「……深き断絶に、上古(じょうこ)梯立(はした)て、生命の樹へと至れ、とか」

 

「どこの唄だ、それは」

 

「知らん。どこから来た者かも判らん」

 湯呑みを置く音がして、話はそこで途切れた。

 

 ムネチカが縁台のほうへ顔を向けた。年寄りたちはもう別の話をしている。

 後ろで足音が二つ、同じ拍で止まっていた。振り返ると、対の黒衣も縁台のほうを見ている。こちらへ顔が回ると、二人とも同じ速さで歩き出した。

 

 橋の向こうで道が広くなった。店先に紺の暖簾が下がり、俵を積んだ車が水際まで下りていく。

 

「ミカヅチ。父君は何処におられ━━」

 オシュトルの声は届かなかった。ミカヅチは道の端で足を止め、水の向こうを見ている。黒い影は、門を出てからずっと同じ形で伏せていた。

 

「……ミカヅチ。父君のところに案内してくれるか」

 

「……ああ、すまん」

 ミカヅチが向き直った。「親父(オヤジ)の所だったな……来てくれ、この奥の屋敷だ」

 

 通りの奥に白壁の重なりが立ち上がっていた。裾は霧に沈んでいる。屋根が段になって高くなり、いちばん上だけが白い上に出ていた。

 

 ミカヅチが先に立った。

 

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