ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 六章 九節
『氷壁の砲声は、計算の外から白き獣の息を連れてくる。』
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田中、飯田、小泉の三人は、その日、鉄の箱の中にいた。
「右前方、稜線に二両! 歩兵戦車、来やがった!」
飯田の怒鳴り声が、鉄板に囲まれた狭い車内に叩きつけられる。こういう時のあいつは、ムカつくくらい判断が早い。正面四十ミリ、側面二十ミリ。三人で飽きもせず議論し、紙の上でなぶり殺しにしてきた『仮想敵』が、今そこに実在している。
この車両を、正式な戦車と呼ぶかは最後まで揉めた。
工房の古い装甲車に履帯を履かせ、砲塔を低くし、浄水器で覚えた圧力逃がしを冷却系へ回す。小泉が図面を引き、飯田が装甲の継ぎ目を直し、田中が重量と旋回の数字を削った。
軍の車両班は、試作一号車と呼んだ。
田中だけが、ずっと戦車と呼んだ。
敵の車体側面には、アワカエ隊の白い識別布が結ばれていた。現地兵の歩兵直協部隊だと、昨日の資料で見た。砲塔の根元では、簡易結界の白い膜が薄く震えている。
「角度取りなさい! 右! 死にたきゃ正面晒してな!」
田中が操縦レバーを力任せに引き込みながら、鼻で笑った。
彼女は、機械が好きでここにいるわけではなかった。
計算できる者が計算を放り出したら、次に死ぬのは隣の席だと知っているだけだった。
元・兵站担当の自分たちが、なぜこんな棺桶に揺られているのか。そんな疑問は、一年前の砲声の中に消えた。
最初は泥の中の荷馬車を動かすためだった。
次は装甲車の冷却を止めないため。
その次は、歩兵を撃たせずに退かせるため。
理由を一つずつ足していくうちに、三人の紙の箱は、いつの間にか本物の鉄になっていた。
「九十メートル、側面角十八度……まだ、まだ……六十メートル、二十七度……抜ける、抜けるわよ!」
小泉が狂ったように計算を喚き散らす。
一歩間違えれば、どっちが先に塵になるか。
先頭の敵車両が稜線を越え、正面をこちらへ向けた。もう一両は、半車身だけ後ろに残っている。
田中は先頭を見たまま右へ切った。こちらの正面を残し、向こうの側面を取る。照準が止まり、三人が乗る車両が先に撃った。
敵の簡易結界が白く膨らんだ。砲塔の付け根で火花が散り、先頭車両の動きが止まる。抜いたかどうかは見えない。
「一号車、命中!」
誰かが外で叫んだ。
田中は返事をしなかった。命中で止まるなら、紙の上でとっくに戦争は終わっている。
結局、この世界でも最後は根性のぶつけ合いだった。
止まった一両の後ろから、もう一つの砲口が見えた。田中が切り返すより早く、激しい地響きと共に側面へ衝撃が走る。結界膜が一瞬だけ白く膨らみ、そのまま薄く消えた。
薄っぺらな二十ミリの装甲が、紙細工のように引き裂かれる。
「……飯田、起きなさい。不細工な寝顔見せてるんじゃないわよ」
田中は血に濡れたハッチの下で、動かなくなった二人を見た。
飯田が、血に濡れた目を開け、掠れた声で笑う。
「……俺たちの設計が、甘かったんだな……」
死ぬ間際まで、設計の議論。
理欲っぽくて、意欲的で、愛すべきバカな仲間たち。
田中は小泉の冷たくなった手を握り、外で響くトドメの砲声を聞いた。
弾薬庫の隔壁が、内側から嫌な音を立てている。
飯田が設計した逃がし穴は、まだ持っていた。けれど、持っているだけだった。煙が床を這い、田中の膝へ触れる。
脱出ハッチは歪んでいる。押せば、たぶん開く。田中一人なら、出られる。
小泉の指は動かない。
飯田の手は、まだ温かかった。
「……あんた達と同じ棺桶になれて、良かったわ」
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「……またかよ」
剥き出しのコンクリート。冷えた石畳。反射的に跳ね起きた三郷の喉を、掠れた自分の声が通り抜けていく。
ノエホ要塞を奪取してから、二週間。
「三郷! 生きてんならさっさと配置につきなさい!」
扉を蹴飛ばしたのは、隈の張り付いた瞳を持つ桐谷幸だった。
空には
要塞の空気は重く、熱かった。
「……三郷、選んで」
桐谷が、重い責任を俺に預けるように言った。俺の言葉一つで、壁の下で泥を這っている連中の命が決まる。英雄なんてガラじゃないが、ここで俺が選ばなければ、全員がまとめて死ぬだけだ。
「第一分隊、北西内壁へ。正面から当たるな。アクセラップ起動具は壁際の足場で使え、外へ飛ぶな。……桐谷、空を落とせ。あんたが半分背負ってくれるなら、外さねぇ」
「ああ、全部背負ってやる。だから――死ぬ気で殺せ」
爆発。衝撃が鼓膜を殴りつける。氷壁の表面を、雷のような術式線が走った。
北西内壁では、第一分隊が氷壁の根元を蹴って加速した。外へ跳ばず、壁と敵の間を縫う。正面へ向いていた敵兵が内側へ振り返り、その分だけ城門前の圧力が緩んだ。
空では、味方の航空魔導兵が二人、飛竜の外側へ回ろうとしていた。
その前に、敵の航空魔導兵が一人だけ割り込んだ。翼ではない。背中の短い飛行具が白く噴き、体が横へ折れる。味方の一人が高度を取る前に、敵は下から腹へ入った。
速い、だけじゃない。
味方の航空魔導兵が逃げた先へ、敵の体が先にあった。魔弾が二発、空を曲がる。敵は一発目を上へ逃げ、二発目を落下で外した。その落下の途中で、味方の肩を蹴った。
味方が崩れる。高度が落ちる。
「航空魔導兵、押されています!」
「分かってる! 戦闘機、上を塞げ! 地上魔導士隊、誘導魔弾、第一斉射は外へ。落とすんじゃない、逃げ道を消せ!」
桐谷の声が割れた。返事は聞こえない。代わりに、上空の味方戦闘機二機が外側へ開いた。敵航空魔導兵はそれを見た。見た上で、まだ速かった。
右へ逃げる。そこへ誘導魔弾が上がる。敵は白い噴射を短く切り、弾の内側を抜けた。
二度目は下へ落ちた。地上から伸びた三本の光が、落下線を追って折れ曲がる。敵は身をひねり、ぎりぎりで外した。外したが、速度が落ちた。白い噴射の間隔が、さっきより半拍だけ遅い。
「三回目、噴射が遅れる!」
誰かが叫んだ。味方航空魔導兵だった。落ちながら、それでも見ていた。
戦闘機が上から降りた。敵は上へ逃げられない。下へ行けば誘導魔弾がいる。横へ逃げれば、崩れた味方航空魔導兵が最後の一発を撃つ。
敵は横を選んだ。たぶん、それが一番ましだった。
誘導魔弾が横へ折れ、敵の背中の飛行具を叩いた。白い噴射が裂ける。体が空中で一瞬だけ止まり、次に黒い点になって落ちた。
勝った、とは言えなかった。味方の航空魔導兵も、城壁の内側へ落ちていく。救護兵が走った。戦闘機は上昇し直したが、機体の下で冷却液が白く散っていた。
勝利はすべてを守らない。でも、選ばなければ、何も残らない。
✶
「桐谷、見えるか?」
三郷の声が、耳元のノイズの向こう側に消えていく。
桐谷幸の意識はすでに、望遠照門の円の中へと深く沈み込んでいた。
指先が、薬莢の熱をなぞる。火薬の乾いた匂い。
夜明け前の、濃い藍の空。そこを旋回する
今の彼女にとって、それは『引鉄を引くべき標的』でしかない。
(承くんなら……なんて言うだろう……)
銃座に固定された体。反射的に働くトリガーハッピーの衝動。
それらを細く折り畳み、彼女は一人、今どこで何をしているかも知れぬ羽黒の名を手帳の端に書いた。
この消費の果てに、あの人はいつか、望まぬ階級章を背負わされることになるのだろうか。
それとも、自分と同じように、数えきれない名前の前で立ち止まるのだろうか。
「……ターゲット、固定」
引き金を引く。
反動が肩を叩く。弾丸は旋回の先頭を飛ぶ一騎、その翼の付け根へ入った。
翼が途中から畳まれ、飛竜が絶叫を上げて墜落していく。残る五騎が上昇と左右へ散れた。編隊が崩れ、要塞へ向いていた腹が空へ逃げる。
私はまだ、生きている。
死ぬためにここに居るのではない。あの日、あの人に「管理」されることを選んだ私として、生き残るために銃を握り続ける。
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