# 01 肩慣らし
オシュトルは朝の庭に立っていた。
木刀を提げている。横にシューニャの槍とムネチカの杖が並び、槍の穂先には布が巻いてある。向かいのミカヅチは木刀を提げ、もう片方に仮面をぶら下げていた。一夜明けても、まだそのままだ。土は冷たく、塀の上から朝の光が斜めに差している。縁側にディコトマが腰を据え、湯呑みを膝の脇へ置いた。
「ミカヅチ。御前で貰ったモンを、見せてもらおうか」
ディコトマは湯呑みを取り上げて一口啜った。「着けて、だ」
「━━ッシャ。望むところです、師匠」
仮面が顔に押し当てられる。白いものが左の目の周りから頬まで貼り付いた。空いた手も木刀の柄に掛けて、ミカヅチは正面に立つ。
「三人でかかりな」
「ハァッ」
三人の声が重なって、一度に出た。杖が前、槍が横、後ろからこちらの木刀。
ムネチカの杖がミカヅチの木刀を逸らす。木刀は逸れた先まで追い、杖ごとムネチカを押し飛ばした。ムネチカは杖を抱えて土を滑り、尻から落ちる。土煙が立った。
その土煙を割ってシューニャの槍が伸びる。布を巻いた穂先をミカヅチが掴んだ。掴んで、槍ごと振り回す。シューニャは槍にぶら下がって宙を一回りし、放り出された。
放り出された先は、踏み込んだこちらの胸だった。シューニャと槍の柄をまとめて受け、二人で縁側の際まで転がる。框が背に当たり、息が抜けた。腹の上からシューニャが転がり降りる。
土煙の中に三人がいた。ムネチカは杖を土に突いて、片膝を立てている。
「足りねぇな」
ディコトマは茶を啜った。
縁側の際から起き上がって、木刀を拾った。ムネチカを見る。見たまま止まらずに、シューニャへ移した。
「シューニャ」
一つだけ呼んだ。ミカヅチがシューニャのほうを向く。踏み込んだ。一度目と同じ入りだ。
ミカヅチは向いたままこちらの木刀を受け、躰ごと押し返してきた。押し返されて土に転がる。土煙が朝の光の中に舞い上がった。その向こうで、ミカヅチは押した分だけ前へ出ている。
「いくよ」
槍が、飛んだ。突きではない。柄ごとシューニャの手を離れて、回りながらミカヅチの胸へ来る。ミカヅチが上体を反らして槍をやり過ごした。槍は縁側の下の土に突き立つ。反らした顔へ、そのまま青い火が上がった。ミカヅチが顔を覆う。
覆ったその懐に、ムネチカがいた。
開いた腹へ、拳。
鈍い音が土を伝って縁側まで届き、湯呑みが跳ねた。ミカヅチの躰がくの字に折れて吹き飛ぶ。土煙を引いて転がり、縁側の前まで行って、ディコトマの足元で仰向けに止まった。
ムネチカの手に杖はなかった。杖は土に突き立ったままだ。
「小生がいることも、お忘れなく」
ミカヅチが土から起きて、仮面を外した。
「ククッ。……そうこなくてはな」
ミカヅチは外した仮面を提げて、笑っている。
「お、なかなかやるじゃねぇか」
ディコトマは立った弟子を見下ろし、それからムネチカへ目を移す。「いい拳してやがる」
ムネチカが殴った手を袖の中へ引いた。
ミカヅチが笑い、ムネチカが笑い、縁側のディコトマも笑っている。シューニャだけが、ミカヅチの持つ白いものを見ていた。
ディコトマがシューニャを一度見た。
ミカヅチが仮面を懐へ入れる。土煙が薄れ、朝の光が突き立った槍と土の足跡を照らしている。
# 02 父の太刀
オシュトルは一人で庭に立たされていた。
木刀を提げている。縁側には三人が並んで腰を下ろし、ムネチカが杖を膝に横たえていた。塀の上の日は昨日より高い。
「オシュトル坊主。木刀は置いてきな」
ディコトマは縁側の柱にもたれている。
「太刀で、ですか」
「テメエの太刀だ」
「はい」
井戸端に木刀を置き、部屋の壁から太刀を取ってきた。庭の真ん中で鞘を払う。刃に朝の光が乗った。正眼に構える。
ディコトマが縁側から降りた。向かいに立って、手ぶらのまま腰を落とす。
「さぁ、いつでもいいぜ、打ち込んで来な」
一歩出た。手ぶらの構えが、間合いの向こうにある。
もう一歩。まだ向こうにあった。
切っ先を上げる。腕を見た。胴を見た。膝を見た。どこへ振っても、その先にディコトマが待っている。踏み込む先が見当たらない。
もう一歩が、出なかった。
柄を握る指に汗が浮く。息を吐いて、吸う。吸った分だけ、間合いが遠くなった。塀の外を荷車の音が通り過ぎ、遠のいて、消える。日が塀の上を少し動いた。
ディコトマは腰を落としたままだ。目だけがこちらを見ている。
「相手の強さを推し量れるのも、やせ我慢と同じ技量ってやつだ。
ディコトマは腰を落としたまま言った。
息を止めた。
腕からも、胴からも、膝からも目を離す。
ディコトマが見えた。その後ろに縁側。腰を下ろしていたはずの三人が、いつの間にか膝を揃えて正座し、こちらを見守っている。横に塀と、塀の上の日。足元の土に二つの影が伸びて、ディコトマはそのすべての真ん中に立っている。
そこへ。
地を蹴った。土が後ろへ飛び、太刀が肩の上から落ちる。風が鳴った。切っ先がディコトマの喉元まで届いて、襟の合わせを揺らす。
ディコトマは腰を落とした姿のまま、切っ先の先に立っていた。
「クク。糸が解けたか」
ディコトマは笑っている。
鞘へ納める。一度で納まった。
# 03 オシュトルの仮面
オシュトルは太刀を鞘ごと帯へ戻した。
ディコトマが縁側へ上がり、奥へ入っていく。襖の閉まる音がして、庭には塀の外の人声だけが残った。縁側の三人が正座を崩す。井戸端には木刀が置いてある。
戻ってきたディコトマの手に、仮面があった。
「そら、こいつを持って行け」
ディコトマは縁側に立ったまま、それをこちらへ差し出した。
「ですがこれは、聖上より
「いいから受け取れ」
受け取った両手が、胸の前で止まった。
息を一つ吐いて、額へ運ぶ。冷たさが頬まで降りて、そこで動かなくなった。
ミカヅチが縁側を降りてきた。胸元から白いものを取り出し、左の顔に載せる。白の中に、目だけが開いている。半歩こちらへ寄って、立つ。
「これで、いずれ俺が最強になります。師匠さえ越えて、
「おう、いい志じゃねぇか」
ディコトマは縁側に腰を下ろして、こちらを見た。
「だがな、
「師匠より、強い漢が」
「一人は貴様等も知る漢だ」
ディコトマは片膝を立てて、塀の上の日を仰いでいる。
「もう一人は俺の伯父貴だ。ゲンジマルってなジジイよ」
「伯父上様? 初めてお聞きしましたわ」
ミカヅチがディコトマへ向き直る。
「師匠の身内なら、その武名は鳴り響いているはずですが」
「なぁに、餓鬼の頃の話さ。まあ……色々とあってな」
「おじちゃんの子供の頃?」
「そんな大層な話でもねぇが。トゥスクルは知ってるだろ?」
ディコトマの顎がこちらを向く。
「トゥスクルの、ですか」
「俺はあの地の出身でな。まだトゥスクルが興る前、諸國が乱立していた大昔の話だ。『男は旅立つもの』ってなエヴェンクルガの教えがあってな。最強とうたわれていた伯父貴を追いかけて、俺は郷を飛び出した。まあ、押しかけ弟子ってやつだ」
ディコトマが片膝を崩して、胡座になる。
「厳しくも優しい師だったが、ある時、ちょいとした食い違いで喧嘩しちまってなぁ。殺すつもりで斬りかかったんだが、逆にバッサリやられて嵐の海にドボンだ」
ムネチカが膝の上の杖を脇へ下ろした。
「そっからドンブラコッコと流れ着いたのが、このヤマトって訳だ」
ディコトマが縁側から立った。
「それと、貴様等も知る漢のほうは、呼んである」
そのまま奥へ引っ込む。着けたままの二人が、縁側の前に残された。
# 04 豪腕のヴライ
オシュトルは門のほうへ顔を向けた。
塀の外の人声が途切れている。縁側の三人が、同じほうへ首を回した。
「何だ、この闘気は」
ミカヅチが門を睨んでいる。
奥の襖が開いて、ディコトマが縁側へ出てきた。門を見ている。
ンハライが先に駆け込んできて、縁側の端で膝を折った。
「八柱将が一人、ヴライ様です」
門をくぐってきたのは、岩のような巨躯だった。顔の半分に白い仮面。素手だ。
「豪腕の、ヴライ」
ミカヅチが口の中で言う。
ヴライはディコトマへ顎を引いた。
「こいつらが俺の弟子だ。仮面の力ってのを、軽く見せてやってくれ。ただし、興奮してここいらを破壊するんじゃねぇぞ」
ヴライが庭へ踏み入る。踏まれた土が沈んだ。こちらとミカヅチの前まで来て、立つ。
「
「オシュトル様、ミカヅチ様、ムネチカ様、シューニャ様です」
ンハライが縁側の端から告げた。名を聞いて、ヴライの顔がこちらで一拍止まる。
「なれば知れ。
「八柱将が、何するものぞ」
ミカヅチが言い放つ。
「ああ、行くぞミカヅチ」
井戸端まで走って木刀を二本取り、一本を投げる。ミカヅチが受け取った。
「オォッ」
二人の声が揃った。正面にミカヅチ、脇からこちら。同時に踏み込む。拳が来るのが見えた。ミカヅチの木刀が振り下ろされる前に、拳がその横っ腹を打っている。
「ぬうんッ」
ヴライが唸って、拳がミカヅチを吹き飛ばした。土煙が上がる。ミカヅチが縁側の下まで転がって板が鳴り、木刀が土の上に飛んだ。土煙の中へこちらの木刀が入る。もう一つの拳が、来る。木刀が、届かない。
地面が背に来た。歯に土が当たる。離れた木刀が、土の上を転がった。
「だが、足りぬ」
ヴライは転がった二人の前に立っている。土に突いたこちらの腕が、肘から崩れた。
「命は燃やし尽くしてこそ華。生き
ヴライは言い置いて、縁側へ向き直る。
「また来る」
「おう、何時でも来な」
ヴライが門へ出ていく。ンハライが送りに出た。
「ありゃあ真似すんじゃねぇぞ」
喉から短い息が漏れて、それが笑いになった。隣で同じ声がする。二つが重なって、庭に広がった。縁側のムネチカだけが、杖の頭に両手を重ねて口を結んでいる。
「ククク、負けだ負けだぁ!あれが、豪腕のヴライか!」
ミカヅチが土の上で腹を抱えている。
「ここまで差を見せつけられたら、もはや笑うしかない」
隣のミカヅチへ、笑いの合間に言う。
「悔しく……ありませんの?」
ミカヅチが土の上で縁側へ向き直った。
「悔しい?これが悔しいように見えるか?」
「悔しさとは、少しでも勝機がある者が抱く想い」
仰向けのまま、空へ向けて言った。
「差が判るってのは、同じ土俵に立ってるってことだ」
ディコトマが縁側から言った。
シューニャが縁側の端に立ち上がって、土の上の二人を見ている。
ディコトマが門のほうへ向き直った。
「━━ヴライ。奴が戦い方のこだわりさえ無くせば、俺を優に超えていくだろう。ま、策を弄するアイツなんてのは最早別人だろうがな」
起き上がる。隣でミカヅチも膝を突いて身を起こした。
ミカヅチがこちらへ向き直る。
「アレに勝てるか?」
答えを待っている。
「勝てん。今は、な」
「ああ、今はな」
二人で土を払って立つ。仮面は着けたままだ。
# 05 持たざる者
ムネチカは夕の廊の途中で足を緩めた。
閉じた戸の向こうで、二人が笑っている。戸の前を通り過ぎて、縁側へ出た。
夕の影が縁側の奥まで伸びている。ディコトマは柱にもたれて、茶を飲んでいた。
「ディコトマ様」
板に膝をついた。湯呑みから湯気が上がって、消える。啜る音がして、また湯気が上がった。
「お二人は、この幾日で見違えるほどになられましたわ。小生は……ここへ来た日と、何も変わっておりませんの」
ディコトマがこちらへ向き直った。
「テメエがウチに来て、俺の庭に立ったのは幾日だ。あいつらはその前に、ひと月ここで転がされてる」
風が縁側を渡って、湯気を流した。
「それにな、テメエの土台は来た時から出来てた。八柱将のムラサメが小せぇ頃から仕込んだ足腰だ。俺が教えることなんざ、はなから少ねぇ」
庭の土が、夕の色に沈んでいる。
「足りねぇのは場数だけよ。そいつはこの旅で、テメエにも着々と付いてる」
ディコトマは柱から背を離した。
「ですが、それでは」
膝の上の指が、袴を掴んだ。
「あいつらはすぐ頭に血が上る。テメエは冷めた目で場を見てな。四人でそれが出来るのは、テメエだけだ」
ディコトマは庭のほうを向いた。
「テメエは仕合で何を見せる」
遠くで、二人の笑い声がもう一度重なった。庭の土に、朝の足跡が残っている。
「鎮守のムラサメの娘として、護りでは誰にも後れを取る事は出来ませんもの」
「天晴れ、その意気や良し。それでこそムラサメの娘」
ディコトマが湯呑みを持ち上げて、飲んだ。
「そう、ですわね。焦っている暇などありませんものね」
立ち上がって一礼し、廊へ戻る。戸の向こうは静かになっていた。
# 06 仮面の運命
シューニャは夜着のまま、灯りの漏れる戸のほうへ廊を歩いていた。
首飾りの玉が、握った手の中で温い。三人の戸は暗い。
「起きてんなら入んな、嬢ちゃん」
着く前に、声が来た。
戸を開けて、敷居に腰を下ろす。ディコトマが胡座をかいていた。壁の掛けが、空いている。今はオシュトルのものだ。
「稽古のあいだ、一人だけ面白くなさそうな顔をしてやがったな」
ディコトマは空いた掛けのほうを顎で示した。
「……あの仮面を着けたオシュトルを見てると、どこかへ行っちゃう気がするの」
「気にするな。それが仮面の
「違うよ。そんなのは違う。運命は、自分で切り開くんだよ」
握った玉に、指が食い込む。ディコトマが黙った。それから、息だけで笑った。
「そうかい。だがな、切り開くってんなら、切り開くのはあいつだ。お前でも、俺でもねぇ」
ディコトマが灯りの芯を指で払って、火が一度縮んだ。
「俺はな、はなからあいつに渡すつもりだった。散る前にああして渡せたんだ。仮面の
「それ、無責任だよ」
膝を一つ、敷居から前へ進める。
「おう、無責任よ。
ディコトマが、笑いを残した顔で片手を振った。
玉を握って、壁の空いた掛けへもう一度目をやった。灯りの外は夜のままだ。
# 07 双子の報告
夜の謁見の間に、二つの黒衣が並んで立っていた。台の脇の柱に沿って、光石の白い明かりの縁に入っている。台の上の帝と、傍らの白い装束のホノカが、その二つを見下ろしていた。二つの黒衣が同時に顔を上げる。
「申せ」
「承知しました」
二つの声が揃った。
「介入」
黒衣の一方が言い、もう一方が継ぐ。
「アシワラの試練の途中で、侵入がありました。わたし達はその場で精神への攻撃を受けて気を失い、無意識の中で侵入者と接触しております。侵入者は
「
「十数年前に彼の地が裂け、埋もれていたものが持ち出されたそうです。あの娘はそこから生まれ、向こうは
報告がそこで切れた。
「
帝が二つの黒衣から傍らのホノカへ目を移した。
「我が君。オシュトルさんたちがヌエキッカの難所で討った追っ手の、残る一人は、山中で骸となって見つかりました。彼の地は、再び動いております」
「向こうは、あの
帝が台の縁に手を掛けた。
「向こうの狙いが判るまで、あの娘を渡すわけにはいかぬ。奪われれば、取り返しがつくまい」
「オシュトルさんたち三人は、いかがなさいます」
「あの者たちには、行ってもらわねばならぬ。彼の地の深部へ入れるのは、仮面を持つ者か、余の調整を受けた者のみである故にな」
帝がそこで息を継ぐ。
「仮面といえば、ライコウが先に渡すとは思わなんだ」
「では、ディコトマさんの件も」
「ディコトマは、聖誕祭の前に渡すと願い出ておった。まだ早いと思っていたが」
帝が言葉を切って、光石の明かりを見た。
「オシュトルの血筋を思えば、それも
帝が二つの黒衣のほうへ向き直った。
「まだあるな。続けよ」
「兆し」
一方が言って、もう一方が継いだ。
「目覚めるはずのなかった白き者が目覚め、刻の流れがあるべき筋から外れたと申しました。このままでは、誰も望まぬ終わりへ着くそうです」
「
「わたし達は彼らの
二つの黒衣が同時に顔を伏せた。
「眷属が、主を白き者とは呼ぶまい。おそらく、あの人形の
帝が片手を上げる。
二つの黒衣が並んで踵を返し、列柱のあいだを抜けて、大扉の外へ出ていった。台の上に帝、傍らにホノカが残る。
「目覚めるはずのなかった者が目覚め、刻の流れがあるべき筋から外れた、とは何を言うておる」
帝がそう言って、暗い列柱のほうを向いた。
「
石の床に二人の影が長く伸びている。列柱の陰で金の簪が一つ光って、滑るように遠ざかった。
# 08 朝廷より
オシュトルは木刀を下ろして、仮面の下を伝う汗を拭った。
朝の庭に、二人分の息が残っている。ミカヅチが木刀を肩に担ぐ。その仮面も汗で濡れていた。縁側ではディコトマが茶を啜り、シューニャとムネチカが並んで座っている。
門のほうから足音が来た。ンハライが駆けてきて、庭の隅に控える。
「朝廷より、大宮司ホノカ様がお越しです」
木刀を縁側に立てかけて、庭に立つ。ミカヅチも並べて置き、縁側の二人が降りてきた。
白い装束が門を入ってきた。黒衣が二つ、後ろに並んで付いてくる。黒衣の二つは門の内で止まり、白い装束だけが庭へ進んだ。
ディコトマが縁側から降りて、四人の先に立った。
「大宮司殿。庭先で失礼するが、勘弁してくれ」
「お稽古の最中に、申し訳ありません。ディコトマ様」
ホノカが四人のほうへ笑って頭を下げる。
「聖上より、お祝いの言葉を預かって参りました。二つの仮面のこと——ミカヅチさんは至宝の拝領を、オシュトルさんはディコトマ様からの継承を、それぞれお慶び申し上げます、と」
「ハッ。ありがたきお言葉」
「謹んで、お受けいたします」
「結構なこった」
ディコトマが縁側へ腰を戻した。
木立の影が、縁側まで伸びている。仮面の縁に一度だけ手をやった。
「
「無論」
「小生も、出ますわ」
「うん、出るよ」
「はい」
「ありがとうございます。聖上も、楽しみにしておられます」
庭の木立で鳥が鳴いた。
「ですが、シューニャさん。仕合がどのような結果になろうと、シューニャさんをアーヴァ=シュランへ行かせることはできません。聖上のお言葉です」
ホノカは笑ったまま、シューニャのほうへ向いている。
ミカヅチの足元で土が鳴った。
「なんで。行くかどうかは、わたしが決める」
「シューニャさんをこちらへ連れ出すために、パシュパクルさんは命を賭けました。門で
シューニャが一歩前へ出る。
オシュトルはその横に並んで、ホノカへ頭を下げた。
「父の命がけは、自分も承知しております」
言ってから、シューニャのほうへ向き直った。
「シューニャ。……ホノカ様の言われることは、筋が通っている」
「なら、俺たちが行って済ませりゃいい」
「聖上の御意でしたら、小生は従いますわ」
縁側を降りる足音が、シューニャの後ろで止まる。
「嬢ちゃん。どのみち、聖上のお許しがなけりゃ、誰も向こうへは渡れねぇんだ」
ディコトマが、その頭に手を置いた。
「そんな。でも、オシュトルが」
「シューニャさん。もしオシュトルさん達が行くことになっても、必ず無事にお返しします。心配は要りません」
ホノカがシューニャの前で膝を折った。
「それと、天覧仕合には、パシュパクルさんもお招きしています。シューニャさんの仕合を、見ていただきましょう」
「父さまが?」
シューニャがこちらを見る。頷き返すまでに間があった。
ホノカが一礼して門へ向かう。黒衣が二つ、後ろに付いて出ていく。ンハライが門まで従った。
「さて、休みは終わりだ」
ディコトマが縁側へ戻って、木刀を一本投げて寄越した。
「オシュトル、ミカヅチ。続きだ」
木刀を受けて、庭の真ん中へ戻る。ミカヅチが向かいに立った。
話12『師弟の仮面』 執筆の時系列
作業の記録。八場面=肩慣らし/父の太刀/オシュトルの仮面/豪腕のヴライ/持たざる者/仮面の運命/双子の報告/朝廷より。題は『師弟の仮面』——師から弟子へ、生きたまま渡る仮面。仮面を受けた翌朝から、ホノカが帝の決定を庭へ運んでくる朝まで。二つの仮面が二人に備わり、父の太刀が振り切れ、シューニャだけが〈仮面の運命さだめ〉の語を聞く。帝は弟が生きていると確信し、四人にはそれを渡さない。
Ⅰ 場面の層——五つの出来事から八場面へ
着けるだけ。解放はしない
仮面の運用を二段に分け、この話では誰も解放しないと決めた。運びは〈ミカヅチが先に着ける→師とオシュトルの組み稽古で太刀を振り切る→師の仮面の継承〉。皆が言葉を持つ話にした。
貸与ではなく継承。旧⑦「揃う」は没
原作は師の死後に継がれるものを、生きたまま渡す本作の分岐として差分台帳へ。七場面目の「揃う」(諸國が上ってくる拍子)は没になり、代わりに〈帝・ホノカ・双子の幕間〉と〈ホノカの来訪〉を置いた。
Ⅱ ①肩慣らし——殺陣を三度組み直す
吹き飛ばしは可。三人は最初から連携できる
担当の初案(三人が順にあしらわれる)を組み直した。槍ごと放り投げる/投槍→青い火→顔を覆う→拳で腹/呼ぶのはシューニャだけ。
Ⅲ ②父の太刀・③オシュトルの仮面・④豪腕のヴライ
打ち込めない描写を引き伸ばし、頂点を用意する
②は五度直った。「打ち込めない描写を引き伸ばし、緊張感を」→「踏み込む際の頂点を用意する」→「頂点は師の目ではなく全体を見る」→「視界が開けて気づく三人(いつの間にか正座して見守っている)=視野狭窄から」。読者二体がともに効いた場面に挙げた段は、この四度目の指示から生まれた。
来歴は〈頂の外〉で語る。伯父の名はゲンジマル
③の来歴の動機=「ミカヅチの〈頂〉に師が〈頂の外〉=来歴で応える」。「ディコトマの伯父=ゲンジマル。ヤクトワルトの剣筋=ゲンジマルから盗んだもの」。名は自然に一度だけ出す。表記は原作④の「伯父貴」。〈その物だった〉はオシュトルの口には乗せず、両手が胸の前で止まる一拍だけ。
ヴライは常時仮面を着けている
「ヴライは常時仮面を着けている。話4の御前の描写に無いのは描写不足」で改稿作業リストへ。悔しさの問いはムネチカ(原作どおり「悔しく……ありませんの?」)。
Ⅳ ⑤持たざる者・⑥仮面の運命——二つの一対一
師の指導四点
⑤の設計指示=停滞を言葉にする/入門の日数/土台は母ムラサメの仕込み/場数/冷めた目で場を見る役。「八柱将のムラサメ」と役職を付け、「鎮守」の二つ名は逐語のまま使って既刊へ置く改稿を登録。閉じは「焦っている暇などありませんものね」。「天晴れ、その意気や良し」の「!」は落とした。
「運命ってのは、非常識で理不尽で」
⑥の師の答え=矛盾の指摘と、自分が〈定め〉の外へ出た例。無責任が向く先は「俺はな、はなからあいつに渡すつもりだった」。並列は「非常識で理不尽で」。
Ⅴ ⑦双子の報告——帝の推理と「世界線」
白き者が誰かを推測するところから
流れ=何を言うておる→多層世界か→いやそれより、やはり我が弟は生きておる。「多層世界」に作中語が無く、世界線を初出は帝の口。
「申せ」の後の応答は二人の斉唱
本文第2稿へ九点——応答〈承知しました〉は二人一緒に、その後ウルゥルとサラァナが交互に/侵入者の言い方/「ヌエキッカの難所」で追っ手の補足/〈戻す、か〉の段を消す/三人/「者のみである故にな」まで言う/報告の続きがあることを示す/「兆し」の唐突さ/禍日神/「あの人形の造物主」。第6稿で承認。
校了後——ウォシスが聞いていた
名は出さず、金の簪と「滑るように」の一文で示した。同じ回に⑧へ二つ——「オシュトルは」の追記と、師の「決めるのはお前じゃねぇ」を消して「どのみち」を入れる。
Ⅵ ⑧朝廷より——敬称と、話題の転換
台本第2稿へ「聖廟より→朝廷より」「ホノカ様→大宮司殿」「ディコトマさん→ディコトマ様」。原作④でホノカは八柱将へ「様」(ディコトマ様・ライコウ様)、同輩以下に「さん」。二次資料の規則「ほぼ〜さん」は誤りだったので是正した。不服の一言は〈なんで。行くかどうかは、わたしが決める〉と一帯にし、その返答としてホノカが道理を説く。
謹んで受ける回答・逆接・師の説得の差し替え
本文第2稿へ——「さすがは聖上は不自然」で帝の言葉を謹んで受ける回答に/「それから」ではなく「ですが」の逆接/一歩出たシューニャの直後の台詞がシューニャに読める/「そんな、でもオシュトルが」「もしオシュトルさん達が行くことになっても必ず無事返します」。第3稿で承認。
Ⅶ 運用の側で起きたこと
台本⑦で三役を同時に起動してしまい、止められた。順は直列=選定役→検証役。校閲役だけが並行してよい。以後の台本⑧・本文⑧はこの順で回した。
指示は趣旨、逐語ではない
「指示は趣旨。用語は適宜修正して」を運用の裁定として記録。
校了
段4の六工程——記憶資料(分量検査=超過0件)/読者2体(原作に厚い・創作に厚い。⚠ 話11の感想ファイルが保存されていなかったので、前提は話10の§1と記憶資料で代えた)/台帳同期(開示・在席・銃・知識スコープ・群像・声と文体)/この記録/帯の再測(部位主語4.9=見本と同値・定型所作0.6=全話で最小・台詞比0.54)。題は下のⅧ。
Ⅷ 題
場面題から付ける
担当が八場面の候補を挙げた——①肩慣らし(担当案「ムネチカの拳」は採らず。話の入口の軽さを題に)/②父の太刀/③オシュトルの仮面(話11④「ミカヅチの仮面」と対になる)/④豪腕のヴライ(「天子アンジュ」の型)/⑤持たざる者(仮題のまま)/⑥仮面の運命さだめ/⑦双子の報告(担当案「兆し」は採らず)/⑧朝廷より。話の題は「師弟の仮面。