白春の目覚め   作:ライム酒

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第九話 『始祖』の介入 ♯ 03-04

# 03 我等が友

 

 闇が退いた。

 

 足の裏に固いものが触れる。乾いた土に細かい石が混じっていた。空は白く濁っている。雲でも霞でもない。ただ白い。

 

 前方に、山があった。

 

 初めは岩だと思った。臥せた躰だと判るまでに間が要った。肩にあたるところが見上げる高さにある。胸から腹にかけて、人の筋によく似た隆起が並んでいた。腕の付く数も、地に着いているものの数も、人のそれではない。

 

 首の先にあるのは頭ではなかった。細く尖ったものが前へ伸び、その付け根に赤い光が一つ点いている。背からは幾筋も、青白い光が糸のように流れ出ていた。胸の真ん中に嵌まったものが息をするように明滅している。

 

 仮面の力の姿だった。

 

「……これは、何の記憶だ」

 始祖たちの膳を見た。四つの面が布の上に並ぶところも見た。焼けた野も見た。ならばこれも遠い昔の誰かの記憶なのだろう。誰かの終わりを見せられるのだとしても、見るだけのことだ。

 

 倒れた躰の指が動いた。

 

『扉ヨ……根源ヘノ扉ヨ……』

 声が地の底から出てくるように響いた。乞う声だった。これまで、武人がそういう声を出すのを聞いたことがない。

 

『我ヲ……チカラノ深淵ヘト導キタマエ━━』

 青白い躰の裂け目が閉じていく。傷が塞がるのではない。無かったことになっていく。

 

 山が起き上がった。

 

 その先に、もう一つ立っていた。

 

 こちらは黒い。首が長く、鱗に覆われ、先の裂けた顎が空へ向いている。指の一本が人の胴ほどもあり、その先に橙の火が灯っていた。

 

 二つが交わった。一度きりだった。

 

 残って立っていたのは青白いほうだった。

 

『……オシュ……トル……』

 黒いほうが崩れた。顎が閉じ、指の先の火が消え、輪郭が地に沈んでいく。土は音を立てなかった。

 

 自分の名だった。呼ばれたのは自分ではない。

 

 青白い躰が揺らいだ。

 

 背から出ていた光の糸が切れる。胸の光が沈む。腕の数が減り、肩が下がり、山だったものが人の丈へ落ちていく。

 

 最後に、首の先の細く尖ったものが剥がれた。

 

 剥がれたそれは砕けずに、男の手の中へ落ちた。面だった。

 

 その下から出てきたのは、自分の顔だった。

 

「これは俺の……未来。最期なのか」

 声が喉から出ていったあとで、それが自分の声だったと判った。

 

 男が膝をついた。

 

 傷は無い。血も出ていない。代わりに袖の先から白いものが落ちていた。粉のように細かく、風の無い場所をまっすぐ下へ落ちていく。

 

 膝から下が無かった。

 

 男はそれに触れなかった。顔を上げて、その先を見ている。

 

 その先に、人の形をした何かが立っていた。輪郭が定まらない。目も口も判らない。白い霞のようだった。

 

 男のほうへ足が出た。土を踏んだ感触はある。歩いたぶんがどこにも減らない。膝をついた男の背も、その先の霞も、初めに見たときと同じ遠さにあった。

 

「覚えているか。我等が初めて出会った時のことを」

 霞は答えない。掠れた低い声だけが白い中へ吸われていった。

 

 誰に言っている。

 

「其方と初めて肩を並べたのも、こんな場所だったな」

 白いものの落ちる速さが増した。

 

 肩を並べた覚えなど無い。あの霞が誰なのかも判らない。判らないのに、その語の並びには聞き覚えがあった。

 

「其方と供にあった刻は、楽しかったぞ」

 膝の上に置かれた男の手がそこで一度だけ動いた。

 

「これは仮面の者の定め……悔いは無い」

 男が手の中の面を持ち上げた。肘の高さで止まった。

 

 霞が動いた。初めてだった。

 

 白い手が伸びて、面を受け取る。

 

「頼んだぜ、アンちゃん」

 武家の言葉が落ちた。

 

 その崩し方を知っている気がした。使う相手がいない。

 

 霞が薄くなる。形が崩れ、白の中へ紛れて、消えた。

 

 膝をついた男の顔がこちらを向いた。

 

「これはあなたの記憶」

 男の口から出たのは、さっきまでの掠れも低さも無い声だった。幼い娘の声だった。若い女の声でもあり、老いた女の声でもあった。

 

「俺の」

 

「そう。大いなる意志により白き者への道標となるあなたの」

 自分の手が勝手に握って、開いた。

 

「白き者。大いなる意志とは何のことだ」

 答えは間を置かずに来た。

 

「大いなる意志とは大きな河。山から海へと流れる、根源の理」

 河なら知っている。上から下へ行くだけのものだ。そのどこが理なのか。

 

「根源……根源への、扉」

 その語だけはさっき聞いた。この男が唱えていた言葉だ。扉を呼び、深淵へ導けと乞うていた。その先に何があるのかは言わなかった。知らずに乞うたのか、知っていて黙ったのか。

 

「ねえ。あなたの望みは何?」

 崩れかけた者の口から出るには、あまりに軽い調子だった。何を訊かれているのかを掴む前に、船葬墓で聞いた言葉が戻ってくる。試練。まだ続きがある。

 

 厨子の前で視界が沈み、伸ばした手が誰の袖にも届かなかった。その続きに、いま自分は立っている。どれも順に見せられてきたものだ。ならば問いにも順序があるのだろう。

 

「強くなることだ」

 無駄死にするだけだ、と言われたことがある。足りぬものが多すぎる、とも言われた。それでも引かずに、額を床へ擦りつけて、ならば鍛えてくれと願った。必ずや無双の武人となり、聖上のお役に立ちますと言い切った。

 

 返ってきたのは頷きではない。若いのう、と言われた。父と同じ道を選ぶか、と。

 

「強くなってどうするの?」

 ここでも頷かれなかった。

 

 強くなることの先に、まだ何かが要るのか。

 

「俺の義を果たしたい」

 義。自分で拵えた語ではない。

 

 一つ、モノノフとは真摯であるべし。相手を侮るなかれ。それ即ち傲りであり、恥ずべきことと心得よ。

 

 幼い頃、一つ、二つと数え上げる形で叩き込まれた。武士の義とは、己がためにあらず、弱き者を護るためにあるのだぞ、とも言われた。

 

 いつからか、武士とは義の生き様なり、と自分でも口にするようになった。口にするようになってから、中身を確かめたことがない。

 

 名も知らぬ娘が同じ節を槍の合間に唱えてみせたことがある。父さまはそう言っていた、と。あの人は谷の向こうでも同じ順で説いていた。

 

 その当人が一度だけ、そこから外れている。見過ごせなかった、と言った。理由はそれだけだった。外れた先にいたのが、槍を握っていたあの子だ。

 

 構えたところへ刃が来ない。立ち合いのつもりで来て、これほど落ち着かないものか。

 

「それが死ぬことであっても?」

 膝をついたままの顔は動かない。あの躰はもう変わらない。問いだけが外へ出てくる。

 

「先の記憶のようにか?」

 

「そう」

 あの男は膝から下を失って、それでも悔いは無いと言った。楽しかったぞ、とも言った。強がりを重ねた者の声は聞き慣れているが、あれは違う。

 

 あれが自分だというなら、答えは決まっている。決まっているのに、口を開くまでに一拍要った。

 

「それで守るべきものが守れたのであれば、構わないのだろう」

 言い終えたところで、こちらの指の先が遠くなった。男は変わらない。崩れているのは自分のほうだった。

 

 握ったつもりの手に、握った手応えが返ってこない。掌の縁がどこで終わっているのか判らない。

 

「そのものがあなたに生きて戻ってきて欲しいと思っていても?」

 答えようとして、口の中に別の言葉があった。

 

 待っていてくれ。

 

 言った覚えはない。それなのに続きがある。あそこはいい國だ、きっとお前も気に入る。この埋め合わせは何れさせてもらう。

 

 どれも自分の声だった。まだ喋っていない言葉を喉のほうが先に憶えている。三つとも帰る者の言い方だ。

 

 言われた覚えのある言葉も、続いて出てきた。

 

 躰に気をつけて。すぐ、帰ってくるのです。どうかご無事で。

 

 袖を握られ、負い袋の口を結わえ直された。こちらからは、留守を頼む相手の肩へ手を置いた。あのとき自分は、すぐ済ませて戻ってくるさ、と答えている。

 

 誰ひとり、死んでもいいから果たせとは言わなかった。

 

 守るべきもの。守られる側。刃の届く先までは数えてきた。その先に立つ者が何を望むかは、一度も勘定に入っていない。聞いていなかったのではない。聞いたうえで、外していた。

 穴が開いた、という言い方は当たらない。初めからそこに何も置いていなかっただけだ。

 

「当然、望んで死ぬのではない。為すべきことを為すだけだ」

 言いながら、手を伸ばそうとしていた。膝をついた男へ。誰の袖にも届かなかったときと同じ動きだった。

 

 腕が上がらない。目を落とす。指の輪郭が薄い。爪の際から粉のようなものが落ちていた。

 

「変わらないんだね」

 責める声ではなかった。落胆でもない。試したのではなく、確かめただけなのだと判る。

 

 試されたなら、削られるものがあったはずだ。答えはひとつも動いていない。動かずに済んだ。そのことの据わりが悪い。

 

 肘から先が無い。膝が地についているのかも判らない。それでも口は動いた。

 

「それを託せる友と出会えたのなら悪くない」

 言ってからその言葉の出所を探した。友。誰のことだ。会ったこともない者をそう呼んだ。

 

 面を差し出したときの、あの腕の高さが浮かんだ。

 

「またね。オシュトル」

 聞き覚えのある別れ方だった。

 

 どこで聞いたのかを探して、探す端から手掛かりが薄れていく。声も、顔も、場所も無い。残っているのは、そう言われたあとに続いた何かの気配だけだった。

 

 その気配に、悪いものがない。またと言われれば、また会うのだろうと躰のほうが受け取っている。

 

 いつ、誰に。

 

 問い返そうとして、口が形になる前に止まった。足元から黒いものが上がってきている。白く濁っていた空も、粉になって落ちていた指も、その底へ順に沈んでいく。

 

 深淵へ導きたまえ、と乞うた声を思い出した。導かれる先とは、こういうものだったのか。

 

 最後まで残っていたのは、面を差し出したときの腕の高さと、まだ会っていない者を友と呼んだ自分の声だった。

 

 闇が来た。

 

 

# 04 教皇の記憶

 

 

 シューニャは立っていた。

 

 足の下は乾いた土で、細かい石が混じっている。同じ色の地面がどこまでも続いていた。草が無い。風も無い。

 

「オシュトル」

 

 返事が来なかった。ムネチカの名も、ミカヅチの名も呼んでみた。

 

 歩いてみた。地面が同じだけ続いた。

 

「シューニャ」

 

 振り返ると、女がいた。

 

 袖を下ろし、手には何も持っていない。

 

「わたしのこと、知ってるの?」

 

 女が頷いた。

 

「はい。知っていますよ」

 

「あ。思い出した」

 シューニャが一歩下がった。「教皇(シャントゥーラ)様だ。アーヴァ=シュランで一番偉いヒトで、生命樹(アクシャナ)に祈りを捧げるヒト」

 

「はい。私も、そう呼ばれておりました」

 

 

「父さまが、近づいちゃダメって言ってた。ゼッタイだよって」

 言いながら、もう半歩下がっていた。

 

 女は下がった分だけ待って、それから歩き出した。

 

 シューニャは半歩ぶん置いて、横に並んだ。

 

「ここ、どこ」

 

「貴方の郷が始まった土地です」

 

「ここが?」

 

 石ばかりで、畑も家も無い。

 

 足元の石が、ひとりでに少し先へ寄った。

 

 地面に人が現れた。点々と、遠くまで。荷を負った者、子を抱いた者。皆こちらへ背を向けている。

 

「どこ行くの、あのヒト達」

 

「行くところがありません」

 女は列のほうを見ている。

 

 列の中ほどで、二人がかりで何かを運んでいた。布に包まれた根と、そこから出た細い幹。背丈より低い。

 

「なにあれ」

 

 女も同じものを見ている。「持たされました。追われるとき、あれだけは」

 

 シューニャが幹の細さを見た。

 

「あれが、おっきくなるの?」

 

「はい」

 

 列が止まった。石をどけ、穴を掘り、根を下ろす。土をかけた者が手を打ち払って立ち上がる。

 

 枝が横へ広がった。幹が太くなる。葉の間から、光が漏れた。

 

生命樹(アクシャナ)だ、あれ」

 シューニャは光から目を離さない。「うちのはちっちゃいけど、おんなじ形。あの光のとこには、悪いものが入って来られないんだって」

 

「よくご存知です」

 

 光の届くところだけ、地面の色が変わっていた。石の間から細いものが伸びている。

 

 人が屈んだ。日が傾いていく。畝が一筋、また一筋と伸びた。

 

 家が建った。煙が上がり、子供の声がした。

 

「郷になった」

 

「はい」

 

教皇(シャントゥーラ)様が作ったの、ここ」

 

「私と、一緒に追われた者です」

 

「どうして追われたの」

 

禁忌(きんき)を犯しました」

 

「してはならないことをした、ってこと?」

 

「そうです」

 

「なにをしたの」

 

 女の歩みが少し遅くなった。

 

「そのお話は、またいずれ」

 

「えー。そこが一番聞きたいのに」

 

「あらあら」

 

 女が木のほうへ向いて、手を合わせた。

 

「お祈り?」

 

「はい」

 女は手を合わせたままだった。「朝と晩に。一日も欠かしておりません」

 

 シューニャも並んで手を合わせた。

 

 女の唇が動く。「天主の元へ(ラァナ・オンヴィタイカヤン)

 

「……それ、聞いたことある」

 

「はい。貴方の郷でも唱えます」

 

「ここ、いいところだよね」

 

 女の手が下りた。

 

「……ここが何であった土地かを知ったのは、後のことです」

 

「なんの土地だったの」

 

(いにしえ)流刑地(るけいち)です」

 女は歩みを変えない。「罪を犯した者を、連れて来て置いていく場所でした」

 

 シューニャが女の前へ回った。「ひどいよ、そんなの。置いていくって、迎えに来ないってことでしょ」

 

「いいえ」

 女の声が低くなった。「ここは、私に相応しい土地でした」

 

「……でも」

 

「追われた者が辿り着いた先が、追われた者を置いていく土地だったのです。知ったときは、震えました」

 女がまた歩き出した。「それからは贖罪(しょくざい)(とき)です。耕して、祈って、それだけの日々でした」

 

 遠くの山の上が赤かった。黒いものが空へ立ち上って、上りきったところで横へ広がり、日を隠した。

 

「山が燃えてる」

 

 畑が焼けていた。人が口を押さえて走っている。痩せた子が、動かない大人の脇を抜けていく。倒れた者を抱え起こす者がいて、そのまま二人とも動かなくなった。

 

 シューニャがそちらへ駆け出した。

 

「下がっていなさい」

 女は動かない。「もう終わったことです」

 

「でも、まだ動いてるヒトがいるもん」

 

 シューニャの足が止まった。止まってから女のところまで戻った。戻る間に、走っていた者たちが同じ場所をもう一度走った。

 

 葉の間から漏れていた光が細くなった。細くなって、消えた。

 

 光の消えた地面を、化物(ケモノ)が渡ってきた。囲まれた地の内側へ、幾つも。日の届かない畑に人の姿は無い。

 

「光が消えたから、入ってこられたんだ」

 

「はい」

 

「でも、あの木、まだあるよ」

 

「残っております」

 

「じゃあ、また光らせたんでしょ」

 

 女が足を止めた。

 

「そうです。私は教皇(シャントゥーラ)

 シューニャのほうを見ていない。「民に寄り添い、苦楽を共にする者です」

 

 女の声が変わっていた。初めに名を呼ばれたときとは、別の低さだった。

 

生死(しょうじ)狭間(はざま)で決めました。あの木の、形を変えると」

 

「あの木を? もらったものなんでしょ」

 

「あれを授けて下さった御方が、禁じておられたことです」

 

「じゃあ、なんで」

 

「別の方に、教わりました」

 女が木を見上げた。「二度目の禁忌(きんき)です」

 

「もう一回、しなきゃいけなかったの」

 

「民を助けるためには、他に道はありませんでした」

 

 枝が伸びた。幹が太くなる。葉の間から漏れるものが戻って、焼けた畑の上を渡っていった。渡っていく先から、化物(ケモノ)が退いていく。

 

 口を押さえていた者が手を離した。倒れていた者が身を起こし、子供が走り出す。

 

「よかった。みんな起きた」

 

 動かなくなった二人は、そのままだった。

 

「あのヒト達は」

 

「戻りません」

 

 起き上がった者たちはそこを避けて通っていく。

 

「……みんな助かったのに、なんで怒られるの」

 

()ぎたる力だからです」

 女がまた木のほうへ向いて、手を合わせた。「人が手を伸ばしてよいものではありませんでした」

 

「まだお祈りするの。もう助かったのに」

 

「助かったからこそ、でしょう」

 

 手が下りない。

 

「後悔は、しておりません。同じことがまた起これば、私はまた同じことをいたしましょう」

 

 シューニャが女を見た。

 

 女は木のほうを向いたままだった。「民は知らずにいたことです」

 

 女が空を仰いだ。仰いだ先には何も無かった。

 

「赦してもらえた?」

 

「いえ。まだです」

 

「ずっと待ってるの」

 

「ずっとです」

 

 シューニャが口を開いた。開いたまま、何も出てこない。

 

 女が笑った。

 

「シューニャ」

 女が膝を折り、目の高さを合わせた。「ここが、貴方の帰るところです」

 

「わたし、帰っていいの?」

 

「はい。もう、どこへも行かずにすむのです」

 女は目を合わせたままだった。「ここに、残ってくれますね?」

 

 返事を待つ間が無かった。

 

「貴方が在るべきは、この土地です。民が、貴方を必要としております」

 

 シューニャが顔を上げた。

 

 女の目は動かない。「貴方の命をいただきます」

 

「わたしの、いのち」

 

「貴方の命があれば、あの郷は助かります」

 

「……なんで、わたしの」

 

 女は答えなかった。

 

 手が伸びてきた。

 

「やだ」

 シューニャが後ろへ体を引いた。「わたし、まだ帰ってないもん。父さまが待ってるの」

 

 返事は無かった。

 

 女の指が肩に触れた。触れた指に力が入る。

 

「いやっ」

 

 女の手が肩から離れた。シューニャは押していない。腕が肩の付け根から後ろへ引かれていった。

 

 女の躰が傾いだ。傾いだまま戻らない。

 

 石の間の細いものが消えた。畑も、人も、光も無くなった。

 

 最後まで残ったのは木だった。それも、根方から崩れた。

 

 シューニャは自分の手を見た。何も持っていない。押しのけた覚えもない。

 

 またね、と遠くで聞こえたような気がした。

 

 さっきまでの女の声ではなかった。幼い娘の声だった。若い女の声でもあり、老いた女の声でもあった。

 

 暗いものが下から上がってきて、足元から順に見えなくなった。

 

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