白春の目覚め   作:ライム酒

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第十話 渡人の願い # 01-03

# 01 至宝の報告

 

 

 オシュトルとミカヅチは、二人を式台で館の者へ渡した。ミカヅチの空いた手へ、ムネチカが箱を戻す。

 広間は開け放たれたままで、上座の脇に黄色い花が活けてある。高欄の向こうで湖が鳴っていた。

 

「お、おお……戻ったか」

 上座で袴が動いた。

 膝を折る音が揃わないうちに、ミカヅチが口を開いた。

 

「父上。一つ、お願いしたき事がございます」

 箱を膝の横へ下ろし、そのまま板へ額を伏せる。「連れの二人が、目を覚ましませぬ。寝かせる部屋を、お借り致しまする」

 

 花の首が一度沈んだ。上座で息を吸う音がする。

 

「奥の間を空けよ」

 間を置かずに続いた。「薬師(くすし)を呼びにやれ」

 廊下で板が鳴った。足音が二つ、奥へ入っていく。

 

「して……二人は。な、何があったのだ」

 花器の脚が板を小さく鳴らした。

 

「墓所で倒れました」

 ミカヅチは額を上げない。

 

「墓所で……」

 上座で手が宙に浮いたままになった。

 

「傷は見当たりませんの」

 ムネチカの手が膝の上で重なった。「息はありますわ。舟の上から、ずっとこのままで……」

 

 板を鳴らして、館の者が二人を運んでいく。黒い衣の裾が板の上を滑った。

 

「オシュトル。わたし、見てるね」

 シューニャが立った。

 

「ああ、頼む」

 足音がいくつも重なり、その中に軽いのが一つ混じっている。廊下の奥で聞こえなくなった。

 

 柱のあいだを風が抜けた。水の音が入ってくる。

 

「父上」

 ミカヅチが膝の横の箱を手前に戻す。「墓所より、確かに持ち帰りました」

 

「アシワラの至宝に相違ありませぬ」

 

「よくぞ持ち帰った」

 アヅマの目が箱から離れた。

 

「━━成し遂げた(おとこ)の目をしている」

 アヅマはミカヅチの目をちらりと見てそらす。

 

「……私はだめだな」

 声が低いところへ落ちて、上座に留まった。

 

「ラ、ライコウには……私から言っておく」

 名のところでつかえた。「部屋をそれぞれ用意しておこう。ゆるりとお休み下され」

 

 板の上に、柱の影が短く落ちている。

 

 

# 02 母と息子

 

 

 廊下の障子は三つとも開いていた。畳んだ夜具が隅へ寄せてある。どの部屋にも人がいない。

 奥の間だけが閉じている。薬師(くすし)が朝ごとに来て、脈を診て、首を振って帰る。それが幾日か続いていた。

 二人が目を覚ますまでは、めいめいに動く。四人でそう決めた。

 前を通るとき、足の裏で板を探した。

 

 今日が何の日かは、目が覚めたときから判っていた。あの人を連れて行く。昨夜のうちにそう決めていた。

 

 母屋の突き当たりまで来て、障子の前で足を止めた。

 

「シュンライ様」

 

「あら、ミカ。ご飯はもう済ませたのですか?」

 障子が内から開いた。紫の羽織の肩に朝の光が乗っている。目がこちらの後ろへ動いた。「ミライを起こしてきてちょうだい。あの子の分も、取ってあります」

 

 敷居のこちらで膝を折った。板に手をつく。部屋の隅に鏡台が出ていた。

 

「シュンライ様。今日が何の日か、ご存知ですか」

 板についた指を、少しだけ開いた。

 

「何の日だったかしら……ミカの誕生日でもないですし」

 シュンライが指を頬に当てた。

 

 背後で板が鳴った。敷居のところで影が止まった。

 

「一つ、お願いしたき事がございます」

 板に額が近づいた。

 

「なあに? 何でも言ってちょうだいな」

 白い袂が鏡台の前から離れて、こちらへ来る。

 

「花畑に寄ってから、向かいたいところがあります」

 

「まあ、お花畑に」

 

「では、付いてきてください」

 

 立ち上がった。敷居のところで影が動いた。

 

「……ミカヅチ?」

 アヅマの片手が柱にかかっている。

 

「父上。先にシュンライ様と二人で参りたいのですが」

 

「……ああ、判った。私も、後で行くとしよう」

 柱の手が落ちた。

 

 廊下へ出た。背中で声がした。

 

「ライコウは、この手まで読んでいたのだろうか……」

 

 鼻から短く息が出た。そのまま角を折れた。

 

 屋敷を出て、水路の縁を回った。シュンライの足音が後ろで続いている。すれ違った郷の者が足を止めて、頭を下げていった。

 

 花畑は屋敷の裏手の斜面にあった。黄色い小花が一面に出ていて、あいだに白いのが点々とある。膝から下が花に埋まった。

 シュンライが先に屈んだ。手が二つ、同じ高さで動いている。

 

「まあ、こんなに。ミライはこの花が好きですから」

 シュンライの腕の中で束が膨らんでいる。こちらの手にも同じだけあった。

 

 斜面を登り切ると草が短くなった。丘の頂に白い石が立っていた。湖が左右へ開けている。対岸にも緑があり、その向こうで山並みが青く沈んでいた。

 縦長の石に幼い娘が浮き彫りにされている。目を閉じ、口元に弧がある。台座に白い器がひとつ、空のまま置いてあった。

 

「ここは?」

 シュンライの首が白い石へ向いた。

 

「ミライの墓です」

 束を持ち直した。茎の先が指に当たる。

 

「今日はミライの命日です」

 

 紫の羽織が翻った。草を分けて、斜面のほうへ足が出ていく。

 

「どこへ行かれるのですか」

 その背へ言った。

 

「逃げてはなりません、シュンライ様━━」

 声が丘の上で切れた。

 

 草の鳴る音が離れていった。

 

「……いえ。母上」

 声を落として、そう呼んだ。母の背が、斜面の途中で止まっている。

 

 肩が細かく揺れている。

 

 束を持ったまま碑の前へ回った。膝を折る。器に茎をまとめて差し入れると、黄と白がひとかたまりになった。

 

「ほら、お前の好きだった花だ。二人で、()んできてやったぞ」

 立ち上がって、袴の土を払った。

 

「ずいぶん待たせたな。すまん」

 言ってから、器の縁を指で直した。

 

 草が一斉に傾いだ。碑の白い面を雲の影が横切る。

 

 白い袂はまだそこにある。抱えた束を胸から下ろさない。茎の先が小刻みに動いている。

 

 その手が、ゆっくりと下りていった。

 

「そう……なのね」

 膝が落ちた。草に手が沈む。束が横へこぼれて、白い花弁が指のあいだに残った。

 

「ミライは」

 そこで切れた。碑を見上げた目が、大きく開いている。喉が二度鳴った。

 

「あの子はもう、いないのね」

 

「はい」

 立ったまま答えた。

 

 草にこぼれた束へ、しずくがひとつ降りた。花弁が一枚、色を濃くした。

 

「ミライ、ごめんなさい。今までお参りにも来なくて」

 母の顔が碑へ向いた。声が細くなる。「これからは、たくさん会いに来ますから」

 

「小さなミカとも、お別れしなくてはね」

 草を押して、母の背が起きた。袖の先が土で汚れていた。

 

 碑を離れて斜面を下りた。丈を戻した草が腰のあたりで揺れていた。

 

「ミカ、立派になりましたね」

 まっすぐな目で、シュンライが言った。

 

「もう、ミカとは呼べませんね」

 

「ミカのままで構いません」

 草を分けて、隣へ並んだ。目の高さが揃う。

 

(わたくし)は……俺はいつまでも、母上の息子です」

 

 足元の草に、黄と白が散っていた。

 

「━━ゲフン、ゴホン」

 

 下から声が上がってきた。草を分ける音がそれに続く。

 

「父上」

 斜面の下へ向き直った。

 

 アヅマは肩で息をしていた。抱えているのは黒塗りの重箱だった。

 目が母のほうへ動いてそれから、足元に散った黄と白のところで留まった。

 

 重箱を小脇へ寄せ、腰を折る。太い指が茎を一本ずつ拾い上げていく。草に散っていたものが、また一つの束に戻った。

 アヅマは草を踏み分けて、頂まで上がっていく。台座の前で腰をかがめ、器へ束を挿し足した。

 

 シュンライも斜面を登っていく。

 

「母さん。忘れ物だぞ」

 アヅマが重箱をシュンライの手へ移した。

 蓋が上がる。小さな椀が隙間なく詰めてあった。水ヨウカンだった。

 

「ミライ。あなたの分ですよ」

 白い椀が台座に並んだ。母の指が椀の縁を直して、そこから離れなかった。

 

 

# 03 雷嵐一過

 

 母の指が椀から離れた。

 

「ミカ、兄とは仲良くやっていますか?」

 シュンライの顔がミカヅチへ向く。アヅマの目はまだ台座に向いている。

 

 斜面の下で、草の鳴る音がひとつ増えていた。

 

「どうなんだ、兄上」

 斜面の下へ声を投げた。

 

「昔から仲は悪くありませぬ」

 草の鳴る音が止まった。

 

「ラ、ライコウ!? 何故ここに」

 アヅマが振り向いた。斜面の下から丘の裾まで目が走って、また戻ってくる。草を踏んで上がってくるのは一人きりだった。

 

「ミライの命日ですので」

 ライコウが最後の数歩を上がってきた。二人の脇を過ぎて、台座の前で立つ。懐から小さな包みを出した。

 

「これも。飴細工だ」

 椀の隣へ置いて、ライコウは手を引いた。

 

 風が一度、四人の袖を鳴らした。

 

「ミカヅチもシュンライも歩き始めたんだ。私もこのままでは……」

 アヅマの声だった。誰にも向いていない。

 

 息を深く吸い込む音がした。

 

「大丈夫、大丈夫だ。私はやれる」

 アヅマがライコウへ半身を寄せた。

 

「な、なあ、ライコウ。私は臆病者だ」

 

「だからこそ、才ある息子に嫉妬してしまったのだ」

 

「もはや、お前に背中を見せてやることが出来ぬと悟ってしまった。私は━━」

 重箱を渡した両手が、空のまま宙にある。

 

「幼き頃の眩しかったその背中は、今も脳裏に焼き付いております」

 

「憧れた父上に戻っていただきたいと思っておりました」

 

「父上は少々(つまづ)いてしまわれただけ。何を(とら)われることがありましょう」

 ライコウは父から目を離さない。

 

 ミカヅチは一歩ぶん位置をずらして、二人の並びの外へ出た。

 

「私は変わらず、お前達の父であったのだな」

 

「二人とも、本当に自慢の息子です」

 シュンライが両手を胸の前で合わせた。

 

「ああ、そうだとも。二人とも私達の自慢の息子だ」

 アヅマが顔を上げて、息子二人をまっすぐに見た。

 

「……父上まで」

 顔を伏せて、爪先の草を見た。

 

「母上。愚弟は褒められ慣れておりませぬ」

 ライコウの口の端が動いた。

 

「さあ、みんなでいただきましょう」

 シュンライが重箱から椀を取り出して配っていく。四人の手が順に出た。

 

「頂戴いたします」

 ライコウが両手で受けた。

 

 甘い匂いが草の上に落ちた。四人が同じものを口へ運ぶ。碑の前で、匙の当たる音だけがしばらく続いた。

 

(つまづ)いていた同士なんて、似た者夫婦ね」

 

「そうだな。ならば、(つまづ)いた分は二人で取り戻すとしよう」

 アヅマが空になった椀を重箱へ戻した。紫の羽織と並んで、二人は斜面を下りていった。草がその後ろで閉じていく。

 

 残った二人で少し遅れて丘を下りた。ライコウが先を歩いている。その少し後ろに付いた。

 下るほどに草が丈を戻して、足首から膝へ上がってくる。その先の斜面が一面、黄色く煙っていた。

 

「ずっと気になっていたことがあってな」

 

「何故、ミライは薬が足りなかったことを知っていた」

 

 ライコウの歩幅が半拍ぶん短くなった。

 

「……俺が話したからだ」

 

「……そうか」

 半歩を詰めて、兄の横へ出た。

 

「ミライに話したこと、後悔しているのか」

 

「後悔などない」

 即答だった。

 

「一瞬の躊躇(ためら)いをミライに悟られた未熟な(おのれ)を━━(ミカド)()(かご)微睡(まどろ)み、有事の策さえ自ら講じなかった(おのれ)を、許せぬだけだ」

 ライコウの顎が上がった。前を見ている。

 

「自ら、講じる……」

 その語を口の中で繰り返した。

 

「そうだ。聖上の御業(みわざ)に頼らず、我等の手で薬を作ることが出来ていたのなら、ミライが死ぬことはなかった」

 ライコウの歩調が速くなった。花を蹴る音が続けて鳴る。

 

(ミカド)の愛に、叡智(えいち)に甘えてはならぬ。自ら考え、歩みを進めるのだ。……ミライの死を無駄にせぬ(ため)にも」

 声だけがこちらへ届いた。

 

「ああ、そうだな」

 草の傾ぐ向きが、丘の下へ変わっていた。

 

「……過ぎてしまった(とき)は戻らぬ、か。だがな、兄者」

 兄の横で足を合わせた。

 

「戻らなくとも、忘れる必要もない」

 

「ミライは……」

 ライコウの足が草の中で止まった。

 

「大切な、妹だった……」

 

「ああ」

 肩を並べて立った。

 

 丘を振り返った。頂の白い面が、朝の光を返している。

 

「これでいいんだろう、ミライ」

 

「ミカヅチ」

 ライコウの目がこちらにあった。

 

「……感謝を」

 

「家族、だろ」

 

 二人で、花の中を下りていった。膝から下が黄色に沈んで、草の音が一つに重なった。

 

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