ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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六章四話 届く間だけ

《王録》 六章 四節

『届く間だけ、人は止まれぬ者の仮面をかぶる。』

 

2376- ノエホ要塞 平林視点

 

 傷口に手を当てている間、相手の顔を見なかった。見ると、止まりたくなる。

 

 現実主義者として言えば、止まる余裕がない。手の下で出血が鈍り、塞がった感触が返れば、指を離して次へ動く。

 

 こんな世界だからこそ、みんなのために癒す。そう口にしてきた。一度言ってしまえば、次の傷へ手を伸ばすところまでは考えずに済んだ。

 

 

 機関銃で脇腹をやられた人間に手を当てた。

 

 深いが、急所ではない。出血を抑えれば動ける。

 

 五秒で塞いだ。肩を押すと、その人は立ち、脇腹を庇ったまま走った。

 

 次、と口に出した。名前を聞かずに済む言葉だった。

 

 腕を砲弾の破片でやられた人間がいた。

 

 骨まで来ていた。

 

 これは少し時間がかかる。屈んでいる間に自分が狙われる。それでも、置いていけばこの人は死ぬ。

 

 十五秒。指を離すと、爪の間に血が残った。拭かずに次へ向かった。

 

 

 ドラゴン爆撃が始まってから、止まれなかった。

 

 五百キロが落ちるたび、伏せていた人間が起き上がらなくなる。結界が薄くなり、機関銃弾が通るようになった。

 

 呼ばれる前に、動かない背中を探した。

 

 自分が被弾したのは、正直、何度目か分からなかった。

 

 自分の傷は後で回復できるかもしれない。目の前の人間は、今、手を離せば死ぬ。

 

 正しいはずだ、と口の中で言った。言わないと、指が動かなかった。

 

 

 次の人間を回復した時、視界が少し暗くなった。

 

 まだできる。もう一人を塞ぐと、視界の端がさらに暗くなった。

 

 次の傷へ手を伸ばしたところで、膝が石に当たった。いつ折れたのか分からなかった。

 

 指先が空を掻いた。届かなかった。

 

 届かない、という事実だけがやけに静かだった。

 

 周りの音はあるのに、そこだけが抜け落ちたみたいに。

 

 「こんな世界だからこそ」の続きが浮かんだ。口を開けても、息が入らず、声にはならなかった。

 

 最後に回復した人間の顔が、まだ目の前にある気がした。

 

 全部で何人だったか、数えていない。顔を見ないようにして、塞がったら次へ移った。数える暇はあったのかもしれない。けれど、数え始めたら手が止まりそうだった。

 

 最後に回復した人へ、もう一度だけ指を伸ばした。土を擦っただけだった。

 

 まだできる、と思っていたのに、体の方から続きが来ない。それが少し不服だった。

 

 仕方ない、と口の中で言った。喉は動かなかった。

 

『英雄とは、使い潰される準備が整った者を指す』

 

 

2376- ノエホ要塞 佐々木視点

 

 佐々木宗助の目には、常に「軌跡」が見えていた。

 

 相手の動きに幾何学的な模様が重なり、どこへ踏み込めば当たるかが直感より先に分かる。

 

 騎士長相手に一瞬で倒された時も、床へ転がる直前まで軌跡を追っていた。今、目の前にある線は、あの時より多い。

 

 圧倒的な質量を誇る敵の「英雄」と相対した時、佐々木は初めて読めない軌跡を見た。

 

 直線が多すぎる。右へ入れば肩を割られ、左へ入れば次の線へ触れる。足を置ける場所が、途中で消える。

 

 背後から補給の掛け声が続いていた。途切れていない。佐々木は剣を握り直し、一番太い直線の脇へ足を置いた。

 

 敵の一撃が来る。佐々木は剣の腹を斜めに当て、受け止めずに横へ逃がした。踵の下で石が砕ける。軌跡は読めた。身体も、ぎりぎり追いついた。

 

 だが、剣を戻す前に二本目の線が増えた。さっきまで何もなかった角度から、首と脇腹へ同時に伸びてくる。

 

 見えている。見えているのに、どちらかしか消せない。佐々木は補給の声が続いている方を背にして、首へ来る線の中へ踏み込んだ。

 

 

2376- ノエホ要塞 後藤視点

 

「……弾が来るたびに、少し曲げればよろしいのですわ」

 

 後藤聖良は、戦火に包まれた城壁の上で微笑んだ。爆風で膝が沈むたび、裾を払う暇もなく背だけを伸ばした。

 

 銃口から出た瞬間に弾道を歪める、空間の操作。

 

 最初の曳光は胸の前で折れ、城壁の外へ消えた。続く三発は別々の角度から来た。後藤が指を払うたびに軌道がずれ、石壁を削り、空へ抜ける。

 

 一発を曲げるたび、次の銃口がこちらを向く。守った場所が、そのまま次の標的になった。

 

 夜明け前、ワイバーンの五百キロ級爆弾が落ちてきた。後藤は着弾点の手前に両手を向ける。空間の面が白く歪み、正面へ膨らむはずだった爆風が左右と上へ裂けた。

 

 城壁は残った。代わりに膝が石へ沈んだ。次の爆弾が地面を叩くたびに、彼女は十字架のブローチに触れた。

 

 (わたくしのできることを、ちゃんとやりますから、見ていてください)

 

 指をブローチから離し、次の曳光を見上げた。

 

 

2376- ノエホ要塞 村雨視点

 

 村雨は、狼さんに頼んだ。

 

「戦車の前に出て、引き付けてくれると嬉しいな」

 

 彼女の能力は動物と取引することだった。けれど、狼さんは差し出した手の匂いを嗅いだだけで、戦車の方へ鼻先を向けた。

 

 狼さんが囮となったおかげで、部隊は死地を脱した。

 

 戻ってこなかったあの子に向かって、村雨は「行ってくれて、ありがとう」とだけ呟いた。

 

 地面に頬がついた時、草の匂いがした。

 

 草の先が唇へ入り、土の味がした。「ありがとう」の後ろ半分は、うまく声にならなかった。

 

 

2376- ノエホ要塞 深山視点

 

 深山は、よく人に触れる平林の背中を見ていた。

 

 手を合わせる。

 

 この世界に来てから、彼はそれだけを欠かさなかった。

 

 戦火の中、倒れた平林を見つけた時も、彼は静かに手を合わせた。

 

 祈りの言葉は出なかった。合わせた指の間に、瓦礫の砂が残った。

 

 瓦礫の陰で息を潜めながら、彼はあいつの笑顔を思い出そうとした。

 

 いつも笑っていたあいつの顔を思い出そうとしたが、どの瞬間だったか、うまく思い出せなかった。

 

 次の機関銃が鳴るまで、深山は手を離さなかった。

 

 

2376- ノエホ要塞 加賀視点

 

「私の能力は、生徒を集めることだ」

 

 加賀は、かつて英語教師として教壇に立っていた頃と同じように、名前を呼んだ。

 

 返事のある生徒、ない生徒。全員の名前を彼女は覚えていた。

 

 散らばった人間を引き寄せ、一箇所に集める。呼ばれた者は、伏せたままでも顔を上げた。

 

「一、二、三……」

 

 爆風に壁が崩れ、数えたばかりの数字が欠けていく。

 

 十一まで数えたところで、次の返事がなかった。

 

 加賀は次の名前へ進まず、同じ名前をもう一度呼んだ。

 

――――――――

 

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