ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 六章 一節
『言わなかった名前は、喉の奥で小さな神像となる。』
呼び出しは、夕食の直前だった。
兵舎の廊下で軍属の伝令に止められた時、俺は最初、何かの書類ミスだと思った。
そうであってほしかった。
「三郷弦殿。墜界物管理機構より、面談要請です」
「飯、食ってからじゃ駄目ですか」
冗談っぽく言ったつもりだった。
伝令は笑わなかった。
ああ、そういうやつか。
「すぐ行きます」
食堂の方から、飛井の声が聞こえる。山崎が何か言い返して、誰かが笑った。その普通の音が、少し遠かった。
俺は腰のナックルダスターに触れる。戦闘中でもないのに、確認してしまう。剣より先に、こっちを確かめる癖がついた。
なんでも切る剣は、今は部屋の奥に置いてある。
持ってこなかった。
機関の面談にあれを持っていくほど、俺は馬鹿じゃない。
馬鹿じゃない、と思いたい。案内された部屋は、小さかった。
机がひとつ。椅子が二つ。
窓はあるが、外は見えない。磨りガラスの向こうで、王城の灯りだけがぼんやり滲んでいる。
女の職員が、先に座っていた。
名前は名乗られたが、肩書きの方が長くて、そっちだけ覚えた。
墜界物管理機構、調整官。
「三郷弦さん」
「はい」
「あなたは現在、転移者班の現場統率を担っていますね」
「担ってる、ってほど立派じゃないです。声をかけてるだけです」
「その声に、他の方が従っている」
調整官は、薄い紙をめくった。
そこには俺の名前と、能力と、訓練成績が書かれているらしい。
俺のことなのに、俺より紙の方が詳しそうだった。
「北領の状況が変わっています。あなた方には、今後さらに実戦的な任務が増える可能性があります」
「もう増えてますよ」
口が勝手に動いた。
「砲撃訓練も実敵対応も、前よりずっと本気です。みんな分かってます」
「では、こちらの話も早いですね」
調整官は、机の上の札を動かさない。
「班内の不安定要素を減らしたいのです」
「不安定要素」
「特定人物への依存、過去の関係への固執、配置外の情報への反応。そういったものです」
嫌な予感がした。
胃の下の方が、ゆっくり冷える。
「羽黒承さんについて」
来た。
名前だけで、椅子の背が急に硬くなった気がした。
「彼は現在、協会経由のクラン活動を進めています。戦力配置上、あなた方とは別系統です」
「知ってます」
「連絡は」
膝の上の手は、組み替えなかった。
「取ってません」
取れていない、の方が正しい。
でも、そこを直すと余計なものまで出そうだった。
調整官は、俺の顔を見た。
紙ではなく、こっちを見た。
「今後も、直接の接触は控えてください」
「命令ですか」
「要請です」
卓上の書類には、まだ誰の署名も入っていなかった。
「命令と何が違うんですか」
「記録上の扱いが違います」
あまりに正直で、少し笑いそうになった。
笑えなかった。
俺は膝の上で手を組む。
拳を握ると、ナックルダスターの感触を思い出す。
ここで握るものじゃない。
「あいつ、何かしましたか」
「いいえ」
「じゃあ、なんで」
「近すぎる関係は、戦場で判断を鈍らせます」
王様みたいな言い方だな、と思った。
実際、上から降りてきた言葉なのかもしれない。
「俺が、羽黒のこと気にして動けなくなるって話ですか」
「可能性の話です」
「じゃあ逆は? あいつが俺たちを気にして動く可能性は?」
調整官は、少し黙った。そこで、紙の意味だけが先に分かった。それも、問題にされている。
承。お前、やっぱりどこかで働いてるんだな。
俺たちが知らないところで、俺たちの戦場に繋がる何かを、たぶん。
嬉しい、とは違う。
腹が立つ、でも足りない。
置いていったのはこっちなのに、置いていかれた気がする。
面倒くせぇな、俺。
「三郷さん」
「はい」
「あなたには、転移者班をまとめる立場として、班内の士気を保っていただきたい」
「士気ね」
笑わなかった。
「羽黒さんの名を不用意に出さないこと。クラン活動の噂に過剰に反応しないこと。必要があれば、彼は別の場所で役割を得ている、とだけ伝えてください」
「それ、俺に言わせるんですか」
「あなたの言葉なら、通りやすい」
通りやすい。
クラスの前で笑って、冗談を言って、何となく大丈夫そうな顔をしていれば、みんな少し落ち着く。
それは知っている。
知っているから、やっている。
でも、それを紙の上から言われると、急に全部が安っぽくなる。
「断ったら」
「断る理由がありますか」
ある。山ほどある。承に会いたい。
何してるか聞きたい。剣を返されたことを謝りたい。
あの夜に言えなかったことを、今度こそ言いたい。
俺みたいにはなるな。そう言いたい。
でも言ったら、あいつはたぶん考える。考えて、また変なところで自分を責める。
あいつは、正しい言葉を正しい形で受け取るのが下手だ。
俺も、正しい形で渡すのが下手だ。
駄目じゃん。
俺たち、どっちも駄目じゃん。
「三郷さん」
調整官が促す。
俺は息を吸った。
少し長く吐く。
「分かりました」
自分の声は、喉の奥で引っかからなかった。
「不用意には出しません。噂が来ても、俺の方で流します」
「助かります」
「ただ」
調整官のペンが止まる。
「羽黒が危ないなら、教えてください」
「それは」
「会わせろとは言ってません。連絡させろとも言ってません。危ないかどうかだけでいい」
調整官は答えなかった。
答えないという答えだった。
俺は椅子から立ち上がる。
「今日の話、どこまで記録に残ります?」
「必要な範囲で」
「じゃあ、これも必要な範囲でお願いします」
自分でも、何を言うつもりか分からないまま口を開いた。
「俺は、クラスの連中を戦場で動かします。怖がってるやつにも、撃てって言います。逃げたい顔してるやつにも、前を見ろって言います」
調整官は、黙って聞いていた。
「だから、俺に言わせるなら、せめて俺が嘘つきだってことは記録しないでください」
「どういう意味ですか」
「俺はみんなに、大丈夫そうな顔をします。でも、大丈夫なんて一回も思ってない」
それだけ言って、部屋を出た。廊下は長い。磨かれた床に、自分の足音だけが残る。
食堂に戻ると、もう飯は冷めかけていた。飛井が手を振る。
「おーい隊長、遅いぞ。何の話だったんだよ」
みんながこっちを見る。
桐谷さんも、山崎も、佐々木も。
俺は笑った。
「大したことねぇよ。俺が人気者すぎて、王城が困ってるって話」
飛井が吹き出した。立川が「うぜぇ」と言った。桐谷さんだけが、少し眉を寄せた。
ばれてるかもしれない。でも、ばれていないことにする。俺は冷めたスープを飲む。
塩が強い。喉の奥に残る。承の名前は、結局出さなかった。
皿の端に、少し汁が残っていた。
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