ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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八章十五話 白く燃える低地

《王録》 八章 十五節

『夜番の鐘は、火の色を問わず同じ数だけ鳴らされる。』

 

 敵は、夜を待たなかった。

 

 夕方の雨が細くなり、低地の水たまりに空の灰色が映り始めたころ、南低地の奥で値が増えた。

 

 点ではない。

 

 面だった。

 

 低い値が広がり、その上に濃い値が乗る。歩兵、機関銃、結界補助具。さらに奥から、重い値が三つ。

 

 車両だ。

 

「南低地、敵大規模接近。歩兵、多数。結界補助具、六以上。重機関銃、四。車両、三」

 

 通信兵が復唱する前に、別の符号が割り込んだ。

 

「北東丘、敵砲兵らしき発光」

 

「南西湿地、後続歩兵、再集結」

 

「旧水路枝線、担架二、通過中」

 

「第九中隊より、南低地の後方、敵は連隊規模で稜線を越えつつあり。当方観測範囲外」

 

 連隊規模。

 

 目の前の車両三、歩兵数十は、その先端でしかない。地平線の向こうまで、同じ密度の敵が続いているという意味だった。天幕の外で、遠く複数の方向から低い砲声が途切れずに重なっている。一つの戦線ではない。あちこちで、同時に同じような夜が始まっている。

 

 同時に来た。

 

 敵は、こちらがどれを先に守るかを見ている。

 

 南低地の車両三。北東丘の砲兵。南西湿地の歩兵。旧水路枝線の担架。

 

 地図の上で、赤と青が重なっていく。

 

 左手は見ない。手袋の下にある文字は、見ると邪魔になる。

 

「第一梯団、南低地へ正面射撃準備。まだ撃たないでください。第二梯団、低地縁の荷車を全部後ろへ。空箱だけ残します」

 

「空箱だけ」

 

「はい。相手に燃やしてもらう箱です」

 

 通信兵が一瞬だけこちらを見た。

 

「燃やす前提ですか」

 

「空箱です。燃えるなら、派手な方が目を引きます」

 

 通信兵は空箱の符号を送り、すぐ山崎くんの回線へ切り替えた。

 

 山崎くんの通信が入る。

 

「南低地、車両三って本当か」

 

「本当です。速度、遅い。装甲は厚くない。結界反応あり。恐らく装甲戦闘輸送車か、その派生」

 

「二両目の前へ一発。車両ではなく地面です。列を詰まらせて、三両を縦にしてください」

 

「了解。二両目の前、地面」

 

 すぐに、砲兵の符号へ変わる。

 

 

 南低地の奥で、最初の車両が見えた。

 

 箱のような車体。

 

 前部に小さな砲塔。横に歯車を守る覆い。薄い装甲の上を、常時展開の結界が濡れた硝子みたいに包んでいる。面は途切れない。雨粒が表面で白く乱れ、車体の輪郭を少しぼかす。

 

 車両の前には、歩兵がいない。

 

 歩兵は横にいる。

 

 車両を盾にするのではなく、車両でこちらの火点を釣り、歩兵で広がる形だ。

 

 よく考えられている。

 

 だから、嫌になる。

 

「敵一両目、距離一・六キロ。二両目、一・八。三両目、二・〇。歩兵左右展開。右三十四、左三十九。結界補助具六、車両間に分散。後続に、さらに二個小隊相当」

 

「砲兵、準備」

 

 山崎くんの声。

 

「二両目の前、五十。榴弾ではなく、土煙。車両を止めます。壊さない」

 

「了解」

 

 北東丘の砲兵が先に撃った。

 

 空気が低く震える。

 

 着弾は、低地縁の少し後ろ。

 

 泥と水が跳ね、天幕の外で兵が伏せる音が続いた。

 

「北東砲兵、着弾。損害確認中」

 

「確認より先に移動。指揮所通信、予備線へ。今の場所へ二発目が来ます」

 

「指揮所通信、予備線へ」

 

 通信兵が回線を切り替える。

 

「書記官、戦果表は箱ごと。通信兵、符号板は持てる方だけ。重い板は置いてください」

 

 通信兵が符号板を抱える。

 

 僕は地図の上から、青い札と赤い札、黒い丸だけを取った。全部は持てない。

 

 二発目が来た。今度は近い。

 

 天幕の支柱が揺れ、入口の布が跳ねた。外で誰かが叫ぶ。中には破片は入らない。結界班が間に合ったのだろう。薄い結界面が天幕の前で白く震えている。

 

「結界班、前面維持。礼は後で送ります。指揮所は移動します」

 

「了解」

 

 僕たちは天幕を出た。

 

 外は白かった。

 

 煙ではない。

 

 泥と水と、砲弾の熱で立った蒸気が混じっている。

 

 南低地では、山崎くんの砲弾が落ちた。

 

 二両目の前。

 

 土煙が大きく上がる。

 

 一両目がそのまま進み、二両目が止まり、三両目が詰まる。

 

 車両三が、一列になった。

 

「山崎さん、成功。三両、縦列化」

 

 工兵班が昨夜のうちに敷いた偽の轍と、実際より固く見える泥の標識杭が効いていた。土煙が上がった位置は、こちらが選んだ場所ではない。工兵が沈みやすい地盤へ誘導する目印を、何日も前から低地の縁に打ち込んでおいたからだ。敵の操縦手は、固く見える方を選んで、柔らかい方へ入った。

 

「次、二両目後輪側へ榴弾。駆動系だけを止めます。乗員区画は避けてください」

 

「了解。後輪側、榴弾」

 

 砲声。二両目の横で火が上がった。

 

 赤ではない。白い火だった。

 

 結界が受け、車体側面で光が広がる。常時展開の膜が一度膨らみ、すぐ薄くなる。歯車覆いのあたりから黒い煙が出た。

 

 二両目、停止。

 

 三両目、後退不能。

 

 一両目だけが、前へ出る。

 

「敵一両目、前進継続。二両目停止。三両目詰まり」

 

「第一梯団、十ミリ機関銃、車両ではなく随伴歩兵。右三十四の前、地面。走らせない」

 

「第一梯団、地面」

 

 機関銃の低い連続音が鳴る。

 

 泥の上に白い点が走り、随伴歩兵が伏せる。

 

 敵も一両目の二十ミリ連装機銃で撃ち返した。音が違う。

 

 空気を押すような発射音が、低地を横に裂いた。こちらの結界面に白い波が三つ走る。破れない。けれど、再展開している結界班の値が揺れた。

 

 僕の目に見えるHPではない。

 

 疲労に近い何か。

 

 まだ名前が出ない。

 

 負荷、という字がうっすら浮かんで、すぐ消えた。結界HPでも、HPでもない。装置か、装甲か、まだ切り分けられない。

 

「結界班、交代準備。無理に持たないでください。二十ミリです。意地で受ける弾ではありません」

 

「交代、十五秒」

 

「十秒で。次弾の前に面を替えます」

 

「十秒」

 

 通信兵が、符号を飛ばす。

 

 僕は仮設指揮所に移る途中で、地図板を膝に置いた。

 

 立ったままでは線が引けない。座る場所もない。だから、膝で書く。

 

 字は汚い。あとで書記官に怒られる。

 

「井上さん、医療線は」

 

「旧水路、担架二、止まっています。砲撃音で馬が動きません」

 

 通信具の向こうで、馬の鼻息が近く鳴った。

 

「目隠しできますか」

 

「布はあります」

 

「馬の目を覆ってください。耳は無理に塞がない。足元へ誰か一人。声をかけ続ける」

 

「はい」

 

 通信具の向こうで布を引き裂く音がして、誰かが低い声で馬の名前を呼び始めた。

 

「井上さんは馬の横まで。先頭には出ないでください」

 

「了解」

 

 井上さんが何か言いかけたところで、担架の金具が鳴った。声はそこで切り替わる。

 

 南低地の一両目が、さらに前へ出た。距離、一・二キロ。

 

 20ミリがまた撃つ。結界班の交代が間に合う。

 

 白い面が二重になり、弾が滑る。何発かは泥へ落ち、何発かは結界面で姿勢を崩して空へ抜けた。

 

 白い波の向こうで泥の柱と黒い煙が重なり、その間を二十ミリの火線が横切った。

 

 その全部の下に、人の値がある。潰れないように、こちらが線を引く。

 

「敵一両目、青杭枝線へ向いています」

 

 通信兵が叫ぶ。

 

 叫ぶほど近い。

 

 車両は、担架ではなく青杭を踏みに来ている。

 

 標識を壊し、戻送線を汚し、こちらの動きを全部遅らせるつもりだ。

 

「山崎さん、一両目後方三十へ榴弾一。後ろを崩して、履帯を泥へ落とします」

 

「了解。後ろを抜く」

 

 砲声。

 

 一両目の後ろで土が爆ぜた。

 

 車体が前へ沈みかけ、右側の駆動覆いが泥へ噛む。結界が白く膨らみ、車体の周囲で光が流れた。

 

 止まらない。

 

 ゆっくり、まだ進む。

 

「止まりません」

 

「分かっています」

 

 僕はGR-370-1080-Aを肩から下ろした。

 

 通信兵がこちらを見る。

 

「一両目の側面駆動系を撃ちます。交換分の弾倉をください」

 

 通信兵が弾倉を渡す。

 

 手が震えているのは、彼か、僕か。

 

 分からない。

 

「前へ出ます。一両目側面の射撃位置まで。制限一分」

 

 通信兵は返事をせず、弾倉を僕の胸へ押しつけた。

 

 僕は仮設指揮所の土嚢を越えた。低地へ一歩出ると、泥と火薬、熱い鉄に、結界が弾を受けた焦げ臭さまで混じった。

 

 一両目は、青杭枝線へ近づいている。

 

 距離、四百。三百五十。車体側面の歯車覆いは薄い装甲だが、常時展開の結界に覆われている。

 

 面は途切れない。それでも、走る車体に合わせて揺れていた。

 

 揺れた時に、弾の姿勢が合えば抜ける。

 

「結界班、一両目へ薄い板を斜めに当ててください。押さない。触れさせるだけ」

 

「少尉、近すぎます」

 

「分かっています。撃ったら戻ります」

 

 白い板が車両の結界へ触れると、二つの光が重なり、車体側面の膜が一瞬だけ乱れた。

 

 歯車覆いの前へ一発。弾は弾かれ、泥へ落ちた。

 

 二発目を少し後ろへ撃つ。白い膜を抜け、弾が薄い装甲に刺さった。車体が揺れ、中で歯車が嫌な音を立てる。

 

 三発目は、そこから少し下へ撃った。覆いが割れ、車両の右側が沈んで前進が止まる。

 

 二十ミリ機銃がこちらを向くのが見えた。見えても、もう間に合わない。

 

「伏せてください!」

 

 誰の声か分からない。僕は伏せた。

 

 二十ミリが撃った。頭上を、低い音が通る。

 

 土嚢が裂け、泥が背中へ降る。結界面が遅れて白く光った。誰かが間に入れてくれた。

 

 僕は起き上がった。車両は青杭枝線の二十歩手前で止まっている。

 

 二十歩。

 

 近すぎる。

 

「敵一両目、停止。青杭枝線、維持」

 

 通信兵が叫ぶ。

 

 止まった車体の後ろで三両目まで動きを失い、敵歩兵が泥の外へ下がった。青杭の横を、担架二つが途切れず通っていく。僕が撃った三発で、その道が残った。

 

 叫んだ後、続ける。

 

「少尉、生きていますか」

 

「生存。動けます」

 

 通信兵の声が、少し裏返った。

 

 

 南低地の敵は、車両三を失ったわけではない。

 

 一両目と二両目は停止。三両目は詰まったまま。

 

 でも、中の兵は生きている。随伴歩兵も、半分以上が下がれる。

 

 敵は撤退を始めた。

 

「追撃なし」

 

 僕は言った。

 

「一両目乗員は」

 

 書記官が聞く。

 

「出てくるなら撃たない。機関銃へ戻るなら撃ちます」

 

 前より早く返せた。しかも、途中で詰まらなかった。それに気づいた時、左手が熱くなった。

 

 左手の奥には、読みにくい二つの表示が残っている。車両を止めただけで、人は殺していない。それでも手袋の下で目盛りが伸びた。

 

 戦場を動かした分も、戻ってくるらしい。

 

「戦果欄。担架二、後送継続。青杭枝線、維持。その後に、敵装甲戦闘輸送車三、行動停止二、渋滞一。敵歩兵、後退。味方人員損害なし」

 

「少尉の直接射撃は」

 

 通信台の周りが、少し静かになる。

 

 僕はGR-370-1080-Aを膝に置いた。

 

 銃身は熱い。

 

 雨が触れて、薄く湯気を上げている。

 

「補記で。青杭枝線防護のため、羽黒少尉、敵一両目側面駆動系へ徹甲弾三発。行動停止」

 

「了解」

 

 書記官が書く。

 

 僕はその字を見た。

 

 殺した時より、少し読みやすい字だった。

 

 それが救いなのか、別の何かなのかは分からない。

 

 左手の表示は、車両を止めた分でも増えていた。人ではなく、装置を壊しただけでも同じ場所が濃くなる。殺していなくても、その数字はちゃんと増える。

 

 南低地では、空箱と止まった車体の脇で白い火がまだ燃えている。夕方前なのに、低地全体が明るく見えた。

 

 その火の下で、青杭が一本、泥の中に立ったまま残っている。

 

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