白春の目覚め   作:ライム酒

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第四話 御前の雛鳥 ♯ 01-04

# 01 入城

 

 

 丘を下るほどに、道は人で埋まっていった。

 荷車の列。旅装の一団。天秤棒の物売り。誰もが同じ方角へ流れていく。行き着く先には、都の外壁が横たわっていた。

 近づくほどに壁は高くなった。エンナカムイの櫓を三つ重ねても、上の端には届くまい。

 

「おっきい……」

 

 シューニャの声はそれきり途切れた。言葉が大きさに追いつかないらしい。

 

 正面の門は壁よりもなお立派だった。

 隅々まで磨き込まれ、飾り彫りが鈍い光を放っている。金銀をちりばめた派手さはどこにもない。ただ、重い。國の顔とはこういうものかと、見上げたまま足が止まった。

 門の両脇には、見上げるほどの巨人の像が立っていた。人ならぬ姿の巨躯が門を守るように、都の外を睨んでいる。

 

「ね、オシュトル。あれ、なに?」

 

「門の守り神だと聞いた。この門はな、帝が一夜にして築かれたと言われている」

 シューニャが目をまるくして、像と門を見比べる。

 

「一晩で? この、おっきいのを?」

 

「昔語りだ。ガキの頃、近所の年寄りによく聞かされた」

 もっとも、と付け足す。

 

「都でこの話を疑う者には、会ったことがないな」

 

「ふうん」

 シューニャは巨人像をもう一度見上げ、それから小さく身ぶるいした。

 

「みかどって、すごいんだね」

 

 行列は門前で止まらなかった。開け放たれた門へ、人も荷車もそのまま吸い込まれていく。誰も検めを受けない。

 

「ね、ここでは手形いらないの?」

 

「モエラで済んでいるからな。門でまで検め直しはしないんだろう」

 

 門をくぐった。

 途端、世界が変わった。

 

 大路の両側にどこまでも建物が連なっている。郷なら御殿で通る構えの建物が軒を連ね、そのどれもがただの商家らしい。呼び売りの声が四方から重なり、湯気の匂いと香ばしい油の匂いが押し寄せてくる。荷を運ぶ者。芸を売る者。行き交う兵。人、人、人だった。

 饅頭に串焼きに甘酒。聞き覚えのある売り声に、名も知らぬ品書きがいくつも混じる。軒先には飾り紐が揺れ、反物が山と積まれ、大鍋が湯気を噴いていた。

 丘の上では潮騒に似ていたどよめきも、ここでは頭上から降ってくる。

 

「わ、わ……」

 

 シューニャの足が右へ左へ泳ぎだした。目が追うものすべてに引かれている——人波の切れ目に、白い髪が一度呑まれかけた。

 

「シューニャ」

 腕を伸ばし、小さな手をつかまえる。

 

「はぐれるな。ここではぐれたら、探すのは骨だぞ」

 

「う、うん」

 握り返す手に、いつもの力がない。

 

「人が星の数ほどって、ほんとだったんだね」

 声まで少し小さかった。丘の上では弾んでいた同じ言葉も、人波の中では重さを変えるらしい。

 

 覚えがある。幼いあの朝もこの雑踏だった。人の波に呑まれかけ、大きな手に襟首をつかまれた。いまはつかまえる側に回っている。

 

「大丈夫だ。俺は都育ちだからな」

 

「ガキの頃だけって言ってたぞ」

 じっとりした目が下から寄越される。

 

「大路を真っ直ぐ行くくらいは覚えている」

 

 繋いだ手が少し温かくなった。

 

「ね、オシュトル。なんだか、すっごくいい匂いがする」

 

「奇遇だな。俺もそう思っていた」

 湯気の匂いは腹に直に届く。だが——懐の重さがそれを引き締めた。

 

「役目が先だ。終わったら、何か美味いものを喰おう」

 

「うんっ。約束だからね」

 

 大路の先、屋根の連なりの向こうに、ひときわ高い甍が光っていた。あれより高い屋根は視界のどこにもない。宮廷——役目の届け先だ。

 懐の上をひとつ押さえ、人波の中を歩き出した。

 

 

# 02 たらい回しと鴉印

 

 

 大路を北へ進むほど、人の波は薄れていった。

 やがて堀と土塀が現れ、その先にまた門があった。市中の門より小ぶりで、けれど遥かにものものしい。槍を立てた兵が左右に並び、あれほど耳を埋めていた喧噪も、ここでは遠かった。シューニャの足が自然と半歩、寄ってくる。

 

「ここに何用か。目的と名を名乗られよ」

 

 誰何の声に、懐から証書を出して進み出た。

 

「エンナカムイの皇イラワジが使い、オシュトルと申す。聖上に言上つかまつりたき儀があり、罷り越した。これに証書と御印が」

 

 門衛は紙面を検め、門脇の詰めの間へと二人を通した。墨と紙の匂いのする部屋で、壁際には綴りが天井近くまで積まれている。

 文机の向こうで、年配の官人が証書を受け取った。歳の頃は父と同じほどか。眉ひとつ動かさず、指先だけがよく動く男だった。

 

「エンナカムイ……はて」

 紙を置く手つきは丁寧で、声も柔らかい。

 

「遠國よりご苦労なことです。しかし言上の儀となりますと、まずは式部の寮にて子細を書面に。しかるのちに順路を経て、沙汰をお待ちいただくことになります」

 傍らで小さな頭がこちらを見上げた。

 

「どれほど待つことになる」

 

「さて。立て込んでおりますれば、何分にも」

 言葉は慇懃で、目は笑っていない。田舎の使者はまず並べ、と言っている。

 

「主命は御前への直々の言上だ。書面に写せる中身ではない」

 

「皆さま、そう仰います」

 官人は初めて笑った。取り付く島のない笑いだった。

 

 隣でシューニャが口を結んでいる。言い付けどおり、よく黙っている。その小さな緊張がかえって腹を据えさせた。

 シューニャへ目を向け、小さく頷いてみせる。

 シューニャの目がすっと細くなった。声をひそめ、身を寄せてくる。

 

「……やっちゃうの?」

 

 目つきがすっかり物騒だった。初めて会った茂みで、この娘は問答より先に槍を向けてきた。その目に戻っている。

 

「やらん。——腕輪だ」

 

 合点がいったらしい。シューニャは懐から布包みを出した。結び目を解く手つきに、迷いはない。

 止めるか、と一瞬思った。父が娘に持たせ、娘が都まで運んだ荷だ。通行の切り札に使ってよいものか——だが、届け先は御前をおいてほかにない。手前で止まるわけにはいかなかった。

 

「はい、これ」

 シューニャが官人にだけ見えるように、布の上の腕輪を差し出した。銀の縁の内、亀甲の地に三本足の黒い鴉。

 

「検めていただこう」

 声を低くして、そう添えた。

 

 官人の顔から、笑いが落ちた。

 口を開きかけ、閉じ、もう一度腕輪を見る。あれほどよく動いていた指先が止まっていた。詰めの間が静まり返る。

 風もないのに、机上の紙の端がかすかに鳴った。

 顔を上げる。——文机の左右に、黒衣の二人が立っていた。同じ背格好に同じ被り物、顔は見えない。二人は腕輪へ同時に顔を寄せ、検分し、互いに小さく頷き合った。

 一礼。それきり踵を返し、来た気配のないまま戸口の向こうへ消えていく。

 官人は身じろぎもしない。シューニャが目を丸くして、黒衣の消えた戸口を見送った。

 沈黙が残った。シューニャが腕輪を包み直し、懐へ戻す。誰も口を開かないうちに、今度ははっきりとした足音が近づいてくる。落ち着いた歩幅の、革沓の音だった。

 

「——エンナカムイの使者殿」

 

 装束の格がひと目で違う高官が戸口に立っていた。進み出て、深く一礼する。

 

「御前に取り次ぎ申し上げる。どうぞ、こちらへ」

 

 官人が音を立てて立ち上がり、頭を下げた。書面だ順路だと言っていた部屋を印ひとつが素通りさせていく。

 磨き抜かれた廊下は奥へ行くほど静かになった。板張りに二人分の姿が薄く映り、衣の裾の音だけが続く。

 

「ね、オシュトル」

 シューニャが小声で袖を引く。

 

「父さまの腕輪、すごいんだね」

 

「ああ。……親父は一体、何者だったんだろうな」

 

 廊下の先で、高官が足を止めた。

 見上げるほどの大扉の前だった。

 

 

# 03 御前の言上

 

 

 襟をひとつ正した。隣でシューニャも、見よう見まねで胸元を握っている。目が合うと、シューニャはにっと笑った。つられて、強張っていた頬がゆるんだ。頷きはしなかった。それで足りた。

 

 大扉が内側へ開いた。

 長い床が奥へ延びている。磨かれた石の面に列柱が影を落とし、その左右に人影が並んでいた。束帯の端正な男。鋭い目の男。岩のような巨躯。そして——仮面を着けた偉丈夫。真に選ばれた武人にのみ許されるという、ヤマトの力の象徴を顔に頂いている。

 突き当たりに一段高い台があり、白い装束の女官がその脇に控えている。

 台の上に、帝がいた。

 

「控えよ。御前である」

 鋭い声が飛んだ。膝が勝手に折れた。示された位置で頭を垂れる。隣で小さな衣擦れがそれに倣った。

 

「面を上げよ」

 声は高みから来た。逆らうことなど思いつきもしない声だった。

 上げた視界の先で、帝と目が合った。

 刹那、背筋を貫くものがあった。恐ろしいのではない。ただ、大きい。人の形をした、もっと大きな何かの前に膝を突いている心地がした。

 

「其の方が——パシュパクルが子か。成程、よく似ておる」

 息が詰まった。名乗るより先に、聖上はすべてを知っていた。

 

「鴉印を持って参ったと聞く。検めよう」

 

「はっ。鴉印は——父が娘と定めた者、シューニャが携えております」

 隣へ小さく頷く。シューニャが進み出て、懐から布を解き、腕輪を両手で高く捧げた。

 

「父さまから、預かってきました。——お返しします」

 まっすぐな声だった。物怖じの色ひとつなく、高みの聖上を正面から見上げている。

 

「聖上より下賜の品にございます。私がお取り次ぎを」

 束帯の男が滑るように進み出て、シューニャの手から腕輪を受け取った。捧げ持つ所作に一分の隙もない。台の際でそれを白い装束の女官が受け、帝の手へと運んだ。

 

 帝が腕輪を座の肘に繋ぐと、瞬くような光が走り、すぐに元へ戻った。

 それきり、何も起こらない。

 帝はしばし腕輪を見つめ、静かに目を閉じた。

 

「大儀であった。遠き郷より、よくぞ届けてくれた」

 そして帝は座の上で、深く居住まいを正した。

 

「影として一死報國でヤマトに尽くした彼奴の名を、余は決して忘れぬ。——パシュパクルに、安らかな旅立ちを」

 

「無双の武人、パシュパクルに」

 仮面の偉丈夫が続けた。左右の影が一斉に頭を垂れる。

 

「「我等が友よ、永遠たれ」」

 唱和が石の間に響いて、消えた。

 弔いだ、と遅れて気がついた。聖上は父を死んだ鴉のままに悼んでいる。隣でシューニャが目を見開き、こちらを見上げた。開きかけた小さな口を目で制する。

 ここで言わねば、誰が言う。唱和を破る非礼ごと、背負うと決めた。

 

「——恐れながら」

 声は思ったより大きく響いた。座のすべての目がこちらを向く。驚きの目と——唱和を破った非礼を咎める目。鋭い目の男の視線がひときわ尖った。

 

「父は——パシュパクルは生きております」

 静寂が落ちた。

 

「深手を負い、いまはエンナカムイの郷にて療養の身。自分はその父より、この鴉印を必ず聖上へ返し奉れと託され、参りました」

 

「……あの野郎、生きてやがったか」

 低い呟きがひとつ。仮面の偉丈夫だった。

 

「生きて——おるのか」

 帝の声だった。現人神の声ではなかった。台の上から身を乗り出し、確かめるように繰り返す。

 

「必ず、返せと。彼奴がそう申したのだな」

 

「はっ。この身に代えても、と」

 帝の目が手の内の腕輪へ落ちた。

 長い沈黙があった。

 やがて帝は座に着き直し、再び腕輪を取り上げた。指が縁をゆっくりと辿る。亀甲の刻みをひとつ、またひとつ。誰も声を発しない。

 指が鴉の目で止まり、帝の唇がかすかに動いた。

 

 光が噴いた。

 

 青白い筋が幾重にも腕輪から立ちのぼり、文字とも紋様ともつかぬ連なりが帝の手元を照らして流れていく。

 帝の唇が速く動きはじめた。低い呟きが切れ切れにこぼれ落ちる。

 

「刻の種……救刻の巫(ラーヴェンダーナ)?」

 聞き慣れぬ言葉だった。意味を測る間もなく、呟きは先へ進む。

 

「種……因子(コア)のことか? 遺伝の……カプセル……ユニット……」

 言葉の欠片が速さを増し、光を追う帝の目が見開かれていく。

 

「まさか——莫迦な、ありえぬ。記録消去(ロストナンバー)だと?」

 帝が大きく身を乗り出していた。肘掛けを掴む手が震え、座がどよめいた。シューニャがそっと袖を握ってくる。

 

「聖上——」

 束帯の男が狼狽の声を上げた。

 

「我が君」

 白い装束の女官がそっと呼んだ。宥めるような、ただの一言だった。

 帝の目が光の向こうからこちらへ——いや。

 隣の、小さな頭の上へ。

 

 光がふつりと絶えた。

 帝は長く息を吐き、ゆっくりと座に沈んだ。束帯の男の目はなお、腕輪から離れずにいた。

 

「——取り乱した」

 誰にともなく言って、帝は腕輪を手の内に包んだ。

 

「確かに、受け取った」

 その視線が静かに、シューニャの上へ下りた。

 

 

# 04 帝の問いと言伝

 

 

「話は変わるが——のう、お嬢ちゃん」

 帝の声がふいに柔らかくなった。張り詰めていた座の空気も、戸惑いながらそれに続く。

 名指されたシューニャがきょとんと自分を指差す。

 

「わたし?」

 

「そうじゃ、其方だ」

 咎める色はない。むしろ、孫でも見るような目だった。ついさっきまで震えていた手も、いまは膝の上で静かに組まれている。

 

「何処か——具合の悪いところはないかの?」

 

「ううん、平気だけど」

 シューニャはあっさり答えた。御前への言葉遣いはどこかへ置いてきたらしい。慌てて口を挟みかけ、思いとどまる。帝の目がそれでよいと言っていた。

 

「これは大切なコトじゃ。本当に、なんともないのだな?」

 

「うん。ホントに平気」

 疑いを知らない声だった。

 

「……そうか」

 帝は短く頷き、それからこちらへ目を戻した。声が沈む。

 

「オシュトルよ。知っておいた方が良かろう」

 

「はっ」

 居住まいを正す。

 

「アーヴァ=シュランの民はな、このヤマトでは長くは生きられぬ」

 すぐには意味が呑み込めなかった。

 

「環境が合わぬのであろう。数日から数か月のうちに徐々に衰弱し、正気を失い——ついには死に至る」

 背筋が冷えた。思い当たるものがあった。

 

「恐れながら——道中、ヌエキッカの難所で三人の賊に襲われました。太刀筋は少しも乱れぬのに、息だけが病人のように壊れておりました。骸はモエラの関へ届け出ております。——あれは彼の地の者だったのでしょうか」

 

「であろうな」

 帝は驚いた風もなかった。

 

「彼の地は閉ざされておる。本来、渡って来られるものではない。——彼奴が戻る折に、紛れ込んだのであろうよ」

 病人が形だけをなぞるようだ——あの崖道でそう思った。形ではなかった。あれは衰弱の只中の男たちだったのだ。

 

「されど、その子には症状のひとつも見られぬ。何かしらの耐性がある、のやもしれぬな」

 帝の目がシューニャの上をやわらかく撫でた。読み解いた何かと照らすような、静かな目だった。それが何か、問える気配ではなかった。

 

「付け加えるなら——逆もまた然り。ヤマトの民も、彼の地では生きてはゆけぬ」

 

「なッ——」

 では、父は。喉まで出かけた問いを帝は目で受け止めた。

 

「彼奴が長の年月を耐えたのは備えあってのこと。……その身がいま、深手の下にあるのなら」

 帝はそこで言葉を切った。

 そして、脇に控える白い装束の女官へ、すっと目を向けた。

 女官が小さく頷き返す。言葉はひとつもなかった。何かが決まったのだと、それだけが判った。

 

 座の空気がゆるやかにほどけていく。言上は終わり、あとは退出の沙汰を待つばかり——そのはずだった。

 だが、まだ残っている。最後のひとつが。

 

「恐れながら——今ひとつ、言伝がございます」

 帝が目だけで先を促した。

 

「彼の地の門にて、父とシューニャを逃がした者がおります。人の姿をした、物言う小さなカラクリでございます。そのカラクリが別れ際、父にこう言い遺しました」

 息を整える。一言も違えるわけにはいかなかった。

 

「『この地の底に、囚われた造物主様(マスター)がいる。生きて渡れたら、力ある手を回してやってくれ』——父はこの願いを鴉印とともに聖上へ届けよと」

 帝は答えなかった。

 腕輪を包んだ手が膝の上で握り込まれていく。目は開いたまま、どこも見ていない。

 

「聖上?」

 束帯の男が窺うように呼んだ。応えはない。

 

「……我が君?」

 白い装束の女官の声にも、今度は隠しきれない困惑が滲んでいた。先の取り乱しには眉ひとつ動かさなかったひとの声が揺れている。

 帝はどちらにも答えない。その人は遥かな何処かへ、地の底よりなお深いどこかへ、独りで降りていくようだった。

 ふ、と横顔が揺らいだ。

 現人神の面の下から、別の顔が覗いた。

 想うかのような、悔いるような——ひどく、人の顔だった。

 

 瞬きひとつの間だった。

 次に目を上げたとき、高みにはもう、帝が座っていた。

 

「——確と、聞き届けた。鍛印も、言伝も」

 声は元のままだった。元のままの声だからこそ、かえって耳に残った。

 

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