転生ニトロ・兄弟三弟子 作:バナナアイス
凱旋した群れが巣へと戻ると、まずは厳格な「取り分」の分配が始まった。王陸鮫の巨体。その約半分に及ぶ最高品質の切り身と極上のカマが、絶対支配者である狼王ギネスの前にうず高く積み上げられる。
そして、残りの半分が俺や二狼、そして他のバトルウルフたちへと公平に分配されていった。
(……ゴクリ)
至る所から、肉汁の匂いに焦がれた狼たちの生唾を飲み込む音が響く。だが、誰一人として肉に手を出そうとはしない。全員がじっと静止し、王が最初に口をつけるその瞬間を待っている。
ギネスがゆっくりと歩み寄り、山盛りの肉から一口、豪快に噛みちぎった。それを合図に、静寂は破られた。バトルウルフたちが一斉に己の取り分に貪りつき、鼻垂れ坊主の二狼も「うおおお!」と言わんばかりの雄叫びを上げて生肉に噛みついている。
俺も自分の前に置かれた、顔の何倍もある王陸鮫の切り身を見つめた。ブルーニトロの底なしの食欲が「早く喰え」と脳内で暴れている。だが、前世が人間――いや、文明人だった俺の理性が、どうしても土壇場でブレーキをかけた。
(……いや、待て。ニトロの身体的には生肉でも最高に美味いんだろう。だけどさ、やっぱり元人間としては、せめて『焼いて』食べたくないか?)
理性を取り戻すと生の獣臭さや血の味に、魂がどうしても難色を示すのだ。しかし、ここは500年前のグルメ界の魔境。ガスコンロも、マッチも、都合のいい火種なんてどこにもない。
(どうにかして、火を通せないか……?)
俺は自分の青い両手を見つめ、思考を巡らせる。さっきの戦闘では、グルメ細胞のエネルギーを指先に集中させて墨線を引いた。なら、その莫大なエネルギーを「熱」に変換させれば、自分の体温を肉が焼けるレベルまで強引に引き上げて即席の鉄板になるんじゃないか?
(よし、やってみるか……!)
あぐらをかき、左の手のひらを上に向けて、お皿のように構える。そして、全身を巡るブルーニトロの規格外のエネルギーを、じわじわと左の掌へと凝縮させていく。
その異様な行動に、真っ先に気づいたのは二狼だった。生肉を口に咥えたまま、不思議そうに俺の様子を覗き込んでくる。隻眼のNo.2をはじめとするバトルウルフたちも、食事の手を止め、新入りのブルーニトロが始める奇妙な儀式を興味津々といった様子で見つめ始めた。
(う、視線が痛い……。めちゃくちゃ注目されてるじゃん。気にすんな俺、集中だ、集中……!)
冷や汗をかきながらも出力を上げていくと、やがて俺の左の手のひらが、真っ赤に熱した鉄板のようにパチパチと火花を散らし、陽炎が立つほどの高熱を帯び始めた。
今だ!
俺は右手で王陸鮫の切り身を掴むと、熱々の左の手のひらの上へと、そっと乗せた。
――ジュウゥゥゥゥゥッッ!!!!!
静かな巣窟の中に、肉が激しく焼ける極上の絶響音が鳴り響いた。途端に、王陸鮫の良質な脂がパチパチと爆ぜ、香ばしい、信じられないほど上質なステーキのいい匂いが周囲一帯に優しく漂い始める。生肉の血生臭さとは次元が違う、暴力的なまでに食欲をそそるアロマだ…!
(おおぉ…すげえ! ちゃんと焼けてる!)
自作の熱に感動している俺の目の前で、ガタッと大きな音がした。見ると、鼻垂れ坊主の二狼が、自分が咥えていた生肉をベチャッと地面に落とし、四つん這いのまま俺の掌の上で焼ける肉へとジリジリと近づいてきていた。その目は完全に据わっており、だらだらと滝のように涎を垂らしながら、見たこともない『焼き肉』という存在を、穴が開くほどじっと見つめている。
(あ、これ完全にロックオンされたわ……)
滝のように涎を流し、今にも飛びかかってきそうな二狼の視線に耐えかねて、俺は左の手のひらで良い焼き色のついた王陸鮫の肉を、気持ち大きめにちぎった。
「…ほらよ…熱いから気をつけろ……よ?」
二狼は俺の手からひったくるように肉を奪うと、そのまま大きな口を開けて一気に放り込んだ。ハグ、ハグ、と二、三回噛み締めた瞬間、鼻垂れ坊主の動きが完全に止まった。その小さな目が、こぼれ落ちんばかりに丸くなる。
「――ウ、ウォォォォォォォォォォンッッ!!!!!」
次の瞬間、二狼は天を仰ぎ、言葉にならない圧倒的な旨味に対する感動の雄叫びを上げた。ただでさえ極上の王陸鮫の肉。それがブルーニトロの熱量によって完璧に火を通され、脂の旨味が爆発しているのだ。野生児がその未知の美味さに理性を吹き飛ばされるのも無理はなかった。
しかし、その大音量の雄叫びと、巣窟を満たす焼き肉の香ばしい匂いが、周囲のバトルウルフたちに強烈な「合図」として伝わってしまった…
(……な、なんだあの美味そうな匂いは。王の肉とは明らかに違うぞ)
(あいつが食っているもの、我らの生肉より遥かに……!)
グルル、と喉を鳴らしながら、周囲のバトルウルフたちが一斉に飯の手を止め、俺の周りへと集まってきてしまった(流石にナンバー2だけは、矜持を保ってその場に踏みとどまっていたが)
「ええぇっ!? ちょっと待って、みんな目がガチなんだけど!!」
困惑する俺の都合などお構いなしに、巨大な狼たちが「俺にもくれ」「焼いてくれ」と言わんばかりに、巨体をすり寄せてくる。時に、親愛の情を込めて(あるいは美味い匂いにつられて)、俺の青い顔を大きな舌でベロンと豪快に舐め回してくる個体までいた。
「うわっ、ちょっ、くすぐったいし激しいって!! 分かった、分かったから順番に並べ!!」
俺は大工の現場で働いていた時のど根性を発揮し、ハチマキを締め直す勢いで、次々と手のひらで肉を焼き、群れの狼たちに頑張って振る舞い続けた。ジュウジュウと肉が焼ける音が絶え間なく響き、巣窟は完全にアットホームな焼き肉会場と化していく。
だが、その様子を特等席からじっと見つめていた絶対強者は、深く、重いため息をついた。
『お前たち……』
ギネスが低く短く唸ると、それまでおねだりしていたバトルウルフたちが一瞬で硬直を解き、一斉に伏せて沈黙した。王の眼光は、我が子たちに向けて呆れと怒りを含んで放たれる。
『貴様ら、戦士でありながら、他者から『施し』を受けたということは、自らがそいつよりも明確に下の存在だと認めたことになるのが分かっているのか?』
ハッと冷水を浴びせられたように耳を伏せる狼たち。そして、ギネスの鋭い視線は、まだ口の周りを脂でギトギトにしている二狼へと向けられた。
『特に二狼、お前だ。我はそこのニトロを、貴様が超えるべき『ライバル』として連れてきたつもりなのだが? 餌付けされてどうする、この大莫迦者が』
王の正論によるお説教である。
そしてギネスは、自らの前に積まれていた手つかずの王陸鮫の切り身の中から、特に肉質の良い部分をその大きな顎でガブリと引きちぎった。そして、怯える俺の目の前へと、ドン、と静かに投げ置いた。
『……人の子よ。他者に施すのは立派なことだが、それではお前自身の腹は満たされん。それはお前の取り分だ。早く食え』
ギネスの言葉は分からない。だが、その黄金の瞳の奥にある不器用な優しさは伝わってきた。前世で飢え死にし、この世界でも自分の肉を切り分けて周囲に与えていた元人間に、王は自らの肉を「分けて」くれたのだ。
その光景を見たバトルウルフたちは、一斉に目を見開いた。王が、自らの肉を他者に分けるなど、長い歴史の中でも有り得ない奇跡。彼らは、この青い鳥人が、王からどれほど特別に目をかけられ、そして自分たちに美味い肉を施してくれる「偉大で慈悲深い存在」であるかを完全に理解した。
ガルル、クゥン……
静まり返った巣窟の中で、バトルウルフたちが彼に向けて、一斉に畏敬の念を込めて尻尾をブンブンとちぎれんばかりに振り始めた。二狼も「こいつは凄い奴だ!」と目を輝かせている。
(な、なんか急にみんなして尻尾振って懐いてくるんだけど……!? でも、まあ、いっか)
予想外の展開に戸惑いつつも、俺はギネスがくれた極上の肉を手のひらでジューシーに焼き上げ、思い切り口に放り込んだ。あぁ…肉汁が脳を突き抜ける…前世の餓死した記憶が、温かい至福の美味さで上書きされていくのを感じながら、俺はグルメ界での初めての満腹感に溺れていった。
◆
お腹がいっぱいになり、ようやく一息ついた俺は、改めて自分たちの拠点であるこの巣窟を見回した。
(うーん……ギネスやバトルウルフたちからすれば、このエリア2の大陸そのものが家なんだろうけどさ。かといって、遮るものもない地べたの上で、雨風を凌ぐ屋根も壁もないところに寝床を構えるってのは、エリアの『王』としてどうなんだ……?)
前世は大工、いわば快適な住環境を提供するプロだ。いくらグルメ界の超生物とはいえ、王やその家族がこんなゴツゴツした硬い地面の上で直に寝ているのを見るのは、職人としてのプライドがどうしても見過ごせなかった。
(せめて、この硬い地面をどうにかしたい。何かないか……さすがに綿は見つからないかもしれないけど、それくらいふかふかの寝床くらいは作ってやりたいよなぁ)
そう思い立った俺は、寝室の「敷物」になるような良質な素材を探すため、巣窟の外へと歩き出した。すると、ガタゴトと物音がして、振り返ると鼻垂れ坊主の二狼と、数匹のバトルウルフたちがトコトコと俺の後ろをついてきている。
(おいおい、お散歩じゃないんだぞ? ……まあ、いいか。好きにさせよう)
彼らの同行を黙認しつつ、俺は素材を求めてグルメ界の荒野を進んだ。「さあ、まずは良い繊維質の植物か何かを探すか」と目の前の原生林を見つめた、まさにその瞬間だった。
ズササササササッ……!!!
不気味な足音と共に、茂みから巨大な影が姿を現した。それは、何処からどう見ても巨大な蜘蛛。しかし、その身体の質感は異様だった。胴体だけでなく、鋭い八本の足の先々にいたるまで、びっしりと雪のように白く、驚くほど弾力のあるふわふわの毛に覆われた新種の猛獣――『羊蜘蛛』である。
(……!! き、来たぁぁぁ!!!)
俺は心の中でガッツポーズを決めた。あの質感、あのボリューム、
(一番の当たりは、あの蜘蛛の糸を吐き出すお尻の機関だ……! あの中には、家を建てるためのロープや補強材に使える、びっしり頑丈な蜘蛛糸が詰まっているはず……!!)
大工としてのインスピレーションが爆発する。繊維も、建築資材も、すべてが最高品質の状態で揃った理想の獲物。よし、さっき覚醒させた大工の技で、お尻の糸の機関と背中の綿を綺麗に「解体」して持ち帰ってやる――!
そう意気込み、俺がプレナー・スライスの構えをとった、まさに次の瞬間だった…
「ウガアアアアアアッッ!!!!!」
「ガルルルアアッッ!!!」
突如として、俺の真後ろから鼓膜を突き破らんばかりの野生の咆哮が炸裂した。驚いて振り返る間もなく、鼻垂れ坊主の二狼とバトルウルフたちが、凄まじい速度の弾丸となって羊蜘蛛へと突撃していく。
「え!? 待っ――」
制止の声は届かない。二狼は野生の牙を剥き出しにして羊蜘蛛の胴体に飛びかかり、力任せに肉を引きちぎる。バトルウルフたちの鋭い爪が、閃光となって羊蜘蛛の巨体を滅多刺しに切り刻んでいく。相手は決して弱い猛獣ではなかったはずだが、八王の血を引くウルフたちと、ギネスに鍛えられた暴獣の敵ではなかった……
ビチャチャチャチャッ!!!
ズバァァァンッッ!!!
「あ、あああ……っ!!!」
俺はただ、目の前で繰り広げられる一方的な大虐殺を、口をあんぐりと開けて見つめることしかできなかった……
数秒後。そこには、バラバラに解体され、変わり果てた姿の羊蜘蛛の残骸が転がっていた…
二狼は「へへっ、敵は倒したぜ!」と言わんばかりにドヤ顔で鼻水をすすり、バトルウルフたちも尻尾を振って俺を見つめている。
しかし、肝心の素材はといえば――俺が目を輝かせていたあの真っ白でふかふかだった綿は、羊蜘蛛の内臓と浴びるような返り血によって、ドロドロの赤黒い血塗れの肉片と化していた。一番欲しかったお尻の糸の機関も、二狼の強烈な一撃によって跡形もなく粉砕され、使い物にならない……
「……ウソだろ……」
かろうじて形が残っている、血塗れの生臭い綿の塊を両手で拾い上げながら、俺は、脳内の職人設計図が一瞬で消し飛ぶのを感じた。
ふと、俺は自分の横で「ドヤァ!」と鼻水をすすっている二狼や、血気盛んな若きバトルウルフたちを見つめた。彼らは羊蜘蛛を蹂躙したせいで、全身に派手な返り血を浴びている。
(……待てよ? 狼王ギネスはともかく、こいつらはまだ若い。だから狩りの時にこれだけ返り血を浴びる……なのに、俺が最初に巣窟で会った時は、みんな毛並みが綺麗で血なんか全くついていなかったぞ……?)
ということは、だ…
(この近くに、彼らが体毛についた血や汚れを『洗浄する場所』が絶対にあるはずだ……! そこへ行けば、この血みどろになった綿や蜘蛛糸を綺麗に洗い流して、生き返らせることができるかもしれない!)
職人の瞳に、再び希望の光が宿る。とはいえ、彼らに言葉は伝わらない。俺は山積みの綿を一度地面に置くと、若きバトルウルフたちの前に立ち、必死に体毛を洗うような身振りをしてみせた。
(おい、お前ら! その体毛についた血を洗う場所を教えてくれ! 水だ、水のある場所へ案内してくれ!)
ゴシゴシと自分の青い身体を擦るジェスチャーを繰り返す俺を、バトルウルフたちは小首を傾げて見つめている。当然、彼らにはブルーニトロが何をやっているのかサッパリ分からなかった。
(……? あいつ、急に身体を痒がり始めたぞ)
(いや、違う。自分についた返り血を気にしているんだ。そうか、綺麗な鳥だから汚れが嫌なんだな。よし、ちょうどいいし、俺たちも血を落としに行こう!)
伝わった訳ではない。しかし偶然にも、彼らは「血を洗い流す」という目的を共有し、一斉に別の方向へと歩き始めた。
(おおおっ! 通じた!? よっしゃあ、ありがとう!お前ら大好きだ!!)
勘違いではあるが、奇跡の連動に俺は歓喜した。俺は血と内臓の脂を吸って鉛のように重くなった羊蜘蛛の綿を、執念で山のように両腕に抱え込むと、嬉々としてウルフたちの後ろをついていった。しばらく原生林を進むと、パァッと視界が開けた。
そこに広がっていたのは、現実世界では有り得ないほど透き通り、太陽の光を浴びてエメラルドグリーンに輝く、息を呑むほど美しい巨大な池だった。
(あった……! 天然の洗浄所だ……!!)
到着するやいなや、若きバトルウルフたちは「ザブーン!」と勢いよく池に飛び込み、気持ちよさそうに水浴びを始めた。彼らが泳ぐたびに、体毛についていた赤黒い血がみるみるうちに剥がれ落ち、水に溶けて消えていく。その驚異的な洗浄力を見て、俺は確信した。
(いける、これなら――!!)
俺は抱えていた重い綿の山を、池の浅瀬へと一気に沈めた。そして、ブルーニトロの強靭な握力と、前世の職人としての丁寧な手捌きをフル回転させ、綿の洗濯を開始した。ジャブジャブ、ギュッ、ギュッ。池の不思議な名水は、羊蜘蛛の毛に絡みついていた粘着質な内臓の脂を驚くほど綺麗に分解していく。俺が細かく水を浸透させ、繊細な指先でゴミを弾き飛ばすと、羊蜘蛛の毛はみるみるうちに本来の輝きを取り戻していった。
臓器の破片を一つ残らず取り除き、血の一滴すら残さずに洗い流す。数分後、水から引き揚げたそれは――先ほどのグロテスクな姿が嘘のように、光を反射してキラキラと輝く、純白の「極上の絹」のような美しさに生まれ変わっていた。お尻の機関から引きずり出した蜘蛛糸も、透明で強靭なワイヤーのような輝きを取り戻している…!!
(よっしゃあ!! 完全復活だ……!!)
びしょ濡れではあるが、素材の品質は完全に生き返った!
(あとは……これを完璧に『乾燥』させれば、前世の高級ホテルも真っ青の、ふっかふかで頑丈な最高級マットレスが完成するはず……!!)
濡れた純白の綿を愛おしそうに抱きしめながら、俺の脳内には、今度こそ完璧なリフォーム計画の第二段階が立ち上がろうとしていた。然し、純白の輝きを取り戻した羊蜘蛛の綿を見つめながら、俺は次の工程(乾燥)に移る直前、大工としての重大な欠陥に気がついてハッとした。
(待てよ……。あの岩窟の巣、上からの雨は凌げても、グルメ界のイカれた嵐による横殴りの雨や、地表を流れる流水が浸入してきたらどうなる? せっかくのふかふかベッドが浸水して台無しになっちまうじゃねえか!)
グルメ界の環境を忘れていた。職人として、施工後のアフターケアや耐久性の計算を怠るわけにはいかない。濡れても問題がない構造にするにはどうすればいいか。前世の防水工事の知識をフル回転させて設計図を書き直す。
(中身をこのふかふかの綿にするとして……その周りを、外からの水分を完全にブロック、あるいは瞬時に吸収するスポンジのような防水・吸水素材で三層構造にして囲う必要がある! それに、申し訳程度に撥水効果のあるコーティングと、猛獣特有の匂いを消す消臭剤の代わりになる素材も必要だな……)
となると、また新しい建築資材が必要だ。乾燥は後回し、まずは防水素材を探そうと池の周囲に目を走らせた、まさにその時だった。
エメラルドグリーンに輝く池の最奥、湿地帯の泥の中に、それはいた。甲羅の表面に細かく規則正しい無数の穴を持つ、鮮やかな黄色をした巨大なスッポン――その名も『スッポンジ』
その名の通り、周囲の水を吸い上げては吐き出しており、見たところ水分の吸収量も弾力性も申し分ない。マットレスの防水・クッション層にはこれ以上ない最高の一級品資材を持ち、ついでにスタミナのつく美味いスッポンだ!…いや逆か?
(よし、資材発見! ――だが、問題はあいつらだ…!)
俺はチラリと、池で気持ちよさそうにザブザブと水浴びをしている二狼と若きバトルウルフたちに視線を向けた。あいつらに見つかれば、間違いなくさっきの羊蜘蛛の二の舞になる。スッポンジは粉々に粉砕され、内臓の生臭い血と泥にまみれたただの肉片にされてしまうだろう。
(二度も同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。ここはブルーニトロの隠密技術で見事に『資材』だけを抜き取る……!)」
俺は山積みの綿を物陰に隠すと、気配を完全に殺し、圧倒的な敏捷性を活かして音もなく水面を滑るようにスッポンジの背後へと回り込んだ。二狼たちはいまだに池の中央でじゃれ合っており、こちらには気づいていない。
目の前で泥を吸い上げているスッポンジ。俺は手刀を構え、狙いを定めた。狙うのは肉でも命でもない。甲羅を覆う、あの黄色く肉厚なスポンジ層の表皮だけ!
(ごめんよスッポンジ!命までは取らねえ。これだけ、ちょっと現場の資材として分けてくれ……!)
心の中で平謝りしながら、俺は目にも留まらぬ速さで右手を振るった。
『プレナー・スライス』シュッ!!!
精密機械のごとき手刀の往復。スッポンジ本体の肉や神経には一ミリも刃を届かせず、甲羅の表面にあるスポンジ層だけを、まるで大工が角材から薄いカンナ屑を削り出すように、綺麗に均一な厚みで削ぎ落としていく。
「スッ!?」
スッポンジが驚いたように首をすくめたが、痛みは一切ない。ただ、自分の甲羅が劇的に軽くなったことに首を傾げている。
(よし、回収完了! ありがとな!)
俺は削り取った大量の黄色い極上スポンジシートを手際よく丸めて腕に抱え、スッポンジが状況を理解して騒ぎ出す前に、脱兎のごとくその場を離脱した。池の方を見れば、二狼たちはまだ「ガルル〜♪」と水しぶきを上げて遊んでいる。完全犯罪成立だ。
血も泥もついていない、完璧な状態で手に入った最高級の吸水・防水スポンジ素材!
「これでベッドの防風防水対策の目処が立ったぞ……!」
と、俺は自分の職人技の冴え渡りにほくほく顔になりながら、綿を隠した物陰へと急いで戻るのだった。
道中、ハッカに似た清涼感のある植物を収穫し、近くの大樹から天然の樹脂をワックスとして抽出した。これで必要な防水・クッション・消臭の資材はすべて揃った。
(さあ……お楽しみの組み立てといこうか! だがその前に、羊蜘蛛の羊毛を完璧に『乾燥』させねえとな)
俺は池の湿気から少し離れた乾燥した岩場へと移動した。先ほど腕を高熱の鉄板にしたのと同じ要領で、今度はグルメ細胞の莫大な熱エネルギーを喉の奥へと集中させていく。そして、ブルーニトロ特有の縦に大きく割れた顔をパカ〜ンと開いた。この部分だけはレッドニトロで居たかったな…
「ハァァァァァァァァーーーッッ!!!」
口から放たれたのは、超高熱の暴風――さながら『人間業務用ドライヤー』だ。試しに綿の一部へ温風を当てて、指先で触れてみる。
(……お、上手くいった! ふわふわのもふもふだ! よし、この調子で全部一気に乾かすぞ!)
手応えを得た俺は、山積みの綿に次々と温風を吹きかけていく。数分も経たずに、すべての羊毛が水分を完全に失い、驚くほど軽やかで弾力のある純白の塊へと仕上がった。
資材の乾燥が終わり、いよいよベッドの製作が始まる。
(まずは、この綿をピザみたいに綺麗な円形に整えていく……うわ、デカくて結構大変だなこれ。ギネスの巨体を支えるための特大サイズだからな、気合入れねえと)
ブルーニトロの強靭な腕力で、もふもふの綿を圧縮しながら、直径数メートルもの均一な円盤状のクッション(芯材)を作り上げていく。
形が整ったところで、次の工程だ。ハッカに似た消臭植物を細かく粉砕し、綿の隙間へと均等に仕込んでいく。これで、猛獣特有の野生の臭いを完全にカットする消臭層が完成した。
(よし、次は防水と外圧クッションだ!)
先ほどサンプリングしたスッポンジの黄色いスポンジシートを広げ、円形に整えた綿の上下左右を包み込むようにして覆っていく。
そして、これらを一寸の狂いもなくしっかりと結合させるため、俺は自分の鋭い爪を「縫い針」代わりに使った。羊蜘蛛から回収した強靭な蜘蛛糸を爪の先で器用に操り、スポンジと綿の境界線をザクザクと、しかし大工ならではの等間隔で美しく縫い合わせていく。
(仕上げだ……!)
最後に、樹木から抽出しておいた天然の樹脂ワックスを、ベタつかない程度に薄く、スッポンジの表面へと均一に吸収させてコーティングを施した。
(……できた。完璧だ!)
俺は完成した特大のモダンなベッドを見つめ、職人としての深い満足感に浸った。撥水ワックスで雨を弾き、それでも防ぎきれなかった水分はスッポンジが瞬時に吸い取り、内部の綿を絶対に濡らさない。
さらにハッカの消臭効果までついた、グルメ界のイカれた気候にも耐えうる『全天候型高機能マットレス』の完成である。そんな俺の最高傑作を、後ろからついてきていた二狼とバトルウルフたちは、もはや神聖な儀式でも見るかのような、キラキラとした畏敬の眼差しで見つめていた。
「う、うおおおおおっ!!」
完成したベッドの、見たこともない圧倒的な「ふかふかさ」に本能のタガが外れたのだろう。鼻垂れ坊主の二狼が、涎を撒き散らしながらマットレスに向かって全力でダイブしようと跳躍した。
「させるか、バカ野郎! 施工直後の現場を荒らすんじゃねえ!」
俺は素早く手を伸ばし、飛び上がった二狼の首根っこを、まるで暴れる仔猫をあやすかのようにガシッと掴み取って制止した。宙ぶらりんになった二狼が「ウガァ!?」と不満そうに手足をバタつかせるが、無視だ。これはギネスへの献上品なのだからな!
俺は周囲のバトルウルフたちに向き直り、ベッドを指差しながらジェスチャーでお願いした。
「おい、お前ら。これを持って巣窟まで運ぶのを手伝ってくれ! 一人じゃ重いんだ!」
今度は彼らにも意図が明確に伝わった。ウルフたちは嬉しそうに尻尾を振り、傷一つつけぬよう器用にベッドを咥え上げると、みんなでわっしょい、わっしょいと担ぐようにして巣窟へと戻っていった。
◇巣窟の最奥
戻ってきた俺たちは、狼王ギネスの目の前へと、完成した特大の全天候型高機能マットレスをドシンと厳かに下ろした。
『……何だ、これは』
ギネスが黄金の瞳を細め、不審そうにその黄色と白のモダンな構造物を見つめる。だが、新入りのそのまっすぐな眼差しと、群れのウルフたちが誇らしげに胸を張っている様子を見て、王はフンと鼻を鳴らした。
『我が群れの一員となった者の好意……無駄にするわけにはいかんな』
王としての気遣いか、あるいは単なる気まぐれか。ギネスはゆっくりと巨体を動かし、そのマットレスの真ん中へと、どっかりと腰を下ろした。――その瞬間。狼王ギネスの脳内を支配したのは、ただ一言。
『快、適……ッ!!!』
という、八王の歴史において一度も経験したことのない衝撃的な二文字だった。撥水ワックスとスッポンジの極上の弾力が巨体の重みを受け止め、内側の羊蜘蛛の羊毛が、まるで雲の上にいるかのような未体験の柔らかさで四肢を包み込む。さらに、ハッカの清涼な香りが野生の疲れを芯から癒していく。
あまりの心地よさに、ギネスの瞼が今にもトロンと落ちかけ、至福の吐息が漏れそうになる――。
しかし、ここは群れの長が集う巣窟だ。他のバトルウルフたちの前で、そんな無防備でだらしない姿を晒すわけにはいかない。
(危ないところだった……王の威厳が崩壊しかねん……!)
ギネスは強靭な精神力で『快適の悪魔』を抑え込むと、何事もなかったかのように、あくまで気高く冷徹な狼の王として背筋を伸ばし、威風堂々とその場に構え直した。そして、誰に言うでもなく、噛み締めるように小さく、低く唸った。
『……もしも将来、我が狼王の地位を誰かに譲ることになるならば……その時は、この『寝床』もセットで譲らねばならなくなるな……』
それは王の、あまりにも本気すぎる呟きだった。地位はどうでもよくとも、この至高のベッドだけは死んでも手放したくない。その言葉が、巣窟にいたバトルウルフたちの耳へと届いた瞬間…
――ビキィィンッ!!!
若きバトルウルフたちの脳裏に、凄まじい衝撃と野心が走った。
(な、何だと……!? あの寝床は、王の座を勝ち取った者だけが扱える『至高の特権』なのか……!!)
(何としても強くなり、王を超え、あのふかふかの寝床を手に入れたい……!!)
ただの快適なベッドが、彼らにとっては「王の象徴」であり、世界で最も価値のある宝物へと誤認された瞬間だった。ウルフたちの目が一斉に血走り、巣窟全体の士気が爆発的に向上していく。二狼もまた、「俺があれを奪い取ってやる!」と目をギラつかせ、己の拳を強く握りしめていた。
パニックになりながら彼らの様子をビクビク見つめる主人公は、まだ知らない。己の施したリフォームが、この大陸の狼たちの「強さへのハングリー精神」を完全に狂わせてしまったということを。
――後に、このエリア2のバトルウルフたちの戦闘力は、この日を境に異常なまでの底上げを見せることになる。
おそらく、ここから500年後の未来――トリコたちが活躍する時代においては、この群れの数多くのバトルウルフたちが、かつて主人公を絶望させたあの地殻の捕食者『王陸鮫』を、単独で、それも安々と狩猟できるようになっているだろう…
すべては、一人の大工が「ふかふかの寝床で寝たい」と願った、職人の執念が引き起こした奇跡の生態系変化であった…
ギネス、キャラ崩壊タグつけたほうがいいか。