# 03 余人を交えて
広間へ通された。
柱の先に建具が無い。白い高欄のすぐ向こうが湖で、風が通り、水の音が絶えなかった。
上座に人の膝と、花器の脚が見えた。顔は上げないまま、座卓の手前で膝を折る。
「父上、お久しゅう御座います」
ミカヅチは板に手をついた。「このミカヅチ、勝手が過ぎたこと、
「はぁ」
後ろで三つの声が重なった。
「お……おお、ミカヅチではないか!」
上座で膝が立ち、袴の裾が乱れた。「よく帰って来た! ど、どうしてまた急に。まあ、それは良いか。り、立派な顔つきになったではないか」
「父上におかれましてはご壮健のご様子、何よりと存じます」
「え、誰」
「ミ、ミカヅチ?」
シューニャとオシュトルが思わず聞き返す。
「まあ、単なる荒くれ者というわけではありませんものね」
「五月蝿い、黙ってろ!」
我慢できず後ろを振り返り声をあげる。
「ひぃっ!」
上座で肩が跳ねた。ミカヅチは慌てて膝を戻した。
「あいや、申し訳……ありませぬ。今のは父上に申したわけでは」
「そ、そうか。ふぅ」
息をひとつ落として、アヅマは座り直した。「う、噂に聞いておるぞ。あのディコトマ殿に師事し、武を磨いておるとか」
「はい。あの方を師と仰げたこと、誇りに思っております」
「あの御仁が弟子を取るとはな。して、そちらの方々は?」
「はい、
上げかけたアヅマの顎が止まった。「今回の任? も、もしや、帝都からの特使とは、
「はい、左様です」
「そうであったか。特使とはいえ、よくぞ戻ってきてくれた。ささ、皆様方もおくつろぎ下され。このアヅマはもはや
「有難きお言葉。ですが、
くつろぐ気にはなれなかった。膝の位置は変えない。「
「な、な、なななななな、なに」
花器が揺れた。アヅマの膝が浮いている。「ラ、ライ、ライコウとな!」
「父上、落ち着いて下さい。兄上はここにはおりませぬ」
「し、して、ラ、ライコウは何と?」
「『アシワラの至宝』を帝都に移送せよと」
「至宝を」
アヅマの声が裏返って、袴の上で手が滑った。「そ、それは
「兄上の命に相違ありませぬ」
「そ、そうか。ライコウの命だったな。ライコウか。そうか、ライコウの……」
ライコウの名を三度繰り返した。
「ミカヅチ。すまないな、取り乱して━━ハッ!」
目が見開かれ、膝の上で手が震え出した。「そういうことか。お前を寄越したということが、何よりの証。い、一体、何手先まで考えているのか。恐ろしい」
「よもや
手が膝の上で止まった。
「な、何も訊くまい」
声が落ちた。膝の上の手が袴を掴んでいる。「知らぬままでよい。そのほうがよい」
シューニャが何か言いかけて、やめた。ムネチカも口を開かない。
「わ、判った。しかし、至宝はここにはないのだ。あれは始祖様を
「はい、存じております。それ故、島へ渡る許可と、墓所の閉ざされた扉の開放をお願い致しまする」
「勿論だとも。何せライコウの命故にな。島へ渡ることを許可する。渡るための船も手配しておこう。支度が整い次第、船着き場に行くが良い」
「父上のご尽力、心から感謝致します」
「それから、墓所の扉だが、閉ざされてはおらんよ。我々始祖様の血を引く者にはな」
「ライコウ様が『正統な血を引く者が要る』と仰ったのは、このことでしたか」
オシュトルが後を引き取った。
「ねぇ、始祖様って誰?」
「確か、
アヅマが身を乗り出した。「おお、よく知っているねぇ。そう、アシワラ建國の父であり、大戦の英雄となった兄弟のことだよ。いやあ、嬉しいね。他國の方にまで名が知られているなんて」
言い淀みが消えていた。
「父上、一つお尋ねしたき事がございます」
「━━ふぉ」
言い淀みが戻った。
「な、何だね? も、勿論だとも。
「はい。アシワラの至宝とは一体」
「そそ、それは……すまぬ」
頭が下がった。父に詫びられるとは思わなかった。
「いえ、話せぬことを聞いた
「い、いや、そうではない。実は私も知らないのだ」
アヅマの顔が湖のほうへ向いた。「それが何かについては言い伝えが様々でな。大いなる力、
「確かなのは二つだ。それが
「つまり、それが何であるかを知る者こそ、力ある者と同義なのだ」
言葉が途切れた。湖のほうを向いたままだった。
「それって、取った人が力があるってこと?」
「おそらくな。至宝を手にすること自体、力のない者では無理だという様にも取れる」
オシュトルがシューニャへ答えた。
「私は力ある者では無かった」
アヅマの声が低くなった。
風が入った。花が揺れて、また止まった。高欄の外の植え込みに、対の黒衣が控えている。
「あ、
笑い声のようなものが出た。「ハ、ハハハ。私は……どうしても自分の弱さを認めることができなかったんだよ」
アヅマが背を伸ばした。声から震えが抜けている。
「ミカヅチ、気をつけよ。真なる敵は己の内にある。あそこは己の弱き心を映す。その姿は千差万別」
目が合った。逸らされなかった。
「私は己の弱さに打ちのめされた。お前が見る物は私とはまた違うだろう」
「肝に銘じます」
高欄の向こうで、舟が一艘、岸へ寄っていく。水の音が戻った。
「話は判りました。それでは
用は済んだ。板に手を戻した。
アヅマが慌てた。「も、もう行くのか? ミカヅチ、母さんと話していかんか」
「
「い、いや、それに、その……そろそろ……」
「危急の任なれば。いずれ必ず」
板についた手は動かさなかった。
「えー」
シューニャが割り込んだ。「わたしもお魚食べたかったな」
「せっかく里帰りしたのですから、ゆっくりしてくれば良いではありませんの?」
ムネチカが続けた。「日も落ちますし、舟は明日でも」
アヅマの顔が明るくなった。「おお、そ、そうしなさい。そうしなさい!」
オシュトルは口を挟まなかったが、すでに断れる場ではなかった。
「……お世話になります」
「うんうん、ゆっくり、ゆっくりとな」
アヅマが立ち上がった。廊下のほうへ歩きかけて、そこで足を止める。
「少しここで待っていてくれ。母さんを呼んでこよう」
板の上を足音が遠ざかっていく。
# 04 花摘みの約束
父が出ていくと、座の空気がすぐ緩んだ。
日が落ちて、行灯に火が入っている。高欄の外はもう暗い。湖があるはずのところは黒く、水の音だけが上がってくる。金屏風の帆船が、火の揺れるたびに形を変えた。
「ねえ、さっきの」
シューニャが膝を崩してこちらへ向き直った。「アシワラに来てから、まるで別人みたいだね」
「よせ」
「いつもその感じで振る舞えば、
ムネチカが袖で口を隠した。
「確かにそうなんだが」
オシュトルが顎を撫でた。「見ていてどこかむず痒いものがあるな」
「お前ら好き勝手言いすぎだ」
「父上、お久しゅう御座います」
シューニャが背筋を伸ばして、板に手をついた。「このミカヅチ、勝手が過ぎたこと、
「やめろ」
三人が笑った。笑い声が格天井に当たって、思ったより大きく響く。
廊下の板が鳴った。足音がふたつ、こちらへ近づいてくる。一つは重く、一つは軽い。
「さあ、中でミカヅチが待っている」
笑いが止んだ。
先に入ってきたのは薄紫の裾だった。黒髪が背の低いところで束ねてある。右の側頭に紫の組紐の花飾りがあって、白い房が二本、歩くたびに揺れた。
「……お姉さん?」
シューニャが横で小さく言った。
「ああ、ミカ……」
声がこちらへ落ちてきた。座卓の向こうまで来て、そこで膝を折る。
「ご飯も食べずに、どこに行っていたのですか? 随分探しましたよ」
座卓のこちら側で、板に手をついた。
「お久しゅう御座います、シュンライ様」
「ミライは一緒ではないのですか?」
行灯の音が聞こえた。芯が油を吸う、細い音だった。ふだんは聞こえない音である。
ミライは、と言いかけた。口は開いた。そこから先が出てこない。
シュンライはこちらを見ている。首をわずかに傾けて、答えを待っている。
「永らく顔を出さず、便りの一つも送らず、
指の先が板から離れない。「心より……お詫び申し上げまする」
「ふふ」
シュンライが目を閉じて笑った。「いつからそんなかしこまった言葉を使うようになったのですか?」
「あの子ったら、また花畑でしょう」
シュンライが困ったように笑った。「日が暮れる前に帰ってらっしゃいと、いつも言っているのに」
シュンライは遠い所を見ていた。
「どうだい、母さん」
アヅマが横から言った。「ずいぶん立派になっただろう」
「立派に? そうね」
シュンライの目が見開かれる。「この子ならきっと将来、聖上のおそばに仕えることも夢じゃありませんわ」
「可愛い可愛い、私のミカ……」
シュンライが座卓の上へ両手を伸ばした。届く距離ではない。「そうだわ、随分と耳のお掃除をしていませんでした。私の部屋に来てちょうだい」
「シュンライ様、
「あなたの好きな水ヨウカンも、たくさん用意してあります」
声が甘くなった。「さあ……遠慮せず甘えてちょうだい?」
後ろで三つ、身じろぎがした。声にならない戸惑いが伝わってくる。
顔を上げなかった。板の木目が、火の色で赤く見える。
「そうだわ。明日の朝は、ミライと一緒にお花を摘みに行きましょう。あの子の好きなお花です」
「母さん」
アヅマが立ち上がった。肩に手を置く。「今日はもう遅い。ミカヅチは明日も早いのだ」
「あら。そう」
シュンライが首をかしげた。「それなら、明日の朝にたくさん召し上がってもらいましょう」
「ああ、そうしよう、母さん」
「おやすみなさい、ミカ。ちゃんと寝るのですよ」
「……はい」
薄紫の裾が翻って、廊下へ消えた。アヅマが供の者を呼んで、シュンライを渡す。足音がひとつ、遠ざかっていった。
それから、アヅマが座へ戻ってきた。膝を折るのに手間取って、二度やり直した。
「……お見苦しいところを、お見せしてしまったな」
アヅマの目が板へ落ちたままだった。「普段はこんなことはないのだがな。いつもはもっと、しゃんとしている人なのだ。民の話をよく聞いてやる」
行灯の芯が細くなっていく。
「お前やミライのこととなると……」
そこで言葉が止まった。「済まぬ。皆様方にも、
板に手をつく音がした。太守が四人に頭を下げていた。
「父上」
「よい。よいのだ」
アヅマは頭を上げると、行灯のほうを見た。「今日はもう休みなさい。舟は朝の早いうちがよい。母さんには、私から言っておく」
その背が廊下へ出ていって、聞こえなくなった。
行灯の火が、誰もいなくなった上座を照らしている。