# 01 日常と依頼
畑の畝を白いものが跳ねていった。
ダイコンだった。葉を振り乱し、二股に割れた根を器用に使って土を蹴っていく。逃げ足だけはそこらの獣より達者だ。
「待て待て、そう慌てるな」
オシュトルは畝の間へ踏み込んだ。伸ばした手をつるりと躱される。走りものは近ごろ里でもよく見るがここまで足の速いのは珍しい。
畝を一つ回り込み、行き先を読んで先へ回る。白い影が向きを変えた刹那、襟首ならぬ葉の根本を掴んだ。
「――よし、捕まえた」
葉がしばらく暴れ、やがて観念したように垂れた。掌の中で、ずしりと重い。
「何処から逃げてきたのか知らんが、丁度いい。母上への手土産にでもさせてもらうか」
泥を払っていると、畦道の向こうから声が飛んできた。
「兄さま――、兄さま――」
「ま、待ってください、ネコネさん」
妹のネコネが着物の裾を持ち上げて駆けてくる。その後ろをキウルが息を切らして追いかけていた。
「やっと見つけたのです、兄さま」
「どうした、二人揃って。そんなに急いで」
ネコネは膝に手をつき、ひとつ息を整えてから顔を上げた。
「御前が、兄さまを探しているのです。お願いしたいことがあるとのことなのです」
「御前が?」
思い当たる用向きはない。首をひねった。
「ハイです。妹として、真っ先にお報せに上がったのです」
得意げに胸を張るネコネの横で、キウルが遠慮がちに口を挟む。
「ボ、ボクも、お手伝いしようと思って……」
「そうか。わざわざすまんな、二人とも」
妹の頭を軽く撫でてやる。ネコネがう~、と満更でもない声を出す。
御前の館へは里の市場を抜けていく。
その市場が今日はどこか騒がしかった。
「ちょっとぉ、ここのところ、ずいぶんと野菜が高いじゃないのさ」
「肉もだよ。これじゃあ、ろくに選べやしない」
棚を睨む客たちに、店の主人が困り顔で頭を掻いている。
「すいませんねえ。不作ってのか、近ごろ色々あって、仕方ねえんですよ。……そうだ、陸ガニなんてどうです。安くしときますぜ」
やり取りを横目に、ネコネがちいさく頷いた。
「御前のお話は、きっとお肉やお野菜のことなのです。ははさまも困っているのです」
「……言われてみれば、母上も最近、野菜がどうとかぼやいてたな」
値の張る棚を眺めて、眉を寄せる。里の暮らしにまで響いているとなると、のんびり構えてもいられない。
御前イラワジは館の広間でオシュトルたちを待っていた。
「来てくれたか、オシュトル。態々すまぬな」
「いえ。……して、御用の向きは」
用向きを促すと、老人はひとつ息を置いた。
「うむ。其方も、近ごろ作物が高うなっておるのは存じておろう」
「はい。市場を通りかかったおりに。母も、同じようなことを零しておりました」
イラワジは白い眉の下で目を細め、ゆっくりと頷いた。
「何でも、例年になく獣がざわめいておってな。畑や牧所が荒らされ、収穫に響いておるという」
老人の声が少し低くなる。
「その影響か、時期でもないのに走り野菜まで逃げ出す始末で、捕まえるにも往生しておるとか」
「獣が……」
掌の中のダイコンをそっと脇へ置いた。
「この郷まで獣が下りてくることなど、滅多に無いのだがな。……つい先日、郷の畑や牧所に被害が出たと報せがあってな」
「もしや、それを自分に調べよと」
問い返すと、老人は白い髭を揺らして笑った。
「ほっほっほ、話がはやいのう。いやいや、問題を解決せよなどと無茶は言わぬ。原因を調べてもらいたいのだ」
一礼した。
「そういうことでしたら、承りました」
その傍らで、キウルが意を決したように前へ出た。
「ボクも、兄上を手伝います!」
「すまん、キウル」
静かに首を振った。
「これは、ただの狩りとは違う。判ってくれ」
言い淀むキウルの肩をネコネが横からつついた。
「キウルの気持ちはわかるですが、兄さまの邪魔になってしまうのです。それに、まだ宿題が終わってないのですよ」
「うぅ……そ、そうですね……」
キウルはしゅんと肩を落とした。
「判らないところは教えるですから、いっしょにお勉強がんばるです」
「は、はい!」
しょげていたはずのキウルが現金なものだ。ひとつ苦笑がこぼれた。
獣の異変。作物の高騰。里にまで下りてきた被害。
まだ形の見えない何かがこの郷のすぐそばで動き始めている。
「さて――まずは、荒らされた牧所からだな」
掌のダイコンをひょいと担ぎ直し、館をあとにした。
# 02 検分と推理
牧所はひどい有様だった。
囲いのホロロン鳥はそのほとんどが食い荒らされている。羽と血の散った地面に、飼育場の親父たちが呆然と立ち尽くしていた。
「ホント、参っちまうよ。オレ達が大事に育ててきたホロロン鳥を、おおかたやられちまった」
「きっと、野犬の仕業に違ぇねえ」
親父たちが口々に嘆く。
「今までこんな里まで下りてきたことは無かったってのに……一体、どこから入り込んできやがった」
オシュトルは柵に屈み込んだ。
太い木の柵が根本から喰い破られている。牙の痕、爪の痕。
「柵が喰い破られている……なるほど、オルケの仕業か」
言いかけて、指が止まった。
痕に手を当てる。牙の間隔も、爪の抉りの深さも、常のオルケのそれではない。ひと回り、いや、ふた回りは大きい。
「通常のオルケにしては、大きすぎないか……これは」
本来なら山の深くにいるはずの、これほどの獣が里まで下りてきている。まるで、何かに追い立てられでもしたように。——それも、つい最近になって。
ふと、留守番を任せた顔が浮かんだ。
「……キウルを連れて来なくて、正解だったな」
次は荒らされた畑だ。
「オシュトルさん、ここだ。これを見てくれ」
農家の親父が指したのは掘り返された畝と、そこにくっきり残された足跡だった。
膝をつき、覗き込む。
「この足跡……牧所のと同じか。やはり、通常のオルケより大きい」
「こりゃあ、オルケなんかなぁ? ……んでも、オルケに畑を荒らされたなんて、聞いたことねえしなぁ」
親父の言葉に、眉を寄せた。
「言われてみれば、妙だな。オルケが家畜を襲うのは判る。だが、畑を荒らしたりするか?」
獣は肉を狙う。わざわざ野菜の畝を掘り返す道理がない。
もう一度、地面をたどる。大獣の足跡に混じって――別の、小さな跡があった。
「……ヒトの、足跡?」
二股でも、四つ足でもない。まぎれもなく、人の足の形だ。
「まさか、畑荒らし……いや、しかし、このエンナカムイでか」
得心のいかぬまま、その小さな足跡を目で追った。
「なあ、この足跡は――」
言いかけた、そのときだった。
畝の陰から、聞き慣れない音がした。
モシャ、モシャ、ムグ、モグ。……ゴクン。
覗き込むと、小さな影が畝にうずくまっていた。抜いた野菜をひとつ齧っては残りを背の布包みへせっせと詰め込んでいる。
「んああ――っ、コラァ! ドロボー!」
農家の親父が叫んだ。
影がびくりと跳ね、振り向いた拍子に、抱えた包みから幾つもの野菜がこぼれ落ちる。ひとりの腹にはどう見ても多すぎる量だった。
「……ただの盗み食いじゃ、ないな」
眉がわずかに寄った。
「――待てっ」
だが、影は包みを抱え直し、身を翻して駆け出す。畝を跳び、囲いをくぐり、みるみる遠ざかっていく。
「クッ……すばしっこい」
伸ばした指は宙を掴んだだけだった。
残されたのは掘り返された畝と、大小ふたつの足跡。獣と、人。二つの異変がこの郷で重なっている。
逃げた影はまだ遠くへは行っていない。
畝を蹴り、その背を追って駆け出した。
# 03 少女と照合
裏手の茂みで、影は行き場を失った。
追い詰めてみれば、なんのことはない。まだ年若い少女だった。白銀の髪が茂みの薄暗がりにほのかに浮く。背の布包みを地に下ろし、代わりに手にしたのは朱塗りの槍。その穂先をまっすぐこちらへ向けている。
「動くな。手荒な真似をするつもりはない」
足を止め、両手を軽く開いて見せる。
「見たところ、このエンナカムイの民ではないな。……畑を荒らしたのは、お前か」
少女は答えない。大きな赤い瞳がオシュトルの顔を食い入るように見上げていた。
やがて、その唇が小さく動く。
「……とう、さま?」
「何……?」
聞き返す間もなかった。
「オシュトル……そっか、オシュトルなんだ」
名を呼ばれた。会ったこともない少女に、確信を込めて。
「待て、何故俺の名を――」
「ダメだよ」
少女はふるふると首を振った。
「キミがオシュトルだってこと、証明してもらわないとね」
言うが早いか、朱の槍が地を薙いだ。
突き出された穂先を抜き打ちに弾く。細腕から繰り出されたとは思えぬ、鋭い突きだった。
「――っ、危ないだろう。やめろ、事情を聴きたいだけだ」
だが少女は止まらない。二の突き、三の突き。どれも、遊びの範疇をとうに超えている。
受けに回りながら、舌を巻いた。
中々に手強い。見た目に惑わされるな、とは言うが――これほどの見本もそうはない。
「どうして、本気で戦おうとしないの」
突き込みながら、少女が言った。
「一つ、モノノフとは――モノノフとは真摯であるべし。相手を侮るなかれ。それ即ち傲りであり、恥ずべきことと心得よ」
その一節に、オシュトルの動きがほんの一拍だけ乱れた。
「父さまは、そう言っていた」
「……その、物言い」
聞き覚えのある教えだった。幼い頃、繰り返し叩き込まれた言葉。
「オシュトルは、違うの?」
少女の瞳がまっすぐに射抜いてくる。
「父さまの――パシュパクルのムスコじゃ、ないの?」
息が止まった。
パシュパクル。
それはこの少女が軽々しく口にしていい名ではない。ガキの頃に死んだはずの、父の名だ。何故それをこんな異郷の少女が知っている。
「……何故、その名を」
「どうして知りたいの?」
少女は穂先を引かぬまま小首を傾げた。
「父さまのムスコでないなら、知らなくてもいいことだよ」
問い返す言葉が喉の奥でつかえた。
父さま、か。それに、この物言い。
――聞きたいことがいくつも増えた。
詰めていた息を吐き出した。ならば、答えを聞き出す道はひとつ。
「ああ、いいだろう」
腰を落とし、抜いた刃を正眼に構える。
「パシュパクルが長子、オシュトル。推して参る!」
少女の顔がぱっとほころんだ。
「……あははっ。そうそう、それでこそ父さまのムスコだね」
朱の槍が嬉しそうに一度、回る。
「ならば、パシュパクルがムスメ、シューニャ。推して参るぞ」
名乗り合いが済むと、少女――シューニャの槍捌きが目に見えて鋭くなった。
手加減はもう、どちらにもない。
打ち合いのさなか、シューニャの胸元で、首飾りの青い宝石がぬめりと光を帯びた。その光に呼応して、穂先のまわりに小さな火の粒が生まれる。
「――っ、呪法使いか」
飛んできた火の玉を身を捻って躱す。避けた先へ、もう一発。少女の細腕から出る威ではない。あの首飾りが力の源らしい。
術を編むあいだ、槍の足はわずかに緩む。
踏み込んだ。火の粒が弾ける一瞬の間隙を縫って、刃の峰を槍の柄へ叩きつけ、大きく弾き上げる。
「あ――っ」
朱の槍がシューニャの手を離れて宙を舞った。
体勢を崩した少女がたまらず尻もちをつく。
「――そこまでだ」
「まだ……まだだもん! まだ負けてなんかないもん!」
尻もちをついたまま、シューニャは胸元の首飾りを両手で掲げた。
青い宝石がひときわ強く輝きを増す。集まる光はこれまでの火の粒とは桁が違った。放たれれば、ただでは済むまい。
考えるより先に、躰が動いていた。
オシュトルの刃が掲げられた宝石を下から掬うように斬り上げる。
澄んだ音を立てて、青い石が砕けた。
行き場を失った光がぱちぱちと爆ぜて、散る。
――勝負あり、だ。
シューニャは動かなかった。
両手には千切れた紐と、砕けた石のかけら。膝の上に、青い光の名残がほろほろと零れ落ちていく。
「…………た」
消え入るような呟きに、眉を寄せた。
「ん?」
「……こわれ、ちゃった」
シューニャの視線はオシュトルではなく、その掌の中に落ちていた。
「父さまが……くれた、首飾り……こわれ……ちゃったぁ……」
ぷつり、と糸が切れたように、シューニャの顔がくしゃくしゃに歪んだ。
「うぅぅぅ――」
「ま、待て、ちょっ……」
つい今しがた火の玉を放っていた少女がいまや年相応の泣き顔になっている。慌てて、砕けた石を拾い集めた。
「泣くな。そうだ、こうしてくっつければ、ほら、元通り――」
合わせた石は掌の上で、あっさりとまた二つに割れた。
「ひうぅぅぅ!」
「あああ、判った、判ったから! 俺が悪かった、頼むから泣き止んでくれ」
しばらく、必死になだめて。
やがてシューニャはぐしゅ、と洟をすすった。
「……認めて、あげる」
「あ……?」
涙の残る目で、シューニャはこくりと頷いた。
「キミは父さまの……パシュパクルの、息子だって」
「そりゃ……何よりだ」
苦笑し、それから声を落とした。
「だがな、人違いってことは、ないのか。俺の親父は、ガキの頃に死んでる」
「人違いなんて、ありえないよ」
シューニャはまだ少し洟を鳴らしながら、きっぱりと言った。
「だってオシュトル、父さまと同じ色をしてるもん。一目見て、父さまのムスコだって判った」
「色……?」
問い返すオシュトルをシューニャは見上げた。涙の跡の残る顔に、ふいに、すがるような色が差す。
「ねえ。……連れてってあげる」
「どこへ、だ」
訊くと、シューニャは短く答えた。
「父さまのところ」
眉がぴくりと動いた。
父さまのところ、と、この少女は言った。ガキの頃に喪ったはずの、父の。
「――待て。それは、どういう」
問いをシューニャはもう聞いていなかった。落とした槍を拾い、布包みを抱え直して、茂みの奥へ歩き出す。
「こっち。……はやく」
その先に何があるのか、オシュトルには判らない。
判らないまま、それでも足が勝手に動いていた。