# 01 入城
丘を下るほどに、道は人で埋まっていった。
荷車の列。旅装の一団。天秤棒の物売り。誰もが同じ方角へ流れていく。行き着く先には、都の外壁が横たわっていた。
近づくほどに壁は高くなった。エンナカムイの櫓を三つ重ねても、上の端には届くまい。
「おっきい……」
シューニャの声はそれきり途切れた。言葉が大きさに追いつかないらしい。
正面の門は壁よりもなお立派だった。
隅々まで磨き込まれ、飾り彫りが鈍い光を放っている。金銀をちりばめた派手さはどこにもない。ただ、重い。國の顔とはこういうものかと、見上げたまま足が止まった。
門の両脇には、見上げるほどの巨人の像が立っていた。人ならぬ姿の巨躯が門を守るように、都の外を睨んでいる。
「ね、オシュトル。あれ、なに?」
「門の守り神だと聞いた。この門はな、帝が一夜にして築かれたと言われている」
シューニャが目をまるくして、像と門を見比べる。
「一晩で? この、おっきいのを?」
「昔語りだ。ガキの頃、近所の年寄りによく聞かされた」
もっとも、と付け足す。
「都でこの話を疑う者には、会ったことがないな」
「ふうん」
シューニャは巨人像をもう一度見上げ、それから小さく身ぶるいした。
「みかどって、すごいんだね」
行列は門前で止まらなかった。開け放たれた門へ、人も荷車もそのまま吸い込まれていく。誰も検めを受けない。
「ね、ここでは手形いらないの?」
「モエラで済んでいるからな。門でまで検め直しはしないんだろう」
門をくぐった。
途端、世界が変わった。
大路の両側にどこまでも建物が連なっている。郷なら御殿で通る構えの建物が軒を連ね、そのどれもがただの商家らしい。呼び売りの声が四方から重なり、湯気の匂いと香ばしい油の匂いが押し寄せてくる。荷を運ぶ者。芸を売る者。行き交う兵。人、人、人だった。
饅頭に串焼きに甘酒。聞き覚えのある売り声に、名も知らぬ品書きがいくつも混じる。軒先には飾り紐が揺れ、反物が山と積まれ、大鍋が湯気を噴いていた。
丘の上では潮騒に似ていたどよめきも、ここでは頭上から降ってくる。
「わ、わ……」
シューニャの足が右へ左へ泳ぎだした。目が追うものすべてに引かれている——人波の切れ目に、白い髪が一度呑まれかけた。
「シューニャ」
腕を伸ばし、小さな手をつかまえる。
「はぐれるな。ここではぐれたら、探すのは骨だぞ」
「う、うん」
握り返す手に、いつもの力がない。
「人が星の数ほどって、ほんとだったんだね」
声まで少し小さかった。丘の上では弾んでいた同じ言葉も、人波の中では重さを変えるらしい。
覚えがある。幼いあの朝もこの雑踏だった。人の波に呑まれかけ、大きな手に襟首をつかまれた。いまはつかまえる側に回っている。
「大丈夫だ。俺は都育ちだからな」
「ガキの頃だけって言ってたぞ」
じっとりした目が下から寄越される。
「大路を真っ直ぐ行くくらいは覚えている」
繋いだ手が少し温かくなった。
「ね、オシュトル。なんだか、すっごくいい匂いがする」
「奇遇だな。俺もそう思っていた」
湯気の匂いは腹に直に届く。だが——懐の重さがそれを引き締めた。
「役目が先だ。終わったら、何か美味いものを喰おう」
「うんっ。約束だからね」
大路の先、屋根の連なりの向こうに、ひときわ高い甍が光っていた。あれより高い屋根は視界のどこにもない。宮廷——役目の届け先だ。
懐の上をひとつ押さえ、人波の中を歩き出した。
# 02 たらい回しと鴉印
大路を北へ進むほど、人の波は薄れていった。
やがて堀と土塀が現れ、その先にまた門があった。市中の門より小ぶりで、けれど遥かにものものしい。槍を立てた兵が左右に並び、あれほど耳を埋めていた喧噪も、ここでは遠かった。シューニャの足が自然と半歩、寄ってくる。
「ここに何用か。目的と名を名乗られよ」
誰何の声に、懐から証書を出して進み出た。
「エンナカムイの皇イラワジが使い、オシュトルと申す。聖上に言上つかまつりたき儀があり、罷り越した。これに証書と御印が」
門衛は紙面を検め、門脇の詰めの間へと二人を通した。墨と紙の匂いのする部屋で、壁際には綴りが天井近くまで積まれている。
文机の向こうで、年配の官人が証書を受け取った。歳の頃は父と同じほどか。眉ひとつ動かさず、指先だけがよく動く男だった。
「エンナカムイ……はて」
紙を置く手つきは丁寧で、声も柔らかい。
「遠國よりご苦労なことです。しかし言上の儀となりますと、まずは式部の寮にて子細を書面に。しかるのちに順路を経て、沙汰をお待ちいただくことになります」
傍らで小さな頭がこちらを見上げた。
「どれほど待つことになる」
「さて。立て込んでおりますれば、何分にも」
言葉は慇懃で、目は笑っていない。田舎の使者はまず並べ、と言っている。
「主命は御前への直々の言上だ。書面に写せる中身ではない」
「皆さま、そう仰います」
官人は初めて笑った。取り付く島のない笑いだった。
隣でシューニャが口を結んでいる。言い付けどおり、よく黙っている。その小さな緊張がかえって腹を据えさせた。
シューニャへ目を向け、小さく頷いてみせる。
シューニャの目がすっと細くなった。声をひそめ、身を寄せてくる。
「……やっちゃうの?」
目つきがすっかり物騒だった。初めて会った茂みで、この娘は問答より先に槍を向けてきた。その目に戻っている。
「やらん。——腕輪だ」
合点がいったらしい。シューニャは懐から布包みを出した。結び目を解く手つきに、迷いはない。
止めるか、と一瞬思った。父が娘に持たせ、娘が都まで運んだ荷だ。通行の切り札に使ってよいものか——だが、届け先は御前をおいてほかにない。手前で止まるわけにはいかなかった。
「はい、これ」
シューニャが官人にだけ見えるように、布の上の腕輪を差し出した。銀の縁の内、亀甲の地に三本足の黒い鴉。
「検めていただこう」
声を低くして、そう添えた。
官人の顔から、笑いが落ちた。
口を開きかけ、閉じ、もう一度腕輪を見る。あれほどよく動いていた指先が止まっていた。詰めの間が静まり返る。
風もないのに、机上の紙の端がかすかに鳴った。
顔を上げる。——文机の左右に、黒衣の二人が立っていた。同じ背格好に同じ被り物、顔は見えない。二人は腕輪へ同時に顔を寄せ、検分し、互いに小さく頷き合った。
一礼。それきり踵を返し、来た気配のないまま戸口の向こうへ消えていく。
官人は身じろぎもしない。シューニャが目を丸くして、黒衣の消えた戸口を見送った。
沈黙が残った。シューニャが腕輪を包み直し、懐へ戻す。誰も口を開かないうちに、今度ははっきりとした足音が近づいてくる。落ち着いた歩幅の、革沓の音だった。
「——エンナカムイの使者殿」
装束の格がひと目で違う高官が戸口に立っていた。進み出て、深く一礼する。
「御前に取り次ぎ申し上げる。どうぞ、こちらへ」
官人が音を立てて立ち上がり、頭を下げた。書面だ順路だと言っていた部屋を印ひとつが素通りさせていく。
磨き抜かれた廊下は奥へ行くほど静かになった。板張りに二人分の姿が薄く映り、衣の裾の音だけが続く。
「ね、オシュトル」
シューニャが小声で袖を引く。
「父さまの腕輪、すごいんだね」
「ああ。……親父は一体、何者だったんだろうな」
廊下の先で、高官が足を止めた。
見上げるほどの大扉の前だった。
# 03 御前の言上
襟をひとつ正した。隣でシューニャも、見よう見まねで胸元を握っている。目が合うと、シューニャはにっと笑った。つられて、強張っていた頬がゆるんだ。頷きはしなかった。それで足りた。
大扉が内側へ開いた。
長い床が奥へ延びている。磨かれた石の面に列柱が影を落とし、その左右に人影が並んでいた。束帯の端正な男。鋭い目の男。岩のような巨躯。そして——仮面を着けた偉丈夫。真に選ばれた武人にのみ許されるという、ヤマトの力の象徴を顔に頂いている。
突き当たりに一段高い台があり、白い装束の女官がその脇に控えている。
台の上に、帝がいた。
「控えよ。御前である」
鋭い声が飛んだ。膝が勝手に折れた。示された位置で頭を垂れる。隣で小さな衣擦れがそれに倣った。
「面を上げよ」
声は高みから来た。逆らうことなど思いつきもしない声だった。
上げた視界の先で、帝と目が合った。
刹那、背筋を貫くものがあった。恐ろしいのではない。ただ、大きい。人の形をした、もっと大きな何かの前に膝を突いている心地がした。
「其の方が——パシュパクルが子か。成程、よく似ておる」
息が詰まった。名乗るより先に、聖上はすべてを知っていた。
「鴉印を持って参ったと聞く。検めよう」
「はっ。鴉印は——父が娘と定めた者、シューニャが携えております」
隣へ小さく頷く。シューニャが進み出て、懐から布を解き、腕輪を両手で高く捧げた。
「父さまから、預かってきました。——お返しします」
まっすぐな声だった。物怖じの色ひとつなく、高みの聖上を正面から見上げている。
「聖上より下賜の品にございます。私がお取り次ぎを」
束帯の男が滑るように進み出て、シューニャの手から腕輪を受け取った。捧げ持つ所作に一分の隙もない。台の際でそれを白い装束の女官が受け、帝の手へと運んだ。
帝が腕輪を座の肘に繋ぐと、瞬くような光が走り、すぐに元へ戻った。
それきり、何も起こらない。
帝はしばし腕輪を見つめ、静かに目を閉じた。
「大儀であった。遠き郷より、よくぞ届けてくれた」
そして帝は座の上で、深く居住まいを正した。
「影として一死報國でヤマトに尽くした彼奴の名を、余は決して忘れぬ。——パシュパクルに、安らかな旅立ちを」
「無双の武人、パシュパクルに」
仮面の偉丈夫が続けた。左右の影が一斉に頭を垂れる。
「「我等が友よ、永遠たれ」」
唱和が石の間に響いて、消えた。
弔いだ、と遅れて気がついた。聖上は父を死んだ鴉のままに悼んでいる。隣でシューニャが目を見開き、こちらを見上げた。開きかけた小さな口を目で制する。
ここで言わねば、誰が言う。唱和を破る非礼ごと、背負うと決めた。
「——恐れながら」
声は思ったより大きく響いた。座のすべての目がこちらを向く。驚きの目と——唱和を破った非礼を咎める目。鋭い目の男の視線がひときわ尖った。
「父は——パシュパクルは生きております」
静寂が落ちた。
「深手を負い、いまはエンナカムイの郷にて療養の身。自分はその父より、この鴉印を必ず聖上へ返し奉れと託され、参りました」
「……あの野郎、生きてやがったか」
低い呟きがひとつ。仮面の偉丈夫だった。
「生きて——おるのか」
帝の声だった。現人神の声ではなかった。台の上から身を乗り出し、確かめるように繰り返す。
「必ず、返せと。彼奴がそう申したのだな」
「はっ。この身に代えても、と」
帝の目が手の内の腕輪へ落ちた。
長い沈黙があった。
やがて帝は座に着き直し、再び腕輪を取り上げた。指が縁をゆっくりと辿る。亀甲の刻みをひとつ、またひとつ。誰も声を発しない。
指が鴉の目で止まり、帝の唇がかすかに動いた。
光が噴いた。
青白い筋が幾重にも腕輪から立ちのぼり、文字とも紋様ともつかぬ連なりが帝の手元を照らして流れていく。
帝の唇が速く動きはじめた。低い呟きが切れ切れにこぼれ落ちる。
「刻の種……
聞き慣れぬ言葉だった。意味を測る間もなく、呟きは先へ進む。
「種……
言葉の欠片が速さを増し、光を追う帝の目が見開かれていく。
「まさか——莫迦な、ありえぬ。
帝が大きく身を乗り出していた。肘掛けを掴む手が震え、座がどよめいた。シューニャがそっと袖を握ってくる。
「聖上——」
束帯の男が狼狽の声を上げた。
「我が君」
白い装束の女官がそっと呼んだ。宥めるような、ただの一言だった。
帝の目が光の向こうからこちらへ——いや。
隣の、小さな頭の上へ。
光がふつりと絶えた。
帝は長く息を吐き、ゆっくりと座に沈んだ。束帯の男の目はなお、腕輪から離れずにいた。
「——取り乱した」
誰にともなく言って、帝は腕輪を手の内に包んだ。
「確かに、受け取った」
その視線が静かに、シューニャの上へ下りた。
# 04 帝の問いと言伝
「話は変わるが——のう、お嬢ちゃん」
帝の声がふいに柔らかくなった。張り詰めていた座の空気も、戸惑いながらそれに続く。
名指されたシューニャがきょとんと自分を指差す。
「わたし?」
「そうじゃ、其方だ」
咎める色はない。むしろ、孫でも見るような目だった。ついさっきまで震えていた手も、いまは膝の上で静かに組まれている。
「何処か——具合の悪いところはないかの?」
「ううん、平気だけど」
シューニャはあっさり答えた。御前への言葉遣いはどこかへ置いてきたらしい。慌てて口を挟みかけ、思いとどまる。帝の目がそれでよいと言っていた。
「これは大切なコトじゃ。本当に、なんともないのだな?」
「うん。ホントに平気」
疑いを知らない声だった。
「……そうか」
帝は短く頷き、それからこちらへ目を戻した。声が沈む。
「オシュトルよ。知っておいた方が良かろう」
「はっ」
居住まいを正す。
「アーヴァ=シュランの民はな、このヤマトでは長くは生きられぬ」
すぐには意味が呑み込めなかった。
「環境が合わぬのであろう。数日から数か月のうちに徐々に衰弱し、正気を失い——ついには死に至る」
背筋が冷えた。思い当たるものがあった。
「恐れながら——道中、ヌエキッカの難所で三人の賊に襲われました。太刀筋は少しも乱れぬのに、息だけが病人のように壊れておりました。骸はモエラの関へ届け出ております。——あれは彼の地の者だったのでしょうか」
「であろうな」
帝は驚いた風もなかった。
「彼の地は閉ざされておる。本来、渡って来られるものではない。——彼奴が戻る折に、紛れ込んだのであろうよ」
病人が形だけをなぞるようだ——あの崖道でそう思った。形ではなかった。あれは衰弱の只中の男たちだったのだ。
「されど、その子には症状のひとつも見られぬ。何かしらの耐性がある、のやもしれぬな」
帝の目がシューニャの上をやわらかく撫でた。読み解いた何かと照らすような、静かな目だった。それが何か、問える気配ではなかった。
「付け加えるなら——逆もまた然り。ヤマトの民も、彼の地では生きてはゆけぬ」
「なッ——」
では、父は。喉まで出かけた問いを帝は目で受け止めた。
「彼奴が長の年月を耐えたのは備えあってのこと。……その身がいま、深手の下にあるのなら」
帝はそこで言葉を切った。
そして、脇に控える白い装束の女官へ、すっと目を向けた。
女官が小さく頷き返す。言葉はひとつもなかった。何かが決まったのだと、それだけが判った。
座の空気がゆるやかにほどけていく。言上は終わり、あとは退出の沙汰を待つばかり——そのはずだった。
だが、まだ残っている。最後のひとつが。
「恐れながら——今ひとつ、言伝がございます」
帝が目だけで先を促した。
「彼の地の門にて、父とシューニャを逃がした者がおります。人の姿をした、物言う小さなカラクリでございます。そのカラクリが別れ際、父にこう言い遺しました」
息を整える。一言も違えるわけにはいかなかった。
「『この地の底に、囚われた
帝は答えなかった。
腕輪を包んだ手が膝の上で握り込まれていく。目は開いたまま、どこも見ていない。
「聖上?」
束帯の男が窺うように呼んだ。応えはない。
「……我が君?」
白い装束の女官の声にも、今度は隠しきれない困惑が滲んでいた。先の取り乱しには眉ひとつ動かさなかったひとの声が揺れている。
帝はどちらにも答えない。その人は遥かな何処かへ、地の底よりなお深いどこかへ、独りで降りていくようだった。
ふ、と横顔が揺らいだ。
現人神の面の下から、別の顔が覗いた。
想うかのような、悔いるような——ひどく、人の顔だった。
瞬きひとつの間だった。
次に目を上げたとき、高みにはもう、帝が座っていた。
「——確と、聞き届けた。鍛印も、言伝も」
声は元のままだった。元のままの声だからこそ、かえって耳に残った。