# 01 至宝の報告
オシュトルとミカヅチは、二人を式台で館の者へ渡した。ミカヅチの空いた手へ、ムネチカが箱を戻す。
広間は開け放たれたままで、上座の脇に黄色い花が活けてある。高欄の向こうで湖が鳴っていた。
「お、おお……戻ったか」
上座で袴が動いた。
膝を折る音が揃わないうちに、ミカヅチが口を開いた。
「父上。一つ、お願いしたき事がございます」
箱を膝の横へ下ろし、そのまま板へ額を伏せる。「連れの二人が、目を覚ましませぬ。寝かせる部屋を、お借り致しまする」
花の首が一度沈んだ。上座で息を吸う音がする。
「奥の間を空けよ」
間を置かずに続いた。「
廊下で板が鳴った。足音が二つ、奥へ入っていく。
「して……二人は。な、何があったのだ」
花器の脚が板を小さく鳴らした。
「墓所で倒れました」
ミカヅチは額を上げない。
「墓所で……」
上座で手が宙に浮いたままになった。
「傷は見当たりませんの」
ムネチカの手が膝の上で重なった。「息はありますわ。舟の上から、ずっとこのままで……」
板を鳴らして、館の者が二人を運んでいく。黒い衣の裾が板の上を滑った。
「オシュトル。わたし、見てるね」
シューニャが立った。
「ああ、頼む」
足音がいくつも重なり、その中に軽いのが一つ混じっている。廊下の奥で聞こえなくなった。
柱のあいだを風が抜けた。水の音が入ってくる。
「父上」
ミカヅチが膝の横の箱を手前に戻す。「墓所より、確かに持ち帰りました」
「アシワラの至宝に相違ありませぬ」
「よくぞ持ち帰った」
アヅマの目が箱から離れた。
「━━成し遂げた
アヅマはミカヅチの目をちらりと見てそらす。
「……私はだめだな」
声が低いところへ落ちて、上座に留まった。
「ラ、ライコウには……私から言っておく」
名のところでつかえた。「部屋をそれぞれ用意しておこう。ゆるりとお休み下され」
板の上に、柱の影が短く落ちている。
# 02 母と息子
廊下の障子は三つとも開いていた。畳んだ夜具が隅へ寄せてある。どの部屋にも人がいない。
奥の間だけが閉じている。
二人が目を覚ますまでは、めいめいに動く。四人でそう決めた。
前を通るとき、足の裏で板を探した。
今日が何の日かは、目が覚めたときから判っていた。あの人を連れて行く。昨夜のうちにそう決めていた。
母屋の突き当たりまで来て、障子の前で足を止めた。
「シュンライ様」
「あら、ミカ。ご飯はもう済ませたのですか?」
障子が内から開いた。紫の羽織の肩に朝の光が乗っている。目がこちらの後ろへ動いた。「ミライを起こしてきてちょうだい。あの子の分も、取ってあります」
敷居のこちらで膝を折った。板に手をつく。部屋の隅に鏡台が出ていた。
「シュンライ様。今日が何の日か、ご存知ですか」
板についた指を、少しだけ開いた。
「何の日だったかしら……ミカの誕生日でもないですし」
シュンライが指を頬に当てた。
背後で板が鳴った。敷居のところで影が止まった。
「一つ、お願いしたき事がございます」
板に額が近づいた。
「なあに? 何でも言ってちょうだいな」
白い袂が鏡台の前から離れて、こちらへ来る。
「花畑に寄ってから、向かいたいところがあります」
「まあ、お花畑に」
「では、付いてきてください」
立ち上がった。敷居のところで影が動いた。
「……ミカヅチ?」
アヅマの片手が柱にかかっている。
「父上。先にシュンライ様と二人で参りたいのですが」
「……ああ、判った。私も、後で行くとしよう」
柱の手が落ちた。
廊下へ出た。背中で声がした。
「ライコウは、この手まで読んでいたのだろうか……」
鼻から短く息が出た。そのまま角を折れた。
屋敷を出て、水路の縁を回った。シュンライの足音が後ろで続いている。すれ違った郷の者が足を止めて、頭を下げていった。
花畑は屋敷の裏手の斜面にあった。黄色い小花が一面に出ていて、あいだに白いのが点々とある。膝から下が花に埋まった。
シュンライが先に屈んだ。手が二つ、同じ高さで動いている。
「まあ、こんなに。ミライはこの花が好きですから」
シュンライの腕の中で束が膨らんでいる。こちらの手にも同じだけあった。
斜面を登り切ると草が短くなった。丘の頂に白い石が立っていた。湖が左右へ開けている。対岸にも緑があり、その向こうで山並みが青く沈んでいた。
縦長の石に幼い娘が浮き彫りにされている。目を閉じ、口元に弧がある。台座に白い器がひとつ、空のまま置いてあった。
「ここは?」
シュンライの首が白い石へ向いた。
「ミライの墓です」
束を持ち直した。茎の先が指に当たる。
「今日はミライの命日です」
紫の羽織が翻った。草を分けて、斜面のほうへ足が出ていく。
「どこへ行かれるのですか」
その背へ言った。
「逃げてはなりません、シュンライ様━━」
声が丘の上で切れた。
草の鳴る音が離れていった。
「……いえ。母上」
声を落として、そう呼んだ。母の背が、斜面の途中で止まっている。
肩が細かく揺れている。
束を持ったまま碑の前へ回った。膝を折る。器に茎をまとめて差し入れると、黄と白がひとかたまりになった。
「ほら、お前の好きだった花だ。二人で、
立ち上がって、袴の土を払った。
「ずいぶん待たせたな。すまん」
言ってから、器の縁を指で直した。
草が一斉に傾いだ。碑の白い面を雲の影が横切る。
白い袂はまだそこにある。抱えた束を胸から下ろさない。茎の先が小刻みに動いている。
その手が、ゆっくりと下りていった。
「そう……なのね」
膝が落ちた。草に手が沈む。束が横へこぼれて、白い花弁が指のあいだに残った。
「ミライは」
そこで切れた。碑を見上げた目が、大きく開いている。喉が二度鳴った。
「あの子はもう、いないのね」
「はい」
立ったまま答えた。
草にこぼれた束へ、しずくがひとつ降りた。花弁が一枚、色を濃くした。
「ミライ、ごめんなさい。今までお参りにも来なくて」
母の顔が碑へ向いた。声が細くなる。「これからは、たくさん会いに来ますから」
「小さなミカとも、お別れしなくてはね」
草を押して、母の背が起きた。袖の先が土で汚れていた。
碑を離れて斜面を下りた。丈を戻した草が腰のあたりで揺れていた。
「ミカ、立派になりましたね」
まっすぐな目で、シュンライが言った。
「もう、ミカとは呼べませんね」
「ミカのままで構いません」
草を分けて、隣へ並んだ。目の高さが揃う。
「
足元の草に、黄と白が散っていた。
「━━ゲフン、ゴホン」
下から声が上がってきた。草を分ける音がそれに続く。
「父上」
斜面の下へ向き直った。
アヅマは肩で息をしていた。抱えているのは黒塗りの重箱だった。
目が母のほうへ動いてそれから、足元に散った黄と白のところで留まった。
重箱を小脇へ寄せ、腰を折る。太い指が茎を一本ずつ拾い上げていく。草に散っていたものが、また一つの束に戻った。
アヅマは草を踏み分けて、頂まで上がっていく。台座の前で腰をかがめ、器へ束を挿し足した。
シュンライも斜面を登っていく。
「母さん。忘れ物だぞ」
アヅマが重箱をシュンライの手へ移した。
蓋が上がる。小さな椀が隙間なく詰めてあった。水ヨウカンだった。
「ミライ。あなたの分ですよ」
白い椀が台座に並んだ。母の指が椀の縁を直して、そこから離れなかった。
# 03 雷嵐一過
母の指が椀から離れた。
「ミカ、兄とは仲良くやっていますか?」
シュンライの顔がミカヅチへ向く。アヅマの目はまだ台座に向いている。
斜面の下で、草の鳴る音がひとつ増えていた。
「どうなんだ、兄上」
斜面の下へ声を投げた。
「昔から仲は悪くありませぬ」
草の鳴る音が止まった。
「ラ、ライコウ!? 何故ここに」
アヅマが振り向いた。斜面の下から丘の裾まで目が走って、また戻ってくる。草を踏んで上がってくるのは一人きりだった。
「ミライの命日ですので」
ライコウが最後の数歩を上がってきた。二人の脇を過ぎて、台座の前で立つ。懐から小さな包みを出した。
「これも。飴細工だ」
椀の隣へ置いて、ライコウは手を引いた。
風が一度、四人の袖を鳴らした。
「ミカヅチもシュンライも歩き始めたんだ。私もこのままでは……」
アヅマの声だった。誰にも向いていない。
息を深く吸い込む音がした。
「大丈夫、大丈夫だ。私はやれる」
アヅマがライコウへ半身を寄せた。
「な、なあ、ライコウ。私は臆病者だ」
「だからこそ、才ある息子に嫉妬してしまったのだ」
「もはや、お前に背中を見せてやることが出来ぬと悟ってしまった。私は━━」
重箱を渡した両手が、空のまま宙にある。
「幼き頃の眩しかったその背中は、今も脳裏に焼き付いております」
「憧れた父上に戻っていただきたいと思っておりました」
「父上は少々
ライコウは父から目を離さない。
ミカヅチは一歩ぶん位置をずらして、二人の並びの外へ出た。
「私は変わらず、お前達の父であったのだな」
「二人とも、本当に自慢の息子です」
シュンライが両手を胸の前で合わせた。
「ああ、そうだとも。二人とも私達の自慢の息子だ」
アヅマが顔を上げて、息子二人をまっすぐに見た。
「……父上まで」
顔を伏せて、爪先の草を見た。
「母上。愚弟は褒められ慣れておりませぬ」
ライコウの口の端が動いた。
「さあ、みんなでいただきましょう」
シュンライが重箱から椀を取り出して配っていく。四人の手が順に出た。
「頂戴いたします」
ライコウが両手で受けた。
甘い匂いが草の上に落ちた。四人が同じものを口へ運ぶ。碑の前で、匙の当たる音だけがしばらく続いた。
「
「そうだな。ならば、
アヅマが空になった椀を重箱へ戻した。紫の羽織と並んで、二人は斜面を下りていった。草がその後ろで閉じていく。
残った二人で少し遅れて丘を下りた。ライコウが先を歩いている。その少し後ろに付いた。
下るほどに草が丈を戻して、足首から膝へ上がってくる。その先の斜面が一面、黄色く煙っていた。
「ずっと気になっていたことがあってな」
「何故、ミライは薬が足りなかったことを知っていた」
ライコウの歩幅が半拍ぶん短くなった。
「……俺が話したからだ」
「……そうか」
半歩を詰めて、兄の横へ出た。
「ミライに話したこと、後悔しているのか」
「後悔などない」
即答だった。
「一瞬の
ライコウの顎が上がった。前を見ている。
「自ら、講じる……」
その語を口の中で繰り返した。
「そうだ。聖上の
ライコウの歩調が速くなった。花を蹴る音が続けて鳴る。
「
声だけがこちらへ届いた。
「ああ、そうだな」
草の傾ぐ向きが、丘の下へ変わっていた。
「……過ぎてしまった
兄の横で足を合わせた。
「戻らなくとも、忘れる必要もない」
「ミライは……」
ライコウの足が草の中で止まった。
「大切な、妹だった……」
「ああ」
肩を並べて立った。
丘を振り返った。頂の白い面が、朝の光を返している。
「これでいいんだろう、ミライ」
「ミカヅチ」
ライコウの目がこちらにあった。
「……感謝を」
「家族、だろ」
二人で、花の中を下りていった。膝から下が黄色に沈んで、草の音が一つに重なった。