白春の目覚め   作:ライム酒

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第三話 街道の兄弟 ♯ 01-04

# 01 道行き

 

 

 朝靄はいつしか晴れていた。

 サクゥル街道は東へ、山あいを縫ってゆるやかに下っていく。道の脇には蒲公英が点々と咲き、往来はまばらだった。薪を負った里の者と一度すれ違ったきり、あとは鳥の声ばかりが高い。

 

 歩幅をゆるめ、隣の様子を窺った。

 シューニャは足取りも軽い。道端の花に目を留め、岩の形に目を留め、頭上を横切る鳥の影を目で追う。見るものすべてが初めてらしい。

 

「ねえ、オシュトル」

 シューニャが顔を上げた。

 

「帝都って、どんなとこ?」

 

 問いの大きさに、思わず足が半歩遅れた。

 

「どんな、とはまた大雑把だな」

 

「父さまが言ってたんだ。帝都には人が星の数ほどいるって」

 誇らしげに胸を張る。

 

「家がどこまでも続いてて、市場には見たことない食べ物がいっぱいあるんだって。ね、ホントに星の数ほどいるの?」

 

「さてな。数えたことはないが——」

 言いかけて、言葉が途切れた。

 親父がそんな話をしていたのか。

 家では口数の少ない男だった。膳の前でも稽古のあとでも、要る言葉しか使わない。その父が遠い異郷の夜に、幼い娘へ都の話を語って聞かせていた。

 

「嘘じゃないぞ。父さまが言ってたもん」

 

「疑っちゃいない」

 苦笑して、前を向いた。

 

「本当だ。俺も昔、帝都に住んでいた」

 

「え……オシュトルが?」

 目を丸くして、こちらを見上げてくる。

 

「ガキの頃にな。親父が都勤めだったんだ」

 母の握った弁当を提げ、勤めに出た父を追いかけた朝があった。人の波に呑まれかけ、大きな手に襟首をつかまれた。雑踏のざわめきはいまも耳の奥に残っている。

 

「そっか。それでかぁ」

 シューニャはひとりで頷いている。

 

「父さまの都の話、すっごく細かかったんだ。道の数とか、お菓子の名前とか」

 

「菓子の名前まで、か」

 

 それきり、しばらく言葉が途切れた。

 寡黙な父の、知らない横顔がまたひとつ増えた。悪い気はしなかった。

 

 道が沢に沿って折れる。シューニャは時折、思い出したように懐の上を押さえる。布に包んだ輪は今朝からそこにある。押さえる手つきはもう習いになっていた。

 胸元では青い石のかけらが揺れている。千切れた紐を結わえ直し、砕けたままの首飾りを提げていた。はなから捨てる気は無いらしい。

 

 ふと、隣の気配が変わった。

 シューニャが立ち止まり、空の彼方を見ていた。視線の先を辿っても、流れる雲のほかに何もない。何かを数えるでも、探すでもない、遠い目だった。

 

「シューニャ?」

 

「……ん。なんでもない」

 瞬きひとつで、いつもの顔が戻ってくる。

 

「行こっ、オシュトル」

 

 日が高くなる頃、道の先の山あいに、小さく櫓の影が見えた。

 ルモイの関だ。エンナカムイを出て東、帝都へ向かう者がまず最初に通る関所だった。

 

「シューニャ、いいか」

 歩きながら声を低くした。

 

「関では俺が話す。お前はなるべく黙っていてくれ」

 

「むぅ。わかった」

 頬をふくらませ、それでも神妙に頷いてみせる。

 

 関の櫓が少しずつ大きくなる。

 

 

# 02 関と予告

 

 

 道は山あいをゆるやかに登り、やがて開けた鞍部に出た。

 木柵と櫓が道を跨いで据えられている。ルモイの関だった。古くからエンナカムイの民が守りを任されてきた、東への出口である。柵の向こうでは山肌がせり上がり、行く手に渓谷の口が暗く覗いていた。

 

 柵の脇では兵がひとり、握り飯を頬張っていた。その向こうから、よく通る声が飛んでくる。

 

「おお、オシュトル殿ではないか」

 櫓の下から隊長が出てきた。郷の寄り合いで幾度も顔を合わせた男だった。

 

「この先に行くのか、オシュトル殿。ここいらとは違い、化物もかなり凶悪だが、大丈夫か?」

 

「ご心配なく。今日は物見遊山ではないもので」

 懐から証書を出し、関宛の文を添えて差し出した。

 

「御前のお使いで、都へ上ることになった」

 

「ほう、都へ」

 隊長の顔つきが変わった。文を開き、印を検め、姿勢を正して押し頂く。

 

「……うむ、確かに御前の証書だ。エンナカムイの使者殿、とあらば手厚くお通ししよう」

 言ってから、にやりと笑う。

 

「なに、堅苦しいのはここまでだ。して——」

 その目が後ろに控えた小さな連れへ移った。

 

「その娘さんは?」

 

「亡くなった縁者の、娘でな。都の親類を頼ることになった。その、送り届ける道中だ」

 シューニャは口を結んだまま、ぺこりと頭を下げた。言い付けをよく守っている。守られると、今度はこちらの舌の据わりが悪かった。

 

「そうか、いや感心なことだ」

 隊長は深くも問わず、うんうんと頷いた。

 

「うちの若いのにも見習わせたい。まったく、すぐ気の抜けた顔をしているのでな。オシュトル殿の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいところだ」

 

 隊長は愉快そうに笑い、それからふと声を落とした。

 

「ただな、オシュトル殿。ひとつ言っておく」

 

「何か」

 声の低さに、つられて足元へ置いた荷を引き寄せた。

 

「近頃、妙な連中を見かけるという話があってな」

 物言いは軽い。だが、隊長の目は笑っていなかった。

 

「妙な、とは」

 

「見慣れぬ装束の数人連れだ。関は通っていない。崖伝いに東へ抜けるところを猟師が見たと言っていた」

 隊長は顎で東を指した。

 

「それとこの先のヌエキッカ街道は道が狭いのでな。うっかり賊や化物に遭遇すれば、逃げるのはとても難しい。気を付けてくれ」

 

「肝に銘じておこう」

 隊長は東の空へ目をやった。

 

「ここから先は長いのでな。今から入れば、抜ける前に日が暮れる。手前の沢で夜を越して、朝いちばんに抜けるのが利口だ」

 

「ありがたい。そうさせてもらう」

 

 隊長に礼を言い、開け放たれたままの関をくぐった。

 道は下りながら山あいへ吸い込まれていく。行く手の崖の口から、冷たい風が吹き上げてきた。

 

 しばらく歩いてから、シューニャが大きく息を吐いた。

 

「……ね、しゃべらなかったぞ」

 

「ああ、上出来だ」

 

 得意げな顔がすぐに前へ向く。その足取りに合わせて、胸元のかけらが小さく揺れた。

 日はわずかに傾き始めていた。隊長の言い分はもっともだった。今日の宿りは難所の手前の沢までとなる。

 

 

# 03 夜営の絆

 

 

 沢は難所の手前、道から少し外れた窪地にあった。

 水は浅く、流れの音がやわらかい。枯れ枝を集めて火を起こし、簡単な夕餉を済ませた。崖の口はここからは見えない。それでも風向きが変わるたび、冷えた岩の匂いが下りてきた。

 

 日が落ちると、山の夜は早かった。

 

「くしゅっ」

 シューニャが小さくくしゃみをして、膝を抱えた。

 

「冷えるな。もう少し火に寄れ」

 羽織を取り、細い肩に掛けてやる。シューニャは襟元を両手でつかんで、ふ、と鼻を鳴らした。

 

「……父さまと同じ匂いだ」

 袖口に鼻先を埋めている。

 

「そうか?」

 

「うん。まちがいない」

 得意げに言って、羽織の中に埋まる。

 

「なあ、シューニャ。向こうでの親父は——父さまはどんなだった」

 訊くと、シューニャは火を見たまま少し考えた。

 

「あったかかった」

 迷いのない即答だった。

 

「あったかい、か」

 

「寒い時はギュッてしてくれて、頭をナデナデしてくれて。それで、いろんなお話をしてくれた。家族のこと、オシュトルのことも」

 薪が爆ぜて、火の粉が上がった。

 

「お話をしてる時の父さま、すごく嬉しそうだった」

 

 ああ、そうだった。あの大きく無骨な手で、よく撫でてくれた。稽古では鬼のようだったくせに、撫でる時だけは加減を知らなかった。頭が揺れるほど乱暴で——それが嫌いではなかった。

 

「シューニャはどんなところで育ったんだ」

 

「んっとね、大きな木がよく見える、小さな村」

 シューニャの声が弾む。

 

「村のみんな、すごく優しかった。父さまは時々しか帰ってこなかったな。どこで何をしてるのかは教えてくれなかった。でも帰ってくる日は朝からずっと、村の入口で待ってた」

 語る口ぶりまで、どこか父に似ている。

 

「目に浮かぶな」

 

「えへへ」

 

 沢の音の合間に、火の爆ぜる音だけが続いた。

 

「ね、オシュトル」

 シューニャがこちらを向いた。火明かりが赤い瞳に揺れている。

 

「わたしたちって、きょうだいみたいだね」

 

「みたい、じゃないだろう」

 短く答えて、薪を一本くべた。

 

「同じ人に、同じ手で育てられたんだ」

 

 シューニャはしばらく黙って、それから羽織の中でもぞりと小さくなった。耳の先が火明かりでも判るほど赤い。

 

 火が落ち着くと、頭上の星が濃くなった。山あいの夜空は里で見るより底が深い。

 

「うわ、すごいぞオシュトル。星がいっぱい」

 シューニャが空を仰いだ。

 

「『星空は同じだな……』って、父さまはよく言ってた。ほんとだね」

 

「ああ」

 郷の空にも、いまごろ同じ星が出ている。臥せった父があの家の窓から、これを見上げているだろうか。

 

「父さまも、見てるかな」

 白い息と一緒に、声が空へのぼっていく。

 

「見ているだろうさ。星の話が好きな親父だからな」

 

「ふふ。そうだね」

 

 やがて、羽織にくるまった寝息が聞こえはじめた。

 火を小さくし、太刀を引き寄せる。沢の音の向こう、崖の口のある方角の闇はただ黒く静かだった。

 夜番の座を組み直し、燠の赤を見つめた。

 

 

# 04 シューニャと追手

 

 

 夜明けとともに沢を発った。

 ヌエキッカ街道は聞きしにまさる難所だった。切り立った崖の中腹を人ひとり半の幅の道が縫っていく。左は岩壁、右は底の見えない谷。風を遮るものがなく、吹き上げる風が絶えず袖を鳴らした。

 

「足元、気をつけて」

 

「シューニャこそな」

 

 半刻も行った頃だった。

 風の合間に、石を踏む音が混じった。

 振り返る。来た道の先に、影が三つ。朝日を背にこちらへ登ってくる。旅装ではない。見慣れない異国の装束が風にばたついていた。

 

 関の隊長の言葉が胸をよぎった。前へ走っても、この道では振り切れない。

 

「シューニャ、あそこまで」

 道が岩棚に広がる場所まで駆け、荷を下ろした。振り向くと、影はもう目前だった。

 

「ク……ゥ、やっと……追い詰めたぞ」

 先頭の男が言った。息が荒い。言葉の途中で、ひどく咳き込んだ。

 

「何者だ。俺たちに何の用がある」

 

「大人しく、その娘を渡せ」

 三対の目がまっすぐシューニャに注がれていた。

 シューニャが一歩下がり、懐の上を強く押さえた。それから唇を結び、朱塗りの槍を構えた。

 

「断る」

 抜刀し、シューニャの前に立った。

 

「俺から離れるな」

 

「問答無用。構わん、コイツを殺して奪うまでだ」

 

 先頭の男が斬りかかってきた。

 受けた瞬間、腕が痺れた。太刀筋が見事なのだ。基礎から鍛え抜かれた、乱れのない斬撃——だが、続かない。二の太刀が目に見えて鈍り、肩が大きく上下する。まるで病人が形だけをなぞっているようだった。

 受け流して、返す。父の太刀の返しが思うよりわずかに遅れた。切っ先は男の肩をかすめるに留まる。

 

 横合いからもう一人。

 そちらはシューニャが迎え撃った。朱の穂先が突きに突きを重ね、型のない獣の間合いで男を押し返す。追い込みに放った火の粒は唸りをあげて飛び、しかし大きく逸れて岩を焦がした。

 

「もうっ、当たらない!」

 

 乱戦になった。

 狭い岩棚で背中合わせに回る。踏み込んだシューニャの足元で、浮石が鳴った。体勢が流れる。そこへ刃が伸びた。

 

「——シューニャ!」

 割って入る。一拍、届かない。受け損ねた刃がシューニャの二の腕を裂いた。

 

「うっ」

 

 血が袖に滲む。頭の芯が冷えた。

 次の瞬間、青い光が弾けた。

 淡い光がシューニャの腕を包み、引いていく。裂けた袖は元に戻り、血の痕ひとつ残っていない。光の名残の中で、胸元の砕けた石が形を取り戻し、小さく青く灯った。

 シューニャは止まらなかった。何事もなかったように槍を旋回させ、目の前の敵を薙ぎ払う。

 

 見間違いではない。だが、考えるのは後だ。

 

 シューニャの掲げた穂先に、ふたたび火が集まる。今度の火は暴れなかった。まっすぐに飛んで、先頭の男を呑んだ。

 残るひとりへは遅れの分だけ深く踏み込んだ。刃が今度は届いた。

 最後の一人は刃を交えることさえなかった。二歩、三歩とよろめき、激しく咳き込んで崖際に崩れ落ちた。そのまま、動かなくなった。

 

 岩棚に風の音だけが戻ってきた。

 

「オシュトル、怪我してない?」

 振り向いたシューニャはいつもの顔だった。裂かれたはずの袖が朝日の中で白い。

 

「……ああ。俺は何ともない」

 鞘に刃を納める。その手が少しだけ遅れた。

 谷を吹き上げる風が火の匂いを流していった。

 

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