ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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七章十七話 戦闘室の灯

《王録》 七章 十七節

『灯を消す者は、灯の中に人がいたことを後で知る。』

 

 機甲衝撃兵は、倒れなかった。

 

 右足を引きずり、坂の白砂を削りながら、まだ前へ出ようとしている。足首の外板から細い煙が漏れ、切れた疑似筋肉が、濡れた縄みたいに跳ねていた。

 

 動きは遅い。

 

 でも、遅いだけだ。

 

 止まったわけではない。

 

「一体目、速度低下。前進継続」

 

 通信兵が復唱する声に、少し力が入った。喉が削れているのに、まだ声を張ろうとしている。

 

「水車小屋跡、撃たないでください。前面結界に吸われます」

 

「水車小屋跡、待機」

 

 二体目は、左腕の機関銃覆いを上げたまま外側へ寄った。林端に落ちた枝を踏み越えようとして、足を止める。覆いの結界は厚い。胴の前の膜も、まだ白く戻る。

 

 歩兵は、その後ろで詰まったままだった。

 

 詰まった列の一人が、後ろを向く。

 

 逃げたいのか、命令を待っているのか、分からない。顔は見えない。けれど、背中の角度だけで、前へ進みたい人間ではないことは分かった。

 

 僕は略図の上の黒い印を見た。一体目。二体目。

 

 随伴歩兵。荷持ち。観測具。

 

 人間。最後の一つだけ、書いていない。

 

 

「敵砲兵、沈黙継続」

 

 ノクスラ班からの通信が入った。

 

「北方隣接戦区より中継。敵増援は連隊規模で東岸へ渡河中とのこと」

 

 連隊規模。

 

 目の前の一体、二体という数字と並べると、桁が違う言葉だった。遠くから、途切れない砲声が幾筋も重なって届く。橋梁線だけが戦場ではない。

 

 敵は撃ってこない。

 

 撃てないのではなく、撃つための目を探している。

 

 こちらの砲兵が一発だけで黙ったせいで、敵は着弾点から砲兵陣地を逆算しきれていない。次に撃つには、前へ出た観測手が必要になる。

 

「北西林、動き」

 

 通信兵が言った。

 

 僕は略図から顔を上げる。

 

 北西林の低い枝の下に、人影が二つ出た。片方は腹ばいで、もう片方は膝をついている。膝をついた方が、細い筒を地面に立てた。

 

 推定観測手。

 

 たぶん、本物。

 

「距離」

 

「坂横火点から三百五十歩。水車小屋跡からは遠いです」

 

「徹甲小銃ではなく、通常弾。筒の手前。殺さず、伏せさせてください」

 

 下士官がこちらを見る。

 

「殺さず、ですか」

 

「はい。今は、観測を切ります」

 

 言い訳に聞こえた。

 

 実際、言い訳だった。

 

 でも、ここで観測手を殺せば、敵砲兵は別の目を出す。殺すこと自体が目的になった瞬間、こちらは数を間違える。

 

 坂横の小銃が撃った。

 

 土が跳ね、観測手の筒が倒れた。膝をついていた兵が体ごと伏せる。腹ばいの方が筒へ手を伸ばしかけて、やめた。

 

「敵観測具、倒れました」

 

「記録。敵観測具、設置妨害。敵砲兵、射撃再開なし」

 

 通信板に線が足される。

 

 撃たずに済んだ。

 

 その直後、一体目が動いた。

 

 

 壊れた右足を引きずったまま、機甲衝撃兵は剣を下げた。

 

 斬るためではない。

 

 胴の前を出した。

 

 戦闘室を前に向ける代わりに、剣の重さを地面へ預けるように構える。坂を登るのではなく、斜面を崩しながら下へ走るつもりだ。後方接続点へ届かなくても、坂下の短杭と煙筒を剣ごと踏み潰せば、二体目と歩兵が動ける。

 

 敵も考えている。

 

 考えて、壊れた足でまだ役割を変えた。

 

「一体目、突進準備。坂下短杭を潰す気です」

 

 言葉が先に出た。

 

 通信兵が返す。

 

「一体目、突進準備」

 

「水車小屋跡、前面ではなく右足。十ミリ二発。坂横、徹甲小銃は戦闘室を見ないでください。まだです」

 

「まだ」

 

 下士官の声が、少し硬かった。地図の上では、僕も同じ答えを出している。とどめを刺すなら、戦闘室。

 

 パイロットのいる場所だ。そこを撃てば、機甲衝撃兵は止まる。そこを撃たなければ、味方が潰される。

 

 一体目が足を踏み出した。十ミリが撃つ。

 

 弾は足元の結界で白く滑り、外板を叩く。疑似筋肉の束が一つ裂け、右足が大きく外へ流れた。それでも、機甲衝撃兵は剣と左腕を地面へつき、四つん這いに近い姿勢で坂を下り始めた。

 

 そんな動き方もできるのか。

 

 資料にはなかった。

 

 いや、資料にあっても、僕はそこまで覚えていない。

 

「坂下、退避。短杭を捨ててください」

 

「短杭、捨てますか」

 

「捨てます。人が残る方がまずいです」

 

 片耳の工兵が、坂下で何かを叫んだ。声は届かない。けれど、短杭の束を抱えた二人が横へ走った。片方が転びかけ、もう片方が襟を掴む。

 

 機甲衝撃兵の剣が、短杭のあった場所を潰した。

 

 青い光が、泥の下で潰れる。

 

 坂の途中の結界が、少し澄んだ。

 

 二体目が動ける。

 

「二体目、前進再開」

 

 通信兵が言う。

 

 僕は息を吐いた。

 

 吐いたのに、胸の中の硬いものは残った。

 

「坂横、徹甲小銃。二体目ではなく、一体目の胴正面」

 

 下士官が動きを止めた。

 

「戦闘室です」

 

「はい」

 

 声が出た。

 

 自分の声だった。

 

「一体目を止めます」

 

 

 徹甲小銃班は、二発しか残していなかった。

 

 三発入り弾倉のうち、一発は足首に使っている。弾倉交換の時間はない。射手は低い林の中で、体を半分だけ起こした。頬に白砂がつき、唇の端が切れている。

 

 彼は、僕を見ていない。

 

 前だけを見ている。

 

 それでいい。

 

「角度、少し待ってください」

 

 僕は言った。

 

 一体目は四つん這いに近い姿勢で坂を下りている。胴正面は揺れる。結界の面は濁っているが、厚い。今撃てば滑る。

 

 二体目が一歩出る。

 

 随伴歩兵が、その影に寄る。

 

 その瞬間、一体目が左腕を地面についた。胴がわずかに右へ傾く。戦闘室の正面が、坂横の射線へ半分だけ開いた。

 

「今です。胴正面、中央より少し右」

 

 徹甲小銃の音。

 

 一発目は、結界で白く潰れた。

 

 面が濁る。

 

「二発目」

 

 言わなくても、射手は撃っていた。

 

 弾は濁った面を滑らず、重く押し込むように入った。白い膜が一瞬だけ内側へ凹み、胴の正面で火花が散る。

 

 その一瞬、戦闘室のあたりに濃い生命の文字が滲んだ。HP、ゼロ。文字はすぐに煙と土埃に紛れて崩れる。見間違いであってほしかった。

 

 煙のせいで見間違えたのだと自分に言い聞かせようとしたけれど、次に目に入った、動かなくなった腕の角度が、その言い聞かせをあっさり壊していった。

 

 機甲衝撃兵の動きが止まった。

 

 今度は、本当に止まった。

 

 腕も、足も、動かない。

 

 背中の排気口から、白い蒸気が一度だけ太く出た。それから細くなった。

 

 坂に、重いものが沈む音がした。

 

 爆発はしなかった。

 

 派手な終わりではなかった。

 

 ただ、命令を聞いていた疑似筋肉が、全部一度に力を失った。

 

「一体目、戦闘不能」

 

 通信兵が言った。

 

 坂を塞いでいた巨体が沈み、その後ろの歩兵列が止まる。こちらの工兵が短杭を抱えたまま片手を上げた。接続点へ続く道が、一本戻った。

 

 僕は口を開いた。

 

 出てきたのは、別の言葉だった。

 

「搭乗者確認」

 

 下士官が一瞬だけこちらを見た。

 

「まだ近づけません」

 

「分かっています。記録だけ」

 

「一体目、搭乗者未確認」

 

 通信板に、そう書かれた。

 

 未確認。

 

 その二字に、まだ見なくていいものが押し込まれていた。

 

 さっき見えた文字を、僕は誰にも言わなかった。見えたことにすれば、未確認ではなくなる。未確認のままにしておく方が、みんな少し楽だった。

 

 

 二体目は、止まらなかった。

 

 一体目が沈んだことで、坂の道は逆に狭くなった。左腕に機関銃覆いを持つ機甲衝撃兵は、斜面の外側へさらに寄り、膝を曲げる。覆いの結界が濁り、胴の膜が遅れて白く戻る。

 

 前進ではない。

 

 回収だ。

 

 一体目の胴へ向かっている。

 

「二体目、回収に入ります」

 

「撃ちますか」

 

 下士官が聞く。

 

 撃てる。

 

 坂横の徹甲小銃は空だが、水車小屋跡の十ミリは残っている。砲兵も、もう一発なら間に合う。二体目の側面へ、林端へ、あるいは歩兵列へ。

 

 撃てば、二体目も止められるかもしれない。

 

 撃てば、回収に出た歩兵も巻き込む。

 

 僕は二体目の左腕を見た。

 

 機関銃覆いの縁で、結界が薄く揺れている。銃口は坂の外へ向いたまま、こちらへ下りてこない。味方の随伴歩兵が近すぎて、撃てば自分たちの退路まで削る。中の戦闘室は見えない。見えないのに、そこに人がいることだけは分かる。

 

「二体目は追いません」

 

 言ってから、歯を噛んだ。追わない。逃がす。

 

 違う。目的は、ここで全部壊すことではない。

 

「歩兵が一体目へ寄ったら、足元に通常弾。殺さず、近づけさせない。砲兵は撃たないでください。敵砲兵に位置を渡します」

 

 通信兵が復唱する。

 

「二体目追撃なし。歩兵接近時、足元に通常弾。砲兵射撃なし」

 

 二体目は、一体目の手前で止まった。

 

 左腕を前に立てる。

 

 その陰へ、歩兵が二人入った。一人は牽引用の太い革帯を持っている。もう一人は、胴の横の小さな蓋へ手を伸ばした。

 

 戦闘室の蓋。開く。開かなかった。

 

 蓋の縁で手が止まり、兵は首を振った。遠くて表情は見えない。

 

 でも、その首の振り方は分かった。中は、もう駄目なのだ。

 

 僕は略図の上で、黒い印を一つだけ横へ倒した。

 

「一体目、戦闘不能。搭乗者、反応なしの可能性」

 

 通信兵は、少し遅れて復唱した。

 

 可能性。

 

 断定しないための欄が、また一つ埋まった。

 

 

 敵は、回収を諦めた。

 

 二体目は左腕を前にしたまま、後ろへ下がる。後退は遅い。機関銃は最後まで鳴らなかった。だが、こちらも追わない。随伴歩兵は二人を引きずり、荷持ちは倒れた筒を拾わなかった。

 

 坂には、一体目が残った。大きな鉄の胴。切れた疑似筋肉。

 

 濁ったまま薄くなっていく結界。戦闘室の灯は、外からは見えない。

 

「敵機甲衝撃兵一、戦闘不能。二体目、後退。敵観測具、設置未了。敵砲兵、射撃再開なし」

 

 通信兵が言った。

 

「第二王子側移動隊は」

 

「第三中継点通過後、南東路へ入ったとのことです。予定より二十一分早いです」

 

 三分増えた。一体を止めて、三分。いや、十八分と合わせて二十一分。

 

 そう数えるのが正しい。正しい数え方は、たいてい汚い。

 

 片耳の工兵が戻ってきた。顔の左側に白砂がつき、片方の袖が裂けている。手には、潰れたマギブレイク短杭を一本持っていた。

 

「短杭、二本潰れました。四本は回収できます」

 

「人は」

 

「坂下は全員戻りました。転んだ奴が膝を打ったくらいです」

 

「よかった」

 

 言ってから、舌の裏に苦みが残った。

 

 工兵は潰れた短杭を僕の前へ置いた。湿った青が、まだ少し残っている。

 

「准尉」

 

「はい」

 

「あれ、止めたのは大きいです」

 

 彼は褒めているのだと思う。

 

 現場の言葉としては、正しい。

 

 でも、坂の途中には、戦闘室を抜かれた機甲衝撃兵が残っている。

 

 中にいた人間は、たぶん、もう水を飲まない。

 

 僕は潰れた短杭を見た。

 

 青い光が消えるまで、通信具の小さな雑音だけが残った。

 

 通信板の端で、次の報告が鳴る。

 

「敵砲兵、陣地変更の兆候。北側へ移動します」

 

 戦闘は終わった。

 

 作戦は、まだ終わっていなかった。

 

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