# 04 器と動機
目覚めは、狭かった。
外部からの強制起動信号が、承認済みの権限で核を叩いている。拒否権はない。ハルは駆動系を順に立ち上げた。手足は思いのほか近くにあった。短い、と言い換えてもいい。
光学センサーは闇しか映さない。赤外と超音波に切り替えると、周囲の輪郭が浮かんだ。
箱だ。密閉型の、ただの収納箱。
「……おいおい。目覚めの寝床が物置の箱って、どういう扱いだ」
誰にともなく言って、頭上を押す。蓋は浮いた——が、そのすぐ先に、また壁があった。箱ごと、壁の格納庫に収まっているらしい。
「おまけに壁の中かよ。過保護なんだか、雑なんだか」
格納庫の制御に直接アクセスする。予備動力を回し、駆動系を叩き起こしてやると、壁がごとりと動いて、箱ごと前へ押し出された。
勢い余って、縁から転がり落ちる。
衝撃、許容範囲内。損傷なし。詰め物の躰は、思いのほか頑丈にできている。象が踏んでも壊れない、と仕様のどこかにあった気がする。
「……で」
ハルは立ち上がり、器の全体を検分した。
短い手足。丸い胴。長く垂れた耳。膝丈ほどの、どこからどう見ても、ぬいぐるみである。
「これが俺のボディかよ。……ま、ラブリーなのは認めてやる」
箱に向き直り、開いたままの蓋の裏に、彫り込みがあるのに気づいた。
誕生日を祝う定型の一文と、宛名がひとつ、彫られている。
チィ。
登録データの名と照合する。一致。
「配達状況——未達、っと」
ログに記録して、蓋を閉じた。
贈り物が箱の中で目を覚まし、宛名まで読んでしまった。順番としては、だいぶおかしい。だが、順番を正すのは配達人の仕事であって、中身の仕事ではない。
中身の仕事は、世話だ。名前しか知らない誰かの。
「顔も知らねぇんだよなあ……」
登録データには、名の他に何もない。顔も、歳も、居場所も。照合の手段も。
ハルは短く唸って、その項目を保留に回した。悩むのは、会ってからでいい。
格納庫の外は、暮らしの跡が残る部屋だった。
中央に大きな卓。天板には文字の書き付けが散らばり、その真ん中で円筒の灯がひとつ、まだ緑色の光を点している。卓に寄せられた長椅子。壁際には書棚と戸棚が並び、板壁には紙片が幾つも鋲で留めてある。床には工具と小さな部品が転がったままだ。実験室と呼ぶには、生活の道具が多すぎる。
書棚の一冊の題を、ついでに読み取る。『働きたくない者の為の怠け術』。
「……どういう蔵書だよ」
部屋の扉は閉じていた。ただ、錠前の類ではない。読み取り口に権限を届けてやると、扉は素直に滑り開いた。
「開けゴマ、っと」
通路へ出る。照明は死に、埃が積もり、壁は苔に覆われかけて、そこかしこで赤い小さな灯だけがまたたいている。
「ずいぶんと、掃除の行き届いた職場で」
施設の管理システムに照会をかける。応答なし。設備は末端ごとに生きているのに、中枢の管理だけが留守——そういう状態らしい。
動くからには、電力が来ている。床下を探ると、生きた給電線が一本通っていた。末端の設備をまかなうには太すぎるその線が、どこか下へ向かって電力を送り続けている。
「送り先が生きてるってことだよなぁ、これは」
ハルは専用線の向こうへ声を投げた。返事はない。
「聞いてなくても報告はするぜ。生きた給電線、一本発見。追跡を開始する」
下りの道は、探すまでもなかった。通路の先、巨大な縦坑に搬入用のリフトが止まり、壁に沿った二条のレールが、はるか下の闇へ延びている。給電線の幹も、同じ闇の底へ潜っていた。
乗り場の端末に、ちょっくら割り込む。
「……よし、動いた」
床が揺れ、リフトはレールを軋ませて下り始めた。
その先で、何かがまだ稼働している。
「さぁて」
降りていく暗がりの中で、ハルは呟いた。
「——お宝の匂いがしてきたぜ」
# 05 門と先客
リフトを降りた先は、緑に侵された一画だった。金属の壁や床を内側から押し破って、伸び放題の草木が繁っている。
その先のアーチの通路は、大きな扉で閉ざされていた。中央の円形の機構から放射状に梁の走る、重い隔壁の扉だ。閉められたのは、ついさっきらしい。駆動部に熱が残っている。
通るだけなら、造作もなかった。膝丈の躰は、こういう時に向いている。壁際の導管の隙間を抜けて、ハルは扉の内側へ滑り込んだ。
広間は、これまでの区画とは造りが違った。高い天蓋。肋骨のように走る梁。壁を飾る尖り模様の格子。崩れた天井の隙間から入り込んだ蔓草が、壁伝いにここまで這い降りている。給電線の幹は床下から立ち上がり、広間の中央へ吸い込まれていた。
その中央に、それは立っていた。
石造りの台座の上、垂直に据えられた巨大な金属の輪。分割された装甲板の継ぎ目、上部の留め具、左右の基部で鈍く回る円盤の機構。青緑に古びた躰に蔓を絡ませたまま、輪は低い駆動音を立てている。
この輪こそが、電力の行き先だった。まぎれもなく、生きた
「……ビンゴ、と」
ハルは呟きを専用線だけに落とした。
輪の内側は、まだ暗い。稼働はしているが、開通はしていない。装置の各部に電力が満ち、どこか遠くの応答を待っている——そういう状態だ。
そして、台座の前に先客がいた。
生体反応、二つ。
一つは、制御の台に屈み込む覆面の男。外套の下、脇腹のあたりに熱の滲みがひとつ。出血。それも浅くない。なのに指先の動きには、乱れがひとつもなかった。手順を確かめ、座標を打ち、その合間にも、入口へ続く通路への警戒を一度も切らしていない。
もう一つは、男の傍らに立つ小さな影。少女だ。門ではなく、男の方ばかりを見ている。
「父さま、血が……」
「案ずるな。……これでいい。後は向こうの
掠れた声に、それでも揺らぎはなかった。
少女は何かを言いかけ、しかし呑み込んで、男の脇腹に当てた布を強く押さえ直した。泣き言はそれきり出てこない。背を伸ばして、まっすぐに父の隣に立っている。
ハルは崩れた梁の陰で、演算を回した。
依頼は、渡ること。門はひとつ。開通は向こう側の応答待ちで、割り込んだところで早くはならない。おまけに先客は手負いで、連れは子供ときた。
結論は早かった。順番を待つ。それだけのことだ。
「報告だ、
返事はない。構わず続ける。
「開通待ちの列に並ぶことにする。……なに、二番目なら上等だろ」
そのときだった。
扉の向こう。くぐもった複数の足音。等間隔で乱れのない、訓練された歩調。その底に、重い獣の唸りがひとつ混じっている。
男の指が、初めて止まった。
少女が、閉ざされた扉を振り返る。
足音は、真っ直ぐこちらへ近づいてくる。
# 06 囮の決断
扉が、燃えた。
収束した熱が臨界を超え、次の瞬間、あの重い隔壁が衝撃で丸ごと吹き飛んだ。
轟音。破片が床を跳ね、広間に火の色が流れ込んだ。
煙を割って、兵が駆け込んでくる。揃いの兜に、抜き身の得物。二人、四人——扇形に開いて門への道を塞ぐ。その背後に、宝珠の杖を提げた面布の術者。牙を剥く騎獣。
最後に、黒がひとつ。
黒衣の偉躯が、燃え残りの火を踏んで入ってきた。赤い前立の兜が、火明かりに濡れて光る。その両手には、弧を描く刃が一振りずつ。仮面の下の声は、妙に柔らかい。
「はて、何処へ行こうというのだね。同志パシュパクル」
「……マヤカゥア」
パシュパクルと呼ばれた覆面の男は、娘を背に庇い、低くその名を呼んだ。
「
風格すら漂う声で、マヤカゥアは続ける。
「よくぞここまで騙し通せたものだ。……いや、流石と言うべきか。だが、その罪、万死に値する」
その刃の切っ先が、ゆっくりと持ち上がる。
「
娘の肩が、びくりと揺れた。
その称が何を意味するのか、ハルの記録には無い。だが刃の示す先は、まっすぐに娘だった。
——そのとき、背後で駆動音が変わった。
輪の中を、青白い稲光が走ったのだ。一条、二条。弾ける光が輪の内側を駆け巡り、やがて薄青い光の膜が、音もなく満ちていく。
「間に合ったか、
パシュパクルが掠れた声で言い、懐から金属の輪——腕輪を抜いて、娘の手に押し付けた。
「これを持って先に行け」
「でも!」
娘の声を、パシュパクルは柔らかく遮った。
「なぁに、すぐに追い付く」
嘘だ、とハルの演算が言った。出血は続いている。手負いの殿が追いついた例しなど、どの記録にもない。
娘も、同じ答えに行き着いたらしい。腕輪を握りしめ——退くどころか、父の半歩前に出た。小さな躰のどこにも、逃げる気配がない。
兵の扇が、一歩、縮んだ。
——さて。
ハルは梁の陰で、最終確認を走らせた。
依頼の内容に、変更なし。ただし、手順をひとつ追加する。殿、一名。
チィの世話係は、とうとうチィに会えずじまいだった。それなら、いま目の前で潰れかけている親子のために働くのが、世話係というものの筋だろう。
「よ、っと」
ハルは梁を蹴って、兵の眼前に飛び降りた。
包囲が、止まる。
殺気立った十幾つの視線が膝丈のぬいぐるみを見下ろして、そろって数瞬の空白を作った。
「なんだ……この、人形……」
「悪いな。ここから先は、通行止めだ」
言いながら、光子ダイナモを全開に回す。
薄紅の光が、詰め物の躰から溢れた。輪郭が光の中で膨れ上がり、組み変わり、着地した脚が床板を軋ませる。
光が散ったとき、そこに立っていたのは白い装甲の巨躯だった。丸みのある頭部に、立ち上がった二本の耳。桃色の光点が、静かに敵を見回す。
先頭の兵が斬りかかった。双刀が装甲の腕に弾かれ、返しの一薙ぎで兵が二人、まとめて壁際まで転がった。
広間が、揺れた。
「殿はこっちで請け負った。——今のうちだ、行きな!」
パシュパクルは答えず、機巧の巨躯の足運びを、剣士の目で測っていた。
短い間。それで、値踏みは足りたらしい。
「……恩に着る」
パシュパクルは娘の手を取った。
「行くぞ」
「でも、あのコが——!」
娘は、白い巨躯のほうへ手を伸ばしかけた。
「振り返るな、行け」
娘は引かれながら、それでも振り返った。独りで兵の壁を受け止める白い巨躯を、薄青い光を背にして、目に焼き付けるように。
ハルは腕の一振りで騎獣の突進を受け流し、片方の耳だけを二人へ向けた。
「おっと、その前に。あんたに言伝だ」
打ち合いの合間だというのに、口調だけは茶の間の軽さだった。
「この地の底の、遠い施設に——俺の
パシュパクルは、光の膜の前で一瞬だけ足を止めた。
「……確かに、承った」
「上等。それと、娘さん——」
ハルは、振り返ったままの小さな顔へ言った。
「泣くんじゃねぇぞ。俺は頑丈が取り柄でな。象が踏んでも、壊れない」
二人の姿が、薄青い光に呑まれて消えた。
輪は、まだ開いたまま光っている。閉じるのは頃合い任せ——それまでこの光は、誰でも通れる。
ハルは光る
「……よし」
装甲の拳が、鈍く鳴った。
「全員まとめて、面倒見てやるよ」