ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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七章十三話 歯車の熱

《王録》 七章 十三節

『熱を持つ歯車は、止まる前から帰り道を選ぶ。』

 

 古い装甲戦闘輸送車は、戻ってきた時点で限界に近かった。

 

 前部機関部の横で、運転手が膝をついている。左手の指先だけを切った手袋で、側面の歯車カバーに触れ、すぐに手を離した。

 

「熱い」

 

 それだけ言って、彼は歯を鳴らすように笑った。

 

 笑い方が軽い。

 

 でも、目の下は黒い。

 

「あと何往復できますか」

 

「聞き方が悪いな、准尉さん」

 

「では、何往復させると壊れますか」

 

「一往復でも壊れる時は壊れる」

 

 正しい答えではない。

 

 でも、現場の答えだった。

 

 車体の横では、常時展開結界が薄く揺れている。雨はもう止んだのに、車体の近くの空気だけが湿って見えた。余剰魔力が漏れているのだと思う。

 

 燃料はいらない。

 

 けれど、歯車は焼ける。

 

 便利なものは、別の場所で必ず代金を取る。

 

 

 搬送待ちは、まだ四人いた。軽傷二。歩けるが熱がある兵、一。

 

 通信具の破片で脇腹を切った兵、一。重傷ではない。

 

 そう分類される。重傷ではないから、後回しになる。

 

 後回しになった顔は、だいたい似ている。怒っているわけでも、諦めているわけでもない。ただ、自分が運ばれない理由を先に理解してしまった顔だ。

 

 通信具の破片を受けた兵は、僕より少し年上に見えた。髪を短く刈り、耳の後ろに乾いた血が残っている。包帯の上からでも、呼吸のたびに脇腹が引きつるのが分かった。

 

「歩けます」

 

 彼は言った。歩ける、と言う人間ほど、途中で止まる。

 

 そういう音だった。言わなかった。

 

「装甲車に乗せます」

 

「他に重い人が」

 

「歩ける人を途中で拾い直す方が、高くつきます」

 

 言い方が硬かった。

 

 彼は少し笑った。

 

「物みたいですね」

 

「すみません」

 

「いや、分かりやすい」

 

 分かりやすくて、いいはずがない。

 

 でも、彼はそれで納得した。

 

 

 問題は、車両そのものだった。

 

 装甲戦闘輸送車は前へ進む時は速い。

 

 後ろへは遅い。

 

 しかも、いまは右側の駆動系が熱を持っている。狭い接続点内で切り返せば、そこで軸がずれる可能性があった。

 

 運転手は、車体の下から抜いた細い金属片を見せた。

 

「削れてる」

 

 金属片の端は、銀色ではなく、少し青く焼けていた。

 

「あとで直せますか」

 

「あとでならな」

 

「今は」

 

「祈る」

 

 彼は肩をすくめた。祈りで動く車なら、たぶんもっと軽い。僕は略図を見た。

 

 接続点。南側の抜け道。

 

 北西排水路。古い水門。

 

 車両をまっすぐ入れて、まっすぐ出す。切り返しを減らす。後退させない。

 

 そのためには、積み込む場所を変える必要がある。

 

「搬送場所を、南側の旧荷下ろし場へ移します」

 

 救護兵が顔を上げた。

 

「遠くなります」

 

「四十歩ほど」

 

「その四十歩で、出血します」

 

「ここで車が止まれば、全員止まります」

 

 救護兵は黙った。

 

 黙ったというより、噛んだ。

 

 唇の内側を噛んだのだと思う。頬の片側だけが少し動いた。

 

「担架布を二枚重ねます。揺れを減らす」

 

「布が足りません」

 

「灰色布を使います。偽火点用の残り」

 

 救護兵は、それで頷かなかった。

 

 でも、拒まなかった。

 

 戦場では、それで作業が進む。

 

 

 旧荷下ろし場へ移す途中、敵の軽追撃が来た。

 

 人数は多くない。

 

 五。

 

 黒松林の端から、低い土手の影へ入る。装備は軽い。銃二、短杖一、剣二。中英雄級ではない。だが、こちらは搬送中だった。

 

 弱い場所を見ている。

 

 敵は、愚かではない。

 

「車両は止めないでください」

 

 僕は言った。

 

 運転手が、すぐに怒鳴り返す。

 

「止めねえなら、どこへ行く!」

 

「旧荷下ろし場へお願いします。そのまま進んでください。後退はしないで」

 

「撃たれたら」

 

「撃たせる場所を変えます」

 

 言いながら、口の中が乾いた。撃たせる。誰に。

 

 どこへ。考える前に、略図の上では答えが出ていた。

 

「北西排水路、偽標識二番を点灯。水門裏の灰布を外してください。敵に車両の降ろし口を誤認させます」

 

 通信兵が復唱する。

 

 少し掠れているが、通る声だった。

 

「護衛二名は車両左側へ。発砲は敵が土手を越えてから。土手の手前までは発砲禁止でお願いします」

 

「なぜ」

 

 下士官が聞いた。

 

「土手の手前で伏せられると、車両が曲がるしかなくなります」

 

「越えさせる」

 

「はい。越えた後なら、向こうは戻るか撃つかを選ぶしかない」

 

 選ばせる。

 

 選ばせた結果、人が死ぬ。

 

 その順番を、もう知っている。

 

 

 偽標識二番が灯った。

 

 薄い青い光。

 

 救護用の目印に似せてある。本物より少し低い。敵が遠目に見れば、車両の降ろし口だと思う。

 

 敵の五人は、そちらへ寄った。

 

 こちらの装甲戦闘輸送車は、南側の旧荷下ろし場へまっすぐ進む。歯車音がいつもより高い。車体の右側から、熱い油の匂いが濃くなった。

 

「右が鳴ってるぞ!」

 

 運転手の声。

 

「そのまま進んでください」

 

「そのままって言うやつは、中に乗ってねえから言えるんだ!」

 

 その通りだった。

 

 でも、曲げればもっと悪い。

 

 僕は車体右側を見た。

 

 側面駆動系のカバーが、細かく震えている。装甲というより、機械を守る薄い殻だ。非貫通でも軸が歪む。設定メモではなく、いま目の前で壊れかけている。

 

「護衛、左の火点を開けてください。右は撃たないで。右へ敵を寄せないようにお願いします」

 

 十ミリ機関銃が、短く鳴った。連射ではない。土手の向こうへ、三発。

 

 敵の一人が伏せる。もう一人が、偽標識へ走る。短杖持ちだ。

 

「マギブレイク、起動準備をお願いします。まだです」

 

 僕は息を止めかけて、やめた。吸う。吐く。

 

 数えるな。数えると、撃つまでの時間が短くなる。短杖持ちが土手を越えた。

 

「今、お願いします」

 

 短杭が起動した。

 

 短杖の先に集まっていた術式が、布を解くように乱れる。敵は止まらなかったが、杖の向きがずれた。

 

 護衛の小銃が撃つ。一発。敵の肩が跳ねる。

 

 倒れない。二発目。今度は脚。

 

 短杖持ちが転んだ。HPの表示が一瞬だけ見えた。高くない。

 

 中英雄級ではない。ただの兵だ。ただの兵、という言葉を、僕はまた使った。

 

 

 装甲戦闘輸送車は、旧荷下ろし場に入った。

 

 後退なし。

 

 切り返しなし。

 

 運転手は車を止めると、すぐに機関部の横へ飛び降りた。手袋越しに触り、顔をしかめる。

 

「焼ける手前だ。積むなら今だ」

 

 救護兵が動く。

 

 担架が入る。

 

 歩ける兵が、床へ座る。

 

 通信具の破片を受けた兵は、乗る前にこちらを見た。

 

「高くつきますか」

 

「途中で止まらなければ、安いです」

 

「じゃあ、安く済ませます」

 

 彼は笑った。

 

 笑いが脇腹に響いたのか、すぐに顔をしかめる。

 

 僕は手を貸そうとして、救護兵に先を越された。

 

 それでよかった。

 

 僕の手は、いま命令に使う方が先だ。

 

「敵五、うち一負傷。残り四、偽標識側で停止。車両位置、誤認継続」

 

 通信兵の報告。

 

「追わせないようにします。偽標識二番を消して、三番を一瞬だけ点けてください。逃げ道を迷わせます」

 

 下士官が言った。

 

「撃破しないのですか」

 

「撃破すると、回収に来ます」

 

「負傷者も回収に来ます」

 

「はい。だから、車両が出るまで向こうを迷わせる」

 

 敵にも負傷者がいる。敵も戻したい。それを使う。

 

 使えると思ってしまう。胸の内側で、何かが一段沈んだ。

 

 

 偽標識三番が、一瞬だけ点いた。

 

 敵の四人が、そちらを見た。

 

 負傷した短杖持ちを引くか、標識の方を見るか。

 

 彼らは迷った。

 

 迷う時間は短い。

 

 短いが、装甲戦闘輸送車が出るには足りた。

 

「出すぞ!」

 

 運転手が叫ぶ。

 

 車体が前へ出る。

 

 右側の歯車が鳴った。

 

 ぎりぎり、という音ではない。もっと細かい。硬いもの同士が、熱を持ったまま噛み合っている音だ。

 

 僕は思わず右側を見た。見たところで直せない。それでも見た。

 

 車両が白布の内側を抜ける。薄い結界が、朝の霧を押す。敵の一人が撃った。

 

 弾は結界に触れ、少し角度を変えて車体側面のカバーを擦った。

 

 金属音。運転手が罵声を上げる。

 

 車体は止まらない。止まらなかった。

 

 それだけで、背中の奥の力が抜けそうになった。

 

「車両、離脱」

 

 通信兵が報告する。

 

「敵軽追撃、停止。負傷者回収に移行」

 

 負傷者回収。

 

 敵も、そうする。

 

 人間だから。

 

 

 戦果表には、こう書かれた。

 

 味方負傷者四、搬送完了。

 

 装甲戦闘輸送車一、走行継続。ただし右側駆動系過熱。

 

 敵軽追撃五、進出失敗。敵一、負傷。

 

 敵追撃判断、偽標識により遅延。記録係が、そこで鉛筆を止めた。

 

「指揮者」

 

 僕は答える前に、下士官を見た。

 

 下士官は何も言わない。

 

 代わりに、記録係の鉛筆が待っている。芯の先が、紙の同じ場所で小さく丸くなっていた。

 

「羽黒准尉」

 

 僕が言うと、記録係はそのまま書いた。

 

 もう、不要です、とは言わなかった。

 

 言えば、余計に目立つ。

 

 覚えられたくない人間の動きは、たぶん覚えられやすい。

 

 今日の指揮者欄に、僕の名前が入るのは三度目だ。三度とも、傷はこちらではなく、向こうについた。

 

 嫌な知識が増えていく。

 

 

 装甲戦闘輸送車は、次の中継救護へ向かった。

 

 走行音は遠ざかっても、しばらく耳に残った。低い唸りと、細かい歯車の音。あの車は、燃料ではなく回転で走る。回転はまだ残っている。問題は、骨格がそれに耐えるかどうかだ。

 

 人も似ている。そう考えかけて、やめた。

 

 比喩にするには、近すぎた。通信兵が新しい報告を受け取る。

 

「第二王子側移動隊、第二中継点を完全通過。第三中継点へ向け移動中」

 

 接続点の空気が、少し変わった。今度は、僕にも分かった。戦果がまた一つ増えた。

 

 負傷者を戻した。敵軽追撃を止めた。第二王子側の距離が伸びた。

 

 報告欄は、きれいに埋まっていく。僕は右手袋の裂けたところを見た。

 

 まだ血は出ていない。出ていないのに、そこだけ熱かった。

 

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