白春の目覚め   作:ライム酒

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05-07 鴉の言伝

 

 夜のうちに熱が下がった。

 

 額に載せた布がもう温まらない。ネコネは布を桶に浸して絞り、額へ戻した。指先に触れる肌は昨夜ほど熱くない。水を替えに立って戻ると、父が目を開けていた。

 

 母が粥を匙に掬い、口元へ運ぶ。父は三口だけ啜って首を横に振った。起き上がろうとして肘が崩れる。母が背に手を添え、そっと寝かせ直した。

 

「まだ起きてはいけません」

 

 床の脇で布団の塊が動いた。昨夜、母が娘の肩へ掛けてやったものである。娘は炉の脇で丸くなったまま眠っていた。白銀の三つ編みが布団の端からこぼれている。

 

 娘は身を起こし、目を開けた父を見た。手が床の縁へ伸びる。父の袖に届く前に止まり、布団の中へ戻った。

 

 ネコネは匙を洗う手を止めた。誰なのか。兄とどこで会ったのか。なぜ父と一緒に来たのか。兄は昨夜「後だ」とだけ言った。訊きたいことは喉の奥に溜まっていて、どれも出ていかない。

 

「トリコリ」

 

 父の声は掠れていた。母が顔を寄せる。父は母を見て、それから家の中の顔を一つずつ見た。兄とネコネと、それから娘を。

 

「皆、聞いてくれ。……シューニャは、私の娘だ」

 

 家の中が静まった。竈の火が小さく爆ぜる。

 

 兄を見上げた。兄は父を見たまま動かない。息を止めているように見えた。

 

「娘……?」

 

 声に出してから、ネコネは指を折りかけた。父が家を出たのは自分がまだ乳飲み子の頃だと聞いている。シューニャはどう見ても自分より年が上である。どこから数えても合わない。

 

 父は口を閉じ、母の方を見ている。どこで生まれ、どこで育った子なのか。

 

 母は父の顔を見て、シューニャを見た。目が二人の間を二度行き来する。それからふっと笑った。

 

「ふふ。仕草がそっくりだもの」

「は、母上?」

 

 兄の声が裏返っていた。母はそれには答えず、シューニャへ手招きをする。

 

「シューニャ、朝ご飯を運ぶのを手伝ってちょうだい」

 

 シューニャが顔を上げた。父を見る。父が小さく頷いた。

 

「……うんっ」

 

 シューニャは布団を畳むのもそこそこに立ち、母の脇へ行った。椀を受け取る手つきに迷いが無い。ネコネが瞬きをする間に床の脇は空いていた。

 

「御前の調べが残っている。行ってくる」

 

 兄は聞き込みに出ていった。戸を閉める前に一度だけ振り返る。母とシューニャを見る顔がまだ少し呆けていた。

 

 膳を並べ終えると、ネコネはシューニャの前へ回って座った。背筋を伸ばし、膝の上で手を揃える。

 

「シューニャさん。先に言っておくのです」

 

 シューニャが匙を持ったまま顔を上げた。

 

「兄(あに)さまのことも、この家のことも、わたしの方がずっとよく知っているのです。勝手にお姉さんの顔をしないでほしいのです」

 

 シューニャは目を瞬いた。それからぱっと頬をほころばせる。

 

「オシュトルの妹ってことは、わたしの妹だね」

「……誰が妹ですか」

 

 言ったことは一つも届いていないらしい。自分の椀を膳の向こうへ押しやった。

 

 昼を過ぎて父の息が浅くなった。吸っても胸の途中で止まる。止まってから、もう一度吸い直す。母が胸に耳を当て、それから傷の布をめくって見た。

 

「傷のせいではないわね……」

 

 母は布を元に戻した。傷は昨日より乾いている。それなのに息だけが細い。

 

 シューニャは枕元を離れなかった。父の額の布を取って桶に浸している。絞りが緩く、布から滴が垂れた。

 

 汲んできた水を置くと、ネコネは横から布を取り上げた。

 

「シューニャさんは座っていてください。看病はわたしがするのです」

「わたしがやる」

 

 シューニャが布の端を掴んだ。

 

「布はもっと固く絞るのです。それでは寝床が濡れるです」

「わたしがお姉ちゃんなんだから」

「認めてないのです」

 

 布が二人の間で引っ張られ、桶の縁から水がこぼれた。

 

「あらあら」

 

 母の声にネコネは布から手を離した。シューニャも離していた。布は桶の縁に掛かったまま、しばらくどちらのものでもなかった。

 

 ネコネは奥へ行き、書物を何冊も抱えてくる。息の浅くなる病の頁を探し、行を指でなぞる。胸を患う者のこと。高い山で息の苦しくなる者のこと。どれも父の様子とは少しずつ違う。

 

「物知りだね」

 

 覗き込んだシューニャが感心しきった顔をしている。からかう色はどこにも無い。ネコネは頁に目を据えたまま訊いた。

 

「……どうして、そんなにお姉ちゃんになりたがるのです」

「父さまがね、言ってたの。虹の向こうに、兄妹がいるって」

 

 シューニャは床の父を見た。

 

「ずっと、会いたかったんだ」

 

 返す言葉を探して、見つけられなかった。指が行の上を同じところばかり行き来した。

 

 父が眠ったのは日の傾く頃である。ネコネとシューニャは井戸端に並んで桶を洗った。シューニャは鼻歌を歌っている。調子の外れた、聞いたことのない節だった。

 

 桶の底のぬめりはこすってもなかなか落ちない。ネコネは手を動かしながら小さく言った。

 

「……お姉ちゃんかどうかはともかく、認めてあげてもいいのです」

 

 鼻歌が止まった。シューニャがこちらを向く気配がする。ネコネは桶から顔を上げなかった。

 

「え? いまなんて?」

 

 ネコネは二度は言わなかった。

 

おしゅとる

 

 牧所の柵は破れたままだった。板の割れ目は外から内へ押し込まれている。地面には鳥の羽がまだ散らばっていた。

 

「あん時はオルケの仕業だって言っちまったがね」

 

 飼い手は破れ目の板を撫でた。

 

「ほんとは見てたんだ。柵の外に影がいた。オルケにしちゃ、でかすぎる影だったよ」

 

 オシュトルは板に残る爪の痕へ掌を当てた。指を開いても痕の幅の方が広い。オルケの爪なら指の間に収まる。

 

 飼い手に礼を言い、山裾の家々を回った。三軒目で薪を割っていた年寄りが斧を下ろした。

 

「見かけん者が山におりますよ。赤い羽根飾りの兜で、四、五人。一人はでかい獣に跨っとりました」

「どんな様子だった」

「動きが鈍うございましたな。病みでもしとるような」

 

 年寄りは咳を真似てみせた。赤い羽根飾りの兜。この里の者でも、ヤマトの兵の装いでもない。

 

「爺ちゃん、沢のあれ」

 

 年寄りの孫が袖を引いた。孫の案内で沢筋へ下りる。水音の手前、岩の間に獣が倒れていた。

 

 骸である。毛は硬く逆立ち、爪は鎌のように曲がっている。背に鞍が載り、首から千切れた手綱が垂れていた。鞍の革の鞣し方はこの辺りのものと違う。

 

 オシュトルは屈み、前足の爪の幅を掌で測った。柵の板に残った痕と同じである。牧所を荒らしたのはこの獣で、乗ってきたのは父とシューニャを追ってきた者たちだ。

 

 オシュトルは骸から目を上げた。孫が岩の陰からこわごわと覗いている。

 

「このことは御前に申し上げておく。お前たちは近づくな」

 

 孫は頷いた。父のことは誰にも訊かれなかった。

 

 翌朝、年寄りが里の家まで来た。

 

「あの者ら、尾根を回って東の谷へ下りましたよ。谷を渡っていくのを、うちの倅が見ております」

 

 オシュトルは礼を述べ、東の空を見た。谷の向こうは関の方角である。朝の光の中で尾根の線ははっきりと見えた。追う気は起きなかった。

 

 山はもう空いた。

 

はしゅはくる

 

「追っ手は東の谷を渡ったそうです」

 

 オシュトルの報せにパシュパクルは東の窓へ目をやった。

 

 窓の外には朝の尾根が連なっている。しばらくそのまま動かずにいて、やがて目を戻した。

 

「タバリ山の窟の奥に、行けば息のつける所がある」

 

 オシュトルの顔が動いた。

 

「……昔、一度だけ連れて行ってもらった所ですか」

「そうだ」

 

 トリコリは止めなかった。少し間を置いてから静かに言った。

 

「私は山道を行けません。運ぶのは、ネコネとキウルさんにお願いしましょう」

 

 呼ばれてきたキウルは床の上のパシュパクルを見て立ち尽くした。口が開いたまま閉じない。

 

「親父だ。他言はするな」

「……はい」

 

 キウルはオシュトルの言葉に頷き、それきり床から目を逸らした。

 

 オシュトルが背を貸し、パシュパクルを負った。シューニャが朱色の槍を手に先を行く。ネコネとキウルが寝具と食べ物を背に括りつけて続いた。パシュパクルの太刀はキウルが胸に抱えている。振り返ると、トリコリが戸口に立って見送っていた。

 

 ネコネは一度もこちらを見ない。曲がり角に来るたびに足を緩め、岩の形を目で拾っているらしかった。

 

 山道は険しい。根が段を作り、崩れた石が足を取る。オシュトルは何度も足を止め、パシュパクルを岩に下ろして息を整えた。下ろされるたびにパシュパクルの胸は途中で詰まる。吸い込む空が薄い。里を出てから、それが一息ごとに増していく。

 

 封じられた表の入口とは尾根を一つ隔てている。岩の割れ目に草が被さっていた。くぐると坑道が延びている。壁一面に掘り残しの光石(ひかりいし)が細かく光り、足もとには板が渡してあった。

 

 道は幾度も枝に分かれている。分かれ目に来るたび、パシュパクルは息子の肩越しに顎で行く方を示した。考えるまでもなく、躰が道を覚えていた。

 

 坑道の口が白んで、外へ出た。日の差す谷が足もとで深く切れ落ちている。丸太を縄で束ねた橋が、向こうの台まで架かっていた。オシュトルは一歩ずつ確かめて渡った。丸太が足の下で鈍く鳴る。

 

 台の木の門をくぐると、円い広間に出た。土の壁を太い柱と梁が囲み、正面に石垣が高く積まれている。石垣の上に、小さな社の屋根が二つ覗いていた。その足もとに円い泉が水を湛えている。水の匂いが冷たい。

 

 泉の際に石の台が一つ立っていた。上に拳ほどの窪みが二つ穿たれている。

 

「シューニャ。そこの光石を窪みへ」

 

 パシュパクルは懐を探り、石を一つ取り出した。掌の上で石の奥に七つの色が揺れる。七彩石(しちさいせき)である。それももう一つの窪みへ置かせた。二つが並び、白い光が滲んだ。

 

「手を、前へ」

 

 シューニャが右腕を差し出す。袖がまくれ、手首の腕輪に光が当たった。割れた光が色を帯びて泉の上へ流れ、宙で留まった。初めからそこに架かっている透き通った板の橋に、七つの色が射したのである。色に縁取られた板と手すりが弧を描き、泉の縁から石垣の上へ登っている。

 

 オシュトルの背が強張った。息を止めたのが、負われている胸に伝わる。

 

「……思い違いじゃなかったんだな。本当に虹の橋を渡ったんだ」

「わっ、わっ、わっ」

 

 シューニャが槍を抱えたまま橋の袂へ駆け寄った。

 

「父さまのお話の、虹の橋だ!」

 

 パシュパクルは笑おうとして、息が途中で詰まった。吸い直してから言った。

 

「ふふ……そうだろう。苦労したんだぞ」

 

 オシュトルの肩が小さく揺れた。

 

「色のあるうちに、縄を手すりの高さに張れ」

 

 シューニャが先に登る。オシュトルがパシュパクルを負ったまま続いた。足の下で色が揺れても、踏む板は硬い。キウルが袂の灯籠の脚に縄を結び、手すりに沿わせて延べながら登ってくる。オシュトルが上の石灯籠に結び留めた。最後にネコネが縄を掴み、目を前に据えて登り切った。

 

 石垣の上は石畳で、両脇に石灯籠が立っていた。壁の口から水が細く落ちている。正面の木の門の奥に扉があった。

 

 扉を抜けると、見たことのない草の茂る箱庭が開けた。板張りの壁が高く、格子に組んだ天井から籠の灯が下がっている。壁の口から落ちる水が、一段高い植え床へ注いでいた。黄の花が咲いている。湿った土の匂いがした。

 

「幼い頃は、こんな草は無かったような……」

 

 オシュトルが辺りを見回した。鉢を並べた棚の一つで、小さなものが緑に光っている。息子の肩越しに覗くと、植え床の草は前に来た時より背を伸ばしていた。

 

 箱庭の際に下ろされて、パシュパクルは息を吸った。

 

 胸の途中で止まらない。吸って、吐いた。もう一度吸っても、止まらない。手をついて上体を起こし、背を板壁へ預けて座った。

 

 日の傾く前に、ネコネが立ち上がった。

 

「日のあるうちに里へ戻るのです」

 

 キウルも慌てて荷を纏める。シューニャが二人を送って扉を出ていった。三つの背が扉の向こうへ消えていく。

 

 やがてシューニャが槍を脇に抱えて戻ってきた。扉の隙間に差していた色は、いつの間にか消えていた。

 

おしゅとる

 

 その夜シューニャが棚の鉢を覗き込んだ。鉢の土から尖った結晶のようなものが一枚立ち、蛍のように緑に光っている。根もとから黒い蔓が輪を描いて伸び、蔓の筋を青緑の光が流れていた。

 

「これ……すごくちっちゃいけど生命樹(アクシャナ)だ」

「私が移植した。……いずれ枯れるであろうな」

 

 父はオシュトルとシューニャを前に座らせた。背を壁に預けたまま、二人の顔を順に見る。家にいた時より顔の色が戻っていた。

 

「私は聖上直属の隠密、鴉(カラス)として禁忌(きんき)の地アーヴァ=シュランへ渡った」

 

 オシュトルは息を呑んだ。聖上。隠密。どれも自分の知る父の姿には繋がらない。役目の最中に死んだと聞かされて育った。その役目が何なのか、誰も教えてはくれなかった。

 

 シューニャは膝の上で手を重ね、黙って聞いている。

 

「任の中身は言えぬ。だが、聖上に伝えねばならぬことがある」

 

 父は一度目を閉じ、開けた。

 

「門(ゲート)の場に、人形のような者が現れた。ハルと名乗った。姿を変えて戦い、私たちを逃がした。くぐる間際に、こう言った。造物主様(マスター)が閉じ込められている、助けてくれ、と」

 

 オシュトルは口の中で同じ言葉をなぞった。人形のような者。ハル。造物主様。閉じ込められている。

 

「これを聖上へ。それと、もう一つ」

 

 父の声が低くなる。

 

「渡った後、台の光が途絶えた。断ち切られたようにな。向こうの門が壊されたのかもしれぬ」

「ハルという者は……」

「判らぬ。あれが何であったのかも、今どうしているのかも」

 

 そう答える父の声に迷いは無かった。父はシューニャの右の手首へ目をやった。

 

「シューニャ。その腕輪は鴉印だ。聖上から賜った物である。聖上へ渡せ」

「……うん」

「道中は外すな」

 

 シューニャは頷き、腕輪を通した手首をもう一方の手で包んだ。

 

「上る前に、御前に伝えよ。鴉が来た、と。それで通じる」

 

 父はそこで言葉を切り、少し間を置いた。

 

「東の道は、気をつけて行け」

 

 オシュトルは訳を訊かずに頷いた。

 

 夜明けにシューニャが父の手首を握った。

 

「すぐ戻る」

「待っているとも」

 

 オシュトルが外套を整えて立つと、父が壁際を顎で示した。キウルが抱えてきた太刀が鞘のまま立て掛けてある。

 

 オシュトルは柄を握り、腰を落として抜いた。構える。切っ先を上げて戻すところで、一拍遅れた。もう一度やって、同じところで遅れる。自分の刀よりわずかに先が重い。

 

「……重いか」

「いえ」

「ならば良い」

 

 父はそれきり太刀のことは何も言わなかった。

 

 

 山を下りたその足で、オシュトルはシューニャを連れてイラワジの屋敷へ上がった。

 

 謁見の大広間には高い窓から昼の光が落ちている。段の下に膝を折ると、板の冷たさが膝頭に通った。オシュトルはまず調べの結果を述べた。

 

「牧所を荒らしたのは、山に潜んでいた見知らぬ者の連れた獣でした。獣は沢で死んでおります。その者らは東の谷を渡り、去りました」

「ふうむ。オルケの仕業ではなかったのか……」

 

 イラワジは顎鬚を撫でた。オシュトルは床に手をついたまま続けた。

 

「もう一つ、申し上げねばならぬことがございます。……父が、生きておりました」

 

 イラワジの手が止まった。顎鬚を摘まんだまま、しばらく黙っている。

 

「すまぬがにわかには信じられぬ話である」

「父から言伝がございます。鴉が来た、と伝えよと」

 

 イラワジの顔が改まった。目の色が領主のそれに変わる。

 

「御前。鴉とは、何なのですか」

「……儂(ワシ)から語れることは多くない」

 

 イラワジは膝の上で指を組んだ。

 

「鴉は、勅命の権限を持つ。それだけ覚えておけばよい」

 

 組んだ指の形で、それ以上を語る気が無いと判った。オシュトルは問いを重ねず、父の居所も口にしなかった。

 

「オシュトル。長い旅路になるのだな?」

「……はい」

「そうか、ならば何も言うまい」

 

 イラワジは脇の箱から紙を抜き、印を押した。控えの者がそれを段の下へ置く。

 

「通行手形じゃ。エンナカムイからの使いとして書いておいた。関はこれで通れる」

「かたじけのうございます」

 

 シューニャが手形を覗き込み、顔を上げた。

 

「おじいちゃん、ありがとう」

「こら、シューニャ」

「ほっほっほ、構わぬよ」

 

 イラワジは目を細めた。オシュトルは手形を懐に収めた。紙の角が胸に当たる。

 

 

 翌朝、家の前でキウルが剣を振っていた。掛け声ばかりが威勢よく響く。腰が入っておらず、剣先が揺れている。オシュトルは黙ってしばらく眺めた。筋が悪いわけではない。振るたびに、相手のいない宙へ遠慮している。刃を向け合う場に立たせるには、気の優しすぎる性分だ。

 

「兄上……ボク、剣士には向いていないんでしょうか」

「いや、そうは言っていない。ただ、ヒトには適材適所というものがある」

 

 オシュトルは少し考えた。

 

「何も刀ばかりが武人(もののふ)の得物じゃない。弓なんかどうだ?」

「弓……ですか……」

「弓は大切だと思うのです。狩りでは重宝されるし、弓兵衆(ペリエライ)も戦術の要と言うです」

 

 戸口から出てきたネコネが口を挟んだ。キウルの顔がぱっと明るくなる。

 

「ネコネさんがカッコいいって言うなら、ボク、弓を始めてみようかな……」

「別にカッコいいとは言ってないです」

「あうぅ……」

 

 キウルがしょげた顔でオシュトルを見る。

 

「格好いいかは、これから先のお前の行いが決めることだ。お前が一人前の弓取りになって、俺を助けてくれる。そんな日が来るといいな」

「は、はいぃっ」

「それとな、キウル」

 

 オシュトルは山の方へ目をやった。尾根の上に朝の雲が薄くかかっている。

 

「山道を行くネコネを守るのは、お前だ」

 

 キウルは背筋を伸ばし、大きく頷いた。

 

 オシュトルは家に入り、母の前に膝をついた。

 

「イラワジ様の使いとして、帝都へ上ります」

 

 母は仔細を問わなかった。襟を直す指が少しだけ長く留まった。

 

「躰には気をつけてね。恩あるイラワジ様の使いなのです。無事にお務めを果たすのですよ」

「はい。母上の方こそ、あまり無理はなさらぬように」

 

 ネコネが母の後ろから進み出た。

 

「兄さま、わたしも……」

「ネコネはお留守番だ。母上と、山のことを頼んだぞ」

 

 ネコネは唇を結んだ。それからシューニャの方を向く。

 

「……シューニャさん。兄さまを、お願いしますです」

「うん。まかせて」

 

 シューニャが槍の石突で地を一つ突いた。

 

 里の口で道が二つに分かれていた。オシュトルとシューニャは東へ折れた。

 

 腰の太刀が歩くたびに腿へ当たる。当たる場所がまだ落ち着かなかった。

 

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