ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《創世訓》 一章 十六節
『それに意志があるかは知られず、ただ境界だけが震える。』
2372- 第二王城食堂 赤石夢莉視点
土埃と汗の匂いが染みついた食堂は、訓練の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
壁際に並べられた長机に、私こと赤石夢莉は一人腰掛け、配給されたシチューをスプーンでかき混ぜる。ごろっとした肉や野菜が煮込まれたそれは、栄養を考えられているのがわかり、味も悪くない。それでも、元の世界のコンビニ弁当が恋しくなる気持ちは消えなかった。
日中鳴り響いていた号令や、遠くの演習場で聞こえる乾いた爆音は止み、今は、疲れた者たちの低い話し声と、食器の触れ合う音だけが反響している。泥のついた袖。汗で額に張りついた髪。笑いそこねた声。誰も、元の教室にいた時と同じ座り方はしていなかった。
「……疼くか、我が右目よ」
眼帯で覆った右の瞼を、そっと指でなぞる。邪気眼たるこの右目は、世界の理が乱れる時、あるいは強大な気配が近くにある時に疼きを訴える。少なくとも、私はそういうことにしている。そうでもしないと、食器の音ひとつで胸が跳ねる理由を説明できなかった。
この世界に転移させられ、訳もわからぬまま連合王国軍の保護下に置かれてから数日。私たちは、生き残るために銃の扱い方と、この世界で「魔法」と呼ばれる力の使い方を叩き込まれていた。
ふと、食堂の入り口に視線を移す。
羽黒承が、一人で入ってきたところだった。
彼は盆を持つ手を一度だけ下げ、空いている席を探した。周囲の声を避けるように見えて、誰がどこに座っているかは先に数えている。訓練の時もそうだった。羽黒承の声が入ると、無駄に走らされる人数が少し減る。
元の教室でも、彼は席替えの時に余った机を先に動かす側だった。誰かのためだとは言わない。ただ、通れない場所があると、そこに手を伸ばす。
(……だが)
右目の奥が、食器の音とは違う拍で疼く。
彼だけは、他の者たちと何かが決定的に違う。
他のクラスメイトが放つ内側の光は、多かれ少なかれ、未知への恐怖や未来への希望で揺らめいている。色として。あるいは陽炎のような揺らぎとして。そう視える、と私は呼んでいる。
しかし、羽黒承のまわりだけ、その揺らぎが薄い。静かで、底が見えない。そこに在るようで、居ないかのような……。
彼は私の近くの席には座らず、少し離れた場所で同じシチューを受け取ると、壁に背を預けるようにして食べ始めた。その姿は、周囲の喧騒から一枚の膜で隔てられているかのようだった。
✶
食事を終え、食器を返却口に戻しに行く。彼のすぐ後ろを通り過ぎる、その瞬間。
「――羽黒承」
思わず、口から彼の名前がこぼれた。我ながら、いかにも問い詰めるような声色だったと思う。
彼はゆっくりとこちらを向いた。目の焦点は、私の少し後ろの壁に合っていた。
「なんだ、赤石」
「貴様……一体、何を視ている?」
私の問いに、彼は僅かに眉をひそめた。
「何を、とは? 訓練の反省と、次の演習の段取り。それ以外に特にないと思うけど?」
「とぼけるな。貴様の光は、常人とは違う色をしている。この世の者ではないような……いいや、この世の全てを『観測』しているような、そんな歪な色だ」
言ったあと、少し言葉が大きすぎた気もした。
しかし、羽黒はスプーンを盆の端に置いただけだった。
「中二病も、ここまでくると才能だね。疲れているなら、少し休もう。明日の訓練に響くからね」
そう言って、彼は食べ終えた食器を持って立ち上がり、私の横を通り過ぎて行った。
いつもの、素っ気ない態度。
だが、すれ違いざま、彼の唇が微かに動いたのを、私の聴覚は逃さなかった。
「――その眼は、たぶん役に立つと思う。自信をもってね」
それは、誰にも聞かせるつもりのない、独り言のような呟き。
振り返った時には、もう彼の背中は返却口の向こうに消えていた。
残された私は、ただ立ち尽くす。
右目が、先ほどとは違う種類の熱を持って、じんわりと疼いていた。
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