通気口の先は広間の高い壁に開いていた。ハルは口の縁に躰を伏せ、下を覗いた。
円い天井の広間だった。どこからか青い薄明かりが落ち、柱に木と
環の根元で、覆面の男が門の制御装置に手を掛けていた。白い面に頭巾、くすんだ緑の長い
少し離れて娘が一人立ち、覆面の男を見上げていた。
ハルは見たものを短い言葉に組み、符号に直してセンサーのデータと束ねた。細い回線の上へその塊を押し出す。
『門のある部屋に入った。上から見てる。さっきの二人だ。男の方は腹をやられてる。門をいじってる』
間を置いて、欠けたメッセージが返ってきた。
『……無理……する……』
『しないしない。見てるだけだ。働かずに済むなら、それが一番だからな』
下の広間で、覆面の男が短く息を吐いた。
「……これでいい」
覆面の男が制御装置から手を離した。
「後は向こうの門が開放されれば……」
環はまだ暗い。回線のざらつきはここへ来てから一段と増していた。
「父さま!」
娘が奥の暗いアーチを振り返った。ハルのセンサーも同じものを拾っていた。扉の向こうの通路に、生体の反応がいくつも湧いている。耳の奥で数が跳ねた。
LIFE SIGNS ... 7
LIFE SIGNS ... 12
LIFE SIGNS ... 19
NON-HUMAN ... 5
足音と獣の荒い息。数はまだ増えていた。
「見つかったか。あと少しだというのに……」
覆面の男は扉の方へ目をやり、それから娘に向き直った。
「シューニャ、もしもの時は……判っているな?」
「でも父さま……」
シューニャという名らしい。覆面の男は答えを待たずに門へ顔を戻した。
『追っ手らしい。扉の外に大勢。獣もいる』
送ったものが向こうへ着いたかどうか、回線は教えてくれない。少し遅れて切れ切れの返事が届いた。
『……隠れ……て……』
『言われなくても、そのつもりだよ。面倒ごとは御免だ』
環の内側に光が灯った。青白い光が縁から中へ流れ込み、見る間に環を満たしていく。縁が輝き、上の仕掛けの辺りで光の粒が散った。
「間に合ったか、門が開く。今だ、シューニャ——」
その声に轟きが重なった。奥の扉が内へ弾け、煙と破片が広間へ吹き込む。煙を割って、得物を構えた兵がなだれ込んできた。数人は毛の長い獣の背に跨っている。
兵の後ろから黒い装いの者が歩み入った。黒い鎧に、赤い羽根飾りの付いた円錐の笠。顔は面で覆われ、外套の裏が赤い。手には、菱形の節が連なってうねる長い刃を提げていた。
「はて、何処へ行こうというのだね。同志パシュパクル」
覆面の男が黒い装いの者へ向き直った。
「……マヤカゥア」
パシュパクル。マヤカゥア。互いに呼んだ名を声ごと覚え込んだ。
「
マヤカゥアはうねる刃の切っ先を床に預けたまま言った。
「それがまさか、忌まわしきネズミであったとはね。よくぞここまで騙し通せたものだ。……いや、
パシュパクルは答えない。脇腹を押さえた腕に力が籠もるのが見えた。
「だが、その罪、万死に値する」
うねる刃が持ち上がり、切っ先がパシュパクルへ向いた。
ハルは縁に伏せたまま兵の手元を見ていた。鉄を鍛えた剣。穂先の付いた槍。獣の背の鞍。どれも手持ちのデータでは、博物館の棚に並んでいる類の物だった。
いつの時代の話だと、呆れが先に立った。
短い言葉をもう一度だけ組んで送った。
『剣と槍だ。獣に乗った兵もいる。黒いのが親玉らしい。男の方が裏切り者だと言われてる』
返事は来なかった。回線は細いままざらついている。
パシュパクルがシューニャの手に腕輪を押し込んだ。
「これを持って先に行け。なぁに、すぐに追い付く」
「でも!」
シューニャは腕輪を握ったまま足を動かさなかった。
「振り返るな、行け」
押す声は穏やかだった。脇腹を押さえた手の下から、また黒いものが滲む。
マヤカゥアがゆるりと片手を上げた。兵たちが得物を構え直す。マヤカゥアの面はシューニャの方を向いていた。
「どこへ行こうと同じことだ、ラーヴェンダーナ」
その呼びが耳に引っかかった。父がさっき呼んだ名とは違う。
シューニャがマヤカゥアへ目を向けた。呼ばれた語よりも、呼んだ者の方を見ている。
上げた手が振り下ろされかけた。
やり過ごすつもりだった。それも、ここまでだ。
ハルは縁を蹴った。
小さな躰が宙で一度回り、パシュパクルと兵たちの間に落ちた。埃が丸く舞う。
「ちょっと待ったぁ!」
兵の足が揃って止まった。
「な、何だこいつは」
「人形が……喋った?」
「寄ってたかって手負いと子供を追い回すたぁ、感心しないね」
短い腕を腰に当て、胸を張った。
「Hは働きたくない、Aはあなたに代わってお仕事こなす、Lはラブリーチャーミーな、Uはユニット。人呼んで、
広間が静まり返った。兵の一人が槍の穂先をおずおずとハルへ向ける。隣の兵は獣の手綱を握ったまま口を開けていた。喋る人形など見たことも無いらしい。
「……ほう」
マヤカゥアだけが面の奥で小さく声を洩らした。上げた手は下りてこない。その面はこちらへ向いたまま動かなかった。値踏みされている、と感じた。
「さて。可愛いだけじゃないってところを見せてやるか」
眠らせていた仕組みを呼び起こす。耳の奥に行が走る。
COMBAT SYSTEM ... STANDBY
COMBAT SYSTEM ... ENGAGED
FRAME EXPANSION ... START
ARMOR ... DEPLOYED
小さな躰が内から開き、鋼の板が幾重にも組み上がっていく。瞬きほどの間に、ひと回りもふた回りも大きな鋼鉄の躰がそこに立っていた。戦闘モードである。
呆けていた兵の胸を鋼の拳が突いた。兵は後ろの二人を巻き込んで床を転がり、瓦礫にぶつかって止まる。呻き声が上がった。生きている。次の一人は槍ごと払い飛ばした。
「悪いな。手加減はしてやるから大人しく寝てな」
振り返らずに、背中のパシュパクルへ言った。
「ここは任せろ!」
兵たちが我に返った。獣に跨った一人が、槍を低く構えて突っ込んでくる。ハルは穂先を掌で逸らし、すれ違いざまに腕を掴んで鞍から引き剥がした。投げた先で兵が二人まとめて転がる。左右から来た剣は腕の装甲で一度ずつ受けて弾き返した。刃の筋はどれも遅い。
背中の側では、センサーがパシュパクルの面を捉えていた。面はハルの動きを追って向きを変えている。
「……何者かは知らぬが」
「知らなくていいさ。早く行きな」
「貴殿に、背を預ける」
短くそう言うと、パシュパクルはシューニャの手を取った。
「行くぞ」
手を引かれて、シューニャの足がようやく動いた。門へ向かう途中で一度だけ振り返る。大きな目が
二人が光の環の前に立った。ハルは兵を一人突き放し、その背へ声を張った。
「頼みがある! 俺の造物主様が閉じ込められてるんだ。助けてやってくれ!」
どこに、とは続けられなかった。回線の先の機械がどこにあるのか、ハル自身が読めていない。
パシュパクルが肩越しに一度だけ頷いたように見えた。面を着けたままの背中が光の中へ沈んでいく。シューニャの手の中で腕輪が光を弾いた。二人の姿はそれきり見えなくなった。
環の光はまだ消えていなかった。ハルは言い終えてからそれに気づいた。マヤカゥアはさっきの場所から一歩も動いていない。二人が消えた光を面の奥から見送っていた。兵に下知も出さない。それから、ゆっくりとハルへ向き直った。
「さて」
うねる刃がふっと消えた。
次の瞬間、ハルの肩口で火花が散った。鋼の裂ける音が遅れて耳に届く。
何が起きたのか、分からなかった。
センサーは刃が動き出したところしか拾えていなかった。気づいた時には装甲に細い筋が一本刻まれている。目を覚ましてから、躰に傷がついたのは初めてだった。
「今のを受けて、まだ形を保つか」
「おかげさまでね。……いや、ちっともおかげさまじゃないな」
躰の内で残量の表示が動いた。
ENERGY 58% ██████████
「
問いと一緒に刃が来る。右。左。下から。腕を上げ躰をひねっても、そのどれもを紙一重でしか外せなかった。センサーが刃の筋を描き終えるより先に、刃の方が次の筋へ移っている。兵たちの剣とはまるで別物だった。
「さっき名乗ったろ? ハル様だよ。耳が遠いのか?」
「名なら聞いた。問うているのは中身だ」
「中身ねえ。愛嬌と夢が詰まってるよ」
「戯れ言を。割って入った訳は」
「通りすがりの親切だ。そっちこそ寄ってたかって——っと! 危ないな、お手柔らかに頼むぜ」
刃が言葉の途中を削いでいった。装甲の筋がまた一本増える。
ENERGY 44% ██████████
躰を鋼に保つだけで光子ダイナモが削れていく。
まずい。まるで相手の底が見えない。
マヤカゥアが刃を返して構え直した。
「口の減らぬ物だ」
「口が減ったら、俺じゃなくなるんでね」
受けるたびに、ハルの足は半歩ずつ退いた。退いた先でまた刃を受ける。気づけば、光の環が背中から横へ移っていた。環と自分の間がいつの間にか空いている。
「逃がさぬよ。追え」
「ハッ!」
マヤカゥアの声に応えて、兵たちの中から四人がハルの脇をすり抜けた。環へ駆けていく。
「おい、待て——」
手を伸ばしかけたところへ刃が割り込んだ。受け止めた腕の装甲にまた筋が走る。四人の背が光の中へ消えた。
ENERGY 17% ██████████
環はまだ開いている。後ろにはまだ兵が残っていた。
ハルは刃を受けた腕を振り払い、マヤカゥアではなく環へ跳んだ。根元の仕掛けの詰まった機関のところへ、残った光子ダイナモを一撃に注ぎ込む。
「持ってけ、全部だ!」
拳が機関を貫いた。
環の光が一度大きく膨らみ、ひと息に消えた。重い物が軋み、砕けた部品が壇の上に散らばる。天井から埃が細く落ちてきたが、それきりだった。広間は崩れない。
「へへ……これで後から追い掛ける奴は出ない、っと」
鋼の躰がほどけ、元の小さな躰が床に落ちた。起き上がろうと手足に命じる。
ENERGY 3% ██████████
LOW POWER MODE ... ON
MOTOR FUNCTION ... HALT
残りの僅かは躰の方が手放さなかった。
「働きすぎた。しばらく動けねぇ……」
回線を探った。
LINK ... NOT FOUND
TRANSMITTER ... OK
DESTINATION ... NONE
門の先に造物主様へ続く道があったのかどうか。もう確かめようがない。
足音が近づいてくる。マヤカゥアの面がハルを見下ろした。
「喋り、姿を変えて門をも砕く……」
うねる刃の先がハルの胸の辺りを軽く叩いた。
「今の世の者の手になる物ではないな。閉じ込められた主がいる、とも言っていたか」
兵の一人が得物を振り上げかけた。
「壊してはならぬ」
マヤカゥアの声は静かだった。兵の手が止まる。
「これは教皇様の手元に置く。丁重に運べ」
持ち上げられる感触があった。視界が傾き、青い薄明かりが遠ざかっていく。
端末の画面の上で、細く続いていた回線がふっと消えた。
LINK LOST
男は一呼吸待った。切れ切れの回線なら、これまでにも何度か途切れては戻ってきた。今度は戻る気配が無い。
「……おい、ハル。聞こえてるなら返事しろ」
呼び出しの印を叩いても、画面は同じ行を返すだけだった。
門のシステムへ潜り直した。ハルのいる施設の最下層の門。さっきまで回線を乗せていたその門を呼んだ。門さえ応えれば、築き直す道はあるはずだった。
> call gate GU-207
GATE GU-207 ... LISTED
GATE GU-207 ... NO RESPONSE
> _
所在は読める。応えだけが無かった。
「おいおい。さっきまで元気だったろうが」
回線を築き直す手順を走らせながら、途切れるまでに届いたデータを並べていった。
> relay rebuild --dest halu
RELAY REBUILD ... FAILED
> log --received halu
TEXT ... 21
SENSOR ... 64
VOICE ... 9
PASSAGE ... LOSS 0%
LIFT ... LOSS 51%
GATE ROOM ... LOSS 58%
LAST 40s ... LOSS 86%
> _
通路からはセンサーのデータもメッセージも揃って届いている。門のある部屋の前では、中に重傷の者と子供が一人ずついると送ってきた。隠れて入ってからは短いメッセージが数本。剣と槍。獣に乗った兵。裏切り者。そこから先は欠けの方が多かった。
音声のデータも混じっている。変換にかけて端末に鳴らさせた。
> convert voice --all
CONVERTING ... 9 FILES
INTELLIGIBLE ... LOW
> _
ざらついた雑音の中から、硬い物の打ち合う音が立ち上がった。金属だ。叫び声。獣の吠える声。何かが爆ぜる音。人の言葉らしいものも混じっているが、切れ切れで意味の取れるところまで繋がらない。
センサーのデータを時の順に重ねた。門が開く前から、回線が消えるまで。
LIFE SIGNS ... 2 -> 26
NON-HUMAN ... 5
HALU OUTPUT ... 12 -> 88 -> 41 -> 76 -> 30 -> 100
LINK ... LOST
「重傷の男と子供と、その追っ手か。……金属の武器で殴り合ってる……のか」
門を動かせる者がいる場で、金属の武器を振るっていた。獣に乗って槍を構えて。
「剣に槍に獣か。……勘弁してくれ」
男は画面から目を離した。外の世界は、ずっと昔の時代まで戻ってしまったのではないか。そう考えると腹の底が冷えた。
それに、ハルだ。最後の迸りはどう見ても無茶をした跡である。
「……壊れてなきゃいいが」
口にしてから小さく首を振った。象が踏んでも壊れないように組んだのは自分だ。あれがそう簡単に壊れるはずがない。
外のこと。ハルのこと。考えることが画面の行より多く並んでいた。
「……考えるのはよそう」
声に出すと少しだけ軽くなった。その軽くなったところへ腹の虫が鳴いた。
「……腹減ったな。そういや起きてから何も食ってない」
見回しても、部屋にはポッドと端末しか無かった。食べ物も水も無い。
気を取り直して近くの門を当たった。門のシステムの中で所在の近い順に並べ、ハルの識別コードを載せて一つずつ呼んでいく。別の門へ抜けていれば、あいつの信号がどこかで引っかかるだろうと思った。
「おーい。誰かいないのか。いないよな」
端末の画面に短い行が返る。
> call --near halu
GATE KV-004 ... NO RESPONSE
GATE TA-019 ... ACTIVE ... HALU NOT FOUND
GATE MO-026 ... NO RESPONSE
GATE RJ-031 ... ACTIVE ... HALU NOT FOUND
> _
門を替えて呼び続けた。十を超えたあたりで男は手を止めた。
「今日のところは店じまいだ」
さて、これからどうするか。扉は開かない。外へは出られない。ハルとは繋がらない。腹は減る。並べてみると、ろくな手札が無かった。
ふと、あの明るい声を思い出した。当施設は地上にある限り半永久的にエネルギーを産出可能です、と声は言っていた。生命維持モードは新たな問題が発生しない限り恒常的に維持される、とも。どうぞご安心ください、とまで言っていた。
ネットワークの中から、眠っていた間のポッドの稼働の記録を開いた。
> log --pod
POD STATUS ... RUNNING
INTERRUPTION ... 0
DURATION ... NO DATE
> _
どれだけの間かは、どこにも書かれていなかった。
「こいつは、ずっと働きっぱなしだったわけか。自分と違って」
生命維持の項も開いた。食べ物が無いなら、せめて水の在り処くらいは知っておきたかった。読み進めるうちに指が止まった。
LIFE SUPPORT: SLEEP MODE
NUTRITION ... AUTO
WATER ... AUTO
「……寝てるだけで、食える」
声に出して、もう一度読み返した。書いてあることは変わらなかった。
「働かざる者食うべからずってのは、ここじゃ通らないらしいな」
肩の力がすとんと抜けた。
男はポッドのタイマーを開き、長さを決めて入れた。
「……まあ、このくらいか。寝過ごしたら、その時はその時だ」
それから門のシステムに監視を一つ置いた。ハルの識別コードが門の方から来たら、覚醒処理を起こす。どの門を通ってでもいい。あいつの信号が来たら起きる。画面に二つの行が並んだ。
TIMER: SET
WATCH: ACTIVE
念のために二つの行をもう一度確かめた。
「もっかいチェック……ヨシッ」
言ってから苦笑した。
「起こしに来いよ。今度は、そっちの番だ」
届く先の無い言葉を画面に向けて言い、男はポッドの縁をまたいだ。中に躰を横たえると、背に当たる寝台は目覚めた時と同じ冷たさだった。
蓋が継ぎ目から降りてきて、音も無く閉じる。白い冷気が足の先から満ちてきた。息が白くなり、瞼が重くなっていく。
ほんの一眠りだ、と兄は言った。今度の眠りは自分で決めた。
男は目を閉じた。