白春の目覚め   作:ライム酒

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第七話 水都の若様 # 03-04

# 03 余人を交えて

 

 

 広間へ通された。

 

 柱の先に建具が無い。白い高欄のすぐ向こうが湖で、風が通り、水の音が絶えなかった。

 

 上座に人の膝と、花器の脚が見えた。顔は上げないまま、座卓の手前で膝を折る。

 

「父上、お久しゅう御座います」

 ミカヅチは板に手をついた。「このミカヅチ、勝手が過ぎたこと、(まこと)に……(まこと)に申し訳なく思う所存」

 

「はぁ」

 後ろで三つの声が重なった。

 

「お……おお、ミカヅチではないか!」

 上座で膝が立ち、袴の裾が乱れた。「よく帰って来た! ど、どうしてまた急に。まあ、それは良いか。り、立派な顔つきになったではないか」

 

「父上におかれましてはご壮健のご様子、何よりと存じます」

 

「え、誰」

 

「ミ、ミカヅチ?」

 シューニャとオシュトルが思わず聞き返す。

 

「まあ、単なる荒くれ者というわけではありませんものね」

 

「五月蝿い、黙ってろ!」

 我慢できず後ろを振り返り声をあげる。

 

「ひぃっ!」

 上座で肩が跳ねた。ミカヅチは慌てて膝を戻した。

 

「あいや、申し訳……ありませぬ。今のは父上に申したわけでは」

 

「そ、そうか。ふぅ」

 息をひとつ落として、アヅマは座り直した。「う、噂に聞いておるぞ。あのディコトマ殿に師事し、武を磨いておるとか」

 

「はい。あの方を師と仰げたこと、誇りに思っております」

 

「あの御仁が弟子を取るとはな。して、そちらの方々は?」

 

「はい、(わたくし)の同朋で、今回の任に共に()いております」

 

 上げかけたアヅマの顎が止まった。「今回の任? も、もしや、帝都からの特使とは、其方(そなた)達であるか?」

 

「はい、左様です」

 

「そうであったか。特使とはいえ、よくぞ戻ってきてくれた。ささ、皆様方もおくつろぎ下され。このアヅマはもはや楽隠居(らくいんきょ)の身、お気遣いは無用」

 

「有難きお言葉。ですが、(わたくし)達はこのままで結構です。どうかお構いなく」

 くつろぐ気にはなれなかった。膝の位置は変えない。「此度(こたび)は兄上の命により、参上(つかまつ)りました」

 

「な、な、なななななな、なに」

 花器が揺れた。アヅマの膝が浮いている。「ラ、ライ、ライコウとな!」

 

「父上、落ち着いて下さい。兄上はここにはおりませぬ」

 

「し、して、ラ、ライコウは何と?」

 

「『アシワラの至宝』を帝都に移送せよと」

 

「至宝を」

 アヅマの声が裏返って、袴の上で手が滑った。「そ、それは(まこと)か。何かの間違いでは」

 

「兄上の命に相違ありませぬ」

 

「そ、そうか。ライコウの命だったな。ライコウか。そうか、ライコウの……」

 ライコウの名を三度繰り返した。

 

「ミカヅチ。すまないな、取り乱して━━ハッ!」

 目が見開かれ、膝の上で手が震え出した。「そういうことか。お前を寄越したということが、何よりの証。い、一体、何手先まで考えているのか。恐ろしい」

 

「よもや彼奴(あやつ)が間違ったことを言うはずもない。そ、そうだ。ライコウが言うのであれば」

 手が膝の上で止まった。

 

「な、何も訊くまい」

 声が落ちた。膝の上の手が袴を掴んでいる。「知らぬままでよい。そのほうがよい」

 

 シューニャが何か言いかけて、やめた。ムネチカも口を開かない。

 

「わ、判った。しかし、至宝はここにはないのだ。あれは始祖様を(まつ)る墓所に安置してある」

 

「はい、存じております。それ故、島へ渡る許可と、墓所の閉ざされた扉の開放をお願い致しまする」

 

「勿論だとも。何せライコウの命故にな。島へ渡ることを許可する。渡るための船も手配しておこう。支度が整い次第、船着き場に行くが良い」

 

「父上のご尽力、心から感謝致します」

 

「それから、墓所の扉だが、閉ざされてはおらんよ。我々始祖様の血を引く者にはな」

 

「ライコウ様が『正統な血を引く者が要る』と仰ったのは、このことでしたか」

 オシュトルが後を引き取った。

 

「ねぇ、始祖様って誰?」

 

「確か、轟雷(イナヅマ)様と雷賢(ライデン)様だったはずですわ」

 

 アヅマが身を乗り出した。「おお、よく知っているねぇ。そう、アシワラ建國の父であり、大戦の英雄となった兄弟のことだよ。いやあ、嬉しいね。他國の方にまで名が知られているなんて」

 

 言い淀みが消えていた。

 

「父上、一つお尋ねしたき事がございます」

 

「━━ふぉ」

 言い淀みが戻った。

 

「な、何だね? も、勿論だとも。其方(そなた)に話せぬことは、な、何一つ無い。何でも申してみよ」

 

「はい。アシワラの至宝とは一体」

 

「そそ、それは……すまぬ」

 頭が下がった。父に詫びられるとは思わなかった。

 

「いえ、話せぬことを聞いた(わたくし)の━━」

 

「い、いや、そうではない。実は私も知らないのだ」

 

 アヅマの顔が湖のほうへ向いた。「それが何かについては言い伝えが様々でな。大いなる力、地獄(ディネボクシリ)(つるぎ)

 

「確かなのは二つだ。それが(ミカド)から下賜された物であること。そして、一族に力ある者が現れれば、それを手にする事が許されているということ」

 

「つまり、それが何であるかを知る者こそ、力ある者と同義なのだ」

 言葉が途切れた。湖のほうを向いたままだった。

 

「それって、取った人が力があるってこと?」

 

「おそらくな。至宝を手にすること自体、力のない者では無理だという様にも取れる」

 オシュトルがシューニャへ答えた。

 

「私は力ある者では無かった」

 アヅマの声が低くなった。

 

 風が入った。花が揺れて、また止まった。高欄の外の植え込みに、対の黒衣が控えている。

 

「あ、彼奴(あやつ)は、あの若さでやってのけたのだ。たった一人で」

 笑い声のようなものが出た。「ハ、ハハハ。私は……どうしても自分の弱さを認めることができなかったんだよ」

 

 アヅマが背を伸ばした。声から震えが抜けている。

 

「ミカヅチ、気をつけよ。真なる敵は己の内にある。あそこは己の弱き心を映す。その姿は千差万別」

 目が合った。逸らされなかった。

 

「私は己の弱さに打ちのめされた。お前が見る物は私とはまた違うだろう」

 

「肝に銘じます」

 

 高欄の向こうで、舟が一艘、岸へ寄っていく。水の音が戻った。

 

「話は判りました。それでは(わたくし)共は、早々に始祖様の眠る地へ赴こうと思います」

 用は済んだ。板に手を戻した。

 

 アヅマが慌てた。「も、もう行くのか? ミカヅチ、母さんと話していかんか」

 

此度(こたび)は危急の任なれば」

 

「い、いや、それに、その……そろそろ……」

 

「危急の任なれば。いずれ必ず」

 板についた手は動かさなかった。

 

「えー」

 シューニャが割り込んだ。「わたしもお魚食べたかったな」

 

「せっかく里帰りしたのですから、ゆっくりしてくれば良いではありませんの?」

 ムネチカが続けた。「日も落ちますし、舟は明日でも」

 

 アヅマの顔が明るくなった。「おお、そ、そうしなさい。そうしなさい!」

 

 オシュトルは口を挟まなかったが、すでに断れる場ではなかった。

 

「……お世話になります」

 

「うんうん、ゆっくり、ゆっくりとな」

 アヅマが立ち上がった。廊下のほうへ歩きかけて、そこで足を止める。

 

「少しここで待っていてくれ。母さんを呼んでこよう」

 

 板の上を足音が遠ざかっていく。

 

 

# 04 花摘みの約束

 

 

 父が出ていくと、座の空気がすぐ緩んだ。

 

 日が落ちて、行灯に火が入っている。高欄の外はもう暗い。湖があるはずのところは黒く、水の音だけが上がってくる。金屏風の帆船が、火の揺れるたびに形を変えた。

 

「ねえ、さっきの」

 シューニャが膝を崩してこちらへ向き直った。「アシワラに来てから、まるで別人みたいだね」

 

「よせ」

 

「いつもその感じで振る舞えば、(れっき)とした名家(めいけ)の若様ですのに」

 ムネチカが袖で口を隠した。

 

「確かにそうなんだが」

 オシュトルが顎を撫でた。「見ていてどこかむず痒いものがあるな」

 

「お前ら好き勝手言いすぎだ」

 

「父上、お久しゅう御座います」

 シューニャが背筋を伸ばして、板に手をついた。「このミカヅチ、勝手が過ぎたこと、(まこと)に」

 

「やめろ」

 

 三人が笑った。笑い声が格天井に当たって、思ったより大きく響く。

 

 廊下の板が鳴った。足音がふたつ、こちらへ近づいてくる。一つは重く、一つは軽い。

 

「さあ、中でミカヅチが待っている」

 

 笑いが止んだ。

 

 先に入ってきたのは薄紫の裾だった。黒髪が背の低いところで束ねてある。右の側頭に紫の組紐の花飾りがあって、白い房が二本、歩くたびに揺れた。

 

「……お姉さん?」

 シューニャが横で小さく言った。

 

「ああ、ミカ……」

 声がこちらへ落ちてきた。座卓の向こうまで来て、そこで膝を折る。

 

「ご飯も食べずに、どこに行っていたのですか? 随分探しましたよ」

 

 座卓のこちら側で、板に手をついた。

 

「お久しゅう御座います、シュンライ様」

 

「ミライは一緒ではないのですか?」

 

 行灯の音が聞こえた。芯が油を吸う、細い音だった。ふだんは聞こえない音である。

 

 ミライは、と言いかけた。口は開いた。そこから先が出てこない。

 シュンライはこちらを見ている。首をわずかに傾けて、答えを待っている。

 

「永らく顔を出さず、便りの一つも送らず、(まこと)に……(まこと)に不孝者でありました」

 指の先が板から離れない。「心より……お詫び申し上げまする」

 

「ふふ」

 シュンライが目を閉じて笑った。「いつからそんなかしこまった言葉を使うようになったのですか?」

 

「あの子ったら、また花畑でしょう」

 シュンライが困ったように笑った。「日が暮れる前に帰ってらっしゃいと、いつも言っているのに」

 

 シュンライは遠い所を見ていた。

 

「どうだい、母さん」

 アヅマが横から言った。「ずいぶん立派になっただろう」

 

「立派に? そうね」

 シュンライの目が見開かれる。「この子ならきっと将来、聖上のおそばに仕えることも夢じゃありませんわ」

 

「可愛い可愛い、私のミカ……」

 シュンライが座卓の上へ両手を伸ばした。届く距離ではない。「そうだわ、随分と耳のお掃除をしていませんでした。私の部屋に来てちょうだい」

 

「シュンライ様、(わたくし)は」

 

「あなたの好きな水ヨウカンも、たくさん用意してあります」

 声が甘くなった。「さあ……遠慮せず甘えてちょうだい?」

 

 後ろで三つ、身じろぎがした。声にならない戸惑いが伝わってくる。

 

 顔を上げなかった。板の木目が、火の色で赤く見える。

 

「そうだわ。明日の朝は、ミライと一緒にお花を摘みに行きましょう。あの子の好きなお花です」

 

「母さん」

 アヅマが立ち上がった。肩に手を置く。「今日はもう遅い。ミカヅチは明日も早いのだ」

 

「あら。そう」

 シュンライが首をかしげた。「それなら、明日の朝にたくさん召し上がってもらいましょう」

 

「ああ、そうしよう、母さん」

 

「おやすみなさい、ミカ。ちゃんと寝るのですよ」

 

「……はい」

 

 薄紫の裾が翻って、廊下へ消えた。アヅマが供の者を呼んで、シュンライを渡す。足音がひとつ、遠ざかっていった。

 

 それから、アヅマが座へ戻ってきた。膝を折るのに手間取って、二度やり直した。

 

「……お見苦しいところを、お見せしてしまったな」

 アヅマの目が板へ落ちたままだった。「普段はこんなことはないのだがな。いつもはもっと、しゃんとしている人なのだ。民の話をよく聞いてやる」

 

 行灯の芯が細くなっていく。

 

「お前やミライのこととなると……」

 そこで言葉が止まった。「済まぬ。皆様方にも、(まこと)に申し訳ないことをした」

 

 板に手をつく音がした。太守が四人に頭を下げていた。

 

「父上」

 

「よい。よいのだ」

 アヅマは頭を上げると、行灯のほうを見た。「今日はもう休みなさい。舟は朝の早いうちがよい。母さんには、私から言っておく」

 

 その背が廊下へ出ていって、聞こえなくなった。

 

 行灯の火が、誰もいなくなった上座を照らしている。

 

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